風月庵だより

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視点の違い

2007-07-29 21:52:41 | Weblog
7月29日(日)午前中晴れ、午後より時々雨激しく降る、雷も【視点の違い】

選挙の結果は、やはり、民主党が、かなりの議席を獲得するような、現在の情勢ですね。

さて、昨日、お地蔵様の話を書きました。このログについて、書き足らないような気がしています。一点は、お地蔵様でなくても、線路に危険物を置いてはならないこと。この度、犠牲者が出なかったことは、本当になによりのことでした。

もう一点は、お地蔵様に対して、私は仏教徒なので、昨日のログのような見方をしていますが、全く違った意見もあるだろうということです。

例えば仏教以外の信仰を持っている人には、お地蔵様として形作られた石像にも、特別な思いは無いだろうということ。偶像崇拝を否定しているイスラム教の人には、お地蔵様に拘わらず、一切の造られた像など、拝む対象どころか、忌み嫌う存在であることでしょう。

オーストリアの田舎町を訪れたとき、道端の数カ所に、十字架にかけられたイエス像を見かけたことを、思い出しました。キリスト教の人々にとっては、拝む対象なのかもしれません。丁度石仏のお地蔵様のような存在なのかもしれません。

しかし、私には少しグロテスクに見えました。私が、異文化育ちだからでしょう。

また、お地蔵様などといって、石の物体を拝むことなど、ナンセンスだと考える人もいるでしょう。

テレビゲームが悪くて、道ばたのお地蔵様を拝んだり、日本昔話を聞かせる方を是とすることを、やはりナンセンスだと言う人もいるでしょう。

何が善くて、何が悪いのか、分かりません。判断の基準が、それぞれ違いますから、私の意見が正しいとは言えませんし、するつもりもありません。

ただ、このブログの管理人である私は、仏教徒なので、その角度から、物を申しているに過ぎません。また全ての仏教徒が、同じ考えではないでしょう。世の中はどんどん動いています。この変化に応じた発想が、どんどん湧き出てきているもいるでしょう。

その中で、時代遅れの意見を、勝手に述べているだけです。それも、自分の意見を変えるつもりなどなく、頑固にですね。ただ、自分の考えが、社会的良識であるかのような錯覚に陥らないように、自戒のつもりで一筆書きました。

自戒はしつつも、このブログで情報発信していることは、子供たちが、子供であるときも楽しんで貰いたいし、大人になったときにも、人を殺すような人間にならないように、少しでも役にたつことを考えていきたい、そのような波動だけでも、発信していきたい、というささやかな願いからなのだと言うことを書き添えます。

さて、今夜は満月だったのですが、東京地方は雨が降っていて拝むことができません。今夜は、仏教徒にとっては、特に格別の満月日だそうです。ミャンマー暦では、今年は今夜がワーゾー満月日というそうです。お釈迦様が、お母様のお腹に宿られた満月日であり、初転法輪しょてんぼうりんをなさった満月日だそうです。

雨雲の上には、皎々と輝く満月があることでしょう。

初転法輪:釈尊の初めての説法。釈尊が成道じょうどう(悟りを開かれた)後、五人の比丘びくに、鹿野苑ろくやおんにおいてなされた。

お地蔵さまの話

2007-07-28 23:45:06 | Weblog
7月28日(土)晴れ、暑し【お地蔵様の話】(野々菫著『あなたに花束を』ー新風舎刊ーより、掲載許可済)

線路に地蔵を放置、列車がはねる 大分のJR久大線(朝日新聞) - goo ニュース


久しぶりにログを書きます。この十日の間、周りにもいろいろのことがありました。その中でも、地震のことは、最も気にかかることです。駒澤の友人のお寺も、被害を受けたそうです。柏崎のお寺なのです。

お寺の周りの家々も、かなりの被害を受けてしまっていますので、復興の困難が思いやられます。祈るばかりです。

チェルノブイリの二の舞にならなかったことだけは、よかったと、誰もが安堵したことでしょう。しかし、このことは実に危うい状況にあるようです。直下型地震が起きれば、原発の大事故につながります。次々に露呈される被害状況から、放射能漏れは容易におきることを、認識せざるを得ませんでした。

さて、今日は、お地蔵様について、書いてみたいと思います。線路内に石のお地蔵様を、誰が、どんなつもりで置いたのでしょう。線路の脇で、いつも列車の行き交いの安全を、ただ見ていてくれたお地蔵様でしたろうに。もしかしたら、かつて事故があって、その慰霊に建てられたお地蔵様かもしれません。

