勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

たまにはこんな話も

2014-11-26 10:49:41 | Weblog
11月も落葉と共に過ぎ去ろうとしている。Gikoohは数えの42歳、まだ42歳、もう42歳、色々な思いが巡るけれど、人生は流水の如く前へ前へ進んで行く。

最近、テレビなどを見ていると墓地の管理、田舎の家屋や土地の問題、バブル崩壊の前には殆ど話題にされてこなかったことが度々聞かれるようになってきた。

現代は昔と随分と様子が変わっている感を受ける。自己中心という考え方がいかに物事を狂わしているのかを鑑みずに生活することは、将来の日本の有り様を示唆しているのでないか。先祖供養の考え方も変化しつつあり、回忌を懇ろに勤められる家もあれば、そうでない家もある。

例えば、Gikoohという1人の人間で考えてみる。Gikoohには両親(2人)がいて、両親にはそれぞれの両親(4人)がいる。またその両親にはそれぞれの両親(8人)がいて…、と見ていくと8代遡るだけで256人の先祖と縁が繋がっていることになる。どなた様もGikoohも、先祖から脈々と受け継いできた、唯一無二のかけがえのない生命の結晶を生きているわけだから、無駄にしてはならない。

それら1人でも欠けば、当然今のGikoohという存在はなく、輪廻の世界から涅槃の世界へ生まれ変わる権利も与えられない。岡山県の県南は、(勝福寺では)おおよそ50回忌を持って弔い上げという考えがあり、それ以降は先祖代々の供養をすれば良いことになっている。そこまで一々の供養をすることが、子孫のせめてもの役割だと思う。途中止めになることは、先祖への感謝は感じられず、いざ自分が旅立つ際にどのように先祖に顔向けするのだろうと心配になることがある。

今、国家の方向を決める政治でさえも右往左往しているが、すべての人がもっと原点に返って、自分自身を見つめられたい。如実知自心だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする