風月庵だより

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壮大なる無駄ごと

2021-07-31 14:09:51 | Weblog

7月31日(土)晴れ【壮大なる無駄ごと】

本師が口癖のように「全て壮大なる無駄ごとじゃ」とおっしゃっていましたが、どのような場面であったか、思い出そうとしても思い出せないので、本師の御著書を久々に開いてみました。この言葉が語られている箇所は見つかりませんでしたが、どのページにも本師の珠玉の言葉が綴られていました。この言葉は、人間がああだこうだと言ったり、行ったりしているすべてのことについておっしゃった言葉であったかと思います。

なんでこのような言葉を思い出したかと言いますと、先日来、パソコンに関しての無知によるヤフーIDの喪失をなんとか復活させられないかともがいて、無駄な抵抗をしたことです。

恐れ多くも、本師がおっしゃったような宗教的な深い意味とは全くかけ離れていることなのですが、愚かな無駄ごとをしたものだとつくづく思っているのです。今朝、再び電気屋さんのテクニカルサポートを受けに行きました。失ったヤフーIDを取り戻すことは諦めました。メル友の皆様のアドレスは、新しいメールアドレスを一人一人に連絡して再び登録させてもらいましょう。(海外の友人のだけはちょっと面倒です。)

パソコン用語が分からない、というよりも、覚えようとしない、自分の怠慢から、面倒なことになりました。無駄なことに、貴重な時間を使い、貴重なお金も使いました。

全く壮大ではない無駄ごとを、この数日間やっていたのですが、本日は、取り戻せないことを全く諦めまして、新しい方針を立てて、やり直しをしたわけですが、なぜか、お師匠様の「全て壮大なる無駄ごとじゃ」というお言葉を思い出したという次第です。

もうちょっと、宗教的にも深いところで、お師匠様の言葉を思い出せればよいのですが、失礼致しました。

でも一つの懸念を払うことができましたので、次のステップに移ります。(懸念を辞書で引きますと、仏語としては、一つのことに心を集中させること、とあり、気にかかることと、というような意味とは違うようですね。)

今日の夕焼けは、なぜかちょっぴり 切ないものがありました。壮大な無駄ごとの中の一幕です。

生きている事

死んでいく事

不思議な事

不思議な中の

今日の一日

 

 

 


殿鐘の帰還

2021-07-28 18:36:51 | Weblog

7月28日(水)晴れ【殿鐘の帰還】

塗り替え修理に出していた殿鐘が帰ってきました。お寺にとって、御仏像などは別格としまして、仏具の中でも大事な仏具です。殿鐘を鳴らして、施食会にしても、大勢の僧侶が参集隋喜なさる法要の合図に欠かせない仏具です。天蓋や幢幡はなくても、殿鐘はあってほしい仏具です。

塗り替えにだしたこの際ですから、多少工賃は高くなりますが、青銅色に仕上げてもらいました。たとえお金はかかっても、やるときにやらないと結局チャンスを失ったり、後で高いものにつくときもあるのではないでしょうか。それほど大袈裟なことではないかもしれませんが、当寺のように檀家さんの少ないお寺にとりましては、一つ一つのことを慎重に考えて行いたいと常に考えています。

来年こそは、この新型コロナウイルスの感染が落ち着いた状況になって、多くの僧侶の皆様にご随喜いただき、この殿鐘で打ち出したいと願っています。

昨日は、天蓋を吊るすのもとても大変でした。高い脚立二本の間にブリッジをかけまして、その上に三人がかりで載せまして、そのブリッジの上に二人が乗り、かなり重いであろう天蓋をフックにかけるまでの作業は、見ていてもハラハラするほどでしたが、さすがにプロの方々のお仕事は見事でした。幢幡も無事に釣ることができました。金剛組さんが屋根裏にしっかりした留め金と木組みをしてくれていますので、さらに安心です。

御本尊さまや、他の全ての仏具が本堂に戻りました。今日さらにきれいに本堂の掃除をしましたので、これで、また仏事を行わせていただく事ができるようになりました。本当に全て有難いことでした。多くの人の合力によって、当寺の日常が戻ってきました。歴代の住職さまたちにも改めて感謝のお礼を述べさせていただきました。

非常に重いので、4人がかりで吊るしてくださいました。

天蓋などもご披露したいところですが、遠慮しまして、殿鐘を代表とさせていただきます。

 


