勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

お寿司に思う

2012-12-16 21:30:48 | Weblog
10月の中頃から12月の中頃までは時候が良いこともあって法事が多く、今日も午前中は法事で出掛けた。

写真は本日頂いてきたお寿司。以前、岡山県の県南では、慶事や仏事の際に各家庭でお寿司を作ることが風物詩となっていた。Gikoohが勝福寺へ入山した平成11年頃の法事というと、家で拝んで墓参をした後、再び家で御斎(おとき)「食事」を戴くというのが一般的だった。

*斎…正午の食事の称。朝食を粥(しゅく)と呼ぶのに対し、昼食を斎(とき)という(岩波・仏教辞典参照)

家に親族を招くに当たり、施主や家族は前々から掃除や準備を進める。料理は仕出し屋に依頼することが多いものの、寿司は株内や講中といった近隣の平素から親交の深い女性陣、或いは家族が担当するという光景がそこここにあった。各家庭の主婦が集まるから、何とも言えないひと肌を感じる最高のお寿司が出来上がるのだ。

ところが、時代の慣習に従って、久代でも5年ほど前から法事は家でしても御斎は仕出し屋へという形が増加し、手作りのお寿司は殆ど姿を消してしまった。諸事情を考慮すると致し方ないのかも知れない。

一家庭の台所に各家庭の主婦が集まって、一つの料理を作り上げるというのは色々な意味で大変なのだろう思う。これはGikoohの綺麗ごとなのかも知れないが、様々な年齢層の女性陣が集まることは伝統の継承にもなるから大事なことではないかなと感じている。特に写真のようなお寿司は岡山の文化でもあるから、親から子へ、子から孫へと引き継いで欲しいと願っている。

先ほど伝統の継承と何気に書いたが、お釈迦様の六方礼経の中に、妻の役柄として「親族等との融和をはかる」というのがある。勿論夫の役柄も。他に六方礼経には親が子に対する役目、またはその逆、先生と教え子それぞれの立場等、興味深いことが説かれているから、ネットなどで参照されたい。

勝福寺ではお寿司を戴く時、平素とは違う余所行きの器に取り分けて大切に戴くようにしている。心のこもった料理は有難い。

ご先祖供養を通して有縁の親族が一堂に集まり、特別な1日を過ごすことは日本ならではの素晴らしさだと思う。
コメント
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