風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

箱入り猫

2009-03-28 18:53:33 | Weblog
3月28日(土)曇り【箱入り猫】

ルナのお気に入りの箱です。箱に入って遊んでいます。これはまるで荷物でこのまま包装できそうです。「箱入り娘」ならぬ「箱入り猫」のルナです。

我が家の母も、このところ一日中家にいる「箱入り娘」の母になりました。いつも元気に出歩いていたのですが、どこにも出られなくなって一ヶ月以上になります。知り合いと巣鴨の「とげ抜き地蔵」さんに出かけたのですが、そのとき、都営の交通機関を使って只で行きましょう、と誘われて、かなり歩いたのだそうです。駅も階段をかなり降りたり昇ったりしたのだそうです。母は出かけるときに、どこにエスかターがあるか、どこにエレベーターがあるか、研究してあちこち出かけていたのですが、その方はそういうことは気にせずに、母を連れ歩いたのだそうです。

やはり90歳以上の老人をお連れするときは、その老人の足の具合に注意してほしいですね。またその後少し冷えたり、同じ格好をして長い時間坐ったりしたようで、それでついにダウンしてしまいました。

今日、高校時代の友人が、車を運転してくれて、一緒に付き添いをしてもらい病院に行ってきました。レントゲンの結果、骨がつぶれているので、神経を圧迫しているので痛みがあるのだ、と言われました。そしてこれから毎週一回骨を丈夫にする注射を受けにくるようにと言われてしまいました。

半年間、先ず様子を見ましょう、ということです。しかし、寝込まれてからすぐに連れて行ったお医者さんは「寝ていれば治りますよ」とおっしゃったのですが、この病院では毎週注射と言われてしまいました。大変になりそうですね。仕事と介護と家事とどれだけ頑張れるか、やってみるしかありません。介護保険は、介護人にとってはあまり期待できそうな支援は受けられないことが分かりました。お手伝いの方を頼む方法もありますが、少し様子をみてみましょう。今回で母に寝込まれるのは3回目です。2回はそれぞれ半年で回復してもらえましたし、私も50代でしたから頑張れましたが、60歳を越えてから少し体がきつくなりました。どれだけ頑張れますか。病気の家族を抱える人の苦労が分かりますね。

箱入り猫のルナと、一日中家にいることになった母と、できるだけ楽しく暮らしていきましょう。

ルナです

2009-03-25 15:42:50 | Weblog
3月25日(水)曇り後雨【ルナです】

お久し振りです。ルナです。
この顔は何か怒っているようですが。私がこの頃は遊んであげる時間がありませんので、どうして遊んでくれないの、と言っています。とにかく母が寝込んでいますので、勤めと家事で一日は一杯になりますね。

母はなかなか良くなりませんが、温かくなれば、少し良くなると思います。歩き過ぎと少し冷えたようです。お医者さんも何も治療法はないようで、家で湿布やら、枇杷の葉の湿布やらお灸やらしていますが、足を着くと痛いと言います。お風呂に入って暖まるとかえって痛いと言います。これがどうしてなのかますます分かりません。温めた方が血液の循環がよくなってよいのではと思うのですが、逆のようです。何かアドバイスのある方は宜しくお願い致します。

長渕剛「ガンジス」

2009-03-17 10:09:30 | Weblog
3月17日(火)曇り【長渕剛「ガンジス」】

昨日高校時代の友人が尋ねてきた。「あなたの本を読んでいたら、長渕の歌が出てきたので驚いたわ」と言った。彼女の家族は、お母さん、友人、息子と三代にわたって長渕ファンで毎年コンサートに行っていたのだという。過去形なのは、お母さんが亡くなる10日前にも行ったので、その後、お母さんのことを思い出すと、少し辛いので今は休憩中ということなのだそうだ。

