風月庵だより

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物欲をいかに防ぐか

2009-08-30 11:23:54 | Weblog
8月30日(日)曇り時々雨【物欲をいかに防ぐか】(投票に行きましょう)

今日は選挙の投票日です。私も投票に行ってきました。果たして8時以降の結果やいかに。日本の経済も少しはよくなるでしょうか。

先日、特急あずさ1号に乗りました。その座席の背にカタログショッピングの本が入っていました。頁をめくっていますと、普通には売っていない便利そうな商品がたくさん紹介されていました。車に乗った時の折りたたみ式足台とか、ヒバの木の風呂蓋とか、どれもこれもあるとよいなと購買欲を駆り立てられる商品ばかりです。

本は持参自由ですので、貰っていこうかと、ふと、思いました。しかし、「お待ちあれ、これを持って行くと、あれもこれも欲しくなるのではないかしら。結局はあれもこれも無くても生活できる物ばかり。今ある物でさえ捨てようかというのに、これ以上物を増やすのは止めよう、やめよう、ヤメヨウ」と思い、本はまた座席の背に戻しました。

こんなお客ばかりですと、日本の経済もまわらないでしょう。しかし、私はお坊さんですから、許されるといたしましょう。それにしましても、すでにありすぎるほどの物を持っています。出家するときに、全ての持ち物を人にあげたり、捨てたりしたというのに、呆れたものです。

カタログショッピングの本は持たなくてよかったと思っています。物欲は限りないです。より便利な物を求めて、さらにさらに欲しがります。自制しなくてはなりません。今ある物を活用しましょう。これでちょっと、具体的に、物欲増大を防ぐことができました。

さらに思いました。今使っている眼鏡にしても、よりよい物を求めてあちこち探し回ったのですが、手に入れてみれば、なんということはありません。どこででも手に入りそうな代物です。よりよい物を求めて貴重な時間を費やしました。こういうことももうやめようと思います。本当に必要なもので、たいした時間を使わなくても丁度目の前にそれがあれば、購入しましょう。時間を物を求めて使うことは一切やめましょう。今までの人生で十分にそれはしてきました。

ということで、この頃、そんな気を起こしています。

しかし、本当にこんな人間ばかりでは社会はまわりません。ある方は大いにお使いください。物欲もなんですが、先立つものがない、というのが物欲を起こす前に、私には横たわっているわけです。私はそれでよいとしましょう。物欲はきりがありません。

経済優先の傾向が日本社会を歪ませてしまったことも、きちんと見据えた政治家に日本の舵取りをしてもらいたいと願う投票日です。そのような政治家を選ぶのはあなたの私の一票です。

小僧となったお寺

2009-08-27 08:23:58 | Weblog
8月27日(木)晴れ【小僧となったお寺】

法幢師さんのお寺の施食会に伺ってきました。東松山にある浄空院という禅寺です。得度は先代のご住職にしていただきました。

この写真の奥の建物は禅堂です。以前は茅葺きでした。得度したての頃は、暁天坐禅、朝の鐘撞き、朝課、作務等々、厳しく師匠に仕込んでいただいたことを思い出します。その頃はあまり有り難いとは思えませんでしたが、今になって、有り難かったと思っています。

思い出の一杯つまった私にとっては特別の場です。

禅堂には澤木興道老師が揮毫された「洗塵」の額がかかっています。


拾い猫グレー

2009-08-22 22:22:54 | Weblog
8月22日(土)晴れ【拾い猫グレー】

近所のパーマ屋さんが、またウロウロしていた子猫を拾ってきました。小さいまま一匹でウロウロしているとカラスにやられたり、虐待の人に捕まえられたり、動物愛護協会という名の大量虐殺の役所に連れて行かれてしまっては大変なので、捕獲籠を使って捕まえたのです。毛色がグレーっぽいので一時名はグレーになりました。

パーマ屋さんがお盆休みで、どうしても出かけなくてはならない間は、お隣の電気屋さんの奥さんが面倒を見てくれていました。朝、仕事に出る前、お店の前のガラス戸から覗きましたら、この写真のソファの上で、寝ていました。誰もいないお店で一匹で夜を過ごしたのだと思うと、あまりに健気で胸がいっぱいになりました。あまりに不憫なので仕事の帰りに遊びに寄ったりしていました。

早く貰い手が出てくれると有り難いと思い、宣伝のためにこの写真を撮りました。なかなか個性的な顔をした猫ちゃんです。このブログでも宣伝してみようかと思っていましたら、今朝、子猫を欲しいというご夫婦が現れて連れて行ってくれました。とても可愛がってくださるような感じのご夫婦でした。よかったです。でもちょっぴり、グレーちゃんがいなくなって寂しいみんなです。

