風月庵だより

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『中国禅僧祖史伝』

2011-06-30 09:18:50 | Weblog

7月1日(金)晴【『中国禅僧祖史伝』】

 この度、『中国禅僧祖史伝』という本を、曹洞宗宗務庁出版部より出版して頂きました。20数人の中国の禅僧の出生から示寂までを、幾つかの史伝を参考にしてまとめました。

私としては、禅の教えとはどういうものであるのか、なんとか理解したい(この理解という言葉にも、禅をご自分のものになさっている方々からは、批判されるかもしれない)と願って、この本をまとめさせて頂きました。ですから、禅を学ぶ未熟な初心者が、なんとか、ここまで書きました、という段階ではありますが、ご一読頂けますと有り難いです。

内容につきましては、「あれこれ随想記」でぜんさんが解説をお書きくださっていますので、恐縮ですが、そちらにご訪問くださいませ。

http://blog.goo.ne.jp/zen-en/e/4422967e7d96865febc199c301f447b5

目次だけ紹介させて頂きます。

目次

第一話 祖師の西来        菩提達磨、太祖慧可

第二話 薪売りの禅僧       六祖慧能

第三話 受け継がれた南宗禅    青原行思、石頭希遷

第四話 不染汚の修行       南岳懐譲、馬祖道一

第五話 非思量、牛小屋の坐禅   薬山惟儼

第六話 是れ什麼        百丈懐海

第七話 真金鋪の弟子たち     雲巌曇晟、道吾円智、華亭徳誠

第八話 随流去          大梅法常

第九話 異類の中を行く      南泉普願

第十話 百二十歳の禅僧      趙州従諗

第十一話 大潙山の神通      潙山霊祐、仰山慧寂、香厳智閑、劉鉄磨

第十二話 川を渡るとき悟る    洞山良价

第十三話 随処に主と作れ     臨済義玄

第十四話 受け継いだ仏向上    雲居道膺

第十五話 鼇山鎮にひたすら坐禅  雪峰義存

第十六話 一日粥一杯の修行    芙蓉道楷

第十七話 宏智頌古百則    宏智正覚

第十八話 名利を棄てて仏祖の行持   天童如浄

 

★この本のご購入をお望みの方は、一般書店にはありませんので、下記にお申し込みください。(一冊 六百円です)

曹洞宗ブックセンター:0120-498-971(送料が400円かかるそうですが、恐縮ながら千円の本代と思ってお許しください。)

直接、曹洞宗宗務庁出版部頒布課(港区芝公園2-5-2)03-3454-5418においで頂ければ、送料がかかりません。

★恐縮ですが、8月中旬までブログを休ませて頂きます。仕事がつまってきまして、いよいよ時間がなくなりました。子どもの頃、夏休みが終わるのに、宿題ができていないので、焦っていた日々を思い出している私です。 

 
★なんといっても心配なのは、福島原発のことです。各電力会社の株主総会で、原発存続になってしまっているようですが、株主一人一人、福島の経験をなさったらどうなのでしょう。避難をしなくてはならない身になったらどうなのでしょう。放射能汚染を受けなくてはならない身になったらどうなのでしょう。家畜を見捨てなくてはならない身になったらどうなのでしょう。家族の猫や犬を見捨てなくてはならない身になったらどうなのでしょう。自殺に追いやられる身になったらどうなのでしょう。

広瀬さんも、未来の子どもたちのために、原発を廃止するまで死ねないと言っていました。

★この暑さ、被災地の皆さんは、どうしているでしょう。被災地の皆さん、どうか、お体お気をつけてください。なにもできないで申し訳ありません。

★皆さん、どうぞ熱中症や食中毒などに、どうぞお気をつけて、この夏を乗り越えてください。 乗り越えましょう。    


新宿での再会

2011-06-26 13:03:10 | Weblog

6月26日(日)曇り【新宿での再会】

昨日は、大学時代の映画研究会というサークルで、一緒に遊んだ友人たちと会いました。遊んだと言うより学んだと言いたいところですが、やはり遊んだというほうが正しいでしょう。

新宿の夜の繁華街を歩きました。居酒屋の立ち並ぶ中を歩いたのは、久しぶりでした。赤々と灯りのついた店先に、テーブルが出ていて、賑やかに談笑し、グラスを傾けた人々がたむろしていました。

