山岳地帯の岩肌
路傍の崖に生えるエニシダ
大聖堂
入口の彫刻
見事なステンドグラス
久しぶりに北スペインの旅行記を書きます。
北スペインの旅も後半に入り、鄙びた村サンティジャーナ・デル・マルから旧都レオンへと向かった。
オビエドの丘に立つ小規模な世界遺産サンタ・マリア・デル・ナランコ教会を見学し、オビエドの町で昼食。この地はスペイン発祥の国アストリア王国の都だったところ。そこから岩肌が露出した山岳地帯を抜けレオンに向かう。914年>オビエドからレオンへ都を移し、イスラムからの最終防御線とした。峠を越えると山肌には一面のエニシダが黄色の花をつけていた。
大聖堂正面
これもいわくのある風見鶏だそうだが忘れてしまった
教会入口の旧約聖書物語
レオンに着くとホテルに荷物を置いて大聖堂へ。ここはステンドグラスが綺麗なことで有名だそうだが、サン・シードロという7世紀に百科事典を編纂し、文字による布教をした聖人が眠っていることでも有名である。1062年イスラム王はこの聖人の遺体(骨?)を返還したそうだが、この辺はかなりイスラムも寛容な気もする。この大聖堂の入口には細かい彫刻がしてあり、旧約聖書の物語が彫られている。アブラハムが「信仰心が深いならば息子を殺してみろ」と言われ試された様子が見て取れた。ついでながら神からの言葉を預かった4人の聖人は、ノア、モーゼ、キリスト、モハメットで、預言者(予言ではない)と呼ばれるそうだ。聖堂の中はさすがに眩いばかりのステインドグラスの窓が輝いていた。ゴチック建築の技術で、これまでとは違い壁面に大きな窓を開けることが出来るようになったということである。
巡礼路の案内標識
街角に立つ巡礼宿の案内
巡礼宿玄関の床に有る貝の標識
この古い大聖堂をあとにし、巡礼宿を見学に行った。街にはBARが立ち並び(貝の印の案内板もある)その間をぬってゆくと、多くの人が休憩している巡礼宿がああった。受付の机が宿の入口に置いてあり、一泊4~7ユーロだそうだ。自転車の団体もいたが、もう部屋(2段ベッド)や食堂でくつろいでいる人たちもいて思い思いに過ごしていた。巡礼の旅は原則午前中に歩き終え、あとは次の日に備えるというのが毎日のルーティンだそうだ。
帰途、ガウディ設計の銀行ビルへ立ち寄った。それほど奇異な感じはしないが、建物の前のベンチにガウデイが書を広げて座っている像が置いてあり、そこで我々も隣に腰掛けて写真を撮ってきた。
ガウデイ設計の銀行ビル
立ち並ぶBAR
この日の夜はフリーだったので、家内とフラフラと街に出てBAR巡りをした。近くのよくお客の入っているBARへ飛び込んでビールを頼み、メニューを見たが,さっぱり分からない。言葉も通じないので、すぐ出た。大きな豚のもも肉(生ハム)がずらりとぶら下げてある店でそれらを指さし「ハモン・プリーズ」と叫んだら、3,4種類くらい切って皿にのせ、「こっちも美味しいから、いろいろ食べたら」(と言っているらしい)と勧めてくれる。その他にガラスケースの中にある出来合いの突き出しを皿に盛って出してくれた。美味しいのでおかわりを頼み、赤ワイン2とサングリア1飲み勘定してもらったら、二人で20ユーロ強だった。安くて旨い。これなら巡礼の旅も続くはずだ。
ひょっとしたらこの旅のきっかけになった、大学の後輩もこの街から巡礼の旅をスタートしたのではないかと思いを馳せながら、ワインを傾けた。
路傍の崖に生えるエニシダ
大聖堂
入口の彫刻
見事なステンドグラス
久しぶりに北スペインの旅行記を書きます。
北スペインの旅も後半に入り、鄙びた村サンティジャーナ・デル・マルから旧都レオンへと向かった。
オビエドの丘に立つ小規模な世界遺産サンタ・マリア・デル・ナランコ教会を見学し、オビエドの町で昼食。この地はスペイン発祥の国アストリア王国の都だったところ。そこから岩肌が露出した山岳地帯を抜けレオンに向かう。914年>オビエドからレオンへ都を移し、イスラムからの最終防御線とした。峠を越えると山肌には一面のエニシダが黄色の花をつけていた。
大聖堂正面
これもいわくのある風見鶏だそうだが忘れてしまった
教会入口の旧約聖書物語
レオンに着くとホテルに荷物を置いて大聖堂へ。ここはステンドグラスが綺麗なことで有名だそうだが、サン・シードロという7世紀に百科事典を編纂し、文字による布教をした聖人が眠っていることでも有名である。1062年イスラム王はこの聖人の遺体(骨?)を返還したそうだが、この辺はかなりイスラムも寛容な気もする。この大聖堂の入口には細かい彫刻がしてあり、旧約聖書の物語が彫られている。アブラハムが「信仰心が深いならば息子を殺してみろ」と言われ試された様子が見て取れた。ついでながら神からの言葉を預かった4人の聖人は、ノア、モーゼ、キリスト、モハメットで、預言者(予言ではない)と呼ばれるそうだ。聖堂の中はさすがに眩いばかりのステインドグラスの窓が輝いていた。ゴチック建築の技術で、これまでとは違い壁面に大きな窓を開けることが出来るようになったということである。
巡礼路の案内標識
街角に立つ巡礼宿の案内
巡礼宿玄関の床に有る貝の標識
この古い大聖堂をあとにし、巡礼宿を見学に行った。街にはBARが立ち並び(貝の印の案内板もある)その間をぬってゆくと、多くの人が休憩している巡礼宿がああった。受付の机が宿の入口に置いてあり、一泊4~7ユーロだそうだ。自転車の団体もいたが、もう部屋(2段ベッド)や食堂でくつろいでいる人たちもいて思い思いに過ごしていた。巡礼の旅は原則午前中に歩き終え、あとは次の日に備えるというのが毎日のルーティンだそうだ。
帰途、ガウディ設計の銀行ビルへ立ち寄った。それほど奇異な感じはしないが、建物の前のベンチにガウデイが書を広げて座っている像が置いてあり、そこで我々も隣に腰掛けて写真を撮ってきた。
ガウデイ設計の銀行ビル
立ち並ぶBAR
この日の夜はフリーだったので、家内とフラフラと街に出てBAR巡りをした。近くのよくお客の入っているBARへ飛び込んでビールを頼み、メニューを見たが,さっぱり分からない。言葉も通じないので、すぐ出た。大きな豚のもも肉(生ハム)がずらりとぶら下げてある店でそれらを指さし「ハモン・プリーズ」と叫んだら、3,4種類くらい切って皿にのせ、「こっちも美味しいから、いろいろ食べたら」(と言っているらしい)と勧めてくれる。その他にガラスケースの中にある出来合いの突き出しを皿に盛って出してくれた。美味しいのでおかわりを頼み、赤ワイン2とサングリア1飲み勘定してもらったら、二人で20ユーロ強だった。安くて旨い。これなら巡礼の旅も続くはずだ。
ひょっとしたらこの旅のきっかけになった、大学の後輩もこの街から巡礼の旅をスタートしたのではないかと思いを馳せながら、ワインを傾けた。