こんな心無い事をした人は、日本昔話の「笠地蔵様」のお話を、子供の頃に聞いていないのではないかしら。

貧しいおじいさんとおばあさんと、六地蔵様のお話。お正月の食料を買いたいために、おじいさんは、雪の中を編み笠を売りに出かけました。でも一つも売れなくて、おじいさんは、トボトボと帰ってきました。

行きの道で、何かお地蔵様にもおみやげを、買って参りましょう、と手を合わせたのですが、おじいさんは、お地蔵様にも、なにも買って来られませんでした。そこで、雪をかぶって寒そうな六地蔵様に、おじいさんは、編み笠をおかぶせしました。一つ足りなかったので、自分がかぶっていた笠も、差しあげました。「お地蔵様、これで許してくださいな」

おじいさんは家で待っていた、おばあさんに、何も食べ物が買えなかったことを謝りました。でもおばあさんは、かえっておじいさんがお地蔵様に、笠を差しあげられたことを、喜んでくれました。二人はお腹は空いていましたが、温かい気持ちで、寝床につきました。

その夜のことです。「えっさ、えっさ、えっさ」かけ声がして、昼間のお地蔵様が、米俵やら、お餅やら、お金やら、一杯担いで、やってきました。翌朝、おじいさんとおばあさんは、家の前に、山のように積まれた、贈り物にびっくりしたり、喜んだりしましたとさ。

こんなお話、子供の頃に、絵本を読んで貰っていたら、お地蔵様を列車に轢き砕かせるようなこと、しなかったのではないかしら。

お地蔵様には『地蔵菩薩本願経』という経典があります。これは唐代に実叉難陀じっしゃなんだという人が訳したとされています。(実際には、中国における後世の成立であろう、と考えられています)

今、私の手元にはこの経典はありませんが、『延命地蔵菩薩経えんみょうじぞうぼさつきょう』があります。こちらは同じく唐代の、不空三蔵(705~774)の翻訳とされています。(おそらく、こちらも、後世の成立でしょう)

『延命地蔵菩薩経』には、お地蔵様の諸々の功徳が説かれています。

し三途さんずに在て、此菩薩に於いて体を見、名を聞かば、人天に生じ、或いは浄土に生ぜん。

三途(地獄、餓鬼、畜生)の苦しみにあるときも、お地蔵様の姿を見、またはそのお名前を聞いただけでも、救われて、人間界や浄土に生まれかわることができる。

お地蔵様は、冥界をお守り下さる仏様なのです。日本では道ばたや、お寺の入り口にある六地蔵様として親しまれていますが、韓国のお寺をお参りしますと、冥府を守る仏様として、お位牌堂などのご本尊様として、お祀りされています。

お地蔵様はいろいろな福を、得させてくださるとも書かれています。

安産やら、あらゆる病を治してくださったり、長生きやら、智慧を授けてくださったり、豊作をもたらせてくださったり、天地の神々の加護を頂けたり、まことの悟りの智慧を得させていただける、等々です。

一時代前までは、日本では、あちこちの道の辻に、お地蔵様が祀られていました。その前では、人々がそれぞれのお願いをして、手を合わせていた姿がありました。それこそ、このお経にあるように、どんな願いでも、叶えてくださると、信じられていたのです。(叶えられなくても、誰もお地蔵様に腹を立てた人はいなかったでしょう)

そして、次のようにも、地蔵菩薩は世尊(お釈迦様のこと)に言われています。

世尊、慮おもんばかりたまわざれ。我当まさに 六道の衆生を抜濟ばっさいすべし。若もし重苦あらば、我代わって苦を受けむ。若しからずんば正覚しょうがくを取らず。

迷いの世界に沈んでいる、一切の生きとし生けるものを救わなければ、自身は悟りに安住しない。、非常な苦しみにある者の、苦しみを代わりに受けよう、そうでなければ、自身は悟りに安住しない。ということを、釈尊に誓っているのです。

釈尊は、お地蔵様の、その誓いをよしとなさり、ご自分が滅度なされた後の、末法の世をお守りくださる仏様としてお認めになったことが、このお経には記されています。

このようなことを、なにも知らなくても、道の端に祀られた、石のお地蔵様に人々は手を合わせてきました。子供たちは、摘んできた花を、お供えしてきたのです。こんな素朴な風景も、この頃では、あまり見かけられなくなってしまったようです。

