風月庵だより

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禁煙のオススメ

2010-06-26 17:18:36 | Weblog
6月26日(土)曇り【禁煙のオススメ】(いつもルナですみません)

今日は、法事で出かけてきました。その家の方に、息子さんがヘビースモーカーで心配でなんとか、やめるように言ってもらいたいと頼まれました。ご主人が亡くなられた原因がタバコの吸いすぎだったのだそうです。

依頼されたということがわからずに、さりげなく話して欲しい、というお願いでしたので、少しでもお役に立ちたいが、どのように話したらよいものかとちょっと考えていました。

そしてお経を誦えているとき、「熏習(薫習)」について話してみよう、とふと思いました。

単に禁煙の話ではなく、やはり仏教の話をしたいといつも思っていますので、熏習に因んで話そうと思いました。

そうしましたら、なんとその息子さんのお名前は、「薫」さんでした。ちょっとしたことですが、少しでも自分に縁のある話ですから、多少は耳を傾けてくださったかもしれませんね。

話は変わりますが、禁煙はたしかに経験者は分かると思いますが、「禁煙」と紙を貼った途端に、タバコが吸いたくなるものではありませんか。私もタバコは好きでしたので、その気持ちは分かります。しかし、ある時本当に止めようと、つくづく思いまして、自分自身によく言い聞かせまして、しかし、最後の一本を吸わせてね、と自分に言いまして、最後の一本を楽しみました。そして、本当に不思議や、全くタバコが吸いたくなくなりました。

ニコチン中毒ということはないと、私は経験から思っています。心底止めようと思えば、禁煙ならぬ断煙本当に可能ですから、止めたいと思っている方はお試しください。

ブログの更新はなかなかできません。実は先日山口にも用事で出かけたのですが、そのこともご紹介したいですが、写真を掲載する時間もありませんので、またいつか時間があるときにお見せします。

そうなんです。締め切りのお仕事に頑張っています。皆さんも天候不順なこのごろですから、お体お大切に。喫煙は健康に影響しますので、なるべくほどほどになさってください。

*熏習(薫習、くんじゅう):悪い習慣が積もるという意味と、よい習慣が積もる両方に使いますが、 教えを絶えず聞いて自分自身に仏教の教えを熏習することが大事。(もう少し難しい解釈もありますが)

*タバコは絶対悪か:仕事に行き詰まったとき、一服すると活路が開けるときもある。谷に落ちそうになって、一服して気を落ち着けたという人の話を聞いたこともある。また友人で、とてもおいしそうに一服を楽しむ人がいる。それぞれでしょうね。

ただヘビースモーカーは健康をそこねる可能性が大きいから、止めたい人はやめたほうがよいでしょう。

ルナの見張り役

2010-06-17 07:42:30 | Weblog
6月17日(晴)【ルナの見張り役】(ルナに見張られています)

梅雨に入ったはずなのに、今日も晴です。弟がスエーデンからお墓参りとクラス会に帰国しました。それで、昨日から母たちはお墓参りに故郷に出かけましたので、天気がよいのは我が家にとっては有り難いです。が、空梅雨ですと心配ですし、豪雨の心配もありますね。

さて、私は今締め切りの仕事を頂いていて、頑張っていますが、締め切りまでにできますかどうか心配しています。今まで締め切りを守らなかったことは一度もないのですが、今回ばかりはわかりません。このブログの読者に関係者がいませんように、と願いますが、今回は締め切りに間に合わないかもしれません。


(しっかり頑張ってね)


(横向いてる間にさぼっちゃ駄目よ)



(見張り役も疲れますニャー)

潙山も牛になる

2010-06-09 06:58:49 | Weblog
6月9日(水)雨【潙山も牛になる】 (上の写真は全く牛ではありませんが、ルナです)

宮崎の口蹄疫問題は、少し収まってきたようですが、現地ではまだの感でしょうか。運搬車が口蹄疫の感染経路の一原因という指摘があるそうです。感染した牛を運んだ車で、感染していない牛も運搬したようです。渦中にいると見えないことが多いのですから、外野の関係者(学者の人も含め)は、早くにこのようなことに気がついてくれればよいがと思います。

