風月庵だより

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南泉も牛にはなりたくない

2010-05-29 17:36:31 | Weblog
5月29日(土)曇りのち雨、少し寒い【南泉も牛にはなりたくない】(牛ならぬ猫ですが)

唐時代の禅僧、南泉普願(なんせんふがん、748~834)が世を去ろうとするとき、首座が質問した話。

「師将順世。第一座問曰。和尚百年後。向什麼處去。師云。山下作一頭水牯牛去。」(『景徳伝灯録』巻八)

師、将(まさ)に順世(じゅんせ)せんとす。第一座問う、和尚百年後、什麼處(いずこ)に去(ゆ)くや。師云く、山下(さんげ)に一頭の水牯牛(すいこぎゅう)となり去く。

唐時代は、牛は食用にされなかったのだろうか。もっとも水牯牛は、牛は牛でも水牛だから耕作につかわれるだけで食べられはしなかったろう。食べられてしまうのだったら、牛になって生まれてくる、とは比喩にもつかわなかったろう。またこの度のように大量殺処分などというむごい仕打ちを受けるのなら、勿論比喩にもつかわなかったろう。

(宮崎の牛の殺処分問題は農家の人の問題と、牛の側から見た牛自身の命の問題と両面があるでしょう)

またこの問答は、そのまま受けとめてはいけないので、南泉は「勿謂吾有去来也(吾に去来有りと謂うことなかれ)」と言っているので、首座の問いに対して、分かってないのか、という揶揄も水牯牛の返事には入っているだろう。

馬祖道一(ばそどういつ、709~788)のもとで修行し、南泉山にはいってから40年間、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん、778~897)や長沙景岑(ちょうしゃけいしん、生卒年不詳)等を育てて、生涯を終える。

太和八年(834)一二月二五日示寂。世寿八七。法臘五八。

*趙州との間にも、水牯牛の話がある。また別の機会に。

口蹄疫 牛殺処分に疑問

2010-05-25 17:08:24 | Weblog
5月26日(火)晴、風吹く【口蹄疫、牛殺処分に疑問】

宮崎県の牛の口蹄疫の問題で、牛を飼育している人は大変な思いでいることでしょう。一頭でも伝染病に罹っている家畜が出た場合は、家畜伝染病予防法によって、他の家畜も殺処分をしなくてはならないそうで、どんなにか切ないことでしょう。
 
しかし、人間に鳥インフルエンザだか流行ったとき、世紀末的な雰囲気さえ起きましたが、いつの間にか終息(収束)しました。その時、そのウイルスを持った人間は、殺処分されたでしょうか。勿論否です。

宮崎県が仕入れた餌に問題はないでしょうか。口蹄疫が流行っている地方に、何かしら共通のマイナス要因はないか、それを当然調べているでしょうが、牛をただ殺しても仕方がないのではないでしょうか。沖縄の基地問題について、ぐずぐずしている政府にしては、牛を殺すことには、随分と速い決断です。勿論、遅くなったら、被害が蔓延するだろう、その時責任をとれるか、と言い返すでしょうし、確かにそうかもしれません。

しかし、自分が牛の飼育農家だと仮定してみて、最も賢明な方法はなにか、考え直してもらいたいです。ただ消毒するだけではウイルスは死なないでしょうし、牛に免疫力があれば、そのウイルスが入ってきても罹らない牛もいるでしょうし、殺処分、殺処分とそれだけが予防策であるように叫ぶのは、短絡的過ぎはしないでしょうか。表面に表れた現象だけ見てはいないでしょうか。勿論初動の対応が間違ったことも大きいです。日本人は危機感が稀薄なように感じます。自分に影響することには、時として過剰かつ異常なほどの反応を示しますが。

餌に問題はないのでしょうか。牛さんが食べている草に問題はないのでしょうか。

口蹄疫は牛が死に至る病なのでしょうか。ただ人間が食するのにおいしくなくなるだけなのでしょうか。

門外漢が、素人の意見を思い切り、自分のブログで書いています。

口蹄疫に罹っていない牛の殺処分、反対!!!!