そうして果ては、そのお地蔵様を線路に置き去りにするとは、寂しいことです。そのような行為をした人は、真にお気の毒です。どうしたのでしょう。大丈夫でしょうか。

子供の頃に、テレビゲームばかりで育ってしまったのではないでしょうか。日本の昔話やら、花を摘んで、お地蔵様にお供えするような、遊びを忘れてしまわないでほしいと願います。素朴に生きる人間の楽しみを、次代を担う子供たちに、忘れないように伝えていきたいものです。

この記事を目にしまして、感じたことを書きました。

*先頃お亡くなりになられた太田久紀先生に、『お地蔵様のはなし』(中山書房仏書林刊)という本があります。書棚を探したのですが、見つけだせないので、残念ですが、またいつかご紹介させていただきます。先生に対して、追悼の意味でも、このログを書かせていただきました。

付記:先日(9月3日)四国の徳島に行きました。四国大学の図書館で、お遍路の札所の境内地図を見ました。そこには地蔵堂が多くのお寺にありました。真言宗のお寺では地蔵堂を大事にしているようです。やはり不空三蔵が『仏説地蔵菩薩本願経』を訳した、と伝承されているからでしょうか。

励まされて

2007-07-18 19:20:21 | Weblog
7月18日(水)【励まされて】

東京方面のお盆経は無事に勤めさせて頂けました。今年は台風4号の影響で、雨に濡れながら回りました。この台風によって、九州や四国方面等、大変な被害を蒙ってしまいました。その上更に16日には、新潟や長野方面に大地震が起きてしまいました。お盆の疲れもさることながら、あまりの災害に茫然としてしまい、ブログを更新する気力も出ない状態でした。

さて、この頃、ある青年と時々出会います。彼は道々なにか呟きながら歩いています。そして私の顔を見ると、「お坊さんて、いい人が多いんだよねエ」と言ってくれます。

お坊さんはいい人が多い、と彼に教えてくれた人は誰なのでしょう。お坊さん側から言いますと、その人は「いい人」と言いたいですね。それとも彼が考えたのでしょうか。そのような発想を起こさせてくれるような体験でもあったのでしょうか。

「いい人」と励まされて、お盆経も終わりました。お盆の由来については、皆さんよく耳にしているかもしれませんが、『盂蘭盆経』というお経の影響があるようです。そのお経によりますと、お釈迦様のお弟子さんの中に、神通力のある目連尊者がいまして、冥界にいるお母さんを探しに行きました。するとお母さんは餓鬼道に落ちて苦しんでいるではありませんか。神通力のある目連尊者にもどうすることもできません。

目連尊者は泣きながら、お釈迦様に助けをもとめに行きました。お釈迦様は7月15日自恣じしの日に、僧達に御供養をすれば、お母さんを救えると教えました。

また僧達には「みな先ず施主家の為に呪願せよ。七世までの父母に願し、禅定意を行じて、然して後に食を受けよ」と伝えました。そして、その通りにしましたところ、目連尊者のお母さんは餓鬼の苦しみから救われということです。

この自恣の日ですが、インドでは雨が降り続ける雨期があります。この雨期の3ヶ月間はお釈迦様もその弟子達も一箇所に留まって修行しました。これを雨安居うあんごといいます。この間坐禅をしたり、お釈迦様の教えを受けたりしたのです。そしてその修行中に自らの反省懺悔をしあうのが自恣であり、自恣の日というのは特に雨安居の終わる7月15日のことを言います。

そうだとすると、特にこの時期の仏弟子たちは、心身ともに清まっている状態と言ってもよいでしょう。その僧達の威神力いじんりき(すぐれた働き)をもってすれば苦しみを救うことができるのだとお釈迦様はおっしゃったのです。

このことを考えますと、お盆のお経に伺う僧侶たちは、清浄でなければなりません。そうでなければ、いくらお経を唱えてもなんの功徳もないでしょう。ここが私にとって一番の問題です。

自らの信仰心の薄いことを反省します。「お坊さんていい人が多いんだよね」と言ってくれた青年の言葉に叶いたいと願いますが、なかなかです。

それにつけても、私がいつも心に思い浮かべる少年の姿があります。ある日の研究所からの帰りの電車でのできごとです。私は電車の扉近くに立っていました。ふと扉の横に目を向けましたら、そこに立っていた少年が私をじっと見てから、おもむろに手を合わせてくれました。私も思わず合掌を返しました。

