7月31日(月)曇り涼しい【捨てがたい物は何か】
先日来仕事の合間に片づけをしている。以前は寺の住職であったので、小さなお寺ではあってもかなりの荷物が溜まってしまっていた。またいつかお寺に入るときもあるかもしれないと思って、最近まで倉庫を借りて荷物を保管していた。しかし思い切って倉庫の荷物を片づけることにした。
仕事と片づけで疲れてしまっていて、ブログ管理人のお仕事のほうは少しさぼらせていただいていた。まだ片づけきってはいないが、95%終わりである。もう一息。それにしてもよくもこんなに荷物が溜まったものだと呆れてしまった。
出家したとき全ての持ち物を処分したはずである。それまでに溜めた本も一冊残らず処分したというのに、いつの間にかダンボールの山ができていた。一切の家具も処分したにも拘わらず、いつの間にか再び小さな風月庵には入りきれないほどに増えていた。驚いたのは写真の詰まったダンボールである。母は私に輪をかけた写真好きなので、二人の写真を合わせるとこれまたダンボールの山である。
倉庫に預けてあった荷物を極力処分した。本も家具も。数人の友人に使用可能な品物をもらって貰い、業者の人に手伝って貰って、ほとんど処分した。
最後の最後に残った捨てがたい物は何か。それは写真である。写真は単に物ではなく、思い出と共にあるからなのだろう。思い切って処分しようと思ってアルバムをめくり出すと写真を撮った日のことが蘇ってきて処分しがたい思いになる。ましてもうこの世にいない方が写っていたりするとなおさらである。自分が生きている間は手元に置いておきたいと思うが、いかにしても場所がない。
もう写真を撮るのは止めようね、と母と顔を見合わせながら頷きあう。この頃はデジタルカメラというのもあるが、その使用法を学ぶのも億劫な気がするし、写真の山に囲まれている今はもう写真に食傷気味になっている。写真を撮ることに気を取られて、肝腎のその場を味わいきっていないようにも思う。
旅立つ事が分かっている方の写真は、特に撮るものではないとよく分かった。一瞥することさえ辛いものだと分かった。日頃の元気なお姿だけ目にとどめておいたのでよいのだ。
とにかくヤドカリのように、生きている間は荷物を背負ってこの世をウロウロとするのだが、極力身は軽くしておきたい。特に私のように後に続く者がいないケースは、身軽であることを心掛けねばと、愛蔵品?を処分しながら、自戒している今日この頃である。
*沢木興道老師と丘宗潭老師のエピソード:お二人がある寺を出ようと話し合った翌日、沢木老師はさっさと出て行かれたが、丘老師は山ほどの蔵書があって容易には移動できなかった、という話し。
*麿我さんへ:ようやくCDを手に入れました。ステレオも壊れていたので、聴かせていただくまで時間がかかってしまいました。もう少しお待ち下さい。(やはりまた持ち物が増えました。こんな風に持ち物は、さりげなく増えていってしまうものです。)
先日来仕事の合間に片づけをしている。以前は寺の住職であったので、小さなお寺ではあってもかなりの荷物が溜まってしまっていた。またいつかお寺に入るときもあるかもしれないと思って、最近まで倉庫を借りて荷物を保管していた。しかし思い切って倉庫の荷物を片づけることにした。
仕事と片づけで疲れてしまっていて、ブログ管理人のお仕事のほうは少しさぼらせていただいていた。まだ片づけきってはいないが、95%終わりである。もう一息。それにしてもよくもこんなに荷物が溜まったものだと呆れてしまった。
出家したとき全ての持ち物を処分したはずである。それまでに溜めた本も一冊残らず処分したというのに、いつの間にかダンボールの山ができていた。一切の家具も処分したにも拘わらず、いつの間にか再び小さな風月庵には入りきれないほどに増えていた。驚いたのは写真の詰まったダンボールである。母は私に輪をかけた写真好きなので、二人の写真を合わせるとこれまたダンボールの山である。
倉庫に預けてあった荷物を極力処分した。本も家具も。数人の友人に使用可能な品物をもらって貰い、業者の人に手伝って貰って、ほとんど処分した。
最後の最後に残った捨てがたい物は何か。それは写真である。写真は単に物ではなく、思い出と共にあるからなのだろう。思い切って処分しようと思ってアルバムをめくり出すと写真を撮った日のことが蘇ってきて処分しがたい思いになる。ましてもうこの世にいない方が写っていたりするとなおさらである。自分が生きている間は手元に置いておきたいと思うが、いかにしても場所がない。
もう写真を撮るのは止めようね、と母と顔を見合わせながら頷きあう。この頃はデジタルカメラというのもあるが、その使用法を学ぶのも億劫な気がするし、写真の山に囲まれている今はもう写真に食傷気味になっている。写真を撮ることに気を取られて、肝腎のその場を味わいきっていないようにも思う。
旅立つ事が分かっている方の写真は、特に撮るものではないとよく分かった。一瞥することさえ辛いものだと分かった。日頃の元気なお姿だけ目にとどめておいたのでよいのだ。
とにかくヤドカリのように、生きている間は荷物を背負ってこの世をウロウロとするのだが、極力身は軽くしておきたい。特に私のように後に続く者がいないケースは、身軽であることを心掛けねばと、愛蔵品?を処分しながら、自戒している今日この頃である。
*沢木興道老師と丘宗潭老師のエピソード:お二人がある寺を出ようと話し合った翌日、沢木老師はさっさと出て行かれたが、丘老師は山ほどの蔵書があって容易には移動できなかった、という話し。
*麿我さんへ:ようやくCDを手に入れました。ステレオも壊れていたので、聴かせていただくまで時間がかかってしまいました。もう少しお待ち下さい。(やはりまた持ち物が増えました。こんな風に持ち物は、さりげなく増えていってしまうものです。)