風月庵だより

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草いきれの中を歩く

2021-08-28 16:32:49 | Weblog

8月28日(土)晴れ、暑い【草いきれの中を歩く】

昨日は、草が生えてどうしようもないところを、力強い助っ人がきれいにしてくださいました。私は草刈りをして頂いたところを、草いきれを思い切り吸って歩きました。

昨年までは、あの世に帰ってしまったお寺を守ってくれる仲間が、自前の草刈り機をトラックに積んで来て、刈ってくれていました。

今年はどうしたらよいかと思っていましたら、いつも手伝いにいらっしゃってくれている方が、草刈り機を借りてきてくれて、頑張ってくださいました。

有り難いです。

(刈る前)

 


残暑お見舞い

2021-08-26 13:56:00 | Weblog

8月26日(木)晴れ、暑い【残暑お見舞い】

毎日暑いです。目下、『華厳経』の学びに取り組んでいますが、とにかく仏教は仏教用語が難しすぎますね。私のように学びが足りない僧侶にとって、かなり辛いです。

さて、この暑さ、熱波に襲われている国もあるでしょうし、氷河がかなり溶けてしまっている国もあるようです。

かつてロドス島に滞在しているとき、「地球人類の滅亡」の啓示を受けた、ということを最近も書きましたが、その前の文言は、「このロドスが再び海の底に沈む時」というものでした。

地球の温暖化は、まさにその可能性を否定できないほどですね。グレタさんは、一生懸命に環境問題と取り組んで頑張ってくれていますが、私の生き方は、全く個的な生き方です。

この地球にも氷河期があったり、間氷期があったり、恐竜が住んでいた時があったり、今は人類やほかの生物が住んでいます。

しかし、地球人類が動かされるのは、ほとんどお金、経済です。この度のオリンピックも、もし開催しなければ、一千億円の賠償金(罰金か)を払わなくてはならないという人もいます。偉大な音楽家と同じお名前の人は、アラブの王様以上の生活をしているという海外の友人もいます。真偽の程はわかりませんが、選手の皆様は真剣です。選手の皆様の苦労と研鑽の日々のお蔭で、必要以上に動き回っているお金があることは、想像に難くありません。

皆様、とにかくこの暑さにバテませんように。熱中症にご注意。ウイルスにもご注意ください。空気感染が多いので、換気にお気をつけくださいませ。エスカレーターや人込みは勿論です。

(ハッピーちゃんは、この籠が気に入っているようで、時々この中で寝ています。)


痛風の人に

2021-08-20 20:16:29 | Weblog

8月20日(金)晴れ【痛風の人へ】

(龍の顔のような雲だと今思いました。)

檀家さんが痛風で痛がっていて、特に湿布は出してもらっていないというので、『自然療法』(あなたと健康社、東城百合子著)に次のような療法がありましたので、材料を届けに行ってきました。「じゃが芋をおろし、その5分の1位のひね生姜をおろして加え、小麦粉をつなぎにして患部に貼るのもよく効きます。」

じゃが芋も、生姜も有機農法、小麦粉も地粉です。また枇杷の葉も、炎症を取るにはよいので、すぐ貼れるようにして持って行き、実際に手ぬぐいに沢山貼り付けて、ふくらはぎに貼ってきました。果たして、効果の程はまだ分かりませんが、何もしないよりは、よいかもしれません。

本の記載に、肉の食べ過ぎが痛風のほとんどの原因と書いてありましたので、聞きましたら、大好きだそうで、一番食べるそうです。食べ物から直しませんと、湿布をしただけでは、治りませんから、食事療法についても、説明してきました。

食生活は、楽しみでもありますが、今の日本の食卓は、いつもご馳走ではないでしょうか。ご馳走はたまにでよい、と思います。

因みに私の今夜の食事をご披露してみます。ご飯は玄米と小豆の入ったのを🍙にしておきましたので、それを遠火で網の上でじっくりと焼きました。それから6種類の野菜(人参、大根、冬瓜、トマト、ゴーヤ、玉ねぎ)の入ったスープを一時間位煮まして、薄い塩味で食べました。他にカボチャを種を取りまして、しかし、その種も入れて煮ました。これも薄い塩味です。それと糠漬けのキュウリ、今夜はこれだけです。

