親爺の写真をもって、出生地である神田紺屋町。
かつては染物業者が大勢住んだ場所だったから紺屋町。
ここでどんな暮らしをおくっていたのか、想像もつかない。
古そうな家に飛び込んで聞いてみたが、戦前の話が分かる人がもはやいない。
気になっていた寿司屋へ。
神田鍛冶町の「笹鮨」。古い仕事を残す店として知られていた。
なんでもかんでも高くなりやがって、寿司なんて東京ぢゃ3万仕事でしょう。
なにも、おやつにそんな高いとこへ行くことはない。
昭和23年から、お祖父さんが屋台で闇営業をしていたそう。
誰もまだいなかったので、カウンターに陣取り、ご主人と雑談。
神田で高山寺の鳥獣戯画ね…w 酒は菊正、文句はない。
主人は三代目、取手一郎さん 83歳。
紺屋町の話なんぞをしながら。
ことさら高級な構えではない、下町の寿司屋。
この雰囲気がいいと言うと、
「いやぁ、時代に取り残されて、だから誰も入っちゃ来ないでしょう?」と
自嘲気味に言う。 ま、たしかに早い時間は暇そうではあったけど。
酒肴に〆ものを少しずつ出してもらう。
タチウオ、イワシ、アジ みな関西以西なのが可笑しい。
どれも〆過ぎ・・・昔の仕事なんだろうなぁ。
ちょいと奮発して、にぎりの上をいただく
きれいなもんだ。
鉄火巻きのカップリングの三つ葉の塩揉みのような巻物が気に入った。
胡瓜巻きよりよほど気が利いている。玉子も昔風の薄焼き。
修業はどちらで…なんて聞くと、家業でずっと教わったことを
やってるだけという。そうやんな、代々やってきたことをするだけ。
それが家業の基本なんだろうな。
でも、今となってはよくぞ生き残っててくれました・・・と言いたくなる。
店前を急ぎ足で行きかう会社員はどこまで知ってるのだろうか。
この店に気付いた30年前と、ちっとも変っていない。
はて、いつまで生き残ってくれるかは誰にもわからない。
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