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in Switzerland  酪農場の国にて

ただいま、復興支援中。
このブログは著者の恩師・知人・家族への近況報告です。

感謝(続) Colombo → Ampara

2005年07月07日 | Weblog
技術職員Rの契約更新を認めない件で、「私が私情を持ち込んでいる」とS上司が大ボスに報告したらしく、大ボスから「どういうことなの!?」と朝から忠告メールが届く。「今日からAmpara出張なので、詳しく帰ってから報告しますが、私は自分の判断が正しいと考えています。」とだけ返事してかわす。帰ってくる来週のことを思うと気が重い。

運転手や予定管理者に「さっさと出発しなさい」とせかされつつ、13時過ぎまでばたばたしてから空港に向かう。10人乗りの飛行機(写真)に、パイロット1名、乗客6名(NGO職員2名、旅行者3名、私)が乗り込む。少し胸が高鳴り、旅行者気分になったのもつかのま、ジェットコースターに連続30回乗ったような感覚に陥り、帰りは車で帰ることを心に決める。後で聞いたのだが、片道の運賃がこちらでの大卒初任給に値するらしい。。。

14時40分に離陸し、約1時間の飛行であった。Amparaの飛行場(軍が監理している小さなもの)に出迎えの車がきていて、16時過ぎにAmpara事務所入りする。ちなみに、車だと8時間以上かかる。即行で、W君と技術職員M氏と打ち合わせをし、18時過ぎに終了。

W君の定宿の別棟に部屋を取ってもらい、夜は他機関の職員らを交えて、小宴会。イギリス人のM君が、母親からUKでの爆破テロに関する一報を受け取り、話題が第三次世界大戦が始まるかどうかという議論になる。

開所式の様子を電話でR親方に確認した。無事に済んだらしい。

感謝

2005年07月07日 | Weblog
ちょっと凹んだ内容の日記に、励ましのメッセージをどうもありがとうございます。

S君は昨晩(7/6)に退院しました。しばらく休養を取るようにと、大ボスから指令が下り、ますますしょげています。

今日は、昼からAmparaに飛びます。

守衛さんは知っている

2005年07月06日 | Weblog
S君が感電した原因は、避難所の外溝沿いにたつ街灯から電気が漏れていたことによるものらしい。S君が外溝フェンスを乗り越えようと、街灯を握ってフェンスに手をかけたところ、通電した模様である。気を失ったS君を被災者らが抱えて、車に乗り込ませて、すぐに病院まで送った。街灯は以前、海軍により整備されたもので、事故の報告をするが、先方が対応するとは考えられないらしく、うちの機関でこれ以上事故が起こらないように、管理することになった。

昼過ぎに、「昼飯を多めに持ってきたから一緒に食おう」と馴染みの運転手からのお誘い。どうも守衛さんが、最近の私が昼食にも出かけないし、出前も取っていないことに気づいていたらしく、気をきかせてくれたらしい。辛さも抑えてあり、旨かった。

部下の技術職員RとR親方の契約期間が終わるため、Cチーフより契約更新の判断を依頼される。R親方の契約更新は人事に伝え、Rの契約更新は、これ以上問題を起こされては責任が持てないのでしなかった(6/30参照)。しかしながら、Rを家来にしているS上司より、クレームがつく。あくまで、技術能力の不足として、例をあげて冷静に返答する。

20時過ぎに区切りがついたので、S君の見舞いに向かう。一応、確認のため電話すると、夕方退院して家でゆっくりしているとのこと。「今から2時間かけて来なくてもいい。その気持ちだけで嬉しい」と言われ、様子を電話で話した後、職場に戻る。Aさんも残っていて、ピザの出前を頼み、日本語での世間話。その後Negomboの避難所に建てる配置図を完成させる。

24時すぎに、Cチーフが「車で送るから、帰りなさい」と声をかけてくれたので、一緒に帰る。
私   :Cチーフも最近遅くまで残っていますね。
Cチーフ:実は、今月末に結婚するんだよ。その準備もあって忙しくてね。
私   :そうですか。大変ですね。
Cチーフ:ま、まあな。
私   :・・・・。 け、結婚ですか?!
Cチーフ:そうだよ。
私   :おめでとうございます。
Cチーフ:ありがとう。

考え事をしながら会話してはいけませんね(反省)。

way beyond my capacity

2005年07月05日 | Weblog
Tricomaleeでは、昨夜の強風で屋根がいくつか飛ばされ、
Batticaloaからは、規格外の木材が大量に届いたとクレーム、
Amparaからは、M先生の部下が設計変更を迫ってきて、
Mataraでは、Community Centerの設計不備を指摘され、
Negomboでは、建設工事の入札準備を頼まれる。

Kalutaraでは、昼から昨日の漏電事故の検証に立ち会うが、原因がわからずじまい。役所の担当者からは「S君の虚言ではないか」とまで言われるが、目撃者がおるっちゅうねん!

