風月庵だより

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視点の違い

2007-07-29 21:52:41 | Weblog
7月29日(日)午前中晴れ、午後より時々雨激しく降る、雷も【視点の違い】

選挙の結果は、やはり、民主党が、かなりの議席を獲得するような、現在の情勢ですね。

さて、昨日、お地蔵様の話を書きました。このログについて、書き足らないような気がしています。一点は、お地蔵様でなくても、線路に危険物を置いてはならないこと。この度、犠牲者が出なかったことは、本当になによりのことでした。

もう一点は、お地蔵様に対して、私は仏教徒なので、昨日のログのような見方をしていますが、全く違った意見もあるだろうということです。

例えば仏教以外の信仰を持っている人には、お地蔵様として形作られた石像にも、特別な思いは無いだろうということ。偶像崇拝を否定しているイスラム教の人には、お地蔵様に拘わらず、一切の造られた像など、拝む対象どころか、忌み嫌う存在であることでしょう。

オーストリアの田舎町を訪れたとき、道端の数カ所に、十字架にかけられたイエス像を見かけたことを、思い出しました。キリスト教の人々にとっては、拝む対象なのかもしれません。丁度石仏のお地蔵様のような存在なのかもしれません。

しかし、私には少しグロテスクに見えました。私が、異文化育ちだからでしょう。

また、お地蔵様などといって、石の物体を拝むことなど、ナンセンスだと考える人もいるでしょう。

テレビゲームが悪くて、道ばたのお地蔵様を拝んだり、日本昔話を聞かせる方を是とすることを、やはりナンセンスだと言う人もいるでしょう。

何が善くて、何が悪いのか、分かりません。判断の基準が、それぞれ違いますから、私の意見が正しいとは言えませんし、するつもりもありません。

ただ、このブログの管理人である私は、仏教徒なので、その角度から、物を申しているに過ぎません。また全ての仏教徒が、同じ考えではないでしょう。世の中はどんどん動いています。この変化に応じた発想が、どんどん湧き出てきているもいるでしょう。

その中で、時代遅れの意見を、勝手に述べているだけです。それも、自分の意見を変えるつもりなどなく、頑固にですね。ただ、自分の考えが、社会的良識であるかのような錯覚に陥らないように、自戒のつもりで一筆書きました。

自戒はしつつも、このブログで情報発信していることは、子供たちが、子供であるときも楽しんで貰いたいし、大人になったときにも、人を殺すような人間にならないように、少しでも役にたつことを考えていきたい、そのような波動だけでも、発信していきたい、というささやかな願いからなのだと言うことを書き添えます。

さて、今夜は満月だったのですが、東京地方は雨が降っていて拝むことができません。今夜は、仏教徒にとっては、特に格別の満月日だそうです。ミャンマー暦では、今年は今夜がワーゾー満月日というそうです。お釈迦様が、お母様のお腹に宿られた満月日であり、初転法輪しょてんぼうりんをなさった満月日だそうです。

雨雲の上には、皎々と輝く満月があることでしょう。

初転法輪:釈尊の初めての説法。釈尊が成道じょうどう(悟りを開かれた)後、五人の比丘びくに、鹿野苑ろくやおんにおいてなされた。

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4 コメント

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はじめまして ()
2007-07-30 00:44:01
私も良く考えます。
どんなに土砂降りでも、厚い雲の上にはいつも通りお月様が輝いているのです。
しかし、私は心の目でそれを見ることが出来ません。
自分を律して生きる事は難しく、第三者が関わっていたら更に複雑になります。
今夜のような雨の夜空に月を見つける事は、いかに歳を重ねても、自分なりに頑張ってみても難しいです。

もしかしたら、歳をとって死ぬ間際になっても心の月を見ることが出来ないかもしれません。情けない自分に嫌気がさします。
過去のログにもありましたが、「まっとうに生きる。」のは、他でもなく自分の為です。しかし不誠実が蔓延するこの世で、まっとうに生きるのは時に困難に思える時もあります。
平凡に生き抜くって、結構奇跡なんだと言う事に気付きました。

つまらない事を長々と失礼致しました。
2007年7月31日発行の学研から出ている曹洞宗の書籍を書店で拝見しました。
素晴らしい本ですね。
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言語道断の行為 (春女  )
2007-07-30 09:05:41
宗教を信仰していなくても、神仏を畏れ、敬うことは、日本人の精神の基底に流れていることと楽観していました。しかし今回の事件で日本人は変わってしまったと嘆きました。
もっとも外国人の犯行かも知れませんが、わざわざ地蔵を使ったことから、その可能性は少ないように思います。(外国人による偶像破壊とは思えませんので)
首から上が壊れずに残ったのは不幸中の幸い。地蔵の力だと思いました。
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朔さんへ (風月)
2007-07-30 19:40:27
コメント有り難うございました。はじめまして。他のログもお読み下さり有り難うございます。正直言いまして、私には、ログを書くことは、老眼やら、肩こりやら、なかなか時間的にも、大変なので、お読み下さることに、感謝します。

雲の上の月は私も見えません。晴れたときに見られれば、よしと致しましょう。28日の月はきれいでしたね。ご覧になりましたか。

第三者の介在が、あるのが、世間でしょうから、朔さんには、なにか懸念のことが、特におありなのかもしれませんね。

〈平凡に生き抜くって、結構奇跡なんだと言う事に気付きました。〉

私もそう思います。お互い、このことに気が付いただけでも、朧月が見えていると言ってよいかもしれません。

月は悟りや真理を意味しますが、単純に現実の月を、楽しんでいる私です。


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春女さんへ (風月)
2007-07-30 21:45:31
何故お地蔵様かと、分かったのかと、思っていましたら、頭部だけが壊れてなかったとは、驚きです。

たまたまかもしれませんが、こんな偶然のことに、やはり仏力かと、受け取ったりして感心するのが、我々、単純派かもしれません。

それにしましても、このような危険なことをしてしまったのは、酔っぱらいかもしれません。

酔いが醒めても、何をしたか記憶にないかもしれません。分かりませんが、人身事故を引き起こしていたらと、考えますと、恐ろしいですね。

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