鮎釣人の日々

 退職後の人生をどう生きるか。鮎釣りを中心とした今後の生活設計模索の日々を綴ります。

鮎釣人の日々(9/30)

2012-09-30 08:30:00 | 日記
 調理時に美しい姿で調理の出来る調理人はその道のプロです。美しい姿とは背筋を伸ばした姿です。日本料理などは少し前かがみでと言われますが、背筋が伸びているほうが美しいです。傍目にも作ったものが美味しそうに見えます。
 客に見えないところの作業であっても、調理人は背筋を伸ばすことが大切です。私は、そのことを心掛けながら調理をします。誰も見ていない我家の調理場であっても。
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鮎釣人の日々(9/29)

2012-09-29 08:30:00 | 日記
 中間試験の実技課題が決まりました。ジャガイモのシャトー剥きとサトイモの六方剥きです。いずれもイモばかりです。いずれも味に影響を与える要素ではありませんが、調理師の世界では身に着けておくべき技術です。
 しかし、身に着けておくべき技術とは言え、ピーラーで剥いても出来映えはそう変わりません。
 これらの技術は、どれだけ努力を積んできたかの証です。調理人は勿論、職人の世界では出来映えは勿論ですが、それを作る姿が評価の対象なのです。調理人は美しい姿で調理が出来ないと表舞台には上がれないのです。
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鮎釣人の日々(9/28)

2012-09-28 08:30:00 | 日記
 世間の評価は「たかが調理師」です。飯炊き風情です。これまで世間をしてきた者は、趣味の世界から出たくありません。調理師としてデビューするには勇気が要ります。
 若者は違います。デビューして賃金をもらわないと生活できません。じっと耐えながらでも仕事を続ける必要があります。
 調理師学校時代に見続けていた夢と現実のギャップ、本人の頑張りは勿論ですが、理解ある職場環境に恵まれるかどうかもその人の人生を大きく左右します。私は「ファイト!」のエールを送り続けます。
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鮎釣人の日々(9/27)

2012-09-27 08:30:00 | 日記
 先日、病院や福祉施設等の集団調理の受託を業とする会社の企業ガイダンスが学内でありました。この会社はこの業界では最大手の企業ですが、給与面での魅力に乏しく、世間の調理師に対する評価の低さを感じました。
 調理人に対する評価の低さは、営業者が調理人を飯炊き程度にしか思っていないところにあります。人に使われて調理をしていれば確かに飯炊きです。調理師として満足は得られないかも知れません。
 「飯炊き」、なんと人を蔑んだ言葉でしょう。今はこの言葉を直接使うことは無いと思いますが、悪しき伝統の生きている世界では実質的にこの言葉は生きています。
 漁船員の世界がそうです。漁船では乗組員のうち特別な職にある者以外、一番年齢の若い者が食事を作ります。長い航海なら朝、昼、晩の食事と間食を作ります。それも、普通の仕事をしながらです。この役を「炊き」と言います。
 この役は自分より年下の船員が入ってくるまで続きます。乗組員の少ない漁船などでは何才になってもこの状態は続きます。調理師に対する世間の評価の低さを思うとき、この「炊き」制度が思い浮かびます。
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鮎釣人の日々(9/26)

2012-09-26 08:30:00 | 日記
 彼岸を過ぎると確実に季節は移ろいます。あれほど暑かった日々が嘘のように涼しくなります。もう少しすれば上着を厚くし、更にその上にコートを着るようになります。
 年齢を重ねるにつれ、季節の変わり目に抗いようも無い宇宙の摂理を感じるようになりました。太陽に対する地球の公転と地軸の傾きがある限り、暦どおりに季節は変わっていくのです。暑いとか寒いとか、何だかんだと言いながらも、私達は宇宙の法則に従って生きているのです。
 そう考えると、日々、身の回りに起る出来事は他愛も無いことなのです。些細なことに囚われず、大らかに過ごしたいものです。
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鮎釣人の日々(9/25)

2012-09-25 08:30:00 | 日記
 若者にとって、調理師免許の取得は就職の為のアイテムものです。毎日調理を続けていれば、腕前は自然に上がってきます。まじめに勉強していれば、調理師免許の取得要件は充たされます。若者にとっての調理師免許の取得は就職とセットになる必要があります。
 しかし、この時期になっても若者達に就活の動きが見えてきません。見えないところで就活をしているのならいいのですが、それも無さそうです。
 案外、どのように就職先を探せばいいのか分っていない節があります。早めに学校と相談する必要があります。歴史ある学校ですので、適切なアドバイスや紹介はしてもらえる筈です。そうでなかったら、高い授業料を払って通学している意味がありません。
 さて、若者はそうあるべきとして、第二の人生に調理師免許を求めた者は自身で身の振り方を決めなければなりません。悩むほどのことではありませんが。
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鮎釣人の日々(9/24)

2012-09-24 08:30:00 | 日記
 調理師学校の社会の教科の中にフランス語があります。フランス人の先生による会話練習ですが、二月に一回程度しか授業が無いので、いつも振り出しに戻ります。
 振り出しに戻って会話を始め、少し前進しかけると授業が終わります。フランス語の雰囲気になれるための授業です。
 これで試験でもあれば大変です。案外、どこかの時点で簡単な会話形式の試験があるかも知れません。児童の英会話教室のように、幾とおりかの会話パターンを覚えることになりそうです。
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鮎釣人の日々(9/23)

2012-09-23 08:30:00 | 日記
 シャトー剥きの練習のためジャガイモ(メークウィーン)を買い込みます。剥いたジャガイモの処理に困ります。マッシュポテトを作り、家内の友達に配ります。
 タマネギと違い、ジャガイモの使い道はそう多くはありません。マッシュルームで食べるか、ポテトサラダにするか、コロッケにするかです。最終的にはコロッケを大量に作って、あちこちに配ることになりそうです。
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鮎釣人の日々(9/22)

2012-09-22 08:30:00 | 日記
 家族とは日々支えあって形が構成されています。そのバランスが欠けたとき、弱者に認知が生じます。
 老いて日常の外部刺激が少なくなると、余程の者でない限り認知が忍び寄ります。身体の衰えを覚える様になると尚更です。
 しかし、若い頃から一人暮らしに慣れた者はそうでもありません。家族と支え合う精神が薄れ、家族との関係に疎くなるからです。
 今日は彼岸の中日です。先祖を敬い、墓に参ります。
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鮎釣人の日々(9/21)

2012-09-21 08:30:00 | 日記
 家内と同様な状況にあるのが母です。母も自分の存在感を示す場所が無くなって、心の拠り所を求めるようになりました。入れまで一緒に暮らしてきた家族はそんな母にかまっていられない状況にあります。日々、働いたことの満足感で生きています。
 母は誰かにかまってもらいたいのですが、身近な存在からは面倒がられます。そんな時、比較的近くにいる私に声が掛かります。私は母の心情を察し、訪問サービスに努めます。それだけで母は元気になります。
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