*5月27日に県知事が49頭の種牛の殺処分を受け入れたそうです。苦しい立場でしょう。渦中にいるとこれほど苦しいことはないでしょう。副大臣は法令違反を楯に取っていますが、立場によって違いますね。私は世の中の多くのことを、対岸の火事として見ていられるような立場にいますが、それを有り難いとは思えません。

福岡龍國寺 その4 『まだ、まにあうのなら』

2010-05-21 21:42:16 | Weblog
5月21日(金)晴【福岡龍國寺 その4『まだ、まにあうのなら』】

『まだ、まにあうのならー私の書いたいちばん長い手紙』(甘蔗珠恵子著、地湧社)は、チェルノブイリの原発事故(1986年4月26日未明、ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所(原発)の4号炉で起きた爆発事故。この爆発により一瞬のうちに原子炉が破壊され、火災が発生。火災は爆発から10日後の5月6日にようやく収まる)の後に、書かれました。

原発の事故により、まきちらされた放射能汚染の恐ろしさに、黙っていることはできなくなった二児の子を持つお母さんが書いた原発に対しての抗議の書です。

このまま、日本の原発を黙って受け入れていたら、いつなんどき放射能が日本中にまき散らされるか分からない恐怖を、私も改めて思いました。原発は安全だ、という安全神話はマスコミの誘導でしょうか。今でもテレビでエジプト学の先生が原発をいかにも安全なように宣伝しています。それもピラミッドの中のなにかと結びつけて話しています。まさに安全神話を植え付けようとしているかのようです。

一旦事故を起こせば、放射能がまき散らされるのは間違いありません。いつ地震が起こるか分からない日本列島に、いったい何基の原発があるのでしょうか。五十五基あるそうです。また原発から出される高放射性廃棄物の大問題があります。その上、この原発はかなりの金食い虫なのです。

なぜ、このような原発が日本のあちこちにあるのでしょうか。不思議としかいえないことです。八場ダムの工事を続行しても、原発は取りやめた方がよいのです。長い目で見れば、水力発電の方が、経費は安いでしょうし、事故のリスクと、必ず起こりうる事故後にかかる経費(当然、被害は想像を絶する規模となるでしょう)を考えれば、原子力以外の発電のほうが、人類にとってよいに決まっているのです。

それなのに何故??????

さらに「プルサーマル計画」(「プルトニウムをウランとの混合酸化物燃料にして、それ用には設計し、つくられていない、ふつうの原発で燃やすことをプルサーマル」文中より引用)というのがあって、こんなことはどこの国でもしていないのだそうです。日本が実験的にやろうとしているようです。

原発の廃棄物にしても厳重に蓋をして、地中に埋めるとか、海中に投棄するとか言っているそうですが、いつ蓋がはずれるかわかりません。地球自体が小さな天体だということを、原発学者は知っているのでしょうか。これ以上地球を汚染してどうしようというのでしょう。

この本は、出版以来五〇万部も出ているそうですから、多くの方が関心を持っていてくれることは有り難いことです。また2006年に増補新版が出ています。内容が増補されていますので、前に購入された方も是非再び手に取ってみてください。

この度、龍國寺様にお伺いして、この本の著者に会うことができました。このお寺の奥様がこの本の著者です。

なにをどうしたら原発を止めることができるのでしょうか。私には分かりません。皆さん、せめて原発は安全だという口車に乗らないようにだけでも致しましょう。

日本はかつて広島、長崎に原爆を落とされただけではなく、自分たちでも原発事故により、放射能をまき散らそうとしているのだということを、認識したほうがよいとあらためて思った次第です。

未来の子ども達に、この日本を、放射能で汚染されない日本の大地を、渡さなくてはならない責任が現代人にはあるのです。勿論現在の子どもたちに、チェルノブイリの子どもたちと同じような目に合わせてはならないでしょう。私も勿論その害を受けたくはありません。しかし、いつそのような目にあうか分からない状況でしょう。今の日本は。

問題山積の日本です。政治家の皆さんにしっかりしてもらいたいですし、私たち一人一人、しっかりしなくてはなりませんね。


『ガイアの園』(小田まゆみ著、現代思潮新社)福岡から帰って、たまたまこの本を読みました。この本の著者も、日本のプルトニウム輸送反対運動をなさり「プルトニウムのない未来」という団体を設立して活動なさったそうです。地球を包み込むような女神たちを描いている世界的な画家です。アメリカのサンフランシスコ禅センターで長く坐禅修行の日々を送ったこともあります。

「私は、自分がなぜ、アメリカやヨーロッパの友人たちとカリフォルニアで仏道を修行しているのか理解できました。日本にいる時の私にとって、仏教は、仏壇ではほこりを被っている経典のようなものでした。ここでは仏の教えが生き生きと新しい形をとって育っています。道元禅師の言葉が生きた言葉になって、私たちの心にひびきます」(『ガイアの園』121頁)

この本の随所に『正法眼蔵』が引用されています。

またこの本には、著者の作品が、多く収録されています。その女神や、自然農法で育った大根や蕪やキャベツなど野菜の絵もたくさん入っています。生きることを教えられる本でした。