昼ご飯は、チャーハンでした。ピーマン、人参、ネギ、を炒め、卵をあとから炒め、これは白米を昨日炊きましたので、それで作りました。実は新鮮な卵を頂きましたので、卵かけごはんが好きなので、昨日は白米にしました。玄米だけではなく、たまに白米もご馳走になります。卵かけごはん、美味しかったです。

朝は、玄米餅を一つご馳走になりました。

皆さんはどのようなお食事をお食べになりましたか。

私はいつも割合に粗食です。肉は食べませんし、お魚も一か月に三回位はご馳走になりますが、夏バテもしませんし、30キロくらいの体重ですが、いつも何かしらして働き続けても倒れません。50年間の玄米菜食は、かなり健康によいと思っています。でも、たまにお寿司も、ご馳走になります。このごろは、ウナギもチャレンジしています。基本的に玄米食でも、食べたいものがあれば、それを楽しんでいます。

この頃のように癌の人が多すぎますが、食事が大事だと思います。参考にして頂ければ嬉しいです。

昨日の朝の虹です。よく見ると右の上に二重の虹がかかっています。さらに後から気が付きましたが、虹の上を犬のような顔をした雲が駆けているようではありませんか。


自然死のすすめ

2021-08-17 17:11:28 | Weblog

8月17日(火)曇り時々雨【自然死のすすめ】

今日のご葬儀は、弟のように思っていた檀家さんのご葬儀でした。弟と同じ歳でもあり、いつも歯に衣きせぬ、言いたいことを言い合う間柄で、檀家さんの中で、「ちゃん」付けで呼ぶのは、今日の彼だけです。とても素敵な愛妻と、父親思いの二人の息子や可愛い孫たち、可愛い姪たち、頼りにされている弟や姉や、信頼されている近所の人たちに囲まれて、このコロナ禍ですから、家族葬という建て前でしたが、多くの人が会葬に参列なさいました。

しかし、ついこの間まで、ゴルフにも行くことができていて、元気だとばかり思っていたのですが、数カ月前に新聞をもらいに行ったところ、酸素吸入器を家の中でもつけていたので驚きました。でもその時は、ソファに座って、一緒にお茶を飲むことができました。しかし、先月も伺ったときには、もうベッドから体を起こすことができない状態でした。

お医者さんから「手術しなければ、一年しかもたない」と、言われて、手術したのだそうです。それ以来、酸素吸入器を手放すことのできない状態になってしまったのだそうです。

たまたま『中外日報』の「社説」欄を読みました。「自分らしい最期」、中村仁一医師の訃報、が書かれていました。6月5日にお亡くなりになったそうです。この方の『大往生したけりゃ医療とかかわるな~「自然死」のすすめ』(幻冬舎)という著書が紹介されていましたので、今日の檀家さんのことも思い、先週読んだところでした。

第一章 医療が穏かな死を邪魔している の中に、「病気やケガを治す力の中心をなすものは、本人の「自然治癒力」です。」というのが、先生のお考えの大前提にあります。先生は、長い間老人ホームの付属診療所所長をなさっていましたから、その経験が、この本を書かれた裏付けにあります。ほとんどの人が医療の手にかかって、最期を迎える状況に、先生は、それは「自然死」を妨害するものである、とお考えです。

