風月庵だより

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太陽は我が兄弟

2023-01-31 09:43:15 | Weblog

1月31日(火)晴れ【太陽は我が兄弟】

今日も寒いですね。お墓の花立ての水も凍っています。水道も凍っています。でも雪はこの辺りは全くありません。数日前、いつものようにお日様を拝んでいて、ふっと気が付きました。「あ、お日様も兄弟か」ということです。太陽も、大宇宙から生まれたのですから。自分自身で太陽生まれるよ、と生まれたのではなく、宇宙の成り立ちの中で、生まれたのですから。

この太陽系は、天の川銀河の中のごく小さな一部なのです。天の川銀河について調べてみますと、直径は約10万光年、質量は1.5兆太陽質量(太陽の1.5兆倍)、年齢は130億年程度、この銀河系の中に2000億から4000億個の恒星があるそうです。天の川銀河の中心から2万7000光年ほど離れた位置に太陽系はあるそうです。

気が遠くなるような宇宙の広さですし、ほかの恒星にも人間のような生物が住んでいてもおかしくないですね。

さらにこの宇宙には、他にも無数と言ってよいほどの銀河があるそうです。その中で、アンドロメダ銀河が一番近いのだそうです。太陽系にではなく、天の川銀河にです。200万光年離れているそうです。我等が住んでいる地球は、改めて思いますが、天の川銀河の中の小さな小さな太陽系の中の一つの恒星なのです。

戦争を仕掛けているプーチンのような大バカ者、この地球を壊し、人類を滅亡させる気なのか。しかし、人類を含め生物をこの地球に生み出してくれているのが、大宇宙の意志ならば、なぜ、プーチンや習近平のような独裁者を生み出しているのか、スターリンやヒットラーのような殺人者を生み出したのか、卑近な例では、どの国にも殺人者がいくらでもいる、これも宇宙の意志なのか、ここが私にとって、一番の疑問です。

仏教の十戒にしても「第一不殺生戒」以外はすべて人間の愚かさとして、ダメよ、直していこうね、と言いうるけれど、殺戮だけは、別戒としてあるべきではないかと思う。

どうして小さな小さな地球で、短い命を楽しんで生きられないのだろうか。

我が同胞、お日様、ウクライナの人々にも、シリアの人々にも、アラブの人々にも、アフガニスタンの人々にも、ミャンマーの人々にも、チベットの人々にも、平和な日常がない国の人々にも、どうぞ、偉大なあなたのお力を。


電子レンジはガンの元

2023-01-24 18:00:18 | Weblog

1月24日(火)曇り寒い【電子レンジはガンの元】

今日は間違いなく寒波襲来です。外はかなり寒く風もひどいです。昼間は暖かでしたのに、打って変わった天候です。お墓の水道にもタオルを巻いたり、給湯器にもタオルとビニールを巻きました。メーターのあるところにもボチボチのある荷造り用品を入れておきました。

ところで、一つこれはどうしたものかということがあります。外猫ちゃんのママが室内に入ってきて、外に出ようとしません。室内飼いにしたかったのですが、タローのママと、タローの姉(たぶん)ミーちゃんは外が好きなようで、7年間、外に作った小屋で寝泊まりをしているのです。それが今日は、書庫兼衣裳部屋に入ったきり全く出ようとしません。この寒さを動物の勘で察知しているのではないかと思うのです。それならば、ミーちゃんも中に入れたいのですが、入ってきませんので、外にご飯を届けました。ミーちゃんが寂しそうでした。

さて、前にも書きましたが、電子レンジはガンの元、ということを、私は耳にタコができるくらいお聞きしましたので、この年になるまで、一度も使ったことはありませんし、持ってもいません。とにかくあまりに癌になる人が多すぎるので、もし、気になる人は耳を傾けてくださいませ。

理由は、「電磁波ですか?」という人が多いですが、電磁波は、電磁波を出す製品から離れればそれほど問題はないようです。『自然療法』(東城百合子著 あなたと健康社)から引用しておきます。