クールな立場の人を、早くに現地に派遣する体制作りが必要ですね。

さて、潙山霊祐(いさんれいゆう七七一~八五三)という禅僧が唐の時代にいました。馬祖道一(ばそどういつ)の法嗣である百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の弟子になります。潙山は、出身は長渓(福建省福州)。十五歳で建善寺の法常律師のもとで出家しました。杭州(浙江省)の龍興寺で受戒。龍興寺という名前のお寺は各地にあるそうですね。ここで経律を学びました。

ところで、当時、具足戒は20歳を過ぎると受けましたが、戒を受けるには難関の試験に合格しなくてはならなかったのです。具足戒を受けている僧は、経律は当然のこととしてよく学んでいたのです。経典の文字など捨てろというようなことを禅僧の言葉の中に見いだして、勉強しなくていいのだ、と受け取ったら大間違いですね。当時の僧は、さんざん経典も律も論も学んだ揚げ句、文字を離れているのです。

潙山は、二十三歳のとき、百丈懐海の門弟となりますが、百丈は一見して潙山の力量を見抜き、入門を許しています。

元和年間(八〇六~八二〇)の末に、潙山は縁があって長沙府(湖南省)にある潙山に入ります。人里離れたところで、猿たちに混じって、橡栗(とちくり)などを食べて修行生活を続けていたのです。そのうち山下の住民たちがそれを知って、皆でやってきて寺を建ててくれたということです。司馬頭陀(しばづた)という人物が、潙山にある寺の住持探しにやってきて、潙山霊祐の歩く姿を見ただけで「この人物こそ、潙山の山主にふさわしい」と言って、潙山霊祐を選んだ、という話もありますが、これは後の創作のようです。(私は師匠のもとで修行時代、この話を聞いて、歩き方を気にしたことがあります、おかしいですね)


多くの弟子達を育てましたが、いよいよ臨終の頃の上堂で、「わしは死んだ後は、山下の水牯牛となり、脇腹に「潙山僧霊祐」と書いて生まれ変わるだろう。この時、潙山の僧と喚べば水牯牛だし、水牯牛と喚べば潙山だし、さあ、どう喚んだらよいか」などと弟子たちに最後の問答をかけています。

さあ、なんと喚んだらよいのでしょう。この説示は、最後まで弟子たちの頭でっかち、知解からの解放を願っての祖師の置きみやげでしょう。

示寂は大中七年(八五三)一月九日。世寿八十三。法臘六十四。諡号は大円禅師です。

*因みに釈尊は子どもの頃、ゴータマと喚ばれていたそうですが、最良の牛という意味だそうですね。


 
 

めまい

2010-06-08 09:52:47 | Weblog
6月8日(火)曇り【めまい】(ダウン)

2日前のこと、ちょっとお茶を飲んで、またすぐにパソコンに向かいました。すると突然、辺りが回ってきました。辺りは回っていないのですが、どうもめまいがしてきたようです。どうしたのだろう、と思いつつ、少し横になりました。

横になったら、さらに目が回ってきました。これは、仕事の疲れだろうか。実は締め切りのあるお仕事を頂いたので、この一ヶ月間、毎日、10時間以上も机の前に坐っているのです。それでも締め切りまでには間に合わないのではないかと、必死になって頑張っていますので、恐らく疲れがでたのだろうか、と先ず思ったのです。

しかし、お茶を飲む前はなんでもなかったので、おかしいと思いました。これはお茶の時に食べた煮豆が原因かもしれない、と思い、書くのは恐縮ですが、無理に吐いてみました。その後少し、よくなったような気がしますがまだ、目が回っています。今倒れては大変です。予定がつまっているのです。なんとかしなくては、と思いました。

それで、東城百合子先生の『自然療法』を開いてみました。「めまい」の項に次のようにありました。「梅干番茶を飲む。また梅肉エキスを熱湯にといて飲むのもよく、妙法人参エッセンス、卵油もよい」このようにありました。