【「自然死」の年寄りはごくわずか】という項目があります。その中に「自然死」はいわゆる”餓死”ですが、なんらの医療措置をしなければ、穏やかな状態で無事に死んでいけると、書かれています。私は、ここで泣いてしまいました。母を病院から連れ帰ってきて、なんらの医療的な処置をしないで、お寺の一室で見送ったのですが、まぎれもない「餓死」でした。嚥下することが一切できなくなってしまいましたので、どうすることもできませんでした。一切の延命処置はいりません、と本人も元気な時に書いていましたのと、私もチューブに繋がれないで、自然に見送りたいと願っていましたが、それでも明日は、やはり点滴をお願いしましょうか、と看護婦さんと相談したその翌朝、母は旅立ちました。母を餓死させてしまった、という自分を責める思いが時々脳裏を横切っていましたが、中村先生のこの一行で救われました。因みに父は、「もう十分」と言った後、十日間何も口にしないで旅立ったそうです。

中村先生は、それでよいのだ、という内容のことをお書きです。

第2章は、「できるだけの手を尽くす」は「できる限り苦しめる」です。無理矢理に遺漏をしたりすることは患者にとって悲惨であることや、鼻チューブ栄養の違和感は半端じゃない、ことなどが書かれています。

第3章は、がんは完全放置すれば痛まない、です。そうは言われても何も医療の手にかからない勇気はほとんどの方には無いと思います。早期発見の人の場合は、早期に治療したので、延命できた、という方も多いでしょう。しかし、ステージ4と言われた人で、医療の手にかかって助かっている人を私は、私の周りで残念ながら知らないのです。本師も抗がん剤治療をほどこされた途端に、ほとんどの機能が壊されてしまった、といってよいでしょうか。檀家さんの或る方も、自然療法で好転していたと思っていたのに、すっかり面変わりしてしまっていたので、どうしたのですか、と聞きましたところ、「病院長が、よい抗がん剤があるのだけれど、試さないのは惜しいなあ」と言われてしまい、「惜しいなあ」の言葉に負けてしまった、ということで、その後坂道を転がるように命を落してしまわれました。或る人も、がんの手術をしたというので、「大丈夫ですか」とその顔色の悪さに問いましたところ、「大丈夫です、手術しましたから」と言っていましたが、やはり残念ながら、お葬式をすることになってしまいました。

今や、日本人は2人に一人が癌になると言われています。癌と言われて放置できる勇気のある人はいないでしょう。しかし、私の周りにはこれまた多くの人が、医療を受けないで、自然療法によって、癌と共存している人が多いです。私のお料理の先生も、余命宣告を受けたにもかかわらず、40年以上お料理の先生としてご活躍です。

私も、もし癌と言われたら、食事療法と自然療法を自分で施したいと思っています。20才の時からの筋金入りの玄米菜食と自然療法の実施をやっていますので、中村先生の提唱には、全く賛成です。しかし、多くの方は難しいと思います。ご自分でこのご著書やいろいろとお考えになり、受け入れられるところは受け入れ、ご自分なりの納得のいくやり方で、自分の命の責任者として、取り組んでいただきたいと思います。

第4章 自分の死について考えると、生き方が変わる です。先生は昨年肺がんとわかったそうですが、「死期がわかり準備ができる」と話されていたそうです。私もこのことは実感しています。本師が3か月寝込んでくださいましたので、多くのことを引継ぎや決まりをつけていただく事が出来ました。癌は、脳卒中などの突然死とは違い、死期までに猶予がありますので、生きている間にどうしてもなすべきことをなすことができるでしょう。私も自分の死を考えざるをえない日々ですが、まだ具体的に病気ではないようですが、高齢という厳然とした事実があります。

ここには書けない問題がありますが、それさえクリアできれば、いつお迎えが来ても、ザンネンですが、医療の手を煩わせることなく、「老衰」であの世に旅立ちたいと思っています。

第5章「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける です。

【医者にとって年寄りは大事な「飯の種」】という項目は、お書きになっている人がお医者さんですから、興味深い見解だといえましょう。

大事な檀家さんの一人のご葬儀をつとめさせて頂き、あらためて医療についての一文を書かせていただきました。まことに惜しい人を見送らなければならない今日でした。でも、「もうすぐこちらも、みんな、逝くから、先に逝って待っていてね」と、申し添えました。今夜は一杯飲もうと思います。135ミリのビールにするか、お猪口3杯の日本酒にしようか、と、かつての酒豪は考えています。