幼き日の母

2021-07-27 20:32:26 | Weblog

7月27日(火)曇り後晴れ【幼き日の母】

今日は27日、母の月命日です。母が好きだった海苔巻きを拵えました。かんぴょうとシイタケを甘辛く煮て、他に入れる具がありませんでしたので、キュウリの細切りを入れて太巻きにしました。近所の檀家のおじいちゃんや、ご近所の人にご供養として配りました。

いつも書く事ですが、母は実に教育熱心でした。私の亡き兄を筆頭に、次の兄も、私も、田舎から、大学まで進学するのが珍しい時代に、大学まで出してもらいました。

母の幼い日の話を、私は忘れることはできません。思い出しただけで、すでに涙を禁じえません。

母は街の大きな足袋屋の娘で、番頭さんやお手伝いさんが多い生家だったそうですが、お母さんが赤痢にかかって亡くなってしまい、気落ちしてしまったお父さんは、商売に精を出さず、結局お店は潰れてしまいました。そうして小学3年生くらいで奉公に出されてしまったのだそうです。

奉公先の赤ん坊を背負って、今まで通っていた小学校に行き、窓の外から、自分がつい先日まで通っていた教室を覗いたところ、教室には母が書いた絵がまだ飾られていたのだそうです。

まだ幼い母が、子守りっことして、奉公先の赤ん坊を背負って、教室を覗いている姿を想像しただけで、私はその切なさに胸がいっぱいになります。

勉強が好きで優等生だったそうですから、どんなにか勉強がしたかったことでしょう。きっとその思いが、苦しい家計の中でも、私たちに教育を受けさせようとしてくださったのであろうと、思うのです。

いつも有難いことだったと、思い出されます。ただ私自身反省することは、もう少ししっかりと勉強すべきであったということです。母に申し訳ないと、今更思っても手遅れですが、もう少し、頑張ろうと、あらためて自らを激励している母の月命日です。

(90歳の時の母、フランスに連れて行ったときです。90歳でも本当に元気でした。見倣いたいものです。)

 


植木屋さん

2021-07-26 20:36:57 | Weblog

7月26日(月)晴れ【植木屋さん】

今日も暑かったですね。私もちょっと夏バテ気味です。久々に昨日はめまいがしましたので、早めに寝ました。今日はめまいはありません。ヤフーメールが取り戻せないショックもこたえているのかもしれません。澄まして生きているようで、簡単にバランスは崩れます。我が愚かさを恥じ入っています。しかしあまり無理はしないで、と思います。

今日は、やっと植木屋さんが入ってくれましたので、伸び放題になってしまっている植栽の手入れをしてもらいました。植木屋さんというよりは造園屋さんというほうがよいのでしょうか、お仕事の依頼が多くて大変なようです。植木屋さんが入ってくれたら、どうしても頼まなくてはならないことがあったのですが…………ぐるりと境内を回って思い出そうとしましたが………………そうです、思い出しました、これです。
電線に絡んでしまっているお隣の藤の蔓きりでした。どんどん伸びてしまい危険ですから、伐っておかないと電線に影響が及ぶかもしれません。脚立は組めそうもない場所ですが、ゴンドラからなら伐れるというのでよかったです。

明日は台風の影響がありそうですから、後日の作業になりました。2,3日入ってもらえば全て植木屋さんのお仕事も終わるでしょう。

お疲れ様です。

お地蔵様に不老帽をたしかお被せしたはずなのに、あちこち探しましたら、隣地に落されていました。カラスのいたずらでしょう。塀を乗り越えてとってきました。カラスにいたずらされないように、安全ピンでとめました。

いろいろとありまして、人の助けも受けて、一日が終わりました。お疲れ様でした。皆様も毎日暑いですが、くれぐれも熱中症などに、お気をつけくださいませ。


頭に血がのぼるー平常心何処へ

2021-07-24 21:35:29 | Weblog

7月24日(土)晴れ暑い【頭に血がのぼるー平常心何処へ】

ほんの3日前に「潔く生きる」と恰好良いことを書きましたのに、今日は一日平常心を失って、頭に血がのぼるとはこういうことか、という一日でした。全く愚かなことをしてしまいました。私はやっとパソコンと付き合っているのですが、パソコン用語があまりよくわかっていません。それで長いこと使っていたヤフーメールが開けなくなってしまいました。「はい」と押してはいけないところを「はい」に押してしまい、さらに確認コードも入れてしまい、気がついたら、今までのヤフーメールが開けなくなってしまいました。