「電子レンジのエネルギーはラップもとかさない。普通の熱とは違います。強力な震動熱で、この震動熱で早く調理ができ便利です。今はガスや電気で調理しますが、煮たり焼いたり、蒸したりするのに時間がかかります。ところが電子レンジはすべて短時間で事足り簡単です。

早くやわらかく調理できるのは、食物の細胞分子を破壊するから早い。この分子はごく小さなものですが、この集まりが細胞です。そのもとの分子がきれてしまうと、料理を食べた時、分子は反動的に体内の酸素をつかみ、切れた分子をつなげる(自然治癒力の働き)ために使われるので、体の中は酸素欠乏をおこします。

酸素不足が血液をはじめリンパ液、ホルモン、酵素などの酸性化で、これ等が共に細胞に作用し細胞の異変を創ります。その結果酸素欠乏構造の細胞ができる。これが病気であり、またガン細胞にまで至ります。以下略」

とにかく皆様、癌に罹る方があまりに多すぎます。いろいろな考えがあるでしょうし、この説に反対の人もいるでしょうが、なんとかガンに罹らないようにと、願っています。

トースターでも、いろいろなお料理に活用できます。私はパイも作っています。冷凍した食品も無理に解凍しないで料理することはできますし、温めるには蒸し器で簡単にできます。電気会社の方のために、電子レンジをダメというだけではなく、トースターはお勧めしておきます。

またオーブンレンジは電子レンジの機能も備えているそうですが、それを使わないでオーブン機能だけ使うという方法もあるのではないでしょうか。電子レンジはマイクロ波という波長の短い電波が、食材に含まれる水分子に作用して、水分子が細かく振動・衝突して発熱、食材全体が温められる仕組みと書いたあります。

世の中は便利になりますが、便利に惑わされず、慎重に吟味して、お互いに生きてまいりましょう。

寒いですから、風邪にもご注意を。

では、外猫のママちゃんがどうしているか、見に行ってまいります。

チロママちゃんです。寒いのですね。

 


免疫力超アップの料理本

2023-01-21 14:03:13 | Weblog

1月21日(土)晴れ【免疫力超アップの料理本】

 

今日もこの辺りは良く晴れています。少し寒いですが、寒がりの私でも震え上がるほどではありません。さて、この写真は、米澤佐枝子先生が出版されたお料理の本です。ウイルスのはびこる今こそ免疫力を高めることが大事です。免疫力をつけるにあたり一番大事なことは、日々のお食事でしょう。この本の名は『よねさんの免疫力超アップの食卓』(米澤佐枝子著 三笠書房 定価1760円) 

米澤先生は、「あなたと健康」社でお料理をお教えくださっています。私の尊敬する先生です。先生はかつて癌に罹りまして、一年持たない、とお医者さんに言われたそうです。しかし手術は一切受けず、自然の療法をいろいろと施され、ついに今では癌は消えているそうです。一年持たないと言われてから、すでに40年以上80代の今も元気そのもの、パワフルに私たちを導いてくださっています。

このお料理本は、おだしの取り方から、玄米ご飯の炊き方から、初歩的なことも書かれています。「細胞がシャンとして健康になるおいしい家庭料理」とサブタイトルにもありますように、お料理も易しい家庭料理です。玄米食でない方も是非おつくりになってください。

ワクチンにばかり頼っていては、ご自分の健康は保てません。ワクチンを打っている方でも、感染している方は多いです。ワクチンはmRNAというのですから、免疫をつけるのが目的ですが、一時的に免疫力がつくリボ核酸というのだそうです。DNAのリボ核酸とは違いますので、打ち続けなければ、感染から逃れることはできません。

とにかく、日々の食事は、免疫力をつけるために、有力な力です。インターネットでも購入できます。是非、皆様の身を守るために、この本を手になさってみてくださいませ。
なるべくなら、ウイルスに感染しないで、それが原因で死ぬことがないようにと、願っています。

