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友逝く

2015-04-01 15:54:04 | 雑感


大学時代の友人が28日亡くなり、お通夜と告別式が昨日と一昨日にあったので急遽参列してきた。私にとっても他の級友にとっても、おそらく最も親しかったといえる人物であった。山岳部に属し、現在は母校の学士山岳会会長として、退潮傾向にある山岳会を立て直しに尽力した。見舞った時も、現在現役部員が21名になっていると嬉しそうに語っていた。山岳部に属しスポーツ万能のたくましい男であったが決して粗野ではなく細かい気配りに富んでいた。我々のクラスは個性的な人間が多かったが、情の厚さはU君と並んでいた。K,Y君は才に長けた方だったが彼等とも仲がよく、面倒見の良い彼は、いつしか皆に愛されクラスのリーダー的存在になっていた。

彼とは在学中より社会に出てからのほうが繋がりが深くなったような気がする。名古屋勤務の頃は「ジョニーウォーカーが手に入ったから飲みに来ないか」と連絡をもらって駆けつけると、全然知らない仲間が大勢集まっていたり、大阪転勤の際、初めての土地で不安に思って新大阪の駅の改札口を通ったらそこでばったり鉢合わせをしたとか、大阪でのクラス会では3次会で飛田新地の案内をしてくれたとか、近所の人達・職場の若い衆との合同サッカーチームに誘ってくれたりとか思い出は尽きない。その後の東京勤務時代にも付き合いは続いたが、名古屋支社長で戻ってきた際、スナック仲間(同級生、職場の部下など)で山歩きの会を組織しあちこちに出かけた。山歩きだけでなく、蛍狩り、陶器作り、キノコ狩りなども楽しみ、活動範囲も滋賀県から神奈川県まで及んだ。関連会社の社長に赴任し関東に勤務していても、実質的にプランニングし引っ張っていってくれたのは彼であった。忙しい中、こまめに計画を検討し、いろいろな手配をよくぞしてくれたと頭が下がる。高校同窓のI氏もいつの間にか仲間としてご夫婦で参加してくれるようになった。どちらかと言えばシャイな人でも引っ張り出してくる彼の組織力の凄さを見た思いであった。

また、几帳面さを買われ、1979年の初めてのヒマラヤ遠征の記録誌アンナプルナⅡを始めとし、山岳会行動記録誌、周年記録、友人の遺稿集などを一緒に編纂した。

お通夜も。告別式も大勢の人が参列したが、焼香後も殆どの人が残り、帰る人が少なかった。皆別れがたい特別な思いがあったのだろう。弔辞が5人に及び30分を越えたが、いずれも形式に流れず、心に残るものばかりであった。交々言われているのは、彼の心遣い、気遣い、前向きな姿勢である。勤務先、クラブ、級友の中でも先輩からも一目置かれ、後輩にも慕われ、激励されたという点で一致していた。勿論弔辞で悪口をいう人はいないが、我々の日頃受けていた印象としっかり符合するので、彼は生涯どんな立場においても、周りに対する心遣いをしていたのだと、尊敬せずにはおられない。
21名の同級生の中で3番目に亡くなった。我々の中で最も頑健な身体の持ち主があまりにも早く逝ってしまった。良い奴ほど早く逝く、と誰かが言っていたが正にそのとおりだ。寂しい限りである。

ただひとつの救いは、久しぶりに懐かしい級友と顔を合わせ、グラスを傾けることができた。これも彼のお陰であろう。冥福を心より祈る。