昨年親爺を亡くした。94歳だからまずまずの大往生。
誤嚥性肺炎だったから、生きていてもこのコロナ禍、
はたして生き残れたかどうか怪しいものだったと思う。
この親爺が平岡町という大阪堺の田舎の新興住宅地に家を建てたのは、
昭和38年。引っ越してきたのは昭和39年。
誰かの田畑だったのだろうが知る由もない。平岡町という地名も後づけかも
知れない。平らなだけでこれといった名もなき土地だったかもしれん。
このおぼっちゃま(ランドセルを取ると、背中丸出しのびんぼっちゃま)
が小1のアタシ。まだ世の中の辛酸ペロペロ舐めて屈折していない頃。
手提げ袋のマークに注目していただきたい。
それが…こちら。
東京五輪ワッペン ¥100。
世の中、東京五輪で沸き返っておった。
私たちも熱狂した。世の中、ワッペンがやたらと流行った。
ワッペンはドイツ語、英語ならエンブレムとなるはずだが、
猫も杓子も阿呆みたいな顔してワッペンワッペン言うておったわ。
平岡の家は東京五輪に始まり、今度の東京五輪で終わる予定だったが、
ものの見事に五輪は飛び、この夏、解体だけされることとなった。
親爺をおくって一年。残念ながら息子らに空家を遊ばせておくだけの
甲斐性なく、更地にして売り払うこととなった。
こっちはとうの昔に親元離れており、ときに介護に通うだけだったが、
両親にゃ悪いが、実は親の思い出というより、子供時代の思い出が
いっぱい詰まっていたので、なかなかに名残り惜しかった。
いつまで引っ張っとんねんという話だが、折に触れ、そんなものも
紹介して行きたい。
両親にゃ悪いが、実は親の思い出というより、子供時代の思い出が
いっぱい詰まっていたので、なかなかに名残り惜しかった。
いつまで引っ張っとんねんという話だが、折に触れ、そんなものも
紹介して行きたい。
今回は、コレクションしてたおもちゃの一部を。
大阪ではベッタン。関東ではメンコ。
絵柄に古さが出るが、中途半端な古さゆえ値打ちなど無し。
丸く抜いた紙製のこれはなんというのだろう。
オレらは、とばしん…と呼んでいた。
島根県の親戚宅でもらい、失くしてずっと引っかかっていた。
これは随分後で松屋町のおもちゃ問屋で見つけたもの。
この絵柄が一目見た時から好きで、今もFacebookの表紙にするほど。
ディズニー関係からは確実に訴えられるだろうが、
このキッチュさ、おおらかさ。
次なるは百貨店のおもちゃ売り場の常連だった、動物ミニチュア。
行くたびに、一体また一体と買い足していった。
一方こっちは兄が集めていた、マッチボックスのミニカー。
忘れもしない、一台¥150 Made in 大英帝国だった。
車も動物たちも。
動物は家内の方の姪の子供に。
車は兄の方の姪の子供に、それぞれ貰われて行った。
物置にビー玉の入った缶があったように思ったが、
ついぞ出てこなかった。
大阪ではベッタン。関東ではメンコ。
絵柄に古さが出るが、中途半端な古さゆえ値打ちなど無し。
丸く抜いた紙製のこれはなんというのだろう。
オレらは、とばしん…と呼んでいた。
島根県の親戚宅でもらい、失くしてずっと引っかかっていた。
これは随分後で松屋町のおもちゃ問屋で見つけたもの。
この絵柄が一目見た時から好きで、今もFacebookの表紙にするほど。
ディズニー関係からは確実に訴えられるだろうが、
このキッチュさ、おおらかさ。
次なるは百貨店のおもちゃ売り場の常連だった、動物ミニチュア。
行くたびに、一体また一体と買い足していった。
一方こっちは兄が集めていた、マッチボックスのミニカー。
忘れもしない、一台¥150 Made in 大英帝国だった。
車も動物たちも。
動物は家内の方の姪の子供に。
車は兄の方の姪の子供に、それぞれ貰われて行った。
物置にビー玉の入った缶があったように思ったが、
ついぞ出てこなかった。
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