しばらく私の目をじっと見ながら合掌してくれていました。その目の真っ直ぐなこと。このような目を一点の曇り無い、というのだろうと思いました。それからまた彼は自分の世界に入っていきましたが、私が電車から降りるとき、再び真剣な目で合掌して見送ってくれました。僧侶という存在に対して、この少年が抱いてくれた純な思いが、私にはストレートに伝わってきました。彼は知的障害のある少年でした。

私は、彼の純眞な目を時々思い出します。その目は私を励まし鼓舞してくれるのです。「この私」ではなく「僧侶」という私の有り様に対して、励ましを受けるのです。

この少年にしても、「いい人だよね」といってくれる青年にしても、私を励ましてくれる存在です。私はこれからも、電車で出会った少年と少年の合掌に励まされて、この道を歩いていくでしょう。

お陰様でこのお盆も、励まされて、つとめさせてもらえました。知的障害のお子さんをお持ちの親御さんは大変なことも多いでしょうが、思いがけないところで、か弱い庵主を励ましてくれていることも、お知らせしたく書かせて頂きました。

清浄とは、どのようであることを言うのだろうか 私は、仏の智慧を学び、慈悲の実践を為し、自らの行為を常に点検、反省し、修行し続けていくこと、と受けとめています。 私自身は、なかなか充分にできていないことを、点検、反省しております。


可愛い少女たちと

2007-07-09 12:55:12 | Weblog
7月9日(月)曇り【可愛い少女たちと】

昨日の法事でのこと。可愛らしい二人の姉妹が法事の席に並んでいました。お姉ちゃんのほうはとてもおとなしくきちんとお坐りをしています。2歳下で小学一年生だという妹ちゃんはとてもまめに動いていて、お茶を頂いている私に、おもちゃのお野菜をお皿に入れて持ってきてくれました。

おもちゃのお皿を「どうぞ、どうぞ」とすすめてくれるので、私はおもちゃのトマトを一つご馳走になりました。「これは……」と、おもちゃの計算機を持ってきて「一円です」と言う。おままごとを妹ちゃんはとても楽しんでいるし、お姉ちゃんは面白そうに黙って見ています。

周りでお祖母ちゃまは「うるさくしちゃだめよ」と言い、ママは「お姉ちゃんと違って、じっとしていないので困ります」と言います。

そう言われるそばから、妹ちゃんはもう他の遊びを始めています。「法事の間、静かにしていられるかしら」とママもお祖母ちゃまも心配していました。

全員揃ったので、いよいよ法事を始めることになりました。誦経の前に、私は二人の姉妹にひいお祖母ちゃまの法事をする意味をお話ししました。二人にとっては会ったことのないひいお祖母ちゃまですけれど、ひいお祖母ちゃまがこの世にがいらっしゃって下さったから二人も今、この世に生まれていることを話しました。

このような当たり前のことですけれど、そうして有り難うございますという感謝を表すことなのよ、とこれまた当たり前のことを、説明しました。実際の血の流れ、そして実際の血の流れだけではなく、命を頂く大いなる不思議に感謝すること、小さいお子さんにはそのようなお話でよいのではないでしょうか。また多くの僧侶の方もそのようなお話をなさるのではないかと思います。

少し長い法事の誦経やお焼香の間も、二人ともとても静かにお勤めをしてくれました。特に妹ちゃんが神妙に勤めてくれたので、お祖母ちゃまもママもびっくりしていました。

私はご法事の前に、特に小さいお子さんには法事の意味を話してあげることは大事なことだと思います。大人にとってもあらためて納得できるよいチャンスだと思います。当たり前のような話しの披瀝で恐縮ですが、二人の少女と一緒に心を合わせて、法事を勤めさせてもらえたことを、心嬉しくご披露した次第です。

この後、二人が別室に行きましたので、教育について共に話しました。子どもをおおらかに育てるには、親たちや周りの人々が、命のことや縁のことや空について考え得る巨視的な見方を持つことが大事ではないでしょうか。

テクニックとしての子育て論だけでは不十分でしょうし、元気なのびのびと動きたい子どもの芽を摘んでしまわないことも大事ではないでしょうか。また二人を比較して、大人の目に叶う方の子どもを良しとしない配慮も大事ではないでしょうか。

ある程度は子どもの自由にさせてやり、きー、きーしないこと。ただ、危険なことや、人に失礼なことは注意をすることも大事でしょう。

私が帰るとき、本を読んだまま「さよなら」と姉妹が言ったので、お祖母ちゃまは、きちんとお坐りしてご挨拶なさい、と躾けでいました。こういうことは大事だと思いました。子どもを慈しんで育てることは大事業に等しいですね。本当に有り難いことと思います。姉妹の無事な成長を願ってその家を後にしました。