長渕の「ガンジス」の歌詞を、私の本の中の「孤独なる死」という項に載せさせて貰った(日本音楽著作権協会(出)許諾済)。長渕がインドを旅したときに作った歌だそうだ。「バイ、バイ、ガンジス」というリフレインも好きだが、「神様はどこにいるのかと尋ねたら/老婆は自分の胸をさした/笑いながら自分の胸をさした」という箇所。

仏教的に言えば、如来蔵思想とか本覚思想という観点からの説明が必要になるだろうが、ここではあまりその観点からの議論は避けたい。ただ、長渕の感覚にそのまま頷きたいのである。

他にも長渕の歌には、心を打つ歌が多い。友人は長渕のコンサートに集まる暴走族スタイルのファンの人たちが礼儀正しく、気持ちよく会場を盛り上げ、自分の周りさえきれいにしていく姿勢に感心してもいる。そこまで長渕の魅力はファンを自然に育てているのだろう。

今度私も一度でよいから長渕のコンサートに行ってみたいと思っている。

今日はこれから、老人ホームに法話を頼まれているので出かけるのだが、認知の方々もお聞き下さるので、お話ばかりではなく歌も歌う予定だが、長渕の歌はちょっとどうだろうか。

介護認定

2009-03-11 12:25:50 | Weblog
3月11日(水)晴れ【介護認定】(いつでも元気なルナ、知人から頂いたおもちゃで猫キック)

昨日は介護の申請に行ってきました。母も92歳ですし、このところ全くベットを離れられませんので、思い切って介護支援を申し込もうと思ったのです。しかし、母にはまた復活してもらいたいとは思っています。

介護申請には「安心すこやかセンター」という保健所の出先機関が、近所にありまして、そこで先ず申請書を提出します。それから主治医の先生に所見をお書き頂くようにお願いに行きました。

そのうちに区役所の方が、認定のための面接に来られるそうです。厳しいという話を多くの方から聞きますので、果たして認定やいかに、というところです。

実は大学院時代に、母が車にぶつけられて肋骨を4本折り、半年寝込まれた経験があります。しかし、今は勤務先が家から離れていますのと、こちらも少し年をとりましたので、老老介護の大変さが身にしみて分かるようになりました。

介護保険が適用されて、少しでも手助けを頂けるようになると有り難いですね。

そんなわけで調べてからでないと書けない仏教ブログは当分書けないと思いますが、訪問者の皆様お許しを。

縁は廻りめぐって

2009-03-07 16:15:00 | Weblog
3月7日(日)晴れ【縁は廻りめぐって】

このひまわりの絵は、『雲と風と月とー尼僧の供養記』の挿し絵の一枚です。誰の死も惜しまれますが、幼い子の死はいっそうに惜しまれ、せつないものです。まして、それが他者による死であれば、いたたまれない思いがします。

日本中で起きている事件の全てを書くわけにはいきませんが、子どもさんたちの冥福を祈る気持ちで、いくつかの事件を書き留め、また後から後から起きてしまう事件によって、少しでも事件が風化しないように、またこれから同じような事件が起こされないような手立てはないものか、と思い随想のなかに書き留めました。

それに際して、本の中に少年少女への献花として、花の挿し絵を描いて貰いました。この挿し絵を描いてくださったのは井辺洋一という方です。この方とは、バス停で「おはようございます」と、なんとなくただ挨拶をかわすだけのおつきあいでした。1年以上たったある日から言葉を交わすようになりました。そして、どうも同じ高校の出身ではなかろうかと、直感のようなものがありましたので、尋ねましたところ、やはり、都内の同じ高校の私より一年後輩ということがわかりました。

そして、さらに私が『雲と風と月と』の編集を丁度はじめる頃で、花の挿し絵を描いてくれる人を探したいと思っていたときなので、そんな話をしましたら、「私の趣味は花や鳥などの絵を描くことなんです」というではありませんか。それから本の挿し絵を話の内容に合わせて、何枚もお描きいただくということになったのです。とても柔らかな雰囲気に満ちた花々が、供養の花として本を飾ってくださいました。

