一昨日の朝、夢を見た。私はこの頃はほとんど夢を見た覚えがない。しかし夢は寝ている間、結構見ているのだそうだが、起きる前の夢しか覚えていないのだという話を聞いた。一昨日の夢はあまりに意外な夢であったので、跳び起きたのである。
白っぽい石でできている仏の坐像が突然立ち上がった。私はびっくりして傍らの兄に「お不動様が立ち上がった!」と叫んだ。今は亡き兄なのだが、その兄が右の傍らにいることに、夢のなかの私は全く違和感を持っていないようだ。兄も「立ち上がった」と言った。するとまたすぐに石仏は坐相になった。お不動様と瞬間的に夢の中で、反応していたが、そのお姿はいわゆるの剣を片手に持った形ではなかったようだ。
再びカッと目を開いて、石仏が立ち上がった。カット目を見開いた樣子が、夢の中の私に不動明王を思い起こさせたのであろう。「また立ち上がった」と私が言った。その言葉が終わらないうちに、また石仏は坐相に戻った。するとその傍らに、今は亡き師匠がお立ちになられていた。「どうしてお不動様は立ったのでしょうか」と、私が尋ねると、「それはな、この仏様の開眼をしたお坊さんが本当の坊さんだったからだろう」とお答えくだっさったのである。
私はその答えに、傍らの兄を見て、「あの仏様をご自分が開眼なさったこと、忘れているみたい」とつぶやいた。
そんな夢であった。兄の夢もめったに見ないし、師匠の夢もほとんど見ないので、パッと目が覚めて、そのことに不思議な気がした。開眼の夢を見せられるとは、私が未熟なことを師匠が心配なさって、活を入れに出てきて下さったのだろうか。僧侶としての修行が実に未熟であると、大いに反省をした。
本当におろそかに生きられないと、あらためて思った。師匠は死してもなお弟子のことを、しこんでいてくださるのだ、これは空からお見通しに違いないとも思ったのである。
一日たった昨日、ジャワ島の地震のことを気にかけているとき、「石仏が立ち上がった」夢のことをふと思ったら、不思議な符合を感じた。ボロブドゥールの石仏のことを思い出したら、夢のなかの石仏が似ていたことに気がついた。そしてボロブドゥール遺跡をお参りしたとき、石仏の傍らでなんとも言えない強いエネルギーを受けたことが思い起こされた。人間は地球と繋がっているのではなかろうか
一昨日の夢は、夢を見た時間と、地震のあった地域の石仏がたまたま符合しただけのことだが、それで何のお役に立つわけではないし、坊さんとして未熟な自分に気合いをいれることのほうに受けとめて、一昨日の夢判断は終わります。でもちょっと不思議な感じの夢でした。
今夜も被災地の人々は、眠られぬ夜を過ごされていることであろう。