風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

寺の番人

2021-02-28 18:12:31 | Weblog

2月28日(日)晴れ【寺の番人】

今日は2月の晦日です。速いですね。
本日午前中は、猫と境内散歩、終ってから内猫の足ふきと体拭き、それから大変、法事の方がすでに見えました。四十九日忌と納骨、午後は総代会、終って来客、お帰りになってから鐘撞き、猫7匹のエサやり、そして今パソコンの前。

いつもいろいろと用事があり、毎日はスピードに乗って過ぎてゆきます。それこそ、どこにも出かけることはありません。ほとんど寺の中です。住職とは、寺の管理人と思っていましたが、いや、寺の番人に等しいと思います。

今まで、屋根の上でお寺を見守っていてくれていた鬼さんを作り直しの為に降ろしました。約50年間、ご苦労様でした。私は番人としては、まだまだ鬼さんには敵いません。

近くで見ると大きいですね。子鬼が北側にありましたが、ぼろぼろになっていました。

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申年の梅干し

2021-02-23 12:59:30 | Weblog

2月23日(火)晴れ風強し【申年の梅干し】

本日は、天皇誕生日ですね。天皇陛下も、聖武天皇や正親天皇などが、天災に遭遇なさったことを話されていました。

今年は、丑年ですが、申年の梅干しについて、ちょっと一言。母親が「申年の梅は、大事だからつけておきなさい」と言った言葉を思い出しましたが、母親が漬けた「申年の梅干し」を見つけました。

そこでなぜ申年の梅がよいのだろうか、調べましたら、平安時代に疫病が流行ったとき、村上天皇が梅干しと福茶で疫病を治した、と、伝えられているのだそうですね。

このことから、特に「申年にとれた梅は縁起が良く薬になる」という風習が、今も伝えられていて、母もそれを知っていたのでしょう。ただどうしてよいのか、説明を受けたことはありませんので、ただ「よい」ということを当然のように知っていたのかもしれません。特に60年に一度の甲申年に収穫した梅は縁起物と呼ばれる、申年の梅の中でも、特に珍重されているそうです。

さて、下の写真には「16年 サル年の梅」と母が書いた紙が貼ってあります。2016年も確かに申年ですが、その時母は101歳くらいですから、この紙を書く気力も梅を漬ける気力もなかったでしょう。

とすると、平成16年2004年になり、母は90歳くらいですから、私とフランスにも行きましたし、十分気力のある年です。そこで、平成16年の干支を調べましたら「甲申」の年でした。

僅かしか残っていませんが、少しづつ頂いて新型コロナウイルスの感染から逃れることのできますように、祈りつつ食べさせていただきましょう。

母のようになんでもマメに書いておくと後の者が助かります。学びたいと思っていますが。

皆様も、このコロナ禍にあって、なにか有効な対抗策を実行なさってくださいませ。私はどうしても不特定多数の人たちと会わなくてはなりませんので、本当に注意したいと思っています。

 

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宇宙寺院 劫蘊寺

2021-02-20 20:46:43 | Weblog

2月20日(土)晴れ【宇宙寺院 劫蘊寺】

今日はあたたかかったですね。一日朝から忙しく電話と来客と猫のエサの買い物等で、アッという間、過ぎゆきました。

さて、『中外日報』の記事を読んでいましたら、真言宗醍醐寺が「浄天院劫蘊寺」という宇宙寺院を、2023年の建立をめざしているとありました。
この発想の面白さもありますが、私個人にとりましては、なんといってもこの名前の字、劫蘊院この「劫こう」の字です。多くの人がこの「劫」という字を「却」と間違えます。

この宇宙寺院が有名になりましたら、皆さんが「劫」という文字を認識してくださるだろうと期待しています。

あまりに眠くなりましたので、本日はこの辺で失礼いたします。
今日は疲れました。

劫は、簡単に言えば、無限に近い時間といえばよいでしょうか。

(劫ほどは生きられません。ルナも少し老けました。)