*余談ですが、檀家さんたちに、祈祷会のとき、お土産の袋の中に入れて差し上げようかと思ったのですが、それはやめました。お寺からさしあげている本は、私の著書にしましても、「大事に仏壇の引き出しの中に入れてあります」という方がいます。今回は、この本を本当に活かしていただきたい、と願いまして、売ろうかと思いましたが、それもやめまして、よく説明をしまして、本当にこの本から学んでお料理を作ろう、また奥さんに作ってもいただこう、と思っている方は、ご自由にお持ちください、ということにしました。

 

 


ゆめだいじ

2023-01-16 20:40:23 | Weblog

1月16日(月)雨、寒い【ゆめだいじ】

昨日は、当寺の新年祈祷会を勤めさせてもらいました。今年はもう新年祈祷会は、かなり大変なのでやめさせて頂こうかと思っていたのですが、三が日の『理趣分』を読誦し、それぞれのお家の所縁吉祥、諸縁吉祥、家内安全、などなど、祈祷させていただきましたので、そのお札をお渡しするための法要を勤めさせていただきました。

ウイルス感染がまた増えてきたようですから、檀家さんを5組に分散したり、椅子の間も空けたり、本堂は換気扇や、大本山永平寺推奨の光触媒や銀イオンのライトを置いたり、ウイルス対策をいくつか施しました。

ウイルスのことがありますので、参列の檀家さんは少ないのでは、と思いましたが、ほとんどの方が見えました。この地域の方々は大変にまじめです。

5回の法話と、ご祈祷で、あっという間に3時間がたってしまいました。

さて、なにが「ゆめだいじ」かというと、「夢大事」もそうですが、実は、次のような言葉を今年は檀家さんに配りました。 

夢 ゆ   油断無く
  め   免疫付けて
大 だ   大丈夫
  い   いつも心に
事 じ   慈悲の光を

先日ラジオで、コロッケさんという芸人さんが、子供の頃、お母さんが、部屋に「あおいくま」と書いた紙を貼っていた、というお話をしていました。なにが「あおいくま」かと言いますと

あ   焦るな
お   怒るな
い   威張るな
く   腐るな
ま   負けるな

こういうことだそうです。なかなかよいアイデアと思い、私もちょっと考えまして、「ゆめだいじ」を考え付きました。「あおいくま」ほどバランスは良くありませんが、「いつも心に慈悲の光を」は、仏教的な解説もできましたし、免疫についても、ちょうど二日前に私が尊敬するお料理の先生の本が届きましたので、毎日の食べ物が、免疫をつけるには大事な話などをさせていただきました。

そんなことで、今日はちょっと疲れが出ています。
また新たな株のウイルスが流行ってきているようです。春節以後の状況も心配ですが、皆さまも、油断なくお気を付けくださいませ。

 慈悲の観音様と、最近つけた街灯です。

 


当寺は直葬は受けません

2023-01-07 14:11:23 | Weblog

1月7日(土)晴れ【当寺は直葬は受けません】

新しい年が明けまして、はや、7日目ですね。10日から仕事始めの人が多いのでしょうか。さて、私は今日は、ご葬儀を勤めさせていただきました。一昨日、「檀家さんで直葬をしたいという方がいるのですが」と言って、石材店の人が訪ねてきました。

勿論直葬はダメです。お寺の檀家さんである以上、きちんとご葬儀をしてあの世にお送りしたい、と住職は当然、そう思っています。聞けば、息子夫婦だけ親戚も遠くに住んでいて、弔問に来られないし、自分たちだけなので、お葬式はいらない、というような考えだそうです。

皆さん、お葬式は誰のためとお思いでしょうか。

お葬式は、あの世に帰る人のためです。あの世に帰る儀式と言ってもよいでしょう。まして、この度の故人は心不全で突然の死を迎えた人です。息子さんのお母さまである故人に、死を実感し、死を受け入れてもらうために、大切な儀式であり、感謝を持って、懇ろにお見送りするのが、この世にいて見送る者の勤めです。