たまたま感性の豊かな二人の女性の本から、学ばせて頂いたことの一端を書かせて頂きました。とても紹介しきれませんので、皆さん、是非ご一読くださいませ。

猫のひげ 異変

2010-05-16 11:18:40 | Weblog
5月16日(日)晴【ルナのひげ 異変】

久々にルナです。
実は先月の末あたりから、ルナの右の長いひげが、半分の長さになってしまいました。
初めのうち、半分あたりから折れたようになり、先の部分は太さも半分になり、ついに折れてしまい、その折れた部分は枝毛のように2本になってしまっています。

長かった5本が全部短くなりました。動物病院にお聞きしたら、毛繕いしすぎるからではないか、と言われました。連れて行くほどのことではないようですが、ルナの家族としては心配です。

左は全く問題ありません。

折れてしまったひげはまた伸びてくるのでしょうかしら。こんなことで心配していて笑われてしまいそうですが、身近な問題です。でもそれ以外は元気そのもののルナです。


福岡龍國寺 その3 邪馬台国論争

2010-05-14 09:24:43 | Weblog
5月14日(金)晴【福岡龍國寺 その3 邪馬台国論争】

ここ糸島には、偉大なる考古学者原田大六氏(1917年1月1日 - 1985年5月27日)がいらっしゃいます。原田氏には『邪馬台国論争』(三一書房)『万葉革命』(歴史新報社)『天皇の故郷』(歴史新報社)『実在した神話』(学生社)などの著述があります。)『万葉革命』)『天皇の故郷』などは先生亡き後、奥様のイトノさんの尽力で出版されています。

糸島には「平原(ひらばる)弥生古墳」があり、先生によって発掘されました。ある時、ミカン畑を掘り返したところ、多くの出土品が出てきたのですが、すぐにその情報が、原田氏には届かなかったのだそうです。一週間ほどたってから、そのことが耳に入り、すぐにその農家に駆けつけたところ、農家の土間の肥料袋の上に置かれたバラバラのかけらが目に入りました。それこそ、まだその当たりにあるはずだと、先生が予測していた弥生時代の出土品にちがいありません。先生は、それらを細心の注意をはらって復元しました。そのうちの一つが、直径46.5センチの世界最大の大鏡だったのです。これは先生亡き後、やはり奥様のイトノさんがまとめられた『平原古墳調査報告書』によって、その価値が改めて見直され、平成18年に、大鏡だけではなく一緒に発掘された出土品なども含め、全て国宝に指定されました。

邪馬台国は3世紀頃の古代国家ですが、糸島にはそれよりも古い、古代国家伊都国が存在したことを、原田氏は研究なさいました。先生によりますと邪馬台国九州説は、ことごとく論破されているようですが、上記の本はチラッとだけ見ましたので、詳しくはご紹介できません。

2年前、吉永小百合さんが主演された「まぼろしの邪馬台国」という映画がありました。それは長崎島原に邪馬台国があったと主張した宮崎康平氏とその奥様和子さんを描いた映画でした。原田氏によりますと、宮崎康平説も否定されているようですが、あえて上記の本の中では論破なさる対象には選んでないようです。興味のある方は『邪馬台国論争』をお読み下さい。もうすでに読了されている方も多いかもしれません。

古代の人びとが眠る地にはロマンがあります。また何千年前のことを知ることは、誰でもロマンを感じるのではないでしょうか。ただそれに一生をかけるとなると、並大抵のご苦労ではないでしょう。理解ある奥様あってこそ、原田氏もこのロマンに一生をかけられたのではないでしょうか。

宮崎康平氏も奥様の和子さんあってこそ、晩年目が見えなくなりましたが、邪馬台国を追いかけて一生を送ることができたのではないでしょうか。和子さんの言葉ですが「(夫婦は)価値観が同じであることが大切。それと、夫に従うとか、尽くすとか、そういうことではなくて、妻も対等の立場で一緒にものを考えた方がいい。」と言われています。

原田イトノさんの講演も、龍國寺の「おとなの寺子屋」で時々開催されるそうです。イトノさんは「100歳まで生きて、未だねむっている数多くの遺稿を刊行しつづけたい」とおっしゃっているそうです。

*『万葉革命』は原田氏が当時の万葉学者の説がことごとくマチガイであることを歯にもの着せぬ論調で序文が書かれていたので、当時は出版できなかったそうです。氏の古代を見つめる目から枕詞など、意味のない語ではなく、かえって深い意味ある語なのだということが、古代史研究の裏付けをもって解説されている書です。これも私は、全部読んだわけではありませんが、興味のある方は是非お読み下さい。

*記事に誤りがある場合は、是非コメントを宜しくお願い致します。



(古代より 変わらぬ空の ここにあり)