全てのアドレスが分かりませんし、オンライン講義に入ることができなくなりました。自分の手にはおえなくなり、いつも行っている電気店の相談コーナーの人に助けを求めました。このベテランにも開くことができませんでした。一番悪いのは、ヤフーメールを取得した時のままに全てを放置していましたので、現在使用していないニフティのメールが消滅していることです。もはやニフティに支払いをしていません。

そのうえ、このメールを取得した時の住所が、現在地ではありません、変更していませんでしたので、取得した時の住所を忘れてしまいました。駒澤大学に通っていたころの住所です。しかし、これは調べればわかると思いますが、マイクロソフトから質問に対して、正確に答えられなかったようで、本人確認ができませんでした。

わたしが本人なのですが。

ということで、一日をそのことだけで送ってしまいました。これからどうしましょう。また明日チャレンジしましょうか。それとも私がいじるのは、さらにひどいことになりそうですからやめましょうか。なんとか今までのヤフーメールが開けましたら、探し物が出てきたときのような爽快な気分になれるのでしょうが、頭にのぼった血は、今は少し疲れて諦めムードです。

パソコンとのお付き合いを、言葉もわからずにお付き合いしていますので、辛いですね。

(肉眼ではすごく美しかったのですが、今日の私の頭の中のような昨日の夕焼けです。)

 


潔く生きるー本来無一物

2021-07-21 10:30:41 | Weblog

7月21日(水)晴れ暑い【潔く生きるー本来無一物】

今日も暑いです。言うまいと思えど今日の暑さかな、ですね。3年前までは、この日が当寺の施食会でしたが、あまりの暑さで具合の悪くなった人もいましたので、亜熱帯化する日本の気候を考えまして、当寺の施食会は5月に変更していますので、今日は静かな一日です。ただこの辺りは今日がお盆ですからお参りの方々に、きれいに天井板が張られた内部を昨日から公開しています。

 

棟のところは写していません。棟部分にお寺の名前が入っていますので、このブログは私の個人的なブログですから、寺名は遠慮しました。お寺は住職個人の財産ではありません。住職をしているお寺の諸々の運営を任されている責任者といったらよいでしょうか。まあ、お寺の僕です。お蔭様で、この度も本堂の雨漏りがひどくなりましたので、やむを得ず屋根の銅板葺き替えをさせていただきました。

今までも、浦和にある浄土宗のお寺に10年ほど住んでいましたが、老朽化がひどいので、屋根や、本堂や住職の居住部分を、きれいに改修させていただきました。とても気に入って住んでいましたが、本師がご病気になりましたので、身近にお仕えするために、このお寺を出ることになりました。その時大変だったのは、母を説き伏せることでした。お寺のご近所には、母にとってよいお友達がいましたので、どうしてこんなにきれいにしたところを出なくてはいけないの、お金も一杯出したのに、損じゃないの、とさんざん言われました。

それから、本師がご住職をつとめていたお寺の塔頭寺院に入りまして、やはり典座(台所)などをリフォームしたり、きれいにしました。「一生ここの住職で住んでいいから」と本師が住職辞令を出してくださいました。しかし、本師が遷化なさいましたら、弟子は出るものだ、という人がいましたので、気に入って住んでいましたが、そうか、出よう、と決めました。するとまたも母の反対に会いました。お隣の人と仲良くなりましたので、別れたくないことと、自分できれいにしたのに、損じゃないの、と、さんざん言われました。

しかし、「潔く生きる」というのが私の信条ですから、本当に苦労して溜めたお金をつぎ込んで住みよくしましたが、出る時には出る、という考えを枉げることはできませんでした。母にはその度に可哀そうなことをしましたが、母の晩年は今のお寺で、やはりこのお寺でも親切な人たちに恵まれました。そして最期も看取る事ができました。

明日何があるか分からない、それでも流れに逆らわず、最大限の努力をして、潔く生きる。私が出家者であり、家族が母だけでしたからできたこととは思います。これからの一生も最期までわかりませんが、おそらくこのお寺を出る時は、彼の岸行きだと思いますので、母は反対することなく、「はやくおいで」と歓迎してくれるかもしれませんね。

六祖慧能禅師は「菩提本非樹(菩提本と樹に非ず) 明鏡亦非台(明鏡亦た台に非ず) 本来無一物(本来無一物) 何処有塵埃(何れの処にか塵埃有らん)」と言われました。この偈における「本来無一物」の意味はちょっと違いますが、「本来無一物」と清々と生きたいと思います。この空があれば充分です。

 

 

 

 


