風月庵だより

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言葉のわかる猫

2015-05-28 12:53:31 | Weblog

6月2日(火)晴れ【言葉のわかる猫】

はや6月です。ある方に手紙を書かなくてはと思いながら、半年がたってしまいました。半月ではなく半年ですから、我ながら筆まめだったころの自分を思うと驚きです。やはり老々介護はかなり時間的にも大変ですね。介護の方やらの応対もありますし、とにかく今までも食事作りは手を抜かないでやってきましたが、それだけでも大変ですが、その上身の回りのことやら、いろいろです。

お寺も少し工事するところがあり、その件でも忙しくしています。また今週中には今年出版予定の本の原稿も書いています。と、自分がいかに忙しい日々を送っているかの宣伝のような本日のブログ記事ですが、自分のブログですから、お許しください。

皆さんも何かとお忙しい日々をお送りではないでしょうか。私もほとんど好き好んで忙しい日々を選択しているので、愚痴も文句も言えません。

その上、7匹の猫の世話があります。ルナとタロー君は、毎朝外の散歩に出かけます。ルナは一時間くらいで自分で帰ってきますが、タロー君は「タロー、タロータローちゃんお帰り」と何回呼んでも3時間くらい帰ってきません。

しかし、私が朝早くに出かけなくてはならない日は、なんとしても一時間で帰ってこないと一日中外にいなくてはなりませんので、朝の散歩の前に「今日はお留守番だから、一時間で帰ってくるんだよ、そうでなくては外に出さないよ」と何回か言います。そうしますと「ミャー」とか鳴いて返事をしますので、出してあげます。

どうだと思いますか。驚くことに、ちゃんと一時間で帰って来るのです。今までに4回経験しました。たまたまかもしれませんが、猫バカとしては、やはりこの子は言葉がわかる、と感心しています。

外から帰りましたら、必ず足だけではなく、きれいに胴体も拭きますが、「キレきれするよ」と言いますと、ちゃんと洗面所に入ってきます。

やはり言葉が分かるのではないでしょうか。

と、言うことで、今日は猫の親バカの話でした。今日も諸々頑張ります。皆さんもお元気で。

「命は光陰に移されて暫くも停め難し……「無常忽ちに到るときは…」誰も助けてはくれません。「唯独り黄泉に趣くのみなり」ですね。『修証義』の文言をつくづく噛みしめる日々です。

(タロー君です)

 


孤独

2015-05-20 10:43:25 | Weblog

5月20日(水)【孤独】

ルナの近影です。

下の写真は兄弟三匹です。

世田谷に住んでいるときは、ルナも姉妹のキヨちゃんといつも一緒にいました。何となくさびしそうに感じますが、今のルナにそんな感情があるかどうかはわかりません。私の勝手な思い込みかもしれません。猫語が分かれば、傾聴してあげられるのですが。

聞いてもらえるだけで気が晴れることもあることでしょう。

 

 

 


複雑な家庭というが

2015-05-17 17:11:13 | Weblog

5月17日(日)晴れ 暑いです 【複雑な家庭というが】

よく「家は複雑な家庭なのです」という人が日本人にはいます。どんなですか、と聞くと、

「父と母が離婚していまして」というようなことを言われます。

日本の人は離婚を複雑と言いますが、他の国の人は違っています。例えば、私の弟の息子と孫が先日スエーデンから遊びに来ました。この息子はスエーデン人の母親から産まれましたし、彼にとっては父親の二度目の日本人の奥さんから産まれた日本人の妹がいます。さらにスエーデンの母親の方には、母親の二度目の夫との間に産まれたスエーデン人の弟と妹がいます。複雑と言えば複雑ですが、少しもそのようなことを深刻化していません。

まあ、周りにもよくある話ではあるのでしょうが、家庭的なことをより複雑かつ深刻化して自分の身を不幸な人間と思っている日本人はかなり多いと思います。これは日本の湿気が多すぎるように思います。

同じことでも国民性の違いで受け取り方がずいぶん違うことがあると思います。たとえば養子縁組についても、日本人は「あの子は貰いっ子だ」などと言いますが、全くそのようなことを気にしない国もあります。(貰いっ子という表現は差別のある言葉ですが、このような表現を使うということの例えですので、ご了承ください。)

自分を取り巻く環境、特に家庭的な環境を必要以上に深刻に受け取り、自分が暗いのはそのせいであるとか、自分が心の病になったのはそのせいである、とする人に時々出会いますが、外界のせいにしない方が、気楽に生きられるのではないかと思うのです。

それで、自分のことを延々と話し続ける人につかまってしまったら、かなりのストレスになってしまいます。よく傾聴ということを耳にしますが、私はこのような話にはあまり耳を傾ける親切心を持ち合わせていません。

湿気の多い日本に暮らしていると、湿気の多い判断をしてしまうことがあるということを、少し考慮してもらえると、もっと楽な生き方ができるのじゃないでしょうか、と言いたい時が時々ありますね。

たまたま私も難しい家庭環境で育ちましたが、お陰様で人のできない苦労を経験させてもらっています。その苦労なくして今の私はないと思います。面白かった、と思っています。

泣いても笑っても一生です。人生はなかなかいろいろあって面白いのではないでしょうか。

(久々のルナです。

「ワタシもフクザツと言えばフクザツよ、大好きだった姉妹のキヨちゃんとは、離ればなれになってしまって会えませんし、お兄ちゃんのモルちゃんとは、幼い時に別れたきり一度も会っていません。それなのに今は、全く血のつながりのないタローを弟だと和尚さんに言われていますし、外には、タローの姉妹や兄弟や母親が住んでいますし、フクザツでしょう。」)

(こうして久々にキヨちゃんと一緒だったころのルナの写真を見てみますと、やはりキヨちゃんと別れた寂しさは、どこかにあるのではないかと人間的な感情としてはやはり思ってしまいました。例えば父親と、例えば母親と、たとえば兄弟姉妹と、離婚によって離ればなれになってしまったという寂しさは、確かにあると思います。その辛さが、そのような経験をした人の人間形成に影響することは、たしかにあることでしょう。)

 

 


しずかさや岩にしみいる蝉の声」について

2015-05-06 18:09:32 | Weblog

5月6日(水) 【しずかさや岩にしみいる蝉の声」について】

先ほど『華厳経入門』という本を読んでいたら、この芭蕉の句が出てきました。以前この句を目にしても、なかなか味わいのある句、と、思うだけでしたが、ふとこの句に改めて、気づいたことがあります。

この句には時間の経過があるということ。蝉がひとしきり山全体に鳴きわたるほどに鳴