風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

尼僧堂

2009-11-30 23:01:50 | Weblog

11月30日(月)曇り【尼僧堂】

先週27日に、名古屋の愛知専門尼僧堂で、送行生の会である第34回城林総会が開催されました。

あまりうろうろと写真を撮れませんので、法要風景は一枚だけですが、掲載させて頂きます。私にとりましては、送行以来25年ぶりの法堂です。大変に懐かしく当時のことが思い出されました。辛かったことも、走馬燈のように思い出されましたが、「月日は百代の過客にして」皆流れていきます。今こうしてあることに感謝できれば、何もかにもがこの時の為にあったのだと、思うこともできましょう。常に「今」と「過ぎにし時」のことを、そのように思えれば有り難いことです。

しかし、このお蔭で私は尼僧堂から離れて、自分の道を歩んできましたので、決してマイナスとは思っていません。しかし、どの世界にも理不尽なことや、愚かしいことはありますね。私は、当時、あまりの悔しさで、名古屋から埼玉の師匠のお寺まで、行脚して帰るという得難い経験もしました。36年前の話です。今でしたら、尼僧の一人旅など物騒かもしれませんね。人生いろいろなことがありますから、皆様も負けずに生きてくださいませ。


実は、この総会に先立ちまして、私がお話をさせていただく機会を得ました。「高祖の尼僧一番弟子、了然尼について」です。この発表のために、倉吉の了然尼ゆかりの地にお住まいの子孫をお訪ねしたり、あれこれと資料を調べましたり、千葉にお住まいのやはり子孫である角紀子先生をお訪ねしたりしました。文字からだけでなく足で歩いて、750年前の大先輩の人物像までも探ってみました。当初、あまりに資料がありませんので、ほとんど新しいことは発表できないのではないかと思っておりましたが、やはり、研究はするものだと実感しています。いろいろとこうではなかろうかということに思い当たりました。一時間ほどの発表時間を頂いたのですが、とても足りないほど報告することがありました。

了然尼につきましては、宗務庁から出版されます『宗学研究』52号と『宗学研究紀要』23号、そして『城林』誌に発表させて頂く予定ですので、来年詳しいことを、このログにも報告できると思います。

了然尼の研究をすることによって、道元禅師に少し近づけたような気がしています。今までずっとはるか上にいらっしゃった道元禅師が、大変に包容力があり、自然体であり、かつ人間的な方だったのではないかと思えるようになったのです。道元門下として、さらに研鑽したいと思っています。それが私の「我の執着」を除いてくださる手だてと理解しています。


腰を抜かしたルナの話

2009-11-22 22:02:19 | Weblog
11月22日(日)曇り【腰を抜かしたルナの話】(古い写真ですが、雪の下が咲いていた頃)

先日、ふと、横を見ましたら、ルナが腰を抜かして、ワナワナとしていました。私はびっくりして「ルナどうしたの」と思わず抱きかかえました。ふと見ますと、なんと、大が一つ、猫のトイレから床にはみ出ていました。

きっと、「あ、粗相をしちゃった、どうしよう」とワナワナしたのではないでしょうか。「ルナちゃん、大丈夫よ」と、私がすぐにその大をトイレに入れてあげたら、ルナは安心したように元に戻りました。

猫にこのような面があることに、私は感心してしまいました。習性とは言え、たいしたものだと思いました。今でもその時の光景を思い出します。用をたすときから見ていましたら、もう少し、他のことも分かったかもしれませんが、きっと大をした後、砂をかけていて勢いあまって、ぽーんと出てしまったのでしょう。私が見たのはルナが腰を抜かして後ずさりした姿でした。

猫も「恥を知る」のではないでしょうか。人間も何か恥じるような事をしたときは、「恥を知らねば」と思います。

話しが飛躍して恐縮ですが、このところ道元禅師の『正法眼蔵随聞記』を読んでいますが、出家者として守るべき道があちこちに示されています。人間として、出家者として如何に生きるべきか、細やかな教えが示されています。あらためて学んでいます。いつかまたログに書く機会があれば書かせていただきます。

今日はルナの話で恐縮ですが。

寒くなりましたので、風邪にはお気をつけください。私も実は27日に、私にとっては、大役がありますので、風邪を引けない、と気を引き締めています。あと5日、風邪など引きませんように。

月は守られるのか

2009-11-16 20:17:55 | Weblog
11月16日(月)晴れ【月は守られるのか】(月の写真はあまりないので古い写真ですが)

一昨日、ひょっと耳に入ってきたニュース、「月には9リットルの水があることがわかりました」というようなニュースでした。水があったということは、その水を利用して、月にしばらく滞在しようという計画にとって朗報でしょうが、これは危ないことではなかろうか、と私は思いました。

月には核融合を起こすのに役立つ物質があり、それを持ってくることが、月に滞在する目的ではないかということも、ある日、科学者が言っていたのを耳にしまして、すぐにインターネットでその記事が無いか調べたのですが、分かりませんでした。

6月19日(日本時間)に、NASAから衛星エルクロス(LCROSS)が打ち上げられ、10月9日にはエルクロスの月面衝突実験が行われました。当初クレーター「カベウスA」という地点に衝突させる予定でしたが、「カベウス」に衝突地点を変更したそうです。

