刈谷という田舎に住んでいると、いろいろ地域のつながりがある。厄年同年会もその一つだ。男の厄年、数えで40歳の齢に神社、仏閣で揃って厄払いをしてもらうという習わしがある。
地元郷土社の神社の氏子がそもそもの単位なのだが、我々は少し範囲を広げ、小学校中学校の同窓生に呼びかけ、前厄、本厄、後厄の3年に亘って一緒に行動した。厄年に集まったのは55名ほどであった。
神社への寄付、お寺での豆まき、それぞれの祈祷、厄明けの旅行などである。我々の仲間は気の合うものが多く、厄年が終わっても、毎年集まっては市内の学校、公園へ薄墨桜の植樹、花見、総会、旅行などを行ってきた。
年とともに、近年はだんだん行事数も会員数も減り、当初の人数は19名にまで減ったが、和気藹々で今日まで続いている。この頃行事はは年一回の総会と一泊の懇親旅行だけとなった。
幼馴染の集まりは、顔を合わせるとすぐ昔に戻り元気になる。ただ、昔と比べ会合での酒の量は大幅に減った。会計や書記、議事進行係はそれなりに役職を果たしてくれており、会長に祭り上げられている私の出番は殆ど無い。
他愛もない集まりだが命の洗濯をしているようである。幼馴染というのは故郷そのものだろう。何故か母の胎内に戻ってきたような感がする。今日の総会もつつがなく終わった。