かつて何十年前かは、そんな中に私の顔もありました。昨日歩いた場所は、新宿の末広亭近くの界隈です。このあたりでは遊んだことがありませんし、なじみのないお店ばかりです。私が若い頃遊んだ懐かしい界隈は、歌舞伎町にあった新宿区役所近くでした。そこに小茶というお店があって、お金のない学生にも、十分に食べさせ飲ませてくれるおばちゃんがいました。映画の監督さんや俳優さんたちも時々見かけました。歌舞伎町一番街と言われたその横町には、戦中戦後を生き抜いたママたちがどっかりと座って、お客さんと向かい合っていた店が並んでいたのです。いつの間にか、区画整理のために移転させられてしまい、暖かい雰囲気の横町は消えてしまいました。どこもかしこもきれいになったり味気ないコンクリの建物が建ち並ぶ通りになってしまったのです。その一角を知らない人々には、末広亭近くのこの通りが、今に私にとっての小茶通りのような思い出の場所になることでしょう。

今回の集まりに声をかけてくれた人とは、その友人のお父さんがお亡くなりになった時、私がご葬儀をつとめさせて頂いた縁があります。彼とは40年の空白はありませんが、他の顔ぶれはほとんどが40年ぶりです。

40年たっても、皆、大学時代の頃とそれほど変わっているような感じがありませんでした。ただそれなりに安定してきている感じがあります。40年それぞれいろいろな出会いや事件に遭遇し、それを乗り越えてきて、自分に安定してきているのではないでしょうか。現役で働いている人は、やはりちょっとまだ大変なようです。

私にしても、やはり激動の日々を通過して、私なりの安定期に入っているように思います。この安定期に入ったところで、私はまた新たな道にスタートし始めていますが、多くの人のバックアップに支えられて、なんとか新たな船出もできそうです。

しかし、繁華街に集まる若者も、熟年も、そこに集まる人、一人一人にそれぞれの遭遇している人生がつまっていますね。尼僧の私には、不釣り合いの場でしたが、久しぶりに青春時代の五里霧中(夢中ともいえます)の人生で出会った友人たちに会って、楽しい一時を過ごしました。また40年後に会いたいですね。それは……あの世でしょうが。

なんとなく面白い夕方の雲


6月24日

2011-06-24 21:13:15 | Weblog

6月24日(金)晴、猛暑【6月24日】(今朝の朝焼け、暑くなる感じですね)

今日は暑かったですね。窓も玄関も全て開け放って過ごしました。風が吹き渡っていきます。でも、暑かったです。ようやく今、涼しくなってきました。しかし、まだクーラーはなくても対応できています。

さて、個人的なことで恐縮ですが、今日は私の記念日でした。得度の師、浅田大泉老師に剃髪していただいて、ようやく念願が叶った日でした。その日の得度の師の写真を飾ってありますので、毎朝得度の日を思い出し、手を合わせています。

まだ年数は29年目ですので、お坊さんの世界では、ひよこからやっと少し成長したかという段階でしょうか。

思い返せば、出家して後にも、本当にいろいろなことがありました。とにかく、出家が叶ったことは、私にとって、本当に有り難い今生の仏縁でした。八月には總持寺の夏季参禅講座でお話をさせて頂くという縁を頂きました。本師が副貫首に上がられた大本山總持寺ですから、そこでお話をさせて頂くということは、お断りできない縁だと思いました。増長することも、必要以上に卑下することもないでしょうから、お役を果たしたいと思っています。

★昨日が「沖縄慰霊の日」であることを忘れてはいません。

さて、皆さん、暑いですから、くれぐれも熱中症にご注意ください。震災の切ない被害物の撤去のボランティアをなさっている皆さんも、くれぐれもお気をつけくださいますよう。

お坊さんは、震災のボランティアをしないと思いこんでいる人がいると、友人から聞きましたが、日本全国の僧侶の方々が現地に行きまして、ボランティアをしています。マスコミに取りあげられないからといって、何もしていないと思うことは、間違いです。芸能人の派手な炊き出しなどが、マスコミでは取りあげられますが、地味な多くの活動があります。

私は恐縮ながら、なかなか行けませんので、何かしらできることをしています。こんな時は日本中で応援しなくてはと思います。

 

 

 


熱中症ご注意

2011-06-22 10:59:20 | Weblog

6月22日(水)晴【熱中症ご注意】    (昨日の青空と雲)