福岡龍國寺 その2 守られた田園

2010-05-13 09:05:32 | Weblog
5月13日(木)晴【福岡龍國寺 その2 守られた田園】(久しぶりの雲の写真。この頃、写させてもらいたい雲になかなか会えませんでした)

今日は、とてもよいお天気です。珍しく富士山が遙かに見えました。個人的なことですが、今日は5月13日、スエーデンに住んでいる弟の誕生日だと思いながら、日日を入力しました。同じ兄弟でも、それぞれの人生がありますね。

さて、龍國寺さまのお話の続きです。



お寺側から畑を撮りました。この空間には少ししか畑が見えませんが、お寺の一帯は美しい田園が広がっています。この田園地帯に、食品工場が誘致されるという問題が五年前に起きたのだそうです。農地、4ヘクタール(1万2千坪)が、買収され工場ができるという計画がすでに進んでいるということが知らされたのだそうです。

農地が工場になれば、計り知れない環境破壊が起きてくるでしょう。その危険を察知なさった龍國寺の方々は、工場誘致反対の運動をせざるを得ないこととなりました。すでにボーリングもはじまり、農地の買収の話も進んでいる状態だったそうです。その状態でも諦めずに、龍國寺の皆さんは立ち上がりました。

お寺の皆さんが先ずなさったのは「祈り」です。毎朝、問題の田んぼに、ご住職をはじめ奥さん、お子さんや友人の皆さんで、工場が誘致されないことを願いに巡礼をなさったそうです。それこそ、雨が降ろうが風が吹こうが、一日として休むことなくです。また人びとを説得なさる努力もし、町役場にも交渉し、地元の人びと一人一人とも語らい、地道な反対運動を展開したそうです。その結果、ついに工場建設を予定していた企業の方から、進出を断念するということになったそうです。

この運動については「二丈町水と田んぼと里山の会」http://www.geocities.jp/nijo_mizutotanbo/に詳しく書かれています。

こうして、環境破壊から地域を守っていく中心にお寺がなっている働きはすごいと思いました。一方、そうならざるを得ないのは、行政に携わる人たちが、経済のことを優先する頭であることに問題があるわけです。また最近では、お寺のある山の頂上に建設残土(建設残土と表現されるが、実際は産業廃棄物。また建設残土といっても、昔のように木造家屋ではないので、建設残土にどれほど多くの危険物や毒性のある物質が入っているかわからない)を埋め立てようという問題が起きたそうで、このような困難とも闘わなくてはならないそうです。行政に携わる人間が、しっかりしたビジョンを持っていてくれさえしたら、起きない問題ではないでしょうか。

経済も大事ですが、生活を守ることはもっと大事です。言うまでもないことですが。環境を守ることは大事なことです。(いつも基本に「水」が守られているか、が一つのバロメーターとなるでしょう。)当たり前のことですが。当たり前のことが分からないことが、人間社会ではしばしば起きています。

米軍の基地問題でも、きちんとした判断と、人びとの生活を考えられない人が、政治の中心にいるようです。

今では、嵐の吹いたことは知らないかのように、まもなく麦秋の麦の穂が、守られた田園に揺れていました。

福岡、龍國寺拝登 その1

2010-05-11 09:56:32 | Weblog
5月12日(火)曇り【福岡、龍國寺拝登 その1】


(先週7日と8日に、飛行機に乗って、福岡に行って参りました。福岡上空です。)


(龍國寺の開創は建仁3年〈1203〉です。開基は平重盛ー極楽寺殿小松内大臣平重盛浄蓮大居士ーです。実際の開基さんは原田種直なので創建功徳主となっています。鎌倉時代の源氏の世になってから、平氏一族の菩提を弔うために創建されたのは、なぜかと言いますと、種直の奥方が重盛の養女だったからです。

重盛の奥方、娘の千姫、福姫等一族は、原田氏を頼りに逃れてきて、山中に隠れ住みましたが、遂には源氏方の手にかかって殺害されてしまったのです。

源平の合戦では、当然ながら種直は平氏方につきましたので、平家が破れてから、種直は鎌倉に13年間幽閉されていました。しかし、弟の原田種成は源氏方でしたので、命乞いをしてもらい、許されて高祖に戻ってこられたようです。龍國寺を建立した年と同じ建仁3年に高祖山に館を構えました。創建当時は小松山極楽寺。御開山は徹慶智玄大和尚〈法相宗〉)


(中興開基足利義満ー鹿苑院殿天山道義大居士。至徳元年〈1384〉。再中興は原田親種〈実際はその親の隆種、戦乱で亡くなった息子親種の菩提のために、金龍寺8世本室智源大和尚を招いて再々興しました。〉このとき萬歳山龍國寺と改めました。

