勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

お釈迦様のご生誕を祝う「花まつり」のお話

2018-04-11 18:30:03 | Weblog
如常の1日。今日は「灌仏会(かんぶつえ)」「花まつり」の起源について書いてみようと思う。尚、この記事は以前に勝福寺WEBの「Gikoohの見聞記」から。

4月8日はお釈迦様のお誕生をお祝いする仏教徒の大切な行事だ。この日に行われる法会を「灌仏会」、「誕生会」、「龍華会」とも称し、この由来は釈迦誕生の時、天龍が現れて甘露を灌いだという故事にちなんでいる。

お釈迦様は、今から2550年昔(西紀前566年4月8日)、インドのカピラヴァットウ国のルンビニー園においてご生誕された。父はこの国の王、浄飯王、后は摩耶夫人。仏伝によれば、摩耶夫人が出産のため、里のコーリ国へ向かう途中に立ち寄られたルンビニー園で休息され、純白の無憂華を愛でておられる時に、急にご生誕されたという。この時、大地の花は満開に咲き、天からは龍王が現れて清浄な甘露を降り灌いだと伝えている。

摩耶夫人は懐妊を知る前に、白い象が飛来し、ご自身の胎内へ入るという不思議な夢をご覧になられた。インドでは、白象はとても神聖な象徴として考えられていたことから、偉大な人物の誕生を予感させるものだった。

お釈迦様は、生まれてすぐに東方に7歩歩まれて右手で天を指し、左手は大地を指して「天上天下唯我独尊」と宣言された。この言葉は、私という人間は古今東西を通じてただ1人の人間であり、かけがえのないない存在である。そのような自覚にもとづく本当の生き甲斐を実現しなくてはならない、という人間の尊さを意味している。(仏陀・百華苑より)

さて、日本において灌仏会が行われるようになったのは推古天皇の14年(606)4月8日、元興寺(奈良)での灌仏会が起源とされている。(日本書紀第22)

Gikoohの手引書によれば、仁明天皇の承和7年(840)4月8日には、朝廷の清涼殿で灌仏会が催され、その日は1尺5寸(約46cm)~2尺(約60cm)の仮堂を設け、桃や時節の種々を飾って花御堂と名付け、その中に仏誕生をかたどった即ち片手は天を指し、他の片手は地を指している仏像を銅板の中央に安置し、これに都梁香の(青色水)、鬱金香(赤色水)、丘隆香(白色水)、附子香(黄色水)、安息香(黒色水)の五香水を灌いて法会が営まれた、とある。

江戸時代になると、鉢に甘茶を湛え、参詣者は小柄杓を持って仏像の頭より灌ぐようになった。甘茶は本式には香湯を用い、桃・李(すもも)・松・柏・柳の五木に香木(白檀(びゃくだん)・沈香(じんこう)等)を加えて煎じる。しかし香湯を作るのは大変手間がかかる上、飲用には適さないため、昔の僧が工夫し、灌仏のあと参詣者がこれを戴いて無量の功徳を感じられるように甘茶で代用されるようになったのだとか。

そして、この甘茶を硯に注ぎ、「ちや」等と紙に書いて雨戸に貼り付けておくと虫はこれを避けると言われ、更に「八大龍王茶」と書いて天井に貼ると、落雷の災難を免れるというように、御利益をかつぐ風習を生じた。

勝福寺でも、4月8日に花まつりを行った。毎年、少しずつではあるが参拝者様が微増傾向にあり、有難い。お釈迦様のご生誕をお祝いすると共に、自身の生命の尊さに思いを馳せるという大切な意味があるので、もっと広まって欲しいと思う。

今、世の中の色々なものが壊れてきているので、こういった伝統行事を多くの人々に知って頂くために、Gikoohも僧侶の端くれとして微力を尽くしたいと思う。

とにかく4月8日はお釈迦様のお誕生日で、全国の仏教各寺院で花まつり(月遅れの5月のところも)が開催されているので、来年はGo!Go!「花まつり」。
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