風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

寺の番人

2021-02-28 18:12:31 | Weblog

2月28日(日)晴れ【寺の番人】

今日は2月の晦日です。速いですね。
朝の行持をもう少し書き足します。まず鉄瓶のお湯を沸かして、仏さまにお茶入れ。7匹の猫のエサやり、それから暁天坐禅(すでに朝天ですが)朝課、ご祈祷、韋駄尊天諷経、お墓のお参り(祥月命日の家の墓所にはお線香を手向けます)。戻ってからウイルス対策のお茶(梅肉エキスと梅干しの黒焼き等)それから朝ご飯は御餅を一枚(朝は空腹を味わいます)これはいつも同じです。(この頃寒いので、朝の体操は休みです)

本日午前中は、猫と境内散歩、終ってから内猫の足ふきと体拭き、それから大変、法事の方がすでに見えました。四十九日忌と納骨.

午後は総代会(議題は、本堂の天井板が雨漏りでシミがひどいのでその貼替えについて。寺の所有地についての疑問ー昭和46年に2万坪近くあったことが、前総代さんの細かい記録から読み取ることができ、さらに美濃紙に書かれた所有地の全地図も出てきましたので、不動産屋さんに閉鎖謄本というものを取ってもらいしらべました。まことに寺の番人の仕事です。しかし、ほとんど寺の周り檀家さんの所有になってしまっていたことが分かりました。昭和46年以降も戦後の農地解放は行われていたということなのでしょう。戦後まもなく行われたと思っていました。)。終って来客、お帰りになってから鐘撞き、猫7匹のエサやり、そして今パソコンの前。

いつもいろいろと用事があり、毎日はスピードに乗って過ぎてゆきます。それこそ、どこにも出かけることはありません。ほとんど寺の中です。住職とは、寺の管理人と思っていましたが、いや、寺の番人に等しいと思います。

今まで、屋根の上でお寺を見守っていてくれていた鬼さんを作り直しの為に降ろしました。約50年間、ご苦労様でした。私は番人としては、まだまだ鬼さんには敵いません。

近くで見ると大きいですね。子鬼が北側にありましたが、ぼろぼろになって
いました。クレーン車で鬼さんを釣り降ろすところです。


申年の梅干し

2021-02-23 12:59:30 | Weblog

2月23日(火)晴れ風強し【申年の梅干し】

本日は、天皇誕生日ですね。天皇陛下も、聖武天皇や正親天皇などが、天災に遭遇なさったことを話されていました。

今年は、丑年ですが、申年の梅干しについて、ちょっと一言。母親が「申年の梅は、大事だからつけておきなさい」と言った言葉を思い出しましたが、母親が漬けた「申年の梅干し」を見つけました。

そこでなぜ申年の梅がよいのだろうか、調べましたら、平安時代に疫病が流行ったとき、村上天皇が梅干しと福茶で疫病を治した、と、伝えられているのだそうですね。

このことから、特に「申年にとれた梅は縁起が良く薬になる」という風習が、今も伝えられていて、母もそれを知っていたのでしょう。ただどうしてよいのか、説明を受けたことはありませんので、ただ「よい」ということを当然のように知っていたのかもしれません。特に60年に一度の甲申年に収穫した梅は縁起物と呼ばれる、申年の梅の中でも、特に珍重されているそうです。

さて、下の写真には「16年 サル年の梅」と母が書いた紙が貼ってあります。2016年も確かに申年ですが、その時母は101歳くらいですから、この紙を書く気力も梅を漬ける気力もなかったでしょう。

とすると、平成16年2004年になり、母は90歳くらいですから、私とフランスにも行きましたし、十分気力のある年です。そこで、平成16年の干支を調べましたら「甲申」の年でした。

僅かしか残っていませんが、少しづつ頂いて新型コロナウイルスの感染から逃れることのできますように、祈りつつ食べさせていただきましょう。

母のようになんでもマメに書いておくと後の者が助かります。学びたいと思っていますが。

皆様も、このコロナ禍にあって、なにか有効な対抗策を実行なさってくださいませ。私はどうしても不特定多数の人たちと会わなくてはなりませんので、本当に注意したいと思っています。

 


宇宙寺院 劫蘊寺

2021-02-20 20:46:43 | Weblog

2月20日(土)晴れ【宇宙寺院 劫蘊寺】

今日はあたたかかったですね。一日朝から忙しく電話と来客と猫のエサの買い物等で、アッという間、過ぎゆきました。

さて、『中外日報』の記事を読んでいましたら、真言宗醍醐寺が「浄天院劫蘊寺」という宇宙寺院を、2023年の建立をめざしているとありました。
この発想の面白さもありますが、私個人にとりましては、なんといってもこの名前の字、劫蘊院この「劫こう」の字です。多くの人がこの「劫」という字を「却」と間違えます。