梅肉エキスの粒状のものがあったので、それにお湯を注いで飲んでみました。融けた分を飲んでみました。少しよくなったような気がしましたが、まだぐるぐる回っています。粒を飲む気力がないほどですので、梅干し番茶にしてみました。梅干しにショウガの絞り汁を少し入れまして、番茶を注いで飲みました。

飲んだ途端に、めまいが収まりました。

めまいは『自然療法』には、「消化器系の病気」の項目にあります。血圧があがってのめまいではありません。かなり以前ですが、卵を3日間に4箇食べたとき、たしかめまいに襲われたことを後から思い出しました。この度は、煮豆が原因だったか、その前の野草が問題だったか、ウエハースを好きなので4箇食べたのが原因だったか、緑茶をそれまでに4杯も飲んでいたのが原因だったか分かりませんが、とにかく、お茶を飲んだ後、すぐに起きた現象でしたので、胃か腸の具合が悪いと思ったのでよかったです。

皆さんもめまいがしたときは、梅干しとショウガの絞り汁の入った番茶を試してください。血圧が原因でなければ、すぐにといっていいほど収まるかもしれません。でも胃の中の食べたものは吐いてしまった方がよいです。(梅干しはアミノ酸を使っていない昔ながらの作り方をした梅干し)

今日も頑張れそうです。

皆さんも体調にはお気をつけ下さい。特にこれからの季節、食中毒にはご注意ください。

猫を斬った南泉

2010-06-04 21:52:08 | Weblog
6月5日(土)曇り【猫を斬った南泉】

南泉普願(なんせんふがん)は馬祖道一(ばそどういつ)の弟子の一人です。前にも牛の話で紹介しましたが、猫を斬った話が有名です。「南泉斬猫の話」といいます。猫好きの私としましては、勿論受け入れがたい話ですが、ご紹介します。

 南泉の第一座が猫を飼っていたところ、この猫が隣の単(坐禅堂で坐禅をするところのこと)の足に傷をつけたのがもとで僧たちの争いが始まりました。知らせを受けた南泉が飛んできて、すぐに猫をとりあげて言いました。「(ズバリ悟りを)言い得たならば、猫の命を救うことができるぞ」と。僧たちは答えられなかったので、猫は二つに斬られてしまったというのです。

この話は『祖堂集』という史伝に、書かれています。他の史伝では少し違います。それにしましても、当時、叢林内で猫を飼うことが許されていたのでしょうか。先ずその疑問が生じます。猫を可愛がっていては修行の妨げになると、当時の叢林においては南泉は日頃から思っていたかもしれません。猫を飼っている私としてはよく分かりますが、猫の可愛らしさに時を忘れてしまいます。修行道場で、猫を飼っていては修行が疎かになったかもしれません。まして大衆を導く立場にいる首座さんですから、南泉和尚もこれは困ったことだ、と思っていたのではないでしょうか。
 
どうも南泉山の首座さんは、他の話にも出てきますが、気持ちの優しい人だったように受け取れます。

『祖堂集』とは別の史伝には、趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)というお弟子さんがこの話に出てきます。趙州和尚さんは120歳まで生きたというお坊さんです。

趙州に、先ほどの猫の話を南泉が話しましたら、趙州は草鞋を脱ぎ頭に載せてその場を出て行ってしまいました。「もし趙州がいたなら、猫を救うことができただろうに」と南泉和尚は言ったということです。
 
さあ、皆さんはどう思われますか。当時の禅院の修行は、今では想像もできないものだったでしょう。悟りを求めて必死に修行していましたし、それを導く住職は雲水たちの悟りを導こうとして、いつも試していたようです。

ただ「悟りとは」ということになりますと、簡単に書きようがありません。南泉の弟子たちは言葉でもってそれを「説明」しようとしたのです。理知で悟りを表そうとしたのです。言語表現を超越したところを、趙州は草履を頭に載せて去っていった、というわけでしょう。

また現在は状況が違いますから、修行道場でも捨て猫をたくさん飼っていてくれるお寺もあります。なんでも一概には語れませんが、叢林で猫を飼うことは修行する気持ちが軟弱になるので認めがたいと思っていたかもしれませんが、南泉も斬った後は、慚愧にたえない気持ちだったのではないでしょうか。

