風月庵だより

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励まされて

2007-07-18 19:20:21 | Weblog
7月18日(水)【励まされて】

東京方面のお盆経は無事に勤めさせて頂けました。今年は台風4号の影響で、雨に濡れながら回りました。この台風によって、九州や四国方面等、大変な被害を蒙ってしまいました。その上更に16日には、新潟や長野方面に大地震が起きてしまいました。お盆の疲れもさることながら、あまりの災害に茫然としてしまい、ブログを更新する気力も出ない状態でした。

さて、この頃、ある青年と時々出会います。彼は道々なにか呟きながら歩いています。そして私の顔を見ると、「お坊さんて、いい人が多いんだよねエ」と言ってくれます。

お坊さんはいい人が多い、と彼に教えてくれた人は誰なのでしょう。お坊さん側から言いますと、その人は「いい人」と言いたいですね。それとも彼が考えたのでしょうか。そのような発想を起こさせてくれるような体験でもあったのでしょうか。

「いい人」と励まされて、お盆経も終わりました。お盆の由来については、皆さんよく耳にしているかもしれませんが、『盂蘭盆経』というお経の影響があるようです。そのお経によりますと、お釈迦様のお弟子さんの中に、神通力のある目連尊者がいまして、冥界にいるお母さんを探しに行きました。するとお母さんは餓鬼道に落ちて苦しんでいるではありませんか。神通力のある目連尊者にもどうすることもできません。

目連尊者は泣きながら、お釈迦様に助けをもとめに行きました。お釈迦様は7月15日自恣じしの日に、僧達に御供養をすれば、お母さんを救えると教えました。

また僧達には「みな先ず施主家の為に呪願せよ。七世までの父母に願し、禅定意を行じて、然して後に食を受けよ」と伝えました。そして、その通りにしましたところ、目連尊者のお母さんは餓鬼の苦しみから救われということです。

この自恣の日ですが、インドでは雨が降り続ける雨期があります。この雨期の3ヶ月間はお釈迦様もその弟子達も一箇所に留まって修行しました。これを雨安居うあんごといいます。この間坐禅をしたり、お釈迦様の教えを受けたりしたのです。そしてその修行中に自らの反省懺悔をしあうのが自恣であり、自恣の日というのは特に雨安居の終わる7月15日のことを言います。

そうだとすると、特にこの時期の仏弟子たちは、心身ともに清まっている状態と言ってもよいでしょう。その僧達の威神力いじんりき(すぐれた働き)をもってすれば苦しみを救うことができるのだとお釈迦様はおっしゃったのです。

このことを考えますと、お盆のお経に伺う僧侶たちは、清浄でなければなりません。そうでなければ、いくらお経を唱えてもなんの功徳もないでしょう。ここが私にとって一番の問題です。

自らの信仰心の薄いことを反省します。「お坊さんていい人が多いんだよね」と言ってくれた青年の言葉に叶いたいと願いますが、なかなかです。

それにつけても、私がいつも心に思い浮かべる少年の姿があります。ある日の研究所からの帰りの電車でのできごとです。私は電車の扉近くに立っていました。ふと扉の横に目を向けましたら、そこに立っていた少年が私をじっと見てから、おもむろに手を合わせてくれました。私も思わず合掌を返しました。

しばらく私の目をじっと見ながら合掌してくれていました。その目の真っ直ぐなこと。このような目を一点の曇り無い、というのだろうと思いました。それからまた彼は自分の世界に入っていきましたが、私が電車から降りるとき、再び真剣な目で合掌して見送ってくれました。僧侶という存在に対して、この少年が抱いてくれた純な思いが、私にはストレートに伝わってきました。彼は知的障害のある少年でした。

私は、彼の純眞な目を時々思い出します。その目は私を励まし鼓舞してくれるのです。「この私」ではなく「僧侶」という私の有り様に対して、励ましを受けるのです。

この少年にしても、「いい人だよね」といってくれる青年にしても、私を励ましてくれる存在です。私はこれからも、電車で出会った少年と少年の合掌に励まされて、この道を歩いていくでしょう。

お陰様でこのお盆も、励まされて、つとめさせてもらえました。知的障害のお子さんをお持ちの親御さんは大変なことも多いでしょうが、思いがけないところで、か弱い庵主を励ましてくれていることも、お知らせしたく書かせて頂きました。

清浄とは、どのようであることを言うのだろうか 私は、仏の智慧を学び、慈悲の実践を為し、自らの行為を常に点検、反省し、修行し続けていくこと、と受けとめています。 私自身は、なかなか充分にできていないことを、点検、反省しております。