猫のキヨちゃん再び受難

2009-08-20 12:28:46 | Weblog
8月20日(木)晴れ【猫のキヨちゃん再び受難】(左がキヨちゃん、右がルナ。お話でもしているのでしょうか)

ようやくお盆やお施食会のお手伝いが一段落しました。一昨日、昨日はそれほどでもなかったのですが、今頃疲れがでてきました。研究所に出てくるのが、今日はとても辛かったです。皆さんはいかがですか。やはり少し夏休みをとらなくてはならないと思っています。この暑いのに、働いてばかりではいけませんね。

ところで、キヨちゃんは再び受難です。もう少しで直腸に達するほどの怪我です。近所の猫にやられたようで、4日ほど飼い主が気が付かず、膿が大量に出て8日の土曜日に気が付いたのだそうです。おそらく猫にやられた時すぐにお医者さんにつれていけば、奥深くまで膿がいかなかったでしょうが、お尻がえぐれたように奥まで肉がえぐれていました。

近所のお医者さんに連れて行ったら、2日後に縫合手術をしましょう、費用は6万円です、と言われたといいます。それで、私が行きつけのとても信頼している動物病院にすぐ連れて行きました。その先生は、ぐるりと巻かれているテープをはがしてみて、これは縫合手術をしたら、膿が出る場を失って、さらに大変な状態になってしまいますよ、と見立ててくれました。それで、洗浄と化膿止めと、抗生物質の注射をしてくれました。テープも巻きません。費用もとても安かったです。それから毎日、私が運転手でその先生のところに連れて行っています。

お陰様で肉芽が盛り上がってきています。完治するまでに2ヶ月くらいかかるそうですが、本当によかったと思います。しかし、こういうことがありますから、やはり外に出してはいけないということなのです。キヨちゃんの飼い主に何回も頼んだのですが、家においておくのは可哀想、と言われて聞いてもらえませんでしたが、今度こそ、家の中での飼い方を考えてくれると願っています。

猫エイズと白血病の検査もしなくてはなりません。傷つけられてから1ケ月以上経たないと、検査しても罹病しているか分からないのだそうです。相手の猫が病気のウイルスを持っていたら、大変です。もし、ブロックするとしたら、すぐにブロック注射をスタートしなくてはならないそうで、それには15回くらいの注射で費用もかかるそうです。飼い主の人に説明しましたが、それはやらないようです。

なんとか、キヨちゃんが無事だとよいです。キヨちゃんもとても可愛い猫です。いずれにしましてもルナと遊ばせることは、今のところできません。ルナは時々、玄関で友達の来るのを待っているようにも見えますが、衝立に乗ったり、外を眺めたり、孤独でも楽しんでいてくれると思っています。

この頃はキヨちゃんの病院がよいが、2,3日置きでもよくなりました。これも私の夏バテがピークになった一因です。猫を貰ってもらうのもなかなかアフターケアが大変です。

キヨちゃんを飼ってくれた人は、自然が一番という考えの方なので、このような結果になってはじめて分かってくれたようです。二回もの愛猫の怪我という代償を払って、やっと家猫として飼うことを分かってくれたようです。動物を飼うにも責任がありますね。

ナガサキー戦争をおこした軍部の責任

2009-08-09 20:25:46 | Weblog
8月9日(日)曇り夕方激しい雨【ナガサキー戦争をおこした軍部の責任】

長崎11時2分、そのとき一瞬空は夕焼けのようになったと、被爆者の方が語っていました。

原爆が二度と地球に落とされることの無いよう。とはいえ多数の核と、核保有国。

原爆が落とされた8月6日と9日、原爆の悲惨な事が報道されます。

しかし、なぜ原爆が落とされたか、それは軍部が無謀な戦争を起こしたからである、という原因を先ず、みなくてはならないでしょう。この点を曖昧、または脇においておいて、原爆の悲惨さだけを訴えただけでは充分ではないでしょう。原爆は悲惨な結果を引き起こすから使うのはやめましょう、と言うだけでは充分ではありません。

日本は二度と戦争を起こさないし、加担もしない。世界も世界憲法9条を制定しなくては。

しかし、テロ行為や、軍部の独裁などを起こさせない根本的な解決無くして、絵に描いた餅、絵に描いた核廃絶、絵に描いた戦争放棄になってしまう可能性があります。難しい問題です。

核保有しなくしても、世界の平和の均衡をたもつ政治ができますように。

長崎の原爆で命を失った人々の、冥福を祈ります。日本は憲法九条を守ることが、人々の冥福を祈ることと同じことだと思います。《九条改変を望む人々には、冥福を祈ることさえ許されないと思う、》八月九日、この日です。
*《 》で囲った部分の意見は撤回します。