朝から暑いですね。今朝は掃除洗濯だけで時間があっと言う間にたってしまいました。やはり研究所に勤めていた時には、すぐ本を開けましたが、この頃は、本を開くことのできる時間が全く少ないです。

今日は、皆さん、熱中症に気をつけましょう。急に暑くなりましたから、油断は大敵です。


百日忌

2011-06-19 18:53:33 | Weblog

6月19日(日)曇り【百日忌】

昨日で、百日がたちました。泣くことをやめられた人はいたでしょうか、はたして。

ただただご冥福を祈るばかりです。

被災地の復興も、まだまだ先が見えない状態のようです。原発事故さえなかったら、もっと早く復興を進められたのではないでしょうか。

その原発事故もなかなか収束しません。メルトダウンしたウラン燃料などが、鋼鉄の底を溶かして、やがては地下水にまで到達する恐れが出てきているそうです。これからどうなることでしょう。

またアメリカでは、ネブラスカ州にあるフォートカルフーン原発の付近を流れるミズーリ川が、大雨などにより氾濫し、原発の付近一帯が水につかっている状態になっているそうです。こちらは大丈夫であると、電力会社は言っているようですが、果たしてどうなることでしょうか。

世界中が、原子力発電によって、放射能汚染に脅かされています。フクシマの原発事故による放射能汚染も世界中をめぐっていることでしょう。東京は離れているから大丈夫などと言っていられる状態では、本当はないのでしょう。でもどこにも逃げようがありませんし、見えない敵を相手にする戦いです。透明人間と戦うような戦いです。

未来の子どもたちのために、なんとしても原発をやめさせなくてはなりません。ヒステリーと石原氏は表現していましたが、ヒステリーと呼ばれようが、なんと言われようが、これほどの危険を黙っていてはならないでしょう。

世界から遅れる、中国に抜かれる、などと言っていますが、全ては命あっての物種ではないでしょうか。

今に、原発事故による放射能汚染によって、全ての人は死んでいないのに、、制御不能になった世界中の原発が次々に爆発して、放射能が地球上に蔓延する時がくるかもしれません。

そんな時が来ないように、徐々に、騙し騙し、なだめなだめ、原発を上手に止めるようにし、地震が起きても寝た子が起きないように最大限の配慮をし(原発は停止さえすればそれでよいというのではなく、停止したあとも危険ですから)、自然エネルギーによる発電に移行していくことができるように、努力していくことが、残された者の使命ではないでしょうか。

お金に目を眩まされて生きることは、どうぞ、経済界の人々も、政治家も、電力会社の人々も、御用学者の方々もやめて頂きたい。この事故の起きる前でしたら、事の重大さを分からなかったと言うこともできましょうが、この事故を経験した日本は、電力発電に別の道を模索する時がきているのだと、素直に現実を見つめてほしいものです。

故郷に帰れない生きている人々も、お亡くなりになった方々も、百日忌(卒哭忌)を、まだまだ心静かには迎えられていないことでしょう。

 

http://www.youtube.com/watch?v=fjklBl0A9Kc

(京都大学の小出先生が「原子炉の現状」についてお話しています。)

チェルノブイリ事故のとき、飼い猫を抱きかかえて避難する女性の写真があった。私も、そんなとき、なんとかルナを抱きかかえて避難したい。ペットを置いて避難しなければならなかった方々の事を思うと、胸が痛む。


『知的余生の方法』を読んで

2011-06-16 07:58:47 | Weblog

6月16日(木)曇り【『知的余生の方法』を読んで】

昨日は、母を連れて病院に行くことになりました。突然、一ヶ月前にその病院の先生からお借りしていた本があったことを思い出しました。お返ししなくては大変、とばかりに、その本を必死のスピードで読みました。

渡部昇一著『知的余生の方法』という本です。母の行きつけの病院の先生は、とても親切で、時々仏教の話や、宗教の話をします。先生がお貸しくださらなくては縁はなかった本かもしれませんが、読みましたら、これがとても興味あることがあちこちに書かれていて、読むべき本であったと思うところが、何カ所もありました。

たまたま先日、多摩大学にお邪魔しましたが、そこの前学長中谷巌氏についても記載がありましたので、こういうつながりは面白いと思いました。多摩大学にお伺いしていなければ、読み流してしまう箇所ですが、中谷巌氏について、ちょっと調べてみました。