開基家の原田氏は、戦国時代には大内氏と手を組んでいましたが、大内氏滅亡後は大友氏の傘下に入ったり、大友氏が島津氏との戦いに敗れると小早川隆景の傘下に入ったり、加藤清正の与力になったりしていますので、龍國寺にもその影響はあったのではないでしょうか。私が研究しています器之為璠禅師は大内氏が開基のお寺や、また大内氏を滅亡させた陶氏が開基のお寺の住職をしていますので、このあたりの歴史にも興味があります。

龍國寺も火災(なぜか祝融といいます)にあったりしていますが、いくたの変遷を経て、現在にいたっています。明治37年から大正元年までは曹洞宗認可僧堂でした。

現在のご住職は31世甘蔗和成老師です。)


国際仏教婦人会(ILAB) 於孝道山

2010-05-02 16:29:35 | Weblog
5月2日(日)晴【国際仏教婦人会(ILAB) 於孝道山】


(山の上に建つ孝道教団の諸堂。清々とした空気が漂っている)



今日は暑いほどの陽気です。世の中は黄金週間のようです。

さて、先月の24日(土)に、横浜市神奈川区にある孝道教団(岡野正純統理)で、国際仏教婦人会(International Ladys Association of Buddhism)が開催されました。この度は第3回目です。この会の会長は孝道教団の副統理である岡野鄰子先生です。

この会は、世界各国の女性とともに、幅広く仏教を学ぼうという会です。。今回は早稲田大学、早稲田環境塾講師の丸山弘子先生による「神道と仏教」の講話がありました。仏教伝来から現在にいたるまで、仏教は神道とどのように関わり合ってきたかを講義していただきました。(実はこの先生は、私の中学時代の友人の親戚であると、後からわかりました。縁がありますね)

会員には、孝道教団の方々、天台宗、浄土宗、曹洞宗など各宗の尼僧さんもいるそうです。私はこの会のメンバーではありませんが、メンバーの方が出席できないので、その方のピンチシッターとして坐禅の指導をさせていただきました。会の進行は全て英語ですが、岡野会長はじめ皆さんは、大変英語を自由に話せる方々ばかりです。

参加者もインド、ネパール、アメリカ、ドイツ、フランス、日本等々、各国の女性たちです。日本に長くいても、仏教を英語で学べる場はほとんど無いでしょうから、このような会は貴重だと思いました。やはり英語を自由に話せる人が少ないですから、各国の人びとにとって、仏教について共に語り合えるチャンスは得難いことでしょう。

今は、かなり多くの人が、英語を話せるような教育になっているのではないかと思いますが、香港や韓国の人々が日常的に英語を話すほどではないでしょう。言葉の壁からクリアしていきたいですが、なによりも大事なことは、仏教を語れるか、ということでしょう。どのように仏教についての信仰があるか、といってもよいでしょうか。

孝道教団のような教団は、信者さんは一人一人信仰を持っている仏教信者といえますが、日本のお寺の檀家さんで、信仰を持っているという人は意外と少ないのではないでしょうか。なんとなく先祖からのつながりで、仏教徒です、ということになっている人もいるでしょう。強い信仰心をお持ちの方もいらっしゃるでしょうから、けっして断言はしませんが、日本以外のアジアの国を訊ねますと、仏教を信仰している、と明言する人が多いようです。

孝道教団の写真を見ますと、信者さんは儀式の時にお袈裟をかけています。曹洞宗でも在家の方もお袈裟をかけますが、それほど広まってはいないでしょう。自らを仏教信者として確認し、さらに信仰を深めるためにもお袈裟をいただくことは意味があると思います。

先日、台湾の友人から送られたDVDを見ていましたら、やはり在家の信者さんも法要で、お揃いのお袈裟をかけていました。日本では、各寺の輪袈裟はよく見かけますが、在家の方がお袈裟をかけている場面は、殆どみません。ただ、よく坐禅をなさる在家の方々はお袈裟をかけている姿が見られます。私は日本のお寺の檀家さんも、かねてから思っていましたが、もっとお袈裟を頂くようになってもよいのではないかと思うのです。

仏教を僧侶の専売特許のようにしないで、全ての人に仏教を、全ての人に信仰を。
それを手渡すのが僧侶のお役目ではないかと思うのです。隠遁の修行をなさっている僧侶の方は別としまして。

国際仏教婦人会の話から、少し話題がそれましたが、孝道山をお尋ねして、いろいろと考えさせられ、自分も勉強になったことなど書きました。