ヒロシマ-その時警報は発令されなかった

2009-08-06 22:08:15 | Weblog
8月6日(木)晴れ【ヒロシマーその時警報は発令されなかった】

今年も64回目の8月6日になりました。平和記念公園では、市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、デスコト国連総会議長ら約5万人が参列したそうです。外国からも過去最多の59カ国から大使などが派遣されて、犠牲者の冥福と世界平和を祈りました。オバマ大統領の核廃絶の姿勢は、世界中へのメッセージにもなっていることでしょう。

 午前8時からの式典では、この1年に死亡が確認された被爆者5,635人の名前を記した死没者名簿が、秋葉市長と遺族代表によって慰霊碑に納められました。名簿は今年で計95冊、記載人数は26万3945人になるそうです。

今年は、遺族代表の西村知子さん(35)と子供代表の小学6年来島圭介さん(11)が原爆投下時刻の8時15分、「平和の鐘」を祈りをこめて鳴らしました。

オバマ大統領は「核なき世界」を世界に発信しています。秋葉市長も核廃絶を目指し力を合わせようと英語で訴えました。そして、大統領にならい「Yes,we can」と呼び掛けました。

多くの市民が犧牲になったヒロシマ。私は今年初めて知ったのですが、この時、広島には空襲警報が発令されなかったのだそうですね。もし、空襲警報が発令されて、防空壕に逃れていたら、多くの市民は命が助かったのではないかということです。その時、たまたま防空壕に用があって入った人だけは生存していて、外にいた彼以外の人は全員が亡くなってしまったそうです。

NHKの番組、8月5日まで書かれていた女学生たちの日記をもとに構成された番組を、最後のほうだけちょっとだけ見ました。爆心地から600メートルしか離れていないところで働いていた女学生たちの全員が亡くなったそうです。一瞬にして消されてしまった命、遺体さえも見つからない多くの人々。今も広島の地には、多くの人の溶かされてしまった遺体も眠っているといえるのでしょう。

しかし、アメリカでは64年前の広島と長崎への原爆投下について、米国人の61%が「投下は正しかった」と考えていることが、米キニピアック大学(コネティカット州)の世論調査研究所が行った調査で分かったそうです。投下を支持しない人はわずか22%とは、なんという恐ろしい結果かと思いました。「オバマ大統領は「核なき世界」の実現を訴えているが、米国では依然、原爆投下を肯定する意見が根強いことが浮き彫りになった。」と記事には書かれていました。

しかし、よくその記事を読んでみれば、「全米で約2400人を対象に実施された。」とあります。わずか2400人に聞いた結果に過ぎません。統計学というものを知りませんが、わずか2400人を対象とした調査で、全アメリカの状況をさすかのように「結果発表」。あやしいものです。そのように世論を操作したい記者が書いた記事かもしれません。もっとも、原爆投下を支持する意見が、アメリカ人には多数あります。

アメリカが核の洗礼を受けたとき、初めてその悲惨なことを知るのでしょうか。その時では遅すぎます。

被害者は日本人だけでたくさんです。世界は二度と核を使ってはならないのです。今夜の月は満月でしょうか。静かに皎々と光を放っています。犠牲者の冥福を祈ります。

鈴木智道老師御遷化

2009-08-03 21:45:01 | Weblog
8月3日(月)晴れ【鈴木智道老師御遷化】

今日は長野県の茅野に、ご葬儀で行ってきました。ここに検校庵というお寺があります。ここの東堂様の全覚智道様が7月29日の夜、御遷化なさいました。

智道様は尼僧の鏡のような方でした。いつも笑顔を絶やさない、楽しいことが大好きな、周りの人を大事にしてくださる庵主様でした。

私も何回も検校庵さんには拝登させていただきましたが、はじめて伺ったのは、尼僧堂から送行したときです。名古屋から行脚して埼玉の師寮寺まで帰る途中、お世話になりました。

今日はデジカメを持たないで出かけてしまい、長野の美しい景色をお見せできず残念ですが、先日の虹の写真にさせていただきました。今から27年も前のことですが、智道様が車で諏訪湖の近くまでお迎えに来てくださったとき、諏訪湖に大アーチの虹がかかっていました。諏訪湖の虹を背にして、お迎えくださった智道様を偲んで、虹の写真を記事に添えました。

行脚に出発するときもおむすびを握って持たせて下さいました。いろいろと思い出は、私にもありますので、傍にいた方々には山ほどのお世話になった思い出があることでしょう。

とてもよいお声でした。梅花の師範として多くの講員さんもお育てになりましたし、尼僧団の副団長としてご活躍くださいました。お若い頃には、お寺が火災にあったりして、本堂の再建にもご苦労をなさったそうです。とても口にはあらわせないご苦労を乗り越えての尼僧としての御生涯であったろうと思います。世壽八十二歳。ご冥福を心より祈らせていただきます。