身の回りに、冠婚葬祭が波の如く繰り返されます。また、新年の挨拶を控える旨の葉書が次々と届きます。そういう年周りになったと云うことでしょうか。世の儚さを感じる、今日この頃です。
小春日和に誘われて、枯葉の山道をドライブします。銀杏の木の下には黄色の絨毯が敷き詰められています。「嗚呼、今年も終わりか」と思います。
色々、「終わり」がある中で、自然の中で感じる「終わり」は、次の年の始まりを感じさせます。「寂しくもあり、有難くもあり」です。
色々、「終わり」がある中で、自然の中で感じる「終わり」は、次の年の始まりを感じさせます。「寂しくもあり、有難くもあり」です。
十月に植えたチューリップの球根から小さな芽が出て来ました。土の湿りに刺激を受け、暗い方向には根を伸ばし、明るい方向には芽をもたげたのでしょう。土の中では、既に来年の準備が進んでいます。私も、寒さに負けず、来年の目標を掲げ、その準備をすることにします。
一昨年、庭に生えていた棕櫚の木を幹の途中から伐りましたが、その幹に這わせたツタが見事になりました。 ツタは隣に生えている木やフェンスにも伸びてきました。調べてみると、英語ではツタのことを「アイビー」と呼ぶそうで、倉敷市にあるアイビースクエアもこのツタにちなんだ呼び名だそうです。
ツタに覆われた棕櫚の幹はどうなっているのかと思いますが、当分はこのままツタにまかせて(「巻かせ」ると「任せる」とを掛けています)おこうと思っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a5/03d8f7bb486d2ebb2e8015b80a7081be.jpg)
ツタに覆われた棕櫚の幹はどうなっているのかと思いますが、当分はこのままツタにまかせて(「巻かせ」ると「任せる」とを掛けています)おこうと思っています。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/96/31db4bebb535b4732dc57ac60ca7aa16.jpg)
先日、血糖の検査に行ったら、少しですが、数値が上昇していました。今年の血糖値は、全般に高めで推移しています。
と言うのは、日野川の不漁が原因です。満足な釣りが出来ず、夏の活動が鈍ったからです。本来なら、毎日、根雨~生山を歩き回っているところですが、今年は岸本で我慢の釣りでした。鮎の密度が極めて薄い上に、遅く行ったら、先行者に釣り場を占領され、十分に釣りが出来なかったからです。
鮎がいないことによって、心と身体の健康のための釣りが満足に出来なかったのです。この状態を何年も繰り返してはいけません。釣人の健康のためにも、関係機関の皆様方の努力を願います。
と言うのは、日野川の不漁が原因です。満足な釣りが出来ず、夏の活動が鈍ったからです。本来なら、毎日、根雨~生山を歩き回っているところですが、今年は岸本で我慢の釣りでした。鮎の密度が極めて薄い上に、遅く行ったら、先行者に釣り場を占領され、十分に釣りが出来なかったからです。
鮎がいないことによって、心と身体の健康のための釣りが満足に出来なかったのです。この状態を何年も繰り返してはいけません。釣人の健康のためにも、関係機関の皆様方の努力を願います。
普段、使うことの無い調理器具、タッパー類、食器を処分します。流し台の下の収納に入っている一度も使ったことの無い物や今後使わないであろう物は、思い切って捨てます。
こうして、次々と不要品を処分していくと、家の中の大半が不要品で占められていることに気付きます。
物の置き場のある内は、物は一見整理されているかのように見えますが、置き場が無くなると、ゴミ屋敷化します。
こうして、次々と不要品を処分していくと、家の中の大半が不要品で占められていることに気付きます。
物の置き場のある内は、物は一見整理されているかのように見えますが、置き場が無くなると、ゴミ屋敷化します。
この時季、蕪の美味しさに魅せられます。皮の薄いなめ肌の蕪は、漬物にしても蒸しても品良く美味しいものです。特にこの時期、少し贅沢ですが、生の松葉ガニと一緒にホットプレートで蒸し焼きにすると、一層、そのうまさが引き立ちます。
二階が片付いたら、キッチンを整理します。調理台の下には鍋類、ボール、バット、タッパー等が雑然と仕舞われています。これらも、使うものと使わないものに分けて、使わないものは捨てる方向で整理します。キッチンが済めば物置と衣装ケースの中です。
物が片付くのは快感ですが、片付けるのは大変です。気の遠くなるような物品に向かい、「やるぞ!」と意気込んでも、途中で息切れします。一度息切れすると、しばらく休憩です。
ある人にとって大切な物でも、その人が亡くなれば換金できるもの以外は不要品になります。それらの物は、その人が自分では捨てられないから置いてあるのです。その人の目につかないように、せっせと捨てます。何がしまってあったか、分からないのですから。
確かに、袋に詰めてゴミ収集場に出して、それが跡形も無く収集されてしまうと、つかえていた気持ちがすっきりします。そのうち、忘れてしまいます。
ある人にとって大切な物でも、その人が亡くなれば換金できるもの以外は不要品になります。それらの物は、その人が自分では捨てられないから置いてあるのです。その人の目につかないように、せっせと捨てます。何がしまってあったか、分からないのですから。
確かに、袋に詰めてゴミ収集場に出して、それが跡形も無く収集されてしまうと、つかえていた気持ちがすっきりします。そのうち、忘れてしまいます。
茶碗蒸しを作りました。子供達が家にいた頃は作ったことも無かった料理です。作ってみれば簡単なのですが、何故か今頃になって作っています。
子供達が家にいる時代は、みんなが家に帰る時間がバラバラで、自分も勤めの事情があり、そうなったのでしょう。家内と二人暮らしになって、手間のかかる料理も時間を気にせず作る様になりました。
子供達が家にいる時代は、みんなが家に帰る時間がバラバラで、自分も勤めの事情があり、そうなったのでしょう。家内と二人暮らしになって、手間のかかる料理も時間を気にせず作る様になりました。