遅いことは猫でもやる

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偲ぶ会

2015-11-03 04:43:07 | 友人・知人
   皆思い出をしみじみと語る

10月の最終日曜日、3月に亡くなった友人を偲ぶ会が東京で行われた。山岳部が主催という形だが、準備段階から関与してきた。つくづく彼は良いチームに属していたと思う。彼もこのチームの伝統形成に寄与してはいると思うのだが、一朝一夕でこのチームが出来たわけではなかろう。第一皆前向きである。派閥争いや、反対のための反対はない。建設的な代案を示すか、配慮すべきポイントを示す。

役割分担も振られたらそれを淡々と引き受け、そのポジションで全力を尽くす。責任感は溢れるほどあり、準備に万全を尽くす。特筆すべきは情報の共有化である。関連の人々に情報は投げ、全員の意思を統一しておく。これらは山行計画立案の際に鍛え上げられたのだろう。

約100名の参加予定者であったが、欠席はわずか一名。会は仲間の司会で勧められ、委員長の挨拶に始まり、幼少、学生時代、会社時代の思い出、山岳活動、主催イベントの紹介などが披露された後、山岳部の歌=雲にうそぶく、春寂寥斉唱、遺族挨拶、記念撮影と順調に進んだ。故人の遺徳もあり皆形式に流れること無く、自分の言葉でしゃべっていた。

私は学生時代の思い出を語ったが、特に記憶に残っていたのは、二つの大人びた言動だった。卒業式当日同級生が集まって将来のことを語り合った。教師、銀行員、弁護士、など色々な抱負を語ったが、彼だけは年代別に仕事、会社、家族、社会、配偶者、最後に自分に尽くす、と語った。ふたつ目は社会人になって間もなく、大阪でクラス会をやった時のこと、2次会でみんなを元赤線地帯に連れて行ったことである。真面目な人間が多かった我々を見て社会勉強をさせようといった彼の配慮だったのだろう。

勉学はほとんどしなかったが、山岳部では珍しく4年間で卒業したのは、同級生が試験を受けてくれたり、代返をしたり、彼自身教授に直に談判に言ったりした社会性が寄与していたのだろう。

会の締めくくりは全員による歌の斉唱。山岳部でよく歌われている2つの歌で締めくくった。彼の人柄通りほのぼのとした会となった。彼も喜んでいるに違いない。

   全員肩を組んで春寂寥を