もしお布施がないのなら、包めるだけでよいのです。お布施はいらない、ということもいけません。お布施は住職のポケットマネーになるのではありません。法施に対しての、お礼の財施ですから、金額の多寡ではなく、お包みすることが大事です。

この頃、特にコロナ禍以降、多いと聞きますが、直葬を僧侶が、他の宗教者であれ、それを受けることは、再考をお互いにしたいと思います。

最近「有道会会報」を読んでいましたら、永平寺の小林昌道監院老師が、宮崎禅師様に次のように諭された言葉が書かれていました。「世の中、略儀略儀の時代でなんでも略してしまいがちです。物事を略すことを覚えてしまうと、なかなか本来に戻すことが難しくなる。云々」と。

また同じこの会報に、葬儀社さんのご葬儀へのかかわり方についての質疑応答もありました。確かにある悪徳な葬儀社が多額の葬儀費用をとり、問題があると、私は常に檀家さんに注意を伝えています。葬儀費用もリーズナブルでよいのです。ちょっと問題がそれましたが、この度の施主さんも市内の人ではなく、初めて施主を勤めるようで、よくわからないこともあるようでした。しかし、葬儀社の方が、菩提寺があるのならば、勝手なことはできませんと言って、住職の意向を受けて、きちんと話をしてくれたようです。

お陰様で、参列は息子さんご夫婦の二人でしたが、葬儀の前に、きちんと葬儀についても話をし、お母さまへの感謝を持って、旅立ちをお見送りすることの大事なことを話したりいたしまして、無事に、本日のご葬儀を勤めさせていただきました。

私は、あの世の人たちと、何回か交流したことがありますので(夢幻と思う方はご自由に)、僧侶として、ご葬儀を勤めることがいかに大事か身に染みています。引導法語も一人一人に作ります。大事なお見送りの法語です。精神統一して、亡き人の人生を辿っていくと、胸がいっぱいになることがたびたびあります。ともに人生を振り返っている気持ちになります。そうして、ほとんどの方の人生、見事、御立派、本当にお疲れ様でした、という思いになります。

そうして、あの世でもしっかりご修行くださいませ、と、思います。

お互いに、必ず、この世の終わりがあります。今年もご機嫌よく暮らしましょう。ベストを尽くして。

 


『負けないで!』を読んで

2023-01-04 21:25:41 | Weblog

1月4日(水)晴れ【『負けないで!』を読んで】

三が日も終わりました。三日間のご祈祷を勤めました。一日8時間ほどかかります。さすがにちょっと疲れました。しかし、『理趣分』について、どうしても深く学びたいことがあり、杉本俊龍老師の『龍華』を紐解いてみました。

しかし、途中でちょっとお茶を飲みたくなりまして、お茶の間に一冊の本を手にとりました。小笠原恵子さんの『負けないで!』(小笠原恵子 創出版)という自伝です。読み始めましたら、止まらなくなりました。

皆さん、ご存じの方が多いと思いますが、小笠原恵子さんは聴覚障害がありますが、プロのボクサーとして活躍なさった方だそうです。女性のボクサーは少ないうえに彼女は耳がほとんど聞こえません。耳の聞こえないもどかしさで、いじめられたり、先生にも理解されないので反抗的になったりしますが、そのいら立ちをボクシングをすることによって、昇華していったと言えましょう。

耳が不自由なために、あるボクシングジムに8年間通ったのですが、プロボクサーの試験を受けられないだけではなく、アマチュアの試合にも許可がでなかったのです。悔しくて、たまたま怪我をしたのをきっかけに、そのジムに行くのはやめましたが、ボクシングへの想いを断ち切れず、佐々木隆雄さんという人が会長の「トクホン真闘ボクシングジム」の門を叩きました。

本人も本の中で言っているように、大人になってもずっとひねくれていたそうです。障害を持っていることに不満を抱いていたそうです。苦しみ続けていた彼女を救ってくれたのが、この佐々木会長だったそうです。