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明恵上人の法界定印

2021-02-16 19:12:06 | Weblog

2月16日(火)晴れ 暖か【明恵上人の法界定印】

昨日は涅槃会でした。お釈迦様が涅槃に入られた日、ということになっています。

さて、明恵上人の縄床樹座禅像(髙山寺蔵)という座像は有名ですが、それが印刷されたページを見ていまして、あらっと気が付いたことがあります。法界定印は、今、私たちは右手が下ですが、明恵上人は左手を下にしています。明恵上人は承安3年(1173年)のお生まれで、寛喜4年(1232)にご遷化していますから、道元禅師よりは年上です。

前にも書きましたが、法然上人批判の書として、『摧邪輪』という書を著しています。駒澤大学時代に学びましたが、どうもその時は不消化でした。不勉強を今では残念に思っています。明恵上人の晩年の頃は、道元禅師は宋から帰国なさっていて(1227年)、建仁寺から深草の安養院に閑居なさったのが、1231年です。お会いしていたのではないでしょうか、と、戒を守り、仏道一筋のこのお二人が京都でお会いなさった、と思いたいですが、そのような証拠はありません。

次にコメントをくださいましたtenjin和尚さまからのコメントを貼り付けさせていただきました。

失礼いたします。 (tenjin95)2021-02-17 09:13:22> 管理人様

御指摘の通りで、我々の法界定印とは逆なんですね。明恵上人は、南北朝期くらいまでに成立した伝記だと、栄西禅師との関わりが指摘されていますが、実際の禅学は、著作によるものだったと思います。

インド由来の経典では、「右手で左手を押さえる」という語句が見えますので、それに従った可能性もあります。或いは、仏像・仏画は基本、右手が上なので、絵像の作家がそれに準じた可能性など、いくつか考えられます。

中国で左手上位の作法になり、そのことをインドから来た仏陀波利と中国僧が議論(『修禅要訣』)しましたが、仏陀波利は中国で勝手に変えた、というようなことを指摘していますね。

話は全く違いますが、明恵上人のお名前は、どこかの首相の奥さんの文字と同じですね。

さて、左手下の法界定印の座像を、紹介しておきます。

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マイペースに生きる重要性

2021-02-10 18:13:25 | Weblog

2月10日(水)晴れ【マイペースに生きる重要性】

今日もあっという間に一日が過ぎゆきました。片付けやら来客の応対やら工事の件やらなにやらかにやら………
御来訪の皆様の一日はいかがでしたか。しかし、まだ夕方の6時ですから、まあ、これからいろいろと帳簿の整理やら手紙書きなどなんとかできそうですね。

このブログも書かなければ、時間はそちらに使えますが、ちょっとだけマイペースということについて、昨日から考えていますので、書かせていただきましょう。実は昔の友人が、脳梗塞で倒れてしまったということを耳にしました。ほとんど会う機会のない友人ですが、若いころ、共に修行した仲間であり、私よりもはるかにしっかり者の方です。

彼女は、他の人を表で活躍させるために、蔭で働きどおしだったのではないかと推測できる面があります。はたしてそのせいによる脳梗塞という結果かどうかは分かりませんが、私は自分自身の生活からもマイペースで生きる、生きられる、生活できる、ということは、この命をできる限り安全に生かされるために重要なファクターではないかと、思ったのです。

私自身最近の経験でも、30代の女性とともに暮らさなくてはならず、それはかなりきつかったです。年齢差もありますし、育った環境も価値観も大変に違いますから、自分ひとりのペースで生活しているときとは随分違いました。折り合っていくことも大事でしょうが、あまり無理をしますと、精神的な苦痛だけではなく、身体的にもかなりの苦痛が生じます。それはお互い様です。相手にとってもそうでしょう。

一つ屋根の下に暮らす必要性がなければ、割り切って無理をすることはやめるべき、と、痛感しています。特に年をとってから無理することはありません。

あまりに物の捉え方が違うときがありまして、ご本人は自分が正しいと考えて、私を非難したことがありました。数回そのようなことがありましたが。そのときに心拍数を計ったところ、通常は60から70なのに100にもなっていて驚きました。わざわざ計ってみて、そのことを知ったこともよかったです。

「オイ、オイ、ソレハナイダロウ」と、後期高齢者としては、言いたいところです。
できるだけ気持ちよく生きられるように努力することは、自分の命の管理者、命の責任者として大事でしょう。

