風月庵だより

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追悼 オルレアンの少女とオルレアンの老女

2019-08-27 22:15:18 | Weblog

8月27日(火)晴れ後夜より雨【追悼 オルレアンの少女とオルレアンの老女】

この写真は、2006年9月25日にフランスのオルレアンで撮影した写真です。母は、この時、90歳と1か月でした。
あらためて考えましたらかなり高齢です。しかし、私は、いつもあまり母の年齢に縛られず、中国にも韓国にもヨーロッパの友人たちのところに連れて行っていました。オルレアンには、日本人の友人と、母と仲の良いドイツ人の奥さんの夫婦が住んでいて、その家に10日ほど滞在させていただきました。

母の後ろの銅像は、オルレアンの少女と謳われた・ジャンヌ・ダルク(1412~1431)です。
その前に立つ母は、とても90歳とは見えない老女です。なかなか元気な姿です。
このころは、足は達者で、私よりも元気に歩いていました。母があまりよく歩けなくなったのは、同じ姿勢で、近所の家のカウチに長時間横になっていたことによるエコノミー症候群のようになってからです。それでも93歳の時には、韓国にも旅しています。

さて、今日は、母の月命日でした。二か月前の27日の朝、旅立ったのです。つい先日、長年来の友人から花籠が送られてきまして次のようなメッセージがつけられていました。
「お見事な旅立ちを、お祝い申し上げます」と。

その通りであると、私もこのメッセージに同感します。この写真はオルレアンに旅した時の写真ですが、これと同じく元気な姿のまま、母はあの世に旅立ったのです。

もう少し、親孝行の時間をもらいたかったと残念がるのは、私の問題であって、母の問題ではないのです。
見事な旅立ちを祝福すべきなのです。「お母ちゃん、お見事な旅立ちでした。」

#オルレアンの少女

#ジャンヌ・ダルク

 

 


母の七七日忌

2019-08-20 17:39:49 | Weblog

8月20日(火)曇り後夕方雷と雨【母の七七日忌】

16日は母のこの世における103回目の誕生日でした。14日が四十九日目でしたが、二日後の16日に見送らせてもらいました。

道元禅師様は『正法眼蔵』「道心」巻では、「たといこの生をすてて、いまだのちの生にうまれざらんそのあいだ、中有ということあり。そのいのち七日なるそのあいだも、つねにこえもやまず三宝をとなえたてまつらんとおもうべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといえども七七日をばすぎず」と、お書きになっています。

キリスト教ではFifty-daysという儀式があるそうですが、海外の友人から聞いた話ですから、書かれたもので確認はしていません。神道では五十日斎(いとかさい)という区切りが、やはりあるそうです。

49日の間、母とともに食事をしたり、お茶を飲みして、話をしたり、思い出しては涙したり、写真好きの母でしたので、あちこちに旅行した時の写真がきちんとタイトルが書かれたアルバムに整理されていますので、それを見ては、懐かしんでいました。

写真は日付を入れておくのが、後の者には、よいということがよくわかりました。母、何歳の時、と書き入れることができました。海外に一緒に旅行した写真がかなりありました。母が70歳の時、私とともに香港にも行っています。73歳の時にはオーストリアの友人のところに旅していますし、母はひとりでもストックホルムに住んでいる息子のところに毎年、出かけてもいました。かならずトランジットがありますが、航空券を見せて、親切な青年に助けてもらったこともあったそうです。

オーストリアの私の友人の家に、一人で一か月以上いたこともあり、皆さんに大切にされたそうでした。外国語は全くできませんのに、随分勇気も度胸もあったと思います。

中国にも韓国にも連れて行きましたし、90歳の時にはフランスのオルレアンにすんでいる友人のところにも連れて行きました。93歳の時には韓国の本覚スニムという友人のお寺にも連れて行きました。この度の七七日忌にも本覚スニムもいらっしゃる予定でしたが、台風で取りやめになりましたが、皆さんにとって、母は印象深く、忘れがたい人間として思われていたのではないでしょうか。

私は相変わらず、もっと孝行したかったのに、申し訳なかった、という思いを捨てきれませんが、母はさっさとあの世への旅路に向かい、道元禅師様のおっしゃるように生まれ変わっているか、もしくはしかるべき場所で修行生活を始めているかもしれません。

私の願いは、来世はお坊さんになって生まれ変わってきてね、という勝手な願いですが、果たしていかがでしょうか。しかし、私があの世に帰るときには、迎えに来てほしいとも思っていますので、生まれ変わってしまっていては、それはできないでしょう。

この世の死後は、はたしてどのようになっているのでしょう。知りたいですね。母はどうしているのでしょう。

この世の私は、中陰明けの志の品を弔問にお越しくださった方々にお送りしたり、四十九日の僧侶もつとめ、喪主としての役目は一区切りです。

身近な家族を失って、悲しいというより、「切ない」という感情を味わっています。皆さんの中で、身近なご家族を見送られた方は、お辛いでしょうが、特にお体お大切になさってくださいませ。

*

90歳の時;フランスたぶんオルレアン

 

#七七日忌