この宇宙寺院が有名になりましたら、皆さんが「劫」という文字を認識してくださるだろうと期待しています。

あまりに眠くなりましたので、本日はこの辺で失礼いたします。
今日は疲れました。

劫は、簡単に言えば、無限に近い時間といえばよいでしょうか。

(劫ほどは生きられません。ルナも少し老けました。)


明恵上人の法界定印

2021-02-16 19:12:06 | Weblog

2月16日(火)晴れ 暖か【明恵上人の法界定印】

昨日は涅槃会でした。お釈迦様が涅槃に入られた日、ということになっています。

さて、明恵上人の縄床樹座禅像(髙山寺蔵)という座像は有名ですが、それが印刷されたページを見ていまして、あらっと気が付いたことがあります。法界定印は、今、私たちは右手が下ですが、明恵上人は左手を下にしています。明恵上人は承安3年(1173年)のお生まれで、寛喜4年(1232)にご遷化していますから、道元禅師よりは年上です。

前にも書きましたが、法然上人批判の書として、『摧邪輪』という書を著しています。駒澤大学時代に学びましたが、どうもその時は不消化でした。不勉強を今では残念に思っています。明恵上人の晩年の頃は、道元禅師は宋から帰国なさっていて(1227年)、建仁寺から深草の安養院に閑居なさったのが、1231年です。お会いしていたのではないでしょうか、と、戒を守り、仏道一筋のこのお二人が京都でお会いなさった、と思いたいですが、そのような証拠はありません。

次にコメントをくださいましたtenjin和尚さまからのコメントを貼り付けさせていただきました。

失礼いたします。 (tenjin95)2021-02-17 09:13:22> 管理人様

御指摘の通りで、我々の法界定印とは逆なんですね。明恵上人は、南北朝期くらいまでに成立した伝記だと、栄西禅師との関わりが指摘されていますが、実際の禅学は、著作によるものだったと思います。

インド由来の経典では、「右手で左手を押さえる」という語句が見えますので、それに従った可能性もあります。或いは、仏像・仏画は基本、右手が上なので、絵像の作家がそれに準じた可能性など、いくつか考えられます。

中国で左手上位の作法になり、そのことをインドから来た仏陀波利と中国僧が議論(『修禅要訣』)しましたが、仏陀波利は中国で勝手に変えた、というようなことを指摘していますね。

話は全く違いますが、明恵上人のお名前は、どこかの首相の奥さんの文字と同じですね。

さて、左手下の法界定印の座像を、紹介しておきます。


マイペースに生きる重要性

2021-02-10 18:13:25 | Weblog

2月10日(水)晴れ【マイペースに生きる重要性】

今日もあっという間に一日が過ぎゆきました。片付けやら来客の応対やら工事の件やらなにやらかにやら………
御来訪の皆様の一日はいかがでしたか。しかし、まだ夕方の6時ですから、まあ、これからいろいろと帳簿の整理やら手紙書きなどなんとかできそうですね。

このブログも書かなければ、時間はそちらに使えますが、ちょっとだけマイペースということについて、昨日から考えていますので、書かせていただきましょう。実は昔の友人が、脳梗塞で倒れてしまったということを耳にしました。ほとんど会う機会のない友人ですが、若いころ、共に修行した仲間であり、私よりもはるかにしっかり者の方です。

彼女は、他の人を表で活躍させるために、蔭で働きどおしだったのではないかと推測できる面があります。はたしてそのせいによる脳梗塞という結果かどうかは分かりませんが、私は自分自身の生活からもマイペースで生きる、生きられる、生活できる、ということは、この命をできる限り安全に生かされるために重要なファクターではないかと、思ったのです。

私自身最近の経験でも、30代の女性とともに暮らさなくてはならず、それはかなりきつかったです。年齢差もありますし、育った環境も価値観も大変に違いますから、自分ひとりのペースで生活しているときとは随分違いました。折り合っていくことも大事でしょうが、あまり無理をしますと、精神的な苦痛だけではなく、身体的にもかなりの苦痛が生じます。それはお互い様です。相手にとってもそうでしょう。

一つ屋根の下に暮らす必要性がなければ、割り切って無理をすることはやめるべき、と、痛感しています。特に年をとってから無理することはありません。

あまりに物の捉え方が違うときがありまして、ご本人は自分が正しいと考えて、私を非難したことがありました。数回そのようなことがありましたが。そのときに心拍数を計ったところ、通常は60から70なのに100にもなっていて驚きました。わざわざ計ってみて、そのことを知ったこともよかったです。

「オイ、オイ、ソレハナイダロウ」と、後期高齢者としては、言いたいところです。
できるだけ気持ちよく生きられるように努力することは、自分の命の管理者、命の責任者として大事でしょう。