私も住職としても、あまりに難問が後から後からありますので、東宝名人会の落語のCDを買いました。唐突に話は飛ぶように、ご訪問の皆様は思うでしょうが、笑いは命の活性化に大事です。

空を見上げたり、落語を楽しんだり、マイペースですね。お互いに、ワッハッハで参りましょう。御機嫌よう。友人の回復を祈るばかりです。

(「東宝名人会」のパンフレットの左隣は、私の椅子の上で、自由気ままにマイペースで寝ているハッピーです。)

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坐禅について

2021-02-09 21:29:18 | Weblog

2月9日(火)晴れ【坐禅について】

もうはや2月です。信じられますか。それももう、9日です。信じられませんね。工事も始まり、一日がなんとなくあっという間に閉じてしまうという感じの日送りをしています。本堂に見事な足場もかかりました。まだ足場作業は続きそうです。なんといっても足場は命がかかっていますから、基礎中の基礎、要ですね。

なかなか読書をする気力が出ない日々なのですが、私は、朝はたとえ短時間でも坐禅をすることを日課としています。坐禅の時間を持たせていただくのは、なかなか大変でして、僧堂修行中に、いやという程、坐ることができたのはいかに幸いであったことか。

さて、今、『無限の世界観〈華厳〉』(角川文庫)を開きましたら、次のような鎌田茂雄先生の言葉がありました。因みに私は鎌田先生とはお会いする機会がありませんでしたが、韓国の友人、陳本覺法尼は『華厳経』の研究で博士号を取得していまして、面識があったと伺ったことがあります。

只管打坐というと、ただすわれ、悟りを求めちゃいけない、というわけです。ただすわっていれば、いろんな雑念が次から次に浮かんでく             る。それをほうっておけというのです。それの根拠をどこに求めるかというと、仏の坐禅であるということになるのです。衆生の坐禅だったら、これは悟りを開く坐禅で見性しなきゃいかん。ところが人間は人間であればいいんで、迷いが順番に浮かんでくるということが、人間のほんとうの人間らしさであるということです。道元の教えというのは、それはそれであるということなんです。(247頁)

自分が坐禅をしている、ととらえない、仏の坐禅をしている、坐禅は仏の坐禅なのである、ということになりましょう。華厳の教えの特質は、「仏の命の光明に貫かれている」という「性起説」ですから、鎌田先生曰く「道元の宗教の根底の背景は(性起品の教えがなければ)成り立たない」ととらえています。

これを受け取り間違えると、本覚思想となり、精進しないでよいのだ、坐禅もしないでよいのだ、と間違った方向にいってしまうのでしょう。
坐禅をする私は凡夫ですが、坐禅は仏の坐禅です。坐禅をすることによって、即仏の光明に抱かれ、仏の光明の只中なのである、といってもよいのではないでしょうか。

あらためて華厳の教えの本の中から、坐禅について考えてみました。

寒暖の差が激しいこの頃です。くれぐれも部屋の換気や、乾燥にはお気をつけください。加湿の水入れは面倒ですが、あまりに乾燥しすぎですから、お部屋に適度な湿気はコロナ対策としても大事です。皆様、御身お大事に。

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お告げ鳥 コロナ禍

2021-02-02 14:11:36 | Weblog

2月2日(火)晴れ【お告げ鳥 コロナ禍】

今日は節分です。とても暖かい日中です。

先週の木曜日の夕方、多数のカラスがお寺の竹林から隣の森の上を飛び交っていました。その様子がいつもと違うので、どなたかがお亡くなりになるのであろうか、という想いがしました。そうでなければよいが。

翌日、檀家さんからご主人がお亡くなりになったという電話が入りました。間違い電話かと思ったほどでした。まだ若い人です。新型コロナウイルスに感染してしまったということでした。家族全員が陽性だそうです。

残念ですが、ご葬儀をすぐにあげることができません。内臓の病気があったそうです。しかし、通常は生活にそれほどの支障もなく、釣りが大好きで、年中釣りの獲物をさばいては、持ってきてくれていました。温和な青年でした。