南泉和尚が「異類中行(いるいちゅうぎょう)」(異類の中を行くー成仏していない衆生を救うために、自らもその中にはいって行く)を唱えるようになったのは、猫を斬ったことの懺悔の気持ちからかしら、などと思うのは安直すぎるでしょうか。

今日はルナの写真は載せません。

熊の殺処分を考える

2010-06-01 21:20:51 | Weblog
6月1日(火)晴【熊の殺処分を考える】(熊でなくてすみません)

今日は爽やかなよいお天気でした。今年の5月は、風薫る、と言えないうちに過ぎてしまったような気がしていましたので、今日は大げさですが、しみじみと爽やかな空気を感じました。

さて、また沖縄で口蹄疫の牛が見つかったそうですが、感染が拡大しないことを願うばかりです。(*口蹄疫ではなかったそうです。よかったです)

今日は牛のことではなく、熊のことを考えてみたいと思います。

最近のニュースですが、山菜採りに山に行った人が、無惨な姿でお亡くなりになっていたそうです。熊の仕業か、と報道されていました。私は今までは、なんの抵抗もなく、それは大変、その熊を撃ち殺さなくては、と思っていました。

しかし、最近「日本熊森協会」の運動を知りました。これも福岡の龍國寺様で教えてもらったのです。

本来、熊はおとなしい動物なのだそうです。ただ山奥まで人間が開発してしまったり、高速道路が入り込んだり、実のなる木がどんどん切られて、針葉樹の植林が推奨されたり、などなどの原因によって、熊たちが山奥で生息することができないので、里山や里にまで下りてこなくてはならなくなってしまったのだそうです。

本当は人間を襲うつもりは熊には毛頭ないのだそうです。とにかく熊さんたちの食べ物を人間が奪ってしまったのです。

熊の食べ物を奪っただけではなく、森が死んでしまえば、人間自身にとっても大問題です。例えば、針葉樹の根は保湿効果がすくないですから、豊かな山の水は枯渇してしまいます。勿論根が浅いですから、土砂災害も起きやすいです。

私が以前南足柄市に住んでいるとき、諏訪部六郎さんという方が、山の木を広葉樹にしなければ水源が枯渇してしまうと、一生懸命叫んでいました。しかし、耳を貸す人は少なかったと思います。その人の苦労を今思い出します。

熊たち山の動物が、安心して暮らせる森に戻すことが、人間にとっても勿論大事なことになります。人類の未来にとって本当に大事なことです。

食べ物を求めてひもじい思いの熊さんたちが、里に出てこなくてもよいように、熊の殺処分などしなくてもよいように、日本の森を守る運動について、一人一人が考えていきたいですね。一人の力は弱いですが、力をあわせれば何かができるのではないでしょうか。

「日本熊森協会」の会員になってくださることをお勧めしたいです。会長は森山まり子さんという高校の先生です。はじめ高校の生徒たちが熊の命を守りたいという願いからスタートした会だそうです。

http://homepage2.nifty.com/kumamori/

ホームパージをお読み頂きご協力ください。

里山や里に出てきた熊を殺しさえすればよい問題ではなかったと、教えてもらったことを感謝しています。視野を広めてもらったこと、至らない考えを教えてもらったこと、こういう知識は必要だと思います。熊はとっても優しい動物なのだそうです。親が殺されてしまった小熊を育てている家族もいるそうです。他から教えられなくても、こういう目はなくてはならないのですが、私はまだその自然の目がありませんでした。熊に限らず、一切の動物を殺すことは、本当はしてはならないことなのです。

話はちょっと変わりますが、昔、お坊さんが行脚するときは、なにか音のでる、例えば金属の輪などがついた杖を鳴らしながら歩いたようです。山に入るときは、音をたてるなどして人間がいることを熊に教えてあげた方が、熊を驚かせないのではないでしょうか。

山の住人は、熊や狸やイノシシなどの動物であることを、あらためて見直したいと思います。

宮脇昭先生の植林が、日本中の山に施されたらよいのではないでしょうか。