アインシュタインの懺悔

2021-08-10 20:15:10 | Weblog

8月10日(火)晴れ残暑厳しい【アインシュタインの懺悔】

今日も暑かったですね。昨日は立秋でしたから、この暑さは残暑の暑さですね。まだしばらく暑さは続くのでしょう。
さて、ヒロシマ、ナガサキと、原子爆弾による悲惨な経験をさせられた日本人にとって、アインシュタインは、その元凶であると知っているでしょうか。私が、霊界との交渉が多かったころ、ヒロシマ、ナガサキのことを考えていた時、突然、アインシュタインが嘆いている、というメッセージを受け取りました。このブログにも14年前に書いています。

しかし、そのメッセージを受け取ったのは、それよりずっと前の事でした。まだパソコンも使えないし、その存在も知らない頃、受け取ったメッセージでした。昨日、改めてwikipediaのヒロシマ、ナガサキについて、見てみました。まさしくアインシュタインの進言が、原爆が作られる発端になっていることが書かれていました。

1939年にヘブライ大学に寄付を欲しがっていたアインシュタインが、フランクリン・ルーズベルト宛てに手紙を出しました。その中に「大量のウランが核分裂連鎖反応を起こす現象は、新型爆弾の製造につながる」とあったそうで、その年にウラン諮問委員会が作られ、1942年には、マンハッタン計画ができ、原爆が作成された、ということになります。

このような手紙も、アメリカにおいては、公文書館にきちんと保管されているのではないでしょうか。

しかし、私が言いたいのは、このような経過もなにも知識としてないところの、一隅の尼僧の私が、たまたま霊的世界とのつながりを持っていた時に、「アインシュタインが嘆いている」というメッセージを受け取ったという不思議をお伝えしたいのです。

人間は、この世の命が終われば、それですべてが終わりではない、ということを伝えたいのです。

ただ、私は、しっかりした審神(さにわ)の役目の人がいない状態で、霊的世界とつながることは危険である、とも思い、それ以上に、明日何があるか分からなくても、微力を尽くして人間として、生きていくことは尊い、という美学を持っていたいので、閉じてもらったのです。自力で立ち向かう生き方をかっこよい、と思っていますが、年中えらい目に遭い、それを切り抜けるのに苦労しています。(しかし、実は自力だけではなく、大いなる助けがあるのです。)

それでも、アインシュタインのように、多数の人間の命を奪うことにつながるような悪業をしていないだけ、この世においても、あの世に帰っても、多少は楽でしょう。

皆様、反省多き人生とは思いますが、日々日々新たな気持ちで、反省しつつ、でも伸び伸びと生きていきましょう。
暑いですから、どうぞ、お大事に。

(今朝朝課に行くとき、玄関のカマキリに出会い、急いでカメラを取ってきて写しました。芸術品ですね。)

 


ナガサキ

2021-08-09 21:30:12 | Weblog

8月9日(月)台風の余波時々雨、風強し【ナガサキ】

ナガサキの鎮魂のための昏鐘と『大悲呪』

台風の風に飛ばされそうになりながら、撞きました。

既に日本の敗戦は決まっていたのに、ヒロシマにアメリカは原爆を投下した。その上、なぜナガサキまで。

マンハッタン計画に投入された膨大な研究費が無駄にならないように、リトルボーイとは異なる長崎に投下したファットンの威力を、試してみたかったのではなかろうか。しかし、この二回目の原爆は、はじめ別の日本の都市(小倉)に投下される作戦だったという。