このウイルスに感染しさえしなければ、まだまだこの世にいられた命であったのに、と思われてなりません。

しかし、身近に迫ってきています。他人ごとではありません。斎場も今までは3時までは、感染が原因でない方を荼毘にふす時間でしたが、この頃は感染症でなくなる人が多いので、3時からは、感染症のご遺体を荼毘にふすようになっていて、かなり多いそうです。

じわじわと忍び寄ってきています。
皆さん、他人ごとと思わずに、家庭内感染も多いようですから、気を付けあっていきましょう。
それにしてもカラスはやはりお告げ鳥だと、改めて思ったことでした。

(日頃は写真のようにカラスの飛んでいない空に、多数のカラスが飛びあっていました。)

 

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読書

2021-01-24 18:19:25 | Weblog

1月24日(日)雨【読書】

一昨日ラジオをたまたま聴いていたら、中国大使を務めていた人が、「読書のススメ」を説いていました。80歳を越えているということですが、年寄りは読書をしましょう、それだけが老いた我々にできること、と言い数人の作家の名前をあげていました。その中にロマン・ロランの名があり、とても懐かしくこの名前を耳にしました。

かつてロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を夢中で読んだことがあったという、自分の高校時代を懐かしみました。

さらにロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』という長編を夢中で読んでいた高校時代も思い出しました。

高校時代、勉強よりも読書に夢中であったことも思い出しました。熱い想いで、多くの本を読み、それらが私自身を育ててくれたように、今、思います。大学時代は、読書よりも、映画や脚本の勉強に夢中でしたし、それなりに読書もしたでしょうが、今、思い出せません。

現在は、お寺の仕事に追われていまして、ゆっくり読書に割く時間がありませんが、退董(引退)して、命があれば、読書三昧の日々に浸りたいものだと、夢のように思います。

しかし、昨夜は、『法華経』を読んでいまして、いつの間にか疲れて居眠りをしただけならよいのですが、あまりの眠気だったのでしょう、机の角に目の上を叩きつけてしまったようで、今日は目が腫れています。

昨日は、エクセルを使って、お寺の税務署関係の書類を作成していて、その後、ちょっとでも勉強したいと思い、本を読み始めたのですが、眠気に襲われてしまったのでした。

皆さん、読書を楽しめる時は、短いのではないでしょうか。人間として生まれて、人生を学ぶのに、読書は自分の人生を倍楽しませてくれる熱き血潮の元になるように思います。最期まで、先人の智慧や熱情を学んでいきたいですね。

(昨日の夕焼けです。このあたりの雪の予報は外れたようですね。寒いですから風邪にご用心ください。)

 

 

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常不軽菩薩品

2021-01-22 16:08:17 | Weblog

1月22日(金)晴れ【常不軽菩薩品】

今日は、生前『法華経』を信仰していた方の法事がありました。子どもさんが病気がちだったということで、なんとか子どもの命を守っていただきたい、という思いから信仰に入ったそうです。子どもさんも今や立派に育ち、すでに定年までお仕事も勤め上げました。

働き者のお母さんの余徳もあり、子供さんたちも悠々自適な定年後の生活をなさっています。生前は私のところにも、お嫁さんに連れられて、しばしばお野菜を届けてくださいました。

それで本日のご法事では、特に『法華経』の「常不軽菩薩品第二十」の偈文の部分を和文でおとなえしました。お唱えする前に、常不軽(サダー・パリブータ)菩薩について解説を致しました。おとなえしながら、つくづく有難いという気持ちがあらためておきました。

常不軽菩薩は、会う人誰に対しても、「私はあなたを敬います。軽んじ慢ることはいたしません。なぜならばあなたがたは皆菩薩の道を行じて、あなたがたは完全にさとった仏になるでしょう」と、いうようなことを告げました。そう言われた人たちは、「この無智の比丘にそんなことを言われてなるものか」と罵り、木や石で叩き投げつけさえしました。

それでも常不軽菩薩は逃げ去りながらも、「汝当作仏(汝当に仏と作るべし)」と、声高にこの言葉を投げかけるのでした。

二百万那由他もの長い時を経て、今釈尊は、得大勢(マハー・スターマ・プラープタ)という比丘に向かって、この話を聞かせています。

そして「彼時不軽 則我身是(彼の時の不軽は、則ち我が身是れなり)」と。その時の不軽こそこの私である、釈尊は明かされるのです。そうして、その時、釈尊に石を持て打ち付け、木をもって叩いたけれども「汝当作仏」仏になる、と不軽菩薩に授記された人々は、今、釈尊の前で法を聞いている比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷であると明かされるのです。