*法事の話しはプライバシーの問題もありますので、あまり書かないようにしていますが可愛い姉妹のお話もしたくて、プライバシーに配慮しつつ書かせて頂きました。

家族と共に仏教を学んだ龐蘊居士

2007-07-07 23:39:29 | Weblog
7月7日(土)曇り【家族と共に仏教を学ぶ龐蘊居士】

今日は七夕ですが、生憎の曇り空。しかし本来は陰暦の7月7日の節句なので、今年は8月19日が陰暦の7月7日。その日に期待しましょう。

今年の梅雨は九州に豪雨をもたらしてしまっているようで、被害に遭われている方々は本当に大変なこととお見舞い申し上げたいです。

さて今週はまた龐蘊居士ほううんこじ(?~808)の言葉に学びたいと思います。私はこのところ仕事の合間に時々龐蘊居士(以後龐居士)の語録を読んでいます。何故龐居士が気になるかというと、居士という呼称からも分かるように、この方は馬祖道一禅師からも石頭希遷禅師からも認められたにも拘わらず、在家のままで仏道修行された方だからです。

石頭に「子以緇耶素耶(子は緇を以てするや、素〈を以てする〉や)。」と尋ねられたとき、「願従慕(願わくば慕うところに従わん)。」と答えています。そして「遂不剃染(遂に剃染ていぜんせず)。」と書かれています。(『景徳伝燈録』巻八)

つまり緇というのは黒い衣のことですから、出家するのか、それとも素(白い衣)の在家でいくのか、と聞かれて「望むようにさせていただきます」と答え、頭も剃らず、衣も黒の僧形にはならなかった、ということです。

また、龐居士に次ぎのような偈があります。
〈原文〉
有男不婚、有女不嫁。大家団欒頭。共説無生話。
〈訓読〉
男有り婚せず、女有り嫁せず。大家みな団欒頭だんらん。共に無生むしょうの話を説く。
〈試訳〉
息子はいるが結婚はせず、娘もいるが嫁にはいかない。一家中まとまっている。(そして)共に無生の法を話しあうのである。
*団欒:円満な完成態。まんまるなまとまり。~頭:名詞につく接尾語。または副詞の接尾語として用いられることもある。(『禅語辞典』思文閣出版)
*無生の話:無は無為の意で、意識以前の絶対の事実。絶対の事実としての生。転じて世間生滅の相を離れた当体。無生法は生滅を遠離した真如の理。(『禪學大辞典』大修館書店)入矢義高氏は「仏の法のり」と訳している。

この偈からも分かるように、龐居士の一家は家族中仏教に帰依して、在家ながら仏道修行の日々を送ったようです。

龐居士は竹篭を作って、それを売って生活の糧にしたと書かれていますが、そのように家族を持ちながら仏道修行を続けた生き方は、身近に思えるのではないでしょうか。出家はしなくても佛弟子として生きる日々は、特に還暦を迎えた年齢の人々には興味ある生き方ではないでしょうか。

龐居士は在家の生活を続けたからこそ、かえって多くのことを悟ったように私は思います。日常の生活こそ法を教えてくれる師ではないでしょうか。勿論自己流では仏教ではありませんので、道を説いてくれる師につくことがなくては「無生の法」は分からないでしょう。日常生活を送りながら、馬祖に参じたり、石頭に参じたりして、龐居士は仏教の教えを学び続けたのです。

先人の語録を学ぶとき、自らに照らし見て、一層襟を正す思いのする日々です。

梅田さん逝く

2007-07-04 22:00:43 | Weblog
梅田事件の梅田義光さんが6月20日にお亡くなりになりました。82歳でした。

営林局職員を殺害したとして、無実の罪を着せられて、ご苦労なさったご生涯でした。冤罪が晴れたのは事件が起きてから36年も後のことです。

新婚も間もなく、子供もそのうちに生まれるという幸せの絶頂から、殺人犯にしたてられて牢獄に投げ込まれた人生は、あまりにお気の毒な人生でした。

それでも冤罪が晴れたことは、なによりのことでした。自分がしたことでもないことの濡れ衣を着せられることほど、口惜しく、苦しく、無念なことは無いでしょう。降って湧いたような災難で、人生を全く狂わされてしまった梅田さんのように冤罪に苦しんだ人々に、私は深い同情の念を抱きます。