カベウスAやカベウスが存在するのは、月の南極だそうで、かなりの確率で水素が豊富に存在していると考えられているそうです。そして、今回予想通り9(90だったかもしれません)リットルの水が存在していたことが判明したのです。

月面衝突実験のニュースと、月から核融合に必要な物質を掘り出してくるのが目的だろうというコメントが結びついて、私は心配していたのです。月は守られるのだろうか、ということを。そして月から、なんらかの物質を地球に持ち帰ることによって、月と地球のバランスは崩れるのではないだろうか、ということを心配していました。

一昨日の、水があったというニュースによって、さらに心配が増しています。科学が進歩し過ぎて、自滅していくのではないかということを心配しています。

なんと私はどうしようもないことを心配している人間でしょう。心配症の地球人、ここにあり、です。

《心配症の私を癒してくれるルナです。》


晴れです

2009-11-15 08:12:06 | Weblog
11月15日(日)晴れ【晴れです】

久しぶりの晴れのような感じがします。そうでもないのでしょうが、いつもブラインドを降ろした部屋の中にいますので、窓の外に青空が見えたり、今日は富士山もくっきりと見えましたので、晴れ、という感じが強いです。写真は昨日の空です。明日は晴れるだろうという夜空でした。少しボケた写真ですみません。

夜空を見ていると、不思議と今夜も多くの人が、帰ったのだろう、という気がします。自分もいつか、そのうち帰るのだ、と不思議な気がしてきます。あの世があるかどうか、それはさておき、消えていくと言いますか、帰ると言いますか、とにかくこの地球からはいなくなるのです。

この世にいる間の仕事、今日も勤めましょう。


軍隊か病院か

2009-11-06 17:50:39 | Weblog
11月11日(木)雨【軍隊か病院か】(いつもルナの写真ですみません。少し国際的な話ですので、後ろに地球儀があるということで)

先日、友人の息子さんがオ-ストリアから遊びに来てくれました。5歳の時まで日本にいまして、可愛いけれどもやんちゃな坊やでした。本人も自分は”naughty boy"だったでしょう、というくらい確かにやんちゃでした。 それがとてもすてきな19歳の青年に成長していて、母と私は感動したといってもよいほどでした。母は特によく子守をして、「ばあちゃん、ばあちゃん」と言って慕われていましたから尚更です。

食後の洗い物も「これは僕がするから休んでいて」とさっさとしてくれますし、お茶を飲みましょう、と言えばお茶碗はだしてくれるし、年寄りを労ってくれるし、お小遣いをおばあちゃんから貰っても、こんなに要らないからと本当に遠慮の心はあるし、とにかくいろいろと感心することが多く、これはママがきちんと躾もしたのだろうし、本当の意味の愛情を持って育てたのだろうと思いました。

ところで、彼は5年制の専門学校を卒業したので、1月からは病院のボランティアに行くのだそうです。オーストリアでは18歳になるか、または高校等を卒業した後は、軍隊に6ケ月か病院のボランティアを9ケ月することが全員に課せられている義務なのだそうです。その後、大学に行きたい人は行くということです。彼は軍隊よりも病院のボランティアを選んだのだそうです。

このような話を聞きますと、日本の現状とつい比べてみたくなります。勉強さえしていれば「良い子」のように見る社会はどこかおかしいのではないでしょうか。そして勉強さえしていればよいとして、甘やかされて育った子どもたちはどうなるでしょう。

昨日、イギリス人の女性を殺害した犯人が逮捕されました。2年8ヶ月の逃亡生活の後に、ようやく逮捕されました。逮捕の報道に、彼の両親がインタビューに答えていましたが、「皆さんは鬼のような男と思うかもしれませんが、私どもにとってはかわいい息子です」「きちんとメモをとって仕事に励んでいたと聞いて、やはり我が子だと思いました。死なないで生きていてくれて有り難いと思いました。」というようなコメントをしていました。

このコメントに対して、どう思うかはそれぞれにお任せします。子どもを虐待する親もいれば溺愛する親もいたり、親だけではなく、現在の日本の社会が子どもたちをスポイルする材料がいくらでもある、これでよいのだろうか、日本は、と思った次第です。

この道を行く

2009-11-04 12:08:55 | Weblog
11月9日(月)晴れ【この道を行く】

だんだん寒くなりました。ルナはどこかと探しましたら、布団の中から顔を出しました。(しかし、今日は東京は暑いほどでしたが)

先日、ある友人から電話がありました。嘘をつくのが嫌なのでお坊さんをやめました。自分が信じていないことを言えないからと言うのです。そういう考えもあるでしょう。

しかし、電話の相手の私は、まぎれもない「お坊さん」であり、ちょっと妙な感じがしました。あらためて自分が「お坊さん」であること考えてみました。

私は、他人が否定しようが、批判しようが、「この道を行く」です。

また一方他人が、この道を褒めようが、良いと言おうが、それも関係ありません。ただ自分の選んだ「この道を行く」です。

と、いうことだな、とあらためて思ったわけです。誰でも、自分が「この道」、と思う道を行けばよいと思うのです。一切他と比較する必要は無い、と思います。

我が道を行くということにおいて、他を否定したり、羨ましがったりもしない。ただ「この道を行く」それだけ、と私は思います。みんな、他との比較は一切不要の生き方をしたら、随分楽に生きられるのではないでしょうか。ただ、なんとか食べていける努力は必要です。

友人の一言から、あらためて思ったことです。