2001年から2008年まで多摩大学の学長を務めたそうです。

渡部氏は英語学の専門家ですから、中谷氏が、日本の英語の受験参考書が優れている話を載せていました。ただそのような会話を、思い出して書いた箇所でしたが、多摩大学の記載に面白いと思ったので、当ブログにちょっと書いてみました。

こんな風に、人生において何に関心を持つかということについてですが、自分が触れたことについては、やはり興味が湧いたりするものですね。

「浜までは海女も蓑着る時雨かな」という句は、時折、先師のご提唱の中にも出てきましたが、滝瓢水というかたの俳句だそうです。それもこの本の中に書いてありました。なぜ、この本に出てきたかといいますと、英文学の外山滋比古氏がお好きな俳句なのだそうです。先師もお好きだったのです。どうせ死ぬのだから、どうでもよいのではなく、死ぬ命であってもそれまでは大事にしていきたいものです。命を粗末にしないように、と受け取ることのできる俳句ですね。

他にも示唆されることが、多々ありました。詳しく書きたいですが、これからあらためて勉強してみたいことなので、又の機会に致しましょう。

因みに、渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年10月15日 - )は、英語学者評論家。専攻は英語文法史。上智大学名誉教授、ミュンスター大学博士、ミュンスター大学名誉博士。(Wikipediaより)

一冊の本との出会いには、面白い縁がありますね。この頃小説さえ読まなくなっている私にとって、英語学者の本は、自分からは先ず手にとらなかったことでしょう。本との出会いさえ面白いのですから、唯一一人の人々との出会いは、更に深い味わいがあると言えましょう。 

(この人生で出会うことのできたルナ)


気仙沼へボランティアのお願い

2011-06-13 10:23:59 | Weblog

6月13日(月)曇り【気仙沼へボランティアのお願い】

★この募集は終了することができたそうです。階上(はしかみ)中学に避難なさっていた方の人数が少なくなったそうです。少しずつ安定に向かっていってくれているということでしょうか。(7月7にち現在)

生活被災地にボランティアに行った友人から、次のようなお願いが届きました。何卒宜しくお願い致します。

ボランティア募集

 宮城県気仙沼の被災地では、震災後3ヶ月経って、やっと仮設住宅

への移動も始まりました。しかし、まだ多くの方々が避難所での暮らし

を続けています。気仙沼市長磯中原にある階上(はしかみ)中学では、

震災直後 1000人を超えて避難された方々も、今は 300人程度になりま

した。 これまで朝食・夕食の炊き出しは自衛隊と避難所の方々が協力

して行ってきましたが、 6月中旬より自衛隊が撤収となり、炊き出し調

理補助のボランティアを早急に必要としています。寝る所=避難所と食

べるものは、現地で提供出来ますので、一週間程度のボランティアを

次々とリレーして、避難所の皆さんが仮設住宅に移れるまでを支援した

いと思います。参加できる、参加したいという方は、

階上中学校対策本部担当:日野まで連絡ください。委細をお知らせします。

連絡先 080-16611409(階上中学校対策本部 担当 日野


レモンさんの言葉に思わず涙

2011-06-12 17:59:42 | Weblog

6月12日(日)曇り 【レモンさんの言葉に思わず涙】(姉妹の猫のルナとキヨです)

ラジオ放送で「全国子ども電話相談室・リアル」「we'reシンセキ」という番組があるのをご存じでしょうか。子どもさんたちが、レモンさん(山本シュウ)に周りの人には言えないことや、悩みを相談する番組です。

今日は、二人の姉妹からでした。

両親が離婚して、二人はお父さんの方に引き取られました。お父さんには彼女がいるそうですが、二人だけで食事に行ったりしてしまい、二人のために食事も作ってくれないで、出かけてしまうそうなのです。でもこの彼女は二人のためになにか作ってから出かけようと言うのですが、お父さんがそうしないでいいと言うのだそうです。

いつもそんななので、二人はお母さんの方に引き取られたいと思っているのだそうで、どうしたらよいでしょうか、という相談でした。

レモンさんが、妹さんのほうに、そのような中でも「ちゃんと学校に行ってるの」と聞きましたら、ちゃんと行っている、という返事でした。そうしましたら「めっちゃ偉い、めっちゃかっこいい」と言ってレモンさんが、褒めました。

