鮎釣人の日々

 退職後の人生をどう生きるか。鮎釣りを中心とした今後の生活設計模索の日々を綴ります。

鮎釣人の日々(12/31)

2011-12-31 08:30:00 | 日記
 昨日、娘は単身で、息子夫婦は二人の孫を連れて帰ってきました。家事から何から、私一人でやります。大忙しです。毎年、嬉しさと大変さで新年を迎えます。
 今年の五月末から始めたこのブログ、目を通していただいた皆様に感謝します。来年もよろしくお願いします。良いお年を!
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鮎釣人の日々(12/30)

2011-12-30 08:30:00 | 日記
 川に入らない人から見ると、「アユ釣りの何がそんなに楽しいのか」と思えるでしょう。流れの中でアユを掛け、息を止め、奥歯を食いしばることがそんなに楽しいのかと。楽しいこととは、楽をして美味しいものを食べることじゃないのかと。
 違うのです。緊張の中で、何かに夢中になることが楽しいのです。掴めるかどうかの物を掴むことが楽しいのです。最後に極みに近づくことが喜びなのです。人生、何もしないで老いてはいけません。
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鮎釣人の日々(12/29)

2011-12-29 08:30:00 | 日記
 年の瀬の“瀬”話から、美空ひばりの名曲“川の流れのように”を思い浮かべました。苦しいことの多かった自分(ひばり)の人生を振り返りながら、止め処なく流れ続ける川の流れのように、平然と生きていきたいことの気持が伝わってきました。
 この歌は“ひばり”が自分の心境を歌ってはいますが、万人の心情と共鳴するものです。
 私は“川の流れ”と言うと、瀬と淵のある釣り場を思い浮かべます。“人生、瀬もありゃ淵もある”の心情です。
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鮎釣人の日々(12/28)

2011-12-28 08:30:00 | 日記
 年の瀬です。瀬とは川の流れの速くなったところです。慌しく白波を立てます。場所によっては立っておれません。この瀬を渡りきらないと対岸には辿り着けません。
 釣りの場合は敢えて瀬を渡る必要はありませんが、昔の商売人は年の瀬に集金と支払いを終えていました。その年の垢をきれいに落として、新年を迎えました。新年には、大黒様や恵比寿様を祭る神社や稲荷神社に参りました。漁業関係者や船舶関係者は特に恵比寿様を祭る神社に参りました。
私は、新年の無病息災、交通安全、鮎の豊漁等、願い事が多いので、出雲大社、美保神社、その他諸々の神社に参ります。
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鮎釣人の日々(12/27)

2011-12-27 08:30:00 | 日記
 冷え込む夜には2リットルのペットボトルに熱湯を入れ、分厚い袋(我家では椅子用の座布団を筒状縫い合わせています。)に納め、湯たんぽとして使っています。朝まで熱が残ります。経済的な暖の取り方です。昔からの知恵です。
電力不足が予測され、節電が叫ばれる今日、発電した電気を効率的に使う必要があります。余分な電気はどこかに溜めないと無駄になります。
 その方法として、夜間電力利用の温水器が昔からあります。それは、夜間の電気を熱湯としてタンクに貯えて使うものです。電気を電気のまま貯えるには大きな蓄電器が要ります。電気を熱に変えて貯える方法が効率的です。断熱さえしっかりしてやれば十分可能です。
 冷房にはもっと効率的な方法があるように思います。地下に雪を大量に貯えるのです。断熱と配管さえしっかりしておけば、夏に冷房として利用できます。思い付きで誠に恐縮ですが、積雪の多く、かつ夏が暑い地域の方で、敷地に余裕がある方は試みられては如何でしょう。
雪は決して厄介者ではありません。うまく使えばエネルギーなのです。夏は氷室として使えます。雨樋を導き、水不足に備えることも可能です。
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鮎釣人の日々(12/26)

2011-12-26 07:54:31 | 日記
 風力発電があちこちで行われています。当初、その風景に馴染めませんでしたが、これも時代の求めるものだと思うようになりました。
 風力発電同様、流れの狭まった急流に水車を置いて発電するシステムがあっても良さそうに思うのですが、実施はされていません。
川の何ヶ所かに水車があっても、減水区があるよりはるかにましです。
 しかし、問題点があります。風力と違い、川には洪水があります。土砂や木やゴミが流れてきます。その度に簡易な施設は破損したり流失したりします。
また、電気は水に触れると漏電します。それらの問題点をクリアした時、日本は地形を活かしたエネルギーの確保が可能です。
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鮎釣人の日々(12/25)