冤罪がどのようにして成立してしまうのか、という背景を見るとき、そこには実は正義の味方をしているように一見見える者たちの謀略がある、ということを見抜かなくてはならないだろう。落とし入れた真犯人のみならず、それを真に受けた警官や検事やいくつかの要素があるだろう。その中にも自身は正義を実行していると、真実信じていた人もいたであろう。

また世の中で立派な人と評価されている人でも、潜在意識によって他を落とし入れる方に加担することもあるだろう、ということを見抜かなくてはならない。人間社会で繰り広げられる様々な悲劇は、多様な要素を孕んでいることを改めて考えさせられました。このようなことに於いても、安直に善悪と分別することは、仏教的な見地からのみならず、注意を要することであると思います。


このところ寝込んでいて梅田さんの訃報は知りませんでした。またお便りを出したいと思っていたのですが、間に合いませんでした。遅ればせながらご冥福を祈ります。本当にお疲れさまでした。

ドラえもんもビックリ

2007-07-01 20:52:49 | Weblog
7月1日(日)曇り【ドラえもんもビックリ】

ようやく風邪が治りました。まだ完璧とは言えませんが、起きていても大丈夫なようです。今回は冷房が原因の風邪で、冬の風邪よりも治りが遅いようです。治らないのではないかと心配になるほどの状態でした。

この度自分は低体温だと分かりました。それにしても一時34度5分にまで体温が下がったので、どうなることかと心配していましたが、薬を飲んだりしているうちに35度5分にまで上がりましたので、これでなんとかなるだろうと、安心しています。

それにしても具合の悪いときは、風邪程度のことでも、気が滅入ったり、生きていくことも不安になります。あまりに信仰の薄い僧侶です。しかし、長患いをしている人たちは、どんなにか辛く不安であろうかと思いを馳せました。

さて先週もニュースを見ていますと、藤子不二雄さん(1933~1996)も、山田風太郎さん(1922~2001)も草場の陰から驚いていたのではないでしょうか。光市母子殺人事件の元少年の残虐な行為はドラえもんと『魔界転生』によると供述されたのでは。

このように元少年を、なんの反省もしない方向にもっていってしまっているのは、21人もついたという弁護士の人たちによるでしょう。彼自身が気を強くしていることもありますが、弁護士たちが、ただ彼の死刑を回避させることに腐心していて、犯罪を犯した元少年を更生させてあげたい、というような思惑は全く無いことが察せられます。この元少年自身に対して、弁護師団は最もひどいことをしていることに気が付かないのでしょうか。彼が更正する心を起こさせるチャンスをもぎとっているのです。

それどころではなく、「よく言ってくれた」、と弁護士の一人が元少年の供述に対してコメントをつけていたことにはさらに驚いてしまいました。

『魔界転生』が講談社文庫から出版されたのは、1999年6月15日です。つまりこの事件の翌日になります。その前にもDVDや映画などがあるそうですが、この元少年はなにを観たのでしょう。山田風太郎さんはこんなことの供述に使われるために、復活のストーリーを考えついたのではないでしょう。一体元少年はどこからこの発想を得たのでしょう。

弁護側の証人として某大学の心理学の教授が、これは「母体回帰」が元にあるような事を述べていました。呆れて物が言えない、と思いました。しかし、現にこのような分析をしている人がいるということは事実です。

この世は善意の人だけで成立していないし、善意の人が多数を占めるとは言いきれない、ということを、このような事件を通して知っておかなくてはならないでしょう。自分がいつ本村さんの立場に立たされるか分からないのですから。

本村さんが必死に闘う姿は社会の救いでしょうし、その姿に感動する人が多いことは社会の救いでしょう。

善悪という判断は、善悪を超越したところを説く仏教としては、このような社会の問題について意見を述べることは、よくよく注意のいることです。

6月1日は佐世保の御手洗怜美ちゃんの3年目の命日でした。怜美ちゃんを冷酷に殺害した少女はどのように教育されているのでしょうか。まさか安田弁護士たちのような大人に囲まれてはいないことを願っています。被害者に知る権利のない現行の法律のもとでは何が起きているか信じられません。自分もとんでもない目に遭ってから、きれいごとだけでは世の中のことを見ることはできなくなりました。

今日はこの辺にて失礼いたします。皆さん冷房にはお気をつけ下さい。そして社会の悪意には充分にお気をつけ下さい