風月庵だより

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理想のために我れ死なん

2015-10-12 10:11:10 | Weblog

10月12日(月)晴れ【理想のために我れ死なん】

私は10年間浦和にある浄土宗のお寺に住んでいました。無住のお寺でしたので、だいぶ荒れていましたが、10年の間に信徒さんたちと力を合わせて、立派に増改築をさせていただきました。他宗のお寺でしたが、そこで一生を送ろうと思っていました。しかし、本師が病に罹りましたので、やむを得ず本師が住職をなさっていた大雄山最乗寺というお寺の末寺に引っ越しをすることになりました。

本師がご遷化なさる前に、末寺の住職として登録していただきました。「一生、ここに住んでよいからな」と、本師はご自分のお命が長くないことを悟っていらっしゃいましたので、哀れな弟子のために最後に住職にしてくださったのです。

私もそのお寺に、骨をうずめようと思い、きれいに改築したりしましたが、そのお寺は本寺のものだからいくらきれいにしても無駄だよ、自分のお金は使わない方がよいよ、と親切心でアドバイスをしてくれる人もいました。その通りで、本寺の住職が交代したのだから、その弟子は出るべきだ、と言われてしまいました。

そうか、そういうことか、とその現実を受け止めることにして、追い出されるより先に潔く出よう、縁の切れかかっているところにしがみついているよりも出よう、と、決心をして、思い切ってそのお寺を後にしたのです。

自分は住職として登録されているし、改装も自分がしたのだからなどと、自分の利権をふりかざすようなアホにはなるまいと思いました。

出たことによってかえって、それからの道は面白いように展開しました。大学院までいくこともできましたし、研究所に入ることもできましたし、このように展開するために、一つの道は、閉じたのだと思っています。必ず、その人にあった道が、潔く生きてさえいれば開いていくと思います。利権を振りかざすようなことをすれば、道は閉じます。

今、私は、三軒目のお寺に縁があって、住職として勤めています。尼僧の先輩が紹介をしてくださり、先住のご住職と先々住のご老僧が選んでくださって入れたのですが、実に65歳の時のことです。人間が生きていく上で大事な宝は人脈と「機」だと思います。「機」が向いてこなくては道は開きません。(自分の都合よくいっている場合、人はよく機が熟した、と言いますが、私はどんな時でも而今の機はその時その時で熟しているのだと考えます。よって敢えて「機が向く」と表現したいと思います。)

私には、命の最期まで、僧侶として法を大事にし、檀家さんを大事にし、お寺を大事にすることに尽力せよ、という「機」が向いてきたのだと思います。私はどのような場でも、その「機」を大事にする熱い思いがあります。利権やら得のために働く気はありません。

「余命なんて言葉はおかしいだろう」というのは、本師の口癖でした。本師は最後の最後まで、人々に尽くして生ききられました。本師を少しでも見習って私も生ききりたいと願っています。

この写真の草を刈った山は、この処分まで業者に頼みますとお金がかかりますので、自分で少しずつ片づけています。ケチなようですが、なるべく余分な出費は押さえたいと思います。先日、税務署の調べが入りましたが、自分で収支計算書を作成しまして、税理士さんに払う費用を節約しました。

お檀家さんたちは、住職がそれほどケチだとは思っていないかもしれません。でも住職としての私の次の目標は、合同の供養塔を建立したいことです。ご自分ではお墓を建てる余裕のない方や、次に続く子孫のない方や、無縁さんになってしまった家のお骨を祀る供養塔は是非必要です。

僧侶として、お寺の運営を任されて、実際に痛感することは、住職はお寺の管理者といいますが、管理者というよりは管理人ですし、管理人というよりは僕でさえあると思っています。私はそれに徹しようと思っています。

私は理想のために死にたいと思っています。きれいごとと言われても結構。

さあ、今日は、お掃除はやめまして、これから道元禅師様の道歌(和歌)についての研究をさせていただきます。僭越ながら、道元禅師様の道歌について講演を頼まれていますので、しっかりと道元禅師様に学びましょう。お寺のお掃除も、節約も、学びもすべては我が修行です。お迎えの来るまで、このお寺を死守する覚悟です。

あなたは、そんな私の考えを大袈裟だとお思いになりますか。


兄弟仁義

2015-10-03 20:51:11 | Weblog

10月3日(土)【兄弟仁義】

北島三郎さんの兄弟仁義は、実は私の十八番です。

お寺の役員さんたちと一年に二回くらいは、納会をしますが、いつも最後に一人一曲ずつ歌います。私はいつも兄弟仁義を歌います。このお寺は総代さんたちがしっかりと守ってきてくれていましたので、全て総代さんたちのお蔭で、私もなんとか勤めることができています。

兄弟仁義はやくざさんの世界の歌かもしれませんが、歌の内容が血縁のない者同士が力を合わせて何かを成し遂げていく強い信頼を感じます。

まあ、私はさぶちゃんの歌は好きな歌が多いです。勿論仏法が第一ですが、義理と人情も大事にします。それに反する人は、信頼を欠くでしょう。

仏法の話と兄弟仁義と、皆ひっくるめて私です。裏も表もありません。