梅干しを干しました

2021-07-20 14:17:13 | Weblog

7月20日(火)晴れ【梅干しを干しました】

今日も暑いですね。昨年梅を漬けましたので、今年は忙しいこともあり、漬けるのは止めようかと思っていました。でも、気が付かないでいましたら、境内の梅の木に実が沢山なっていました。ご近所の方にも差し上げたり、私も少しですが漬けてみました。気が付くのが遅く、かなり熟してしまっていましたので、ジャムにもしました。疫病の流行るときこそ、梅干しのような殺菌力のある食品は大事でしょう。多くの病は胃腸からと思います。

直接ウイルスをやっつけることはできないでしょうが、腸内環境を整えて、自己免疫力をつけることが大事だと思います。

今年は少量です。熟れすぎていましたので、重しを強くすることはしませんでした。とてもよい香りがします。

皆さん、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。一人の時にはマスクは不要です。酸素不足になりませんように。


工事完了ー吾常於此切なり

2021-07-18 13:33:16 | Weblog

7月18日(日)晴れ【工事完了ー吾常於此切なり】

2月1日から始まりました当寺本堂の銅板屋根の全葺き替え工事並びに本堂内部の格天井板の全張替え工事は、お蔭様で完了になりました。

 

境内の一角に建っていたプレハブと、朝の7時には早々と到着していた監督さんの車です。

一昨日、プレハブも撤去されました。約半年の間、ずっとあった物が無くなり、一抹の寂しさがあります。

しかし、この半年の間、職人さんたちのそれぞれの働きを見せて頂けました。例えば銅板を外した後、宮大工さんたちが野地板をきれいに打ち付けたり、傷みがひどいところはそれをとって補修したり、板金の職人さんたちが銅板を貼る技術の見事さや、足場の職人さんが、解体工事の時、足場となっていたポールを次々に上から落としてくるのですがリズミカルに見事に受け取る技術やら、汚れのひどかった格子を根気よく灰汁洗いをしたり、さらに張り合わせた板で作られていたぼろぼろの大鬼を、立派に作り替えてきて、多くの人の力や重機を操り、棟の両側に取り付けてくださったり、等々、枚挙にいとまのない素晴らしい働きを見せて頂きました。またあまり表立っては見えませんが、全体の工程の青写真を考えていてくださる設計技術の人の働きもあるでしょう。

お一人お一人の職人さんのお働きと、さらに多くの人のそれぞれの働きが一つになって、なにか仕上げていくこと、これこそ神通と言えるのではないでしょうか。

また、同じ教区のご住職から、必ず総監督さんが付く会社に頼むことがよい、とアドバイスを頂きましたが、まことにその通りだったと、途中でも思いましたが、工事が完了した今、まことにその通りだったと痛感しています。朝早くから夜遅くまで責任者としてのお働きや、忘れられないのは、まだ下地の防水材料が張り終わっていない箇所があるときに、大雨が降りましたが、そんな時は真夜中でもずっと屋根裏に詰めて雨が降り込んでくるのを防いでくださっていたことです。

見えない働き、ということが私は好きですが、このような時脳裏に浮かぶ言葉は「吾常於此切(吾常に此に於いて切なり)」という文言です。
洞山良价禅師の言葉からきていますが、道元禅師様の『正法眼蔵』「神通」巻に出てきます。

日常の人生の中において、不染汚であること(*これが神通である、などと思わないこと、とここでは訳しておきます。)、これが平常心(ふだんの心)であり、私は常に日常の日々の働きを大切にするのです。

というような道元禅師様の教えといってよいでしょうか。空を飛べたり、宙に浮いたり、遠方で行われていることが見えたり、そういうことが神通ではない、というお考えです。この「神通」の巻にも、前のブログに書きました「運水搬柴」のことも出てきます。(*四果は仏道の調度なり、いわゆる四果は受持四句偈なり、については、別項で参究したいと思います。)

*神通とは、誠実(まこと)を込めた働きと、私は付け加えたいです。

*プレハブが撤去された方の写真には「組まれた木」が見えますが、実はこれも監督さんの神通のお働きです。さて、なんだかお分かりになりますか?