2011-12-25 09:11:01 | 日記
 原子力エネルギーから自然エネルギーへの転換が叫ばれています。自然エネルギーには風力、水力、地熱等があります。そのうち、水力は昔から利用されてきました。
 戦後の高度成長にあわせ、国や電力会社は治水、利水を目的に川の上流にダムや堰堤を作ってきました。その結果、発電を目的に造られたダムや堰堤では貯水池から発電所までの間、川の水が迂回され減水区が生じました。普段、減水区を流れる水量は河川維持流量+αしかありません。
 これまで、河川環境保全のためダム等の建設反対運動が繰り広げられ、世の中は自然環境保護の方向に動きかけてきました。発電の為ではなく、生物生産を始めとする地球環境保全のための植林活動が行われるようになりました。
 しかし、福島の原発事故を契機に電源確保のウェートの置き方が変わることが予測されます。確かに川の流れは捨て置くのが勿体ないエネルギーです。
仮に河川のエネルギーを更に利用する必要が生じた場合、これまでやってきたダムや堰堤による発電方法ではなく、生き物と住民が共生できる発電方法がある筈です。
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鮎釣人の日々(12/24)

2011-12-24 08:01:56 | 日記
 役者は役を上手に演じます。役になりきり、目配り一つでドラマを演じます。機微を巧みに表現します。
 ところが、下手な役者もいます。もともと役者としての基本を身に付けていないのです。くさい芝居になります。
 何事においても、その道の基本が出来ていないと不自然で不細工に見えます。鮎釣りも料理も基本を大切にします。
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鮎釣人の日々(12/23)

2011-12-23 07:15:56 | 日記
 年末です。少しは家の片付けをしなければなりません。要るものと要らないものをキチンと分け、要らないものを捨てなければ片付けとは言えません。気持ちの整理能力が問われます。
 自分の物は誰にも断らず捨てます。子供のものは、誰が見ても不要と思える学生時代の参考書や勉強道具、子供のときに着た衣類は簡単に捨てます。
 問題は家内が溜め込んだ物です。傍目にはゴミに見えます。でも、捨てようとして伺いを立てると捨てられなくなります。10年前、家内がくも膜下出血で倒れ、一週間以上意識不明が続いたとき、生きて我家に帰れない場合を想定し、娘と二人で家の中の人目につく場所を片付けました。悔やみの訪問者を想定したからです。
 ゴミの仕分けは簡単です。自分達に関係ないと思う物を片端からゴミ袋につめるのです。何と、大変なゴミが出ました。ゴミ袋が20や30ではありません。ごみ収集所に一度に出しにくい量です。2階の1室をゴミ置き場にして凌ぎました。
 人は死んだら焼かれます。まるでゴミのようなものです。その人の持ち物も、換金できる高価なものやかけがえのないものを除くとゴミと言うことが分かりました。バザー等に提供できるものもありますが、そんなことをしている余裕はありません。
 年を取ると、可能な限り身辺を「簡単明瞭」にしておくことが大切です。「坂の上の雲」の秋山好古の心境です。
 
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鮎釣人の日々(12/22)

2011-12-22 08:35:44 | 日記
 年寄りだけで暮らしている夫婦にも独居者にも大概子供がいます。その子供達は親が元気な時に親元を離れ、生活の根拠地を他所に移しています。職場等の関係で親子が一緒に暮らせない事情があります。職場から開放されても、元気なうちは親子どちらも本気で考えません。
 今、高齢者の生活状況を見ると、多くの世帯は一世代のみで構成され、多くが介護の欠かせない状況にあります。
 周りを見ると、自分の実家に残してきた父母のことを心配する方が沢山います。親に電話をしても、まともに話が通じなかったりすると、親不孝が身に染みます。
 いずれ、自分も親と同じ道をたどります。そのことは目に見えています。分かっていて、その道を歩むかどうかです。
 考えていることがあります。子供夫婦が生活の根拠地を定める時点で、親は血族も姻族も自分達の財産を整理し、祖父母や子供や孫と一緒に暮らせる住宅を共同で建てたらどうかと。お互い助け合って暮らしたらどうかと。自由度の高い特老ホーム親族版です。
 このようなことを実行に移すには、関係者の共感とそのタイミングが必要です。急に思いついても、周りの関係者の諸条件は整いません。事前の準備が必要です。
 今ならと思える転機は何度もありません。親の退職後、核となる子供が生活の根拠地を定め、居を構える時が決断のポイントです。
 こう云った生活スタイルが出来れば、膨れる一方の介護予算にも歯止めがかかります。根拠地となる自治体は住宅取得税や固定資産税の免除を考えたらどうでしょう。
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