こんな説明板とスコップが交差点の四方にある
需要文化財の山車
敦賀で宿泊した次の日も晴れ渡る日曜日であった。港まで散歩しようと駅前通からメモリアルロードを歩く。歩道脇に銀河鉄道999のキャラクター彫像が2~30mおきに飾ってある。境港の鬼太郎道路より早く、ここは1999年に設置されたらしい。松本零士のサインが残さている。鉄道と星にちなんだこの街の街興しの一環だ。
交差点に緑のスコップが立てかけてある。見ると「緑のスコップひとかき運動」という看板が出ている。積雪期の除雪を市民運動としてみんなでやろうという呼び掛けだ。何となく心温まる呼びかけだ。街を歩いてゆくと「清明の朝市」という横断幕が掲げてあり、小さな朝市が行われていた。山車会館を覗いてみると、気比神社の大祭用の山車が3台も飾ってあり、本物の甲冑と能面を使った武者人形の飾り付けが施してある。台の4方に巡らせてある緞帳だけでも5000万、総製作費は2億3~5千万かかると言われる豪華なものだ。
続いてすぐ横の博物館を覗いてみると、戦国武将大谷吉継にまつわる書簡などが展示してあった。昔の武将らしく義に篤い人で有名だったと聞く。ハンセン病を患っていた彼が茶会の席で茶碗に膿を落とした。それに続く武将は気味悪がって誰も口をつけなかったが、石田三成は何事もなかったようにそれを飲み干したという。
そのことを覚えていた大谷は劣勢とわかっていた関ヶ原の戦いに西軍にあえてついたという。来年の大河ドラマ真田丸では幸村の奥方の父として片岡愛之助が演じるそうだ。
琉球の舞踊団
博物館は昔の銀行の建物で、いかにも商都の銀行らしい佇まいと内装である。外へ出ると太鼓の音がしていた。琉球舞踊が演ぜられていた。そこからぶらぶら歩いて敦賀港駅舎後で杉原千畝の奥様と話をしたという女性の説明を聞き、人道の港記念館を覗き、気比神社経由で帰った。
港では風もない好天で海釣りを楽しんでいる人が6~7人いたが、竿はしならなかった。
敦賀駅はすっかり改装され(北陸新幹線開通の影響か)近代的な駅舎になっていた。好天の敦賀は穏やかで気持ちの良い都市であった。
気比神社
敦賀駅