会長やトレナーさんたちの御蔭で、厳しいプロテストに受かった時は、読みながら涙が出てしまいました。この本を読みながら、笑った場面もありますし、胸がいっぱいになる場面もありました。人は出会った人の縁で生かされもし、道を閉ざされてもしてしまいます。

この会長さんのような人たちに出会えたことが、幸せでした。耳が聞こえなくても、自分の好きなボクシングをあきらめずに努力し続けた恵子さんの姿には、感動しかありません。

しかし、ひねくれていた盛りの時に、この方に会ったなら、感動することはできかねるでしょう。人を一時期の一面で決め付けることは、やめようと思います。

この方を主人公とした映画が上映されているそうです。映画館にはなかなか足を運べませんので、元となった本を買い求めておいたので、今日は思いがけない感動をさせていただきました。

十分な紹介でなくて恐縮ですが、一端を紹介させていただきました。

 


年頭所感

2023-01-01 19:36:46 | Weblog

令和5年1月1日(日)晴れ【年頭所感】

皆様、あけましておめでとうございます。いかがな新年をお迎えですか。本年も心の健康第一に、身の健康も同じに、身心一如(しんじんいちにょ)と言いますから、身と心を切り離すことはできません。

本日は、この辺りは真っ青な空で、暖かいお日和でした。初詣の方も数人はいたようです。私は朝から午後4時くらいまで、ご祈祷をしていました。当寺のご祈祷札は、住職の私が三が日、一家に一枚一枚のお札をお名前を入れて、その家の方々の所縁吉祥、諸縁吉祥、家内安全、時に良縁満足を願います。

その前に「大般若会理趣分作法」を勤めましてから、『大般若理趣分』(『大般若波羅密多経巻第五七八』)一巻を、毎日読誦させてもらいます。それでかなり時間がかかります。

檀信徒の皆様の幸せを心から祈らせてもらいますが、しかし、実は幸せは幸せと思う心にすでにあります。幸せと気づく心にすでにありますね。和尚のご祈祷は、まあ、不要のようなものですが、和尚の学びとして、お勤めさせてくださいませ。

昨晩、大晦日は、去年から除夜の鐘はお許しいただき、除夕の鐘にさせていただきました。ちょっと一人で、夜遅くまで、鐘をついたり、鐘を撞きに来られる方のためにそばに立ち続けるのは、辛くなりました。ということで、夕方だけ二時間ほど、鐘を撞きたい方を受け入れています。

撞きに来た人たちのそれぞれの願いを聞いたり、励ましたり、アドバイスしたり、しています。二四歳の青年が結婚できれば、というので、鐘を撞きに来ました。素直ですね。良縁があるとよいですね。

受験の高校生も来ました。志望校に合格できるとよいですね、ラストスパート頑張って、などと受験戦争を生き抜いてきた世代の私は、つい、言ってしまいたいですが、健康に気を付けて、ベストを尽くせば、オッケイ。小学生という坊やには、ゲームは一日30分ね、せっかく生まれてきたのだから、ゲームに人生を振り回されるんじゃないよ、などとゲームの楽しいことを知らない私は御節介。等々

鐘を撞く私の願いは、地球の平和です。

こんな風に大晦日から元旦を過ごします。

先ほどは、三十年以上前に小さなお寺の留守番として過ごした10年間、寺子屋で教えていたそのころの少女から元旦のお電話がありました。とても絵が上手ですが、この頃書いた小説が、ある公募の一次審査に入選したそうです。嬉しいですね。書くことが楽しいと言います。

なんでも自分がやりたい、ということをすることが、その人に向いていることだと思います。私は僧侶になりたかったので、やはり向いていました。そうなるために生まれてきたとさえ思っています。そうなるために人生いろいろだったとも思います。

皆さんはどんな人生を歩いていらっしゃいますか。年齢に遠慮しないで、自分のやりたいように生きましょう。ただし、他人にあまり迷惑のかからないことが望ましいですね。

この一年を、有難く、楽しんで、お互いに活きましょう。