現在、こうして法事を通して、法を共に学んでいる私たちも、いつかは必ず仏に成ることを信じて、日々の務めに励みたいことを願いました。

(宮沢賢治さんの「雨にも負けず」の詩も思い起こされますね。)

 

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惜別の唄 小林旭

2021-01-15 18:07:36 | Weblog

1月15日(金)曇り【惜別の唄 小林旭】

今日まで、暮れからずっと働き続きでした。
ご祈祷会の準備、ご祈祷、ご祈祷会、後始末、さらに私が住職を任されているお寺の本堂の銅板葺きの屋根の全面葺き替え工事が間もなく始まるので、そのことに関する仕事の数々。以前からの檀家さんたちにとって、緑青の吹いた屋根の見納めになるので、そのことを知らせる手紙などを出したり、等々、ようやく先ほど一区切りがついたのです。

次の仕事に移る前に、なぜか、歌を歌いたくなったのです。
それもなぜか、「惜別の唄」です。
小林旭さんが歌っている歌をインターネットで探しまして、一緒に歌いました。

なぜか、涙がこぼれました。なぜ、本日、私は「惜別の唄」なのかと思っていました。中央大学の学生歌となっているようなので、私事ですが、中央大学法学部の出身で、山を愛し、山岳部の監督までつとめ、50代で世を去った長兄もおそらくこの歌を歌ったことだろうと思いました。兄はとてもよい声でした。

しかし、それだけではなかった、と、わかりました。

そのユーチューブの最後の方に、ブログ「二木紘三のうた物語」の紹介があり、「惜別の歌」の解説が掲載されていました。作曲者藤江英輔さん自身が書いた、この歌誕生のエピソードが掲載されていまして、涙を禁じえませんでした。

ご存知のように、歌詞は、島崎藤村の『高楼(たかどの)』の中からとられています。学徒動員で、工場で働いていた藤江さんが、友人の中本さんからこの詩を教えられて、メロディーをつけたのを歌っているうちに、戦地に赴く学友を送る歌になっていったようです。

友人の中本さんは、3月に学徒出陣し、彼が藤江さんに別れに際して残していったノートの中には、老子やショーペンハウエル、パスカル、ボードレールなど、さまざまな先哲の苦悶の言葉が書き連ねてあったそうです。その中に次のような箇所には赤い線が引いてあったそうです。

「末法たりといえども、今生に道心発さずは、いずれの生にか得道せん」(道元「正法眼蔵随聞記」)

「我より前なる者は、千古万古にして、我より後なる者は、千世万世なり。たとえ我等を保つこと百年なりとも、亦一呼吸の間のみ今幸いに生まれて人たり。庶幾(こいねがわくば)人たるを成して終らん。本願ここにあり」(佐藤一斎「言志録」)

「愛するもののために死んだ故に彼らは幸福であったのでなく、彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである」(三木清「人生論ノート」)

中本さんは、ついに帰らなかったそうです。藤江さんは8月に赤紙を受け取ったそうですが、間もなく終戦になりました。中央大学法学部のご出身です。

*もしかしたらと思ったことですが、赤紙を送られた順番は学生さんの名前のあいうえお順だったのでは。「な」の方が3月、「ふ」の方は8月。??

死と背中合わせで生きた時代の若人たち、学徒出陣で戦地に散っていった若者たち、若者だけではないですが、戦死なさった人々のことを忘れてはなりませんし、改めて私は言いたい。曹洞宗の「祠堂諷経」の回向文から「万国戦死病没者」の文言を消したことには反対です。「諸英霊」と私はそのまま残したいですが、もしこの文言に問題があるのなら、「諸精霊」でもよいかもしれませんが、「万国殉難者諸精霊」に変えられてしまっていることに反対です。

今、新型コロナウイルスによって、いつ私たちも非業な死、不慮の死を迎えるかもしれません。お互いに命を大事に慎重に生きあってまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

                                  

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