勝福寺 Gikoohの日替わり法話

山寺の住職、Gikoohが日々感じたことを綴っております。
(プロフィール用の落款は天野こうゆう僧正さま彫刻)

毎月13日は虚空蔵菩薩のご縁日

2011-02-13 22:12:11 | Weblog
3日ぶりの日替わりになった。Gikoohは11日、12日、13日と法事が続き、仏教講話、そして来客と如常の毎日になっている。

Gikoohが勝福寺と縁を頂いて間もなく12年を迎える。近年お勤めをする法事で祭壇の故人様と向かい合うと、面識のある方も多く世の無常を実感する。勝福寺ではお正月とお盆に各戸へお参りをする古来からの行事があって、平素でもお家の方々とお会いする度に親近感が増し情も深くなってくる。

さて、昨日夜9時からNHK(総合)で「日本のこれから 無縁社会・働く世代の孤立を防げ」という番組があった。勝福寺が位置する久代は、町の多くの人同士が顔見知りで無縁という言葉は(今のところだが)身近ではない。けれども少し車で走ると住宅団地やマンションが数多くあり、都会と同じような現状を察することはある。

弘法大師の教王経開題に「この身は虚空より化生するに非ず、大地より変現するに非ず、必ず四恩の徳によってこの五陰の躰を保つ」というお言葉がある。私達は天から生まれているのではなく、大地から生じているのでもなく、必ず四恩の徳によって生かされているという意味だ。四恩とは国王、父母、大衆、宗教のことを指す。

一体、日本中のどれほどの人々がこれらのことに感謝して生きているだろうか。第二次大戦後日本は高度経済成長期に入り大きく飛躍した。ところが物質的には恵まれても、精神面は対応しきれずに、各場面において生活の形態に変化が生じてきた。

無縁社会が広がる背景で感じることは…、(例えば)祖父祖母を田舎に残して父母が別地に家を建てる。そこで生まれ育った子供は滅多に祖父母と会えず、年配者ならではの心の知恵に触れることが極端に少なくなっている。父母が共働きだと近隣との付き合いは少なく、そのことは必ず子供にも影響し、人との接し方に慣れぬまま大人になる。その子は父母と同じように成長すると別地に家を建てるかも知れない。こんなことをしていては、段々と家族間の中でも人間関係が薄くなってくるのではなかろうか。

心が未熟だと、自分の生活が四恩によって成り立っているという教えは理解出来ないかも知れない。

そして、核家族の家の多くは、神棚も仏壇もないことが多い。今、家を建てる世代は幼い頃に仏壇が身近だった人も少なくないと思うが、神仏を拝むことを知らない子供が如何なる大人になるのかGikoohにははっきりと見える。上手く言えないが、神仏を敬う気持ちがあると転じて父母を敬う心を育み、やがて「無数の生命と関連しながら生かされている」ということに気が付く。

Gikoohが好きだったTBSのキャスターで亡くなられた筑紫哲也さんは「この国は今、癌に侵されている」というようなことを言われていたことがある。国や行政に恩を感じつつも、力を入れるべきところが的を外れており、強く危惧を感じているのはGikoohだけではないと思う。このまま進めば、国が壊れてしまうのは時間の問題である。とにかく、人間としてまともな子供を育てることが、将来の子孫繁栄にも繋がり、家族の絆も深まるのではなかろうか。大分と言葉をぼやかしながら書いているけれど、意図は感じて頂けると思う。

聖徳太子は17条憲法の冒頭で「和を以て貴しと為す」「篤く三宝を敬え」と国を治めるために仏教の教えを用いたが、今の日本には必ず宗教が必要である。宗教と言ってもたくさんの種類があるが、我が国において歴史のある仏教を教育現場に持ち込むべきであると思う。

今夜は長々と書いてしまった。周囲の環境がどうだとしても、四恩を素直に感じられる確かな心を持って欲しいと願う。
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