新橋演舞場に小しごとあり、その帰りに20年ぶりぐらいかな、浅草へ。
もちろん、こんな景色もなかったわけで。
近いのは判っていたが、こんなにスカイツリー、近いとは思わなんだ。
それにしても、タワーのデザインが北朝鮮っぽい…。
さて、さかのぼるは大正年間。ローシーというお雇い外国人を帝国劇場招き、
日本にも歌劇を根付かせようとした。
だが費用がかさむ一方で、帝劇歌劇は解散。その残党が赤坂ローヤル館を経て、
興行街のある浅草へと流れ着いた。
それが浅草オペラである。口の悪い奴らは「インチキ歌劇」と呼んだ。
清水金太郎、田谷力三、エノケンの師匠柳田貞一などを輩出。
ペラゴロとよばれた熱狂的オペラファンを生み、蕎麦屋の出前持ちまでが
「ベアトリね~ちゃん、まだねんねか~い♪」と口ずさんでいたという。
だが、そんな浅草オペラの人気も短く、大正12年関東大震災で灰塵と果てた。
その後、浅草オペラで冷や飯を食わされていた連中が軽演劇を始めるのもここ浅草。
ご存じ、榎本健一・エノケンさんがその始祖とされる。
そんな物語がある浅草が好き。
軽演劇の小屋よろしく、かき割り一枚ペロリと剥がせば、チープな本来の街の姿を現す。
そんな味わいがあるのが、私の浅草でもある。
あんまり立派になっちゃいけない。どこかウソ臭さ、騙されてなんぼ…みたいなとこがないと面白くない。
伝法院の脇にゃ、昔、煮込みの大鍋がグツグツと湯気を上げ、そこらでオダをあげていたのは
傷んだジイサンやら、馬券をすったオッサン、昔劇場街と関わりを持ってたようなオッサンら。
それがいつの間にかホッピー通りといわれ、明るいうちから若い連中が一杯やってやんの。
生き残ってやがるなぁ、しぶとい。
あの屈託顔のジイサン達ゃ、どこへ行ったんだろう。
大方、酒で体を壊して何処かへ消えてしまったんだろう。
浅草地下街。いやぁ~吹き溜まってますなぁ、素晴らしい。
こんなところに芸人が飲んでたりして…とちらっと覗くと、青空球児・好児の好児さんの姿が。
だからといって、ズカズカと無粋に入って行かない。 いいな、睨んだ通りの浅草がある。
右側の師匠ね。ゲロゲ~ロぢゃない方。
浅草は路地を歩くに限る。 この「金寿司」にもよく来た。
池波正太郎の本で見たが、おばちゃんというか女性職人が握る。
高級店も行くが、こういうざっかけない大衆店も守備範囲なのが下町の人間だね。
奥におばあさんがいて、 「私の娘じゃないのよ、この人は使用人よ」と言い放っていたのを記憶。
とっくに生きちゃいまい。 寿司で腹膨らませたくないので、今回は眺めるのみ。
仲見世通りのちかく。酒屋が店先をいじって飲ませるようになっていた。
立ち呑み感覚のカウンター座り飲み。
まずは軽くジャブ。軽井沢ビールだったかな、よく冷えて旨かった。
じゃこ冷奴に唐辛子の醤油漬けが散らしてあり、いい仕事をする。ヒ~ハ~。
寄席へ寄ってるほどの時間の余裕はない。
あたしゃ、ナイツ好きなんだがな。 東京ボーイズとかの音曲も。
ナイツがちょくちょくネタに使う、古い寄席芸人の世界が愉快。
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