このひまわりの絵は、佐世保の御手洗怜美ちゃんがひまわりがお好きだったという記事を見たので、彼女への献花として描いて貰ったのです。

井辺氏と本の縁はこれだけではありませんでした。『雲と風と月と』が上梓してから、全文をお読み頂いたのですが、この本の中に「昔の熱血先生」という一文があります。この中に私はかつて観たことのある『人間の壁』という映画について紹介をしました。香川京子さんと宇野重吉さんが出た、昭和34年の映画です。

「あの映画に実は私は出ているのです」と井辺氏がいうではありませんか。この映画は茨城県の高萩市立高萩小学校でロケが行われ、その小学校の生徒もエキストラとしてかり出されたのだそうです。なんという縁でしょう。『人間の壁』という映画を観たという人も少ないでしょうし、ましてその映画に出ていたというのですから、私はこの話をお聞きして、本当に不思議なご縁だと思いました。またなんとなくこの本は「供養記」という副題が示すように、やはりなにか目に見えない力の御蔭で出来上がった本だという実感を得たのです。私がたしかに内容は書きましたが、それこそ編集の方や、校正、装丁、組み版、製本等々多くの方の力によって完成しましたが、さらに目に見えない何かがあると思わずにはおれません。自負するようで恐縮ですが、一人でも多くの方にお読みいただければ嬉しいです。

本の内容、前の続きです。


三、平成十九年随想
  なぜ母は殺されなければならなかったか
   沖縄「慰霊の日」
    冤罪
     星野村の炎
      長崎の鐘
       ミャンマー(ビルマ)情勢緊急集会に参加して
        逃げるという手がある-自殺に追いつめられる前に
       世田谷の悲劇

四、平成二十年随想
  ラサの決起
   一〇七人の命に
    樺美智子さんを悼む
     死刑にすることだけが解決ではない
      終戦の日
 
*この続きは、長くなりますので、また次の機会に。

『雲と風と月とー尼僧の供養記』
中央公論事業出版
定価:2000円

お近くの本屋さん、旭屋書店、紀伊国屋書店、有隣堂、文教堂、三省堂、丸善、表参道交差点山陽堂、他。又はネット販売もあります。宜しくお願いいたします。

啓蟄のルナ

2009-03-05 23:20:23 | Weblog
3月5日(木)晴れ【啓蟄のルナ】

今日は啓蟄(けいちつ)です。冬ごもりの穴から、虫たちが這い出てくる24節気の一つです。今日は暖かく、暦と陽気が合っているような一日でした。でもまた明日は寒いようです。

実は我が家の母は、10日ほど寝込んでいます。知人ととげ抜き地蔵さん(巣鴨の高岩寺)まで出かけまして、足を使いすぎたようです。痛いと言って、寝込んでいます。今日は啓蟄ですので、寝たきりにならないように、椅子を杖にして、部屋の中を歩いてもらっています。穴から出てきた虫のようにおぼつかない足取りですが、なんとか復活をしてもらいたいものです。(穴から出てきた虫は元気いっぱいかもしれません)

春のお彼岸ももう間近、私は風邪も引かずに、啓蟄を迎えられました。


映画『GATE』を観て

2009-03-03 20:22:33 | Weblog
3月3日(火)曇り寒し夜7時頃より雪【映画『GATE』を観て】

今日はお雛祭りでした。ブログの日付を書いて、あ、お雛祭り、と気づいた次第です。寒いお雛祭りです。お雛様をお飾りして、お子さんの成長を楽しんでいるご家庭もあることでしょう。

さて、昨日は、「SOTO禅インターナショナル」の総会で、映画上映会が催されました。場所は芝公園にある東京グランドホテル内です。上映された映画は『GATE』です。

広島に落とされた原爆の残り火は、九州星野村で山本達夫さんによって灯し続けられました。『GATE』は、その火を、原爆が生まれた場所、アメリカ・ニューメキシコ州「トリニティーサイト」まで戻す旅の記録をもとにした映画です。