その言葉に私は、思わず涙が出そうになりました。子どもたちにこんな言葉をかけてあげられること「すごい」と感じました。なかなかそんなことを言ってくれる大人はいないでしょう。この妹さんは、レモンさんの言葉に勇気づけられて、どんな状況になっても頑張って学校に通ってくれるような気がします。

さらに、この番組のきちんとしていることは、こうして相談されたことをそのままにしないで、姉妹のお母さんと連絡したり、児童相談所と話し合ったりして、相談者にとってなんとか道が開けるように力を貸してくれていることです。

この番組を聞いていますと、かなり過酷な状況にある子どもたちが多いと思いますが、相談できる相手がいることは救いです。

お寺もそんな場になれるとよいと思っています。


多摩大学での坐禅

2011-06-09 15:13:15 | Weblog

6月9日(木)晴【多摩大学での坐禅】   (多摩大学のキャンパス)

昨日は、藤沢の湘南台にある多摩大学に行ってきました。ここには多摩大学のグローバルスタディーズ学部があります。東京都多摩市の方には経営情報学部があります。1989年に開設された大学です。グローバルスタディーズ学部は2007年に開設されました。現在の学長は寺島実郎氏です。

マンモス校とはちがい、学生数は多くありませんので、先生たちは個々の学生をよく把握している感じがあります。この度、坐禅指導のために、准教授の小松加代子先生の依頼で伺ったのですが、キャンパスを歩いていても、学生が親しく先生に挨拶をしてきたり、話しかけてきたりと印象的でした。

★受講生は30名ほどで、坐蒲はありませんが、それぞれ座布団かクッションを持参しての坐禅です。なかなかしっかりと座っています。

★お話、坐禅、経行を4回ほどやりまして、最後にまたお話をしました。実に2時間半の授業でしたが、学生さんたちはとても熱心に授業を受けてくれたことに、感心してしまいました。受講生の学生さんに質問したり、質問を受けたりしながらの坐禅指導をしました。

あの世を信じている学生さんが多かったです。私も、見えている範囲はごく狭い世界で、見えていないエネルギー界があると信じています。こう言いますと、禅僧なのにおかしいという人がいますが、私は宗教者として、そう思っています。

将来の夢について尋ねましたが、まだ具体的に何をしたいという夢は聞けませんでした。そうすぐに人前で言えないのかもしれません。一人だけバンドをやっていて、音楽活動をしたいという学生さんがいました。音楽で食べていけるようになるのは、かなり大変でしょうから、自分の生活設計もきちんとやって、音楽も続けていけるとよいですね。なんでも情熱を傾けられることがあることは幸せでしょう。苦しいかもしれませんが、幸せな苦しみではないでしょうか。

背筋を真っ直ぐ伸ばして生きて欲しい。

皆さん、しっかりと坐っています。面壁にするよりも今回はこのようにしましたが、こうして全員が隣を感じながら、静かに共に坐れたことが印象的だったようです。(皆さんから掲載許可を頂きました。撮影小松先生。)

皆さん、坐禅は初めてだったそうですが、坐禅についてそれぞれ抱いていた イメージとは少し違ったようです。坐禅をした後で、すっきりしたという感想が何人かありました。いつも動き回っているので、静寂の時間を持てたことを喜んでくれた人もいました。「静寂」を体験できることは、きっとこれからの人生にも、役に立つかもしれません。世の中のめまぐるしい変化に振り回されずに、それぞれが、それぞれの人生を丁寧に「Going my way.」ですね。

一生はアッと言う間に過ぎ去る、とこの歳になると痛感しています。二十代の若い日々を思い出せば、先が分からずに苦悩する日々でした。その時代を通過して、今があります。

最近高校時代の卓球部だった友人たちと会ったり、来週は大学時代の映画研究会の友人たちと会う予定です。同じ時間と同じ空間を味わった友だちこそが、人生の宝だと思えるようになったのも、歳をとってからです。若い人たちは、今の友人たちとの時間を大事に過ごして欲しいと思います。こうして、一時ですが、一緒に坐禅をしたことも、いつか思い出の一頁になることでしょう。

このような授業を計画してくださった小松先生と、大学に、あらためてお礼を言いたい気持ちです。

 

