いま、大阪の玄関口、梅田が「うめきた」を中心に大きく変わろうとしているが、
南の玄関口、天王寺だって黙ってはいない。阪急に対して近鉄が対抗するというか…。
お互いかつてのパシフィックリーグで闘った間柄である。
天王寺駅と近鉄百貨店を結ぶ阿倍野陸橋がもはや通行止めになり、
飛田遊郭へ通じる旭通り商店街が姿を消し、阿倍野筋西側はガラリと姿を変えた。
でも、向かいのちん電沿いは相変わらずですよ・・・。
三井住友BKのあった辺りですかね、Hotel Trustyという高層ホテルがほぼ出来上がっている。
しかし、スイスホテルより南にそんな宿泊ニーズありましたかね。
愛する「明治屋」も最後の最後まで孤塁を守ってらっしゃったが、ついに断念し、昨年10月いっぱいで閉店。
こっちはうっかりご無沙汰してるうちに、閉店となって寂しいことこの上なかった。
「明治屋」なけりゃ、阿倍野に出かけるアリバイもなく。変貌する街に居心地悪いばかりで。
そんな明治屋が転居。引っ越したのはキューズタウンというこの大型施設の中の1階。
この中はグリルマルヨシ、名門酒造、アベノなどが入って、昔からの顔ぶれが生き残っている。
新しい店舗が揃う中に、ひときわシブイ輝きの店。
それが新生「明治屋」である。
太田和彦氏からも花が届いていた。彼はこんな記念碑的な店がつぶれるのを黙って見過ごすような
大阪人は見限った…みたいなことをどこかに書いていたそうな。
案じていたが、暖簾に扉から置き看板まで前のまんま。そのまんま外して持ってきた由。
中へ入ると、まったくデジャブである。
来る人来る人、「あれ?一緒や…」と首をひねるのが可笑しい。
カウンターはもちろん、四斗樽の場所から、初代からの銭箱、牛の像まで同じ。
神棚の位置も、黒板の漢字(女将が書いている由)まで。
よくもここまでまぁ、酒飲みの心を分かってらっしゃるというか・・・
建築屋は閉める前に何度も足を運び、ここで飲んだという。
長年、客と店の人たちが作ってきたアトモスフィアに触れた。
で、変えてはいけないものを悟ったのだろうと想像する。
こいつだけは新しくなったという銅壺。
外観と蛇口はちがう職人が関わっているらしく。蛇口を修理する人が廃業し、
長年洩っていた。それを秋の休業の際、ニュース番組で知った別の職人が、
「私に修理させて下さい」と名乗りを上げてくれたのだという。
まだ、棄てたもんぢゃないね。
酒は長らく松竹海老という樽を使っていたが、阪神大震災を機に廃業。
現在は、梅の宿(奈良)。以前はもっと甘口で、ちょいとベタつく感じがあったが、
それがいかにも古い大阪っぽかった。でも、少し辛口になったのは時代の要求でもあるような気がする。
こんな時代だ、日本酒にがんばってもらわねば。
がんばれニッポン!がんばれ日本酒!
酒肴も復活した。カウンター、客テーブル、猫の額ほどの小上がりも復活。
キッチンもきれいになった。昔の水屋的な台所も懐かしかったが。
漆喰の壁はすでにうっすら汚れていて、嫌味にならぬ程度にわざわざくすみを入れたという。
復活に乾杯。 よくぞここまで再現してくれたことに乾杯。 鼻の奥の辺がツ~ンとしてくる。
きずしに、シューマイ…
この辺りを口にすると、ああ明治屋ここにあり。という気がしてくる。
惜しむらくは、会話が途切れた瞬間、いい間で耳に入ってくる、ちんちん電車の軌道音が聞こえないことだ。
酒飲みたちは戯れ言で、10分に一回とか録音を流そう…などというのであるが。
極楽にいる滝沢一お師匠さんよ。そっちの酒の味はいかがでやんすか。
アナタに教えてもろた酒場は、みごとに復活しましたよ。
知らない人には蛇足だが一言。ここは大人の酒亭。その辺の居酒屋とはちがう。
少しずつ譲り合って酒をしみじみと楽しんでいた大人たちの店である。
酒を飲みに来る店である。どうも食堂かなんかと勘違いしてる若いのが多くて、ゲンナリする。
黙って酒を飲む。 肴はせいぜい2,3品がところ。 長居は無用。それがスマートな酒場の使い手ってもんだ。
言い忘れた。あとはご不浄もきれいになった。
昔はウェスタン風のスイングドアが片方だけついていたが、
万事昔風だが、こいつばかりは近代的な方がいい。
「明治屋」 大阪市阿倍野区阿倍野筋 ヴィアあべのウォーク