私も住職としても、あまりに難問が後から後からありますので、東宝名人会の落語のCDを買いました。唐突に話は飛ぶように、ご訪問の皆様は思うでしょうが、笑いは命の活性化に大事です。

空を見上げたり、落語を楽しんだり、マイペースですね。お互いに、ワッハッハで参りましょう。御機嫌よう。友人の回復を祈るばかりです。

(「東宝名人会」のパンフレットの左隣は、私の椅子の上で、自由気ままにマイペースで寝ているハッピーです。)


坐禅について

2021-02-09 21:29:18 | Weblog

2月9日(火)晴れ【坐禅について】

もうはや2月です。信じられますか。それももう、9日です。信じられませんね。工事も始まり、一日がなんとなくあっという間に閉じてしまうという感じの日送りをしています。本堂に見事な足場もかかりました。まだ足場作業は続きそうです。なんといっても足場は命がかかっていますから、基礎中の基礎、要ですね。

なかなか読書をする気力が出ない日々なのですが、私は、朝はたとえ短時間でも坐禅をすることを日課としています。坐禅の時間を持たせていただくのは、なかなか大変でして、僧堂修行中に、いやという程、坐ることができたのはいかに幸いであったことか。

さて、今、『無限の世界観〈華厳〉』(角川文庫)を開きましたら、次のような鎌田茂雄先生の言葉がありました。因みに私は鎌田先生とはお会いする機会がありませんでしたが、韓国の友人、陳本覺法尼は『華厳経』の研究で博士号を取得していまして、面識があったと伺ったことがあります。

只管打坐というと、ただすわれ、悟りを求めちゃいけない、というわけです。ただすわっていれば、いろんな雑念が次から次に浮かんでく             る。それをほうっておけというのです。それの根拠をどこに求めるかというと、仏の坐禅であるということになるのです。衆生の坐禅だったら、これは悟りを開く坐禅で見性しなきゃいかん。ところが人間は人間であればいいんで、迷いが順番に浮かんでくるということが、人間のほんとうの人間らしさであるということです。道元の教えというのは、それはそれであるということなんです。(247頁)

自分が坐禅をしている、ととらえない、仏の坐禅をしている、坐禅は仏の坐禅なのである、ということになりましょう。華厳の教えの特質は、「仏の命の光明に貫かれている」という「性起説」ですから、鎌田先生曰く「道元の宗教の根底の背景は(性起品の教えがなければ)成り立たない」ととらえています。

これを受け取り間違えると、本覚思想となり、精進しないでよいのだ、坐禅もしないでよいのだ、と間違った方向にいってしまうのでしょう。
坐禅をする私は凡夫ですが、坐禅は仏の坐禅です。坐禅をすることによって、即仏の光明に抱かれ、仏の光明の只中なのである、といってもよいのではないでしょうか。

あらためて華厳の教えの本の中から、坐禅について考えてみました。

寒暖の差が激しいこの頃です。くれぐれも部屋の換気や、乾燥にはお気をつけください。加湿の水入れは面倒ですが、あまりに乾燥しすぎですから、お部屋に適度な湿気はコロナ対策としても大事です。皆様、御身お大事に。


お告げ鳥 コロナ禍

2021-02-02 14:11:36 | Weblog

2月2日(火)晴れ【お告げ鳥 コロナ禍】

今日は節分です。とても暖かい日中です。

先週の木曜日の夕方、多数のカラスがお寺の竹林から隣の森の上を飛び交っていました。その様子がいつもと違うので、どなたかがお亡くなりになるのであろうか、という想いがしました。そうでなければよいが。

翌日、檀家さんからご主人がお亡くなりになったという電話が入りました。間違い電話かと思ったほどでした。まだ若い人です。新型コロナウイルスに感染してしまったということでした。家族全員が陽性だそうです。

残念ですが、ご葬儀をすぐにあげることができません。内臓の病気があったそうです。しかし、通常は生活にそれほどの支障もなく、釣りが大好きで、年中釣りの獲物をさばいては、持ってきてくれていました。温和な青年でした。

このウイルスに感染しさえしなければ、まだまだこの世にいられた命であったのに、と思われてなりません。

しかし、身近に迫ってきています。他人ごとではありません。斎場も今までは3時までは、感染が原因でない方を荼毘にふす時間でしたが、この頃は感染症でなくなる人が多いので、3時からは、感染症のご遺体を荼毘にふすようになっていて、かなり多いそうです。

じわじわと忍び寄ってきています。
皆さん、他人ごとと思わずに、家庭内感染も多いようですから、気を付けあっていきましょう。
それにしてもカラスはやはりお告げ鳥だと、改めて思ったことでした。

(日頃は写真のようにカラスの飛んでいない空に、多数のカラスが飛びあっていました。)