7万4千人もの命が失われた。

ヒロシマにつぎ、ナガサキに対して、悪魔のような行為を行ったアメリカに対して、恨みを持っている日本人は今や少ない。

それどころか、駐留も赦し、完全にアメリカの傘の下で、平和を満喫している日本と日本人である。

しかし、もしもアメリカ軍の駐留がなかったら、中国に侵略されていたかもしれない。

小さな地球の中で、地球人類は、平和に生ききれない歴史が有史以来続いているといえよう。

私が、ギリシャで受けた啓示「地球人類の滅亡」、それは必然なのか。

人間という生物で生かされていることは面白いと思う。何でもない平凡な日々の楽しみ。この地上に天国を現出しようというのが、グレート・サムシングの楽しみではなかったのか。みんな、目を醒ましたいですね。

ヒロシマ、ナガサキ、原爆がもたらした地獄。この地球に二度と核が使われることがないよう。


今日という日

2021-08-08 22:33:06 | Weblog

8月8日(日)朝のうち雨やがて上がる【今日という日】

昏鐘の後、あまりに空が美しく、その中に佇んでいました。

昨日も今日も家族に慕われていた故人の法事でした。昨日の法事は、18の時、新居浜から上京して、懸命に生き、最後の最後まで家族を大事にした人の法事でした。この人のご葬儀の時、孫の青年が泣き続けていたのが、印象的でした。今日の人は、19の年に五島列島から上京、夜学に通いながら、やはり戦後の日本で懸命に働き命を終えた人でした。あの世に帰った人も、この世にいる人たちも、お互いを偲びあう心を感じられる法事を勤めさせてもらえると、住職として冥利につきる気がします。

そして大正8年8月8日は、祖母の命日です。「文戒妙教大姉 堤ぶん」大正8年は、母が2歳の時になります。母親の顔は知らない、と母が言っていました。我が家の過去帳を、今朝めくったとき、あらためて、母は可哀そうであったと、胸がいっぱいになりました。

母親の顔を知らずに育つ、ということは、切なかったことであったろうと、今更ながら母の胸中を思いやったことでした。

今日の午後は、中村仁一さんの『大往生したけれりゃ 医療とかかわるな』という本を読みました。また日をあらためてこの本の紹介をいたします。今夜はこれで、おやすみなさいませ。

 


二人の遺伝子学者に学ぶ その2 創造主は?

2021-08-04 11:14:20 | Weblog

8月4日(水)晴れ【二人の遺伝子学者に学ぶ その2 創造主は?】

あまり眠くならないうちに、昨日の続を書きたいと思います。

ポール・ナース先生は『WHAT IS LIFE』の著書の中で、説明なさろうとした5つの考えは、1,細胞、2,遺伝子、3,自然淘汰による進化、4,化学としての生命、5,情報としての生命 です。

私がこのご著書の中の言葉を引用して説明することも可能ですが、今日もやらねばならないことがありますので、興味のある方は手にとってお読みくださいませ。

ポール・ナース先生は、キリスト教の牧師さんが、「創世記は文字通りの真実」として受け止めるべきである、という意見をポール少年に力説したが故に(?)、かえって無神論に傾き、科学が世界を論理的に理解する道に導かれ、「真実こそが科学の究極の目的」である、という結論にいたっている、という点に、私は注目いたしました。

『サムシング グレート』(サンマーク出版)をお書きになった、村上和雄先生は、高血圧の黒幕である酵素「レニン」の遺伝子解読に世界ではじめてなさり、またお米のゲノム解析も世界で初めてなさり、やはり多くの生命の遺伝子の研究などをなさっています。ポール先生も村上先生もお二人とも、生命について、細胞レベルから遺伝子レベルまでの研究に関わられている科学者ですが、お二人の大きな違いは、村上先生は生命を分析、分析していき、生命の不思議さに驚異を感じ、「サムシング・グレート」が存在する、という考えに至っています。

「人間を超える巨いなる存在がなければ、遺伝子情報そのものが存在するはずがない、と考えた方が、それこそ自然なのである。」
と書かれています。

同じ偉大なる遺伝子学者の先生ですが、真逆のお考えです。
あの世のことにつきましても、真逆のお考えがあるでしょう。日本の曹洞宗でも、かつて、お二人の仏教学の大学者先生が真逆のお考えを述べていらっしゃいましたが、あの世はある、というお考えの先生が早くにお亡くなりになってしまいましたので、あの世説は絵空事のように受け取られています。勿論それぞれの僧侶によって、いろいろなご意見はあるでしょうが。