原爆によって、多くの犠牲者と悲劇を生み、60年たった今でも、苦しみ続けている被災者がいます。長崎晧臺寺住職・大本山永平寺監院の大田大穣老師も長崎で17歳のときに被災なさったそうで、この映画に出演され、旅にも最初と最後の大事な場面に登場なさいます。

恨みの思いで灯し始められた星野村の火ですが、やがて平和を願う火となりました。これをランタンに灯して、星野村からアメリカ・サンフランシスコに運びこみました。それを核実験場、トリニティーサイトまでの2500キロ、行脚して元に戻そうという旅は始まったのです。3人の僧侶の旅は始まりました。

旅の間、多くのアメリカ人との出会いがあります。原爆投下は戦争終結のために仕方がなかったと思っていた元兵役軍人もいました。彼は原爆が投下されなくても日本は降伏の準備をしていたことを知り、過ちに泣きました。しかし、ほとんど多くのアメリカ人は原爆の悲惨さを知らないばかりか、投下されたことさえ知らない人もいます。

この行脚のことを知ったアメリカンインディアンや、多くの人びとが共に行脚に加わったり、協力の手を差し伸べてくれたのです。

行脚の間も、一行の懸念はトリニティーサイトに至るには先ず「スタリオン・ゲイト」が開かれねばなりません。このゲイトを果たして開けてもらえるか、ということでした。そのゲイトが開かなくては、星野村の火を元に戻して、負の連鎖を断ち切ろうという目的が達成できないことになります。ゲイトの鍵は今まで、誰にも開けられることはありませんでした。ダライラマ法王でさえも、それは許されなかったといいます。

砂漠の暑さに苦しめられながら、足の豆の痛さに苦しめられながら、一行はそれを心配していたことでしょう。

世界最初の核実験の日7月16日から、長崎に原爆が投下された8月9日までの25日間、一行はいくつかのグループに分かれて、2500キロを行脚し続けます。そして、この25日間、アメリカ各地でこの行脚のことは報道されたそうです。世界でも配信され、ロシアのプーチン大統領も、この行脚には心動かされたといいます。

そして、ついにゲイトの鍵は開けられました。アメリカ・ホワイトハウスの指示によってなされたのです。そうでない限り開くはずのないゲイトです。

大田大穣老師を先頭にして、一行と共に付いてきた立会人125人が静かに、原爆投下最初の悲劇の塔に向かいます。その頭上には、先刻までの雷鳴の鳴りやんだ空から光が差し込んでいます。原爆で一瞬にして命を奪われた多くの人びと、消されたとさえいえる人びとの祈りが、60年たった今、平和を祈る光としてそそがれたのかもしれません。地球を守りたい大いなる光がそそがれたのかもしれません。

光に包まれて、大田大穣老師は、平和を願う千羽鶴と道中で頂いた翡翠と悲劇の地の土をくるんで、それに星野村の火をつなぎつけました。それは炎となり、炎は平和の願いをこめて燃え上がりました。二度とこの火が世界のどこにも燃え上がることのないように。ここで終着、これで終わり。ここで燃え尽きて消える。二度と世界人類は核爆弾を使用することのないように。

しかし現実は、世界には多くの核が保有されています。人類全てを何回も滅ぼすことができるほど。

この爆弾を買い占めて、平和的なことに転化しようという運動を監督、マット・テイラー氏を中心になされているそうです。

この運動について関心のある方は、admin@gndfund.org
また映画の上映をなさりたい方は、gate@ic-lab.ne

お寺や公民館での上映は可能だそうです。どなたでも申し込めるそうですので、ご検討なさってください。

SOTO禅インターナショナルの映画会および講演会に、出席しての報告をさせて頂きました。