とにかく、これで当寺の本堂の工事は完了です。有難うございました。

#金剛組 #神通力とは #吾常於此切 #平常心 #監督

 


全足場撤去ー運水搬柴是神通

2021-07-15 15:57:18 | Weblog

7月15日(木)雨後晴れ【全足場撤去ー運水搬柴是神通】

本堂内の全ての足場が撤去されました。

その後お掃除の方々が入ってくれて、本堂はまことにきれいになりました。

ここに至るまで、多くの職人さんたちの働きがあります。

昨日は、工事個所ではありませんでしたが、本堂内部に手の跡がくっきりと出ていた天井板があり、そこまできれいにしてくれました。

でも、出来上がった姿だけ見ますと、比較すべき前の姿は、ありませんので、働きの有難さを味わえるのは、その働きを見ることができた私でした。時空を超えて人間の働きがこの一隅に生きたと思っています。

「運水搬柴是神通」(水を運び柴を搬ぶ、是れ神通)この言葉は本師が好んでお書きになった文言ですが、職人さんたちの仕事ぶりを見ていますと、あらためてこの言葉が浮かんできました。それぞれの仕事を全うする姿は、実に美しいと思いました。

龐蘊居士ほううんこじ(?~808)が、石頭希遷せきとうきせん(700~790)の所に参じた折そこで、「日用の事作麼生いかん(毎日の生き方はどうですか)」と質問されて、「神通并妙用、運水及搬柴。」(神通じんつうならびに妙用みょうゆう、水を運び及び柴しばを搬はこぶ。)(『景徳伝燈録』八巻)と答えています。
龐蘊居士は在家のままで、禅に参じた禅者ですが、龐蘊居士の日々は、日常の営みが即神通の働きであり、妙用である、と言い切っています。

私もつくづく日々の生活を丁寧に生きたいと思っています。朝は坐禅から始まり、お経をとなえ、朝食は一個のお餅だけですが、お茶を頂き、働き続けます。夜になったら疲れ切って、コテンと寝るだけの日々ですが、本師がお説き続けてくださったこの文言が励みです。

#金剛組 #神通力 #龐蘊居士

 


金剛組の監督さんに感謝

2021-07-10 21:32:26 | Weblog

7月10日(土)晴れ日中暑い夜雨雷【金剛組の監督さんに感謝】

もうすぐ工事も終了です。来週、足場をいよいよ外すことになります。しかし、昨日も遅くまで監督さんは一人黙々と仕事をなさっていました。おそらく天井裏にかけた照明を全て外したり、今まで開いていた点検口が、今日本堂に行きましたら、閉めてありましたから、天井裏のお仕事は全て片付けたのではないでしょうか。天井板を張ったり等の見える仕事とは違い、見えない仕事が実に多いだろうということが、監督さんの動きを見ていてほんの少しですがわかりました。

次の写真は私の晋山式の折の助化単です。4年ほどたちまして、少しぼろぼろになりかかっていたのですが、気が付きましたら、きれいに貼り直してありました。よく見ると一枚一枚にピンが止められています。晋山式を挙行するまでの苦労は、言葉には尽くせませんので、この助化単は私にとっては、有難い意味があります。それをきちんと監督さんが張り直してくださっていたことに驚きと同時に感謝の思いです。

(なぜ私は晋山式をつとめさせて頂いたのだろうかと、考えました。そうでした、このブログの中に紹介しました「首座和尚の晋山式」(5月11日)という記事があります。彼のお師匠様が急にお亡くなりになり、首座をつとめないと住職資格を頂けないので、私が晋山式を挙行してこの和尚に首座をつとめてもらうためでした。今思えば、私にとっては大変でしたが、お蔭様で晋山式をつとめることができたので、結果良かったのです。流れに逆らわないことだとつくづく思います。流れに誠実に流れていく、流されていく、受け入れていく、人生。)

 

また、長押の中にごみが溜まっているのが前から気になっていました。おそらく50年前の建築の時のものでしょうか。しかし、高いところですし、いつかきれいにしたいと思いながら、そのままにしてありました。この度、本堂に行った折に、監督さんが強力なバキュームクリーナーでお掃除しているような姿を見ました。後で、ちょっと長押の中を覗いてみましたら、全てきれいになっていました。普通は気が付かれないお仕事かもしれませんが、たまたま私は気が付きました。

一連の工事において、それを統括する工事責任者としての「監督」というお役目は、なかなか重要であり、かつ細かいところに目を配り、自らが黙々とその仕事をつとめることに、本当に感謝しました。

これだけではなく、ちょっと気になることを言いますと、いつの間にか、それを仕上げていてくださり、感謝しかありません。本当に有難いことでした。もう数日で、当寺の本堂に関する工事は終了です。(おそらく長押のお掃除中かもしれません。後姿であまりよくわからないでしょうから許可なしの掲載です。)本当に今まで度々のお疲れ様です。

#金剛組 #工事現場監督 #現場監督