かつて、聖徳太子も存在しなかったと、大学者の先生が主張なさっていましたので、そのような説を信じていた人もいたかもしれません。このことについては、項をあらためて書いてみたいと思います。

とにかく、この世のことは、なにが是か非か分からないことは多いですが、お互いの考えを尊重しあいながら、自己の考えもまた尊重して生きていけばよいのではないでしょうか。

私は、この世で生きた生命は、この世だけで終わりだとは思っていません。

暑い中、お読みくださいました訪問者の皆様、有難うございます。熱中症にもお気をつけを。中国製キクガシラコウモリからのウイルスにもお気をつけくださいませ。

*お二人の先生の本を読んで印象に残っていることは、この地球上のすべての生物は、A(アデニン)、T(チミン)、C(シトシン)、G(グアニン)の4種類の塩基を持っているということです。そうしてAはT、CはGとしか手を結べないということ。村上先生は「地球上のすべての生物は、一つの生命体を起源とすることらしい、ということがわかった。」と書かれています。

(同じ両親から生まれた二匹です。左は内猫タローちゃん、右は外猫チャチャちゃん、タローは甘えん坊です、チャチャは7年経つ今でもシャーと、威嚇してきます。でも私と同じくA、T、C、Gの塩基を持っている地球生物です。)


二人の遺伝子学者に学ぶ 可視界以外の世は?

2021-08-03 20:57:25 | Weblog

8月3日(火)晴れ【二人の遺伝子学者に学ぶ 可視界以外の世は?】

今朝は、秋の気配を感じる涼やかな風が吹いていて、しばらく風に吹かれていました。いつまでも吹かれていたかったですが、今日はご葬儀がありました。この頃は、コロナ禍のせいでお通夜はなさらずに、ご葬儀だけというケースが多いようですが、今日もそのようなケースでした。

このような場合は、通夜説法ができませんので、ご葬儀の前にお話をいたします。特にこの度見送る方は、自分が死んだということをわかっていないのではないだろうか、と家人が心配していますので、参列の方たちに向けてというより、あの世に帰りゆく人に向かっての説法をいたしました。

かつて、あの世に帰り切れない人たちとの交流をさせて頂いた経験から、私はこの世で終わりではない、どのような状態であるかは分からないけれども、死後の世界のあることを否定することはできません。お蔭様で、ご葬儀はあの世に帰りゆく人のためにこそある大事な儀式であると思っています。

このようなことを言いますと、あの世なんてとんでもない、とおっしゃる方がほとんどかもしれません。しかし、あの世はあるという方もいらっしゃるでしょう。実にいくつもの考えがあって当然と思います。

さて、先日、『生命とは何か WHAT IS LIFE』という本を読みました。「たった5つのステップで生命の本質がわかる」という帯の文句にも興味がありました。著者はポール・ナースという先生で、ノーベル生理学・医学賞を受賞なさっている方です。(ダイヤモンド社 竹内薫訳)

彼は人間のみならず多くの生命体を分析し、分析し、生命とは何かを追及しています。彼はキリスト教で説く創世の神話には懐疑的です。創世記には、「生命がほんの数日間で創造された」とあるそうですが、科学的な見地から、神話的な見方は一切否定されてしまうでしょう。

さて、もう少し書きたかったのですが、眠くてダメです。もう一人の遺伝子学者は、村上和雄先生です。

このお二人を比べますと同じ遺伝子学者といっても、非常に違う視点を持っていて、非常に面白いと思いましたので、死後の世界はあるか、無いかの話にもかかわりますので、参究してみたかったのですが、あまりの眠気で続けられません。そうでした、ご葬儀から帰って来てからオンライン眼蔵研究会に参加していたのです。もうだめです。疲れ切りました。おやすみなさい。