これらは、自分の処理能力を超えている。

結局、S君の見舞いには行けず、一段落した夜になって病院に電話する。
「被害にあったのが、自分でよかった。幼い子供が同じ目に会ったら、死んでいたかもしれない。それより、木曜日の開所式の準備は、間に合いそうか?」
と話すS君の言葉に、ただただ泣けてきた。


感電

2005年07月04日 | Weblog
Kalutara地域の仮設住宅自体の建設はほぼ終了し、給水施設、トイレ、電気設備、集会所建設、案内板の設置など、残っている作業について、部下らと確認する。現場によって、敷地の条件が違うことや、行政の対応に違いがあることなどのため、予想以上に完成までに時間がかかっている。上に説明するも、なかなか現場の苦労をわかってもらえない。

確かに、上が各国政府や視察団体に説明する際に、こうした工事の遅れがあってはならないわけで、理由はともかく、早急に解決するように注文がついた。Sさん(D君の後任)やR親方らと対応策を練る。

先月、竣工した現場の外構フェンスが通電していたらしく、作業中に触れたS君が感電して入院。
NegomboやM先生のプロジェクトで事務所を離れることができず、詳細がわからない。

明日は業者、役所の立会いの下、現場検証となる。

また会う日まで。

2005年07月03日 | Weblog
午前中に、昨日片付けられなかった書類を仕上げてしまおうとするが、なかなかはかどらない。面倒くさいものを後回しにするから、こうなるとわかっているものの直せない。昼からS君に現場を見てくれと頼まれていたので、未完成のまま事務所を出る。

KalutaraのP寺院の現場で、裁判沙汰になって滞っていたトイレの建設について、場所を変えて建設する。屎尿をためるSeptic Tankに使うコンクリートの筒が搬入中に崩れ(写真)、納品業者に交換させる。すったもんだしている様子を見ていた近所の人が、業者が帰った後に、椰子の実ジュースをもってきてくれた。その親切心がとても嬉しい。S君を介して話していると、飼っている22歳のオウムを見せてくれた。とても綺麗だった。

明日、開所式が行われる現場の地主である僧侶に、式次第の確認に行く。「明日の月曜は日が悪いので、7日(木)に延期します」と一方的な発言。「ちょっと、ちょっと、上層部だけでなく、プレスにも既に伝えているのに、今更それはないんじゃないですか。第一、その日は貴方が設定したわけですし。」と抗議すると、「日を勘違いしていたよ。7日でよろしく。」とつれない返事。通訳してくれたS君も、絶対的な力を持つ僧侶には逆らえない模様。

夕方に切り上げて、今日の深夜便でスリランカを後にするD君を見送るために、S君とColomboに戻る。飯を食いに行こうと梱包するD君を家で待つが、なかなか終わる気配がない。これまでの仕事っぷりから、こうなることはS君と共に予想できたので、気長にテレビを見ながら3時間ほど待つ。出発1時間前になって、汗だくになったD君が部屋から出てきた。その姿がおかしくて、S君と二人で笑い転げた。近くのBarでビールを飲み、軽く食事を取りながら、これまでのこと、これからのことを話した。そしてD君、帰国。

雑用の日

2005年07月02日 | Weblog
一日事務所で書類の整理をする。仮設住宅の紹介冊子の草稿を用意したり、M先生からの技術的な注文をCチーフにわかりやすく説明したりする。打ち合わせなら、絵に描いたり身振り手振りなんとかごまかせる(?)ことも、テキストにして報告するとなると、綴りや文法も気になってくる。何でも担当者全員にCC:でメールしなければならないので、何かと時間がかかる。

昼は、IT担当のインド人K氏に誘われて中華料理を食べに行く。おとなしい方なので、めったに喋ったことはなかったが、よく事務所のことを見ているなあと感じた。

今月15日から10日間の休みを申請する。OKしてもらえるだろうか。。。

花金/TGIF

2005年07月01日 | Weblog
さすがに眠い。それでも、次から次へと問い合わせや打ち合わせが入るので、すぐに昼すぎとなる。

Negomboの副知事から連絡が入り、新しく3エーカーの土地を数週間で用意すると連絡が入った。こちらの数週間は、少なくとも1ヶ月かかるが、一歩進んだことにほっとする。たまには(6/28のように)、怒鳴ることも功を奏するわけやね。

昼から、D君の後任となるSさんと打ち合わせをしようにも、彼女も昨日の疲れが残っているらしく、お互いに同じ用件をいったりきたり(苦笑)。日を改めて、もう一度行うことにする。

帰りに軽く泳ぐ。外国人が珍しいからか、よく声をかけられる。「日本はいいね。私も日本で働きたい」と多くの方が同じようなコメントをくれる。津波以前から、日本はスリランカの開発支援をしているので、そんなイメージがあるのかと思う。