★上の写真は体育館です。この中で畳を敷いて坐禅することができました。体育館の前にはご覧のように緑の芝生がきれいでした。緑に囲まれた、静かな、勉学に適したキャンパスで、若者たちはどんな青春を送っているのでしょう。楽しんだり苦しんだりしながら成長してほしいと願いました。素直な若者たちに接して、私にとっては楽しいひとときでした。

学生さんたちにとっては、はたしてどうだったでしょうか。

現代は多くのカルト教団がありますが、純粋な若者たちが、地獄に堕ちるなどと脅かされる教団に勧誘されないためには、宗教を避けるのではなく、かえってしっかりとした知識を若者たちが持つことが大事だと思います。小松先生の授業では、そのような具体的な指導もされているそうで、学生にとっては有り難いことだと思いました。

一昔前までは、いや二昔前の話になるでしょうか、保護者たちは、学生運動に子どもたちが入らないように願っていましたが、現在はカルト教団に子どもたちが入ってしまわないかという心配があります。純粋な人ほど、勧誘される危険があります。地獄に堕ちることを脅しにするような教団に入ることは危険です。でも勿論人に迷惑をかけるような悪いことは、しないことがよいのは当然のことです。仏教でもキリスト教でも「懺悔」(仏教的にはさんげ、キリスト教的にはざんげと発音します)が大事です。分かりやすく言えば「反省、反省」です。常に反省しつつ、毎日、元気に生きましょう。

カルト教団を恐れるあまり、全ての宗教を怖がられるようになってしまっては残念ですから、我が宗門でいえば、坐禅のススメをしていきたいですね。(学生運動も、全てが駄目というわけではなく、真剣に日本のことを憂い、考えていた多くの若者が行動していました。今、あの純粋な情熱はどこに行ってしまったのでしょう。勿論内ゲバなどの暴力は否定しますが。)

(どなたも、禅寺にお参りして、お願いしたら、坐禅のできるお寺もありますし、坐禅会を定期的にしているお寺も、気がつけばあちこちにありますから、遠慮無く門を叩いてみてください。)

(実は多摩大学に行く途中で、「松乃家」というおいしいおそば屋さんに寄りました。そこのご亭主が、坐禅しているお寺を知りたいというので、藤沢にある友人のお寺を紹介しました。坐禅をしてみたいけれど、どこでできるのかわからないという方々もいるようです。是非、インターネットで「曹洞禅ネット」というサイトがありますので、お調べください。もしくは、ここにコメントして下されば私が調べてもよいです。)

 

 

 


山口萩の旅

2011-06-07 21:48:02 | Weblog

6月7日(火)晴【山口萩の旅】(上の写真は萩城跡)

先週、5月29日、30日、31日と萩に行ってきました。丁度台風が来ていた時で、台風に向かっていく方向でしたが、山口宇部空港には予定通りに着きました。瀬戸内海側の空港から、日本海側の萩までバスと車で向かいました。日本海側にも空港があるとよいですね。

萩には、寺族講習会の講師として招いていただいたので行って参りました。昨年に引き続きのご縁です。これは数年前に『禅語録傍訳全書ー器之為璠禅師語録外集』を共著で出版しましたが、器之為璠禅師は山口で活躍なさった室町時代の禅僧で、その研究から今につながったご縁です。

今回は2講座を受け持ちましたので、ブログを書く余裕がないほど一生懸命勉強していました。これが終わりましたので、本当にホッとしています。

帰りに3時間ほど時間がありましたので、寺族会の役員さんが萩を案内してくださいました。

(木戸孝允生家、萩らしい建物が保存されています)

(旧湯川家屋敷、藍場川という川沿いに民家があります。この藍場川は、家の中に川の水を引き入れて、家庭用水として使われていたので観光名所として残っています。この川沿いの家には、萩藩の武家屋敷が並んでいたようです。幕末から明治にかけた活躍した桂太郎の旧宅もあり、銅像も立っています。)

 

(ここが上の屋敷の水場ーハトバというようです)

*萩はとても落ち着いた街でしたが、少し寂しい感じがしました。観光の街でしょうから、おそらく休日は賑やかかもしれません。しかし、人口の三分の一は、65才以上だそうです。萩だけではなく、高齢化と人口減少は、日本全体の問題です。ホテルにいる間はともかく、街を歩いている時も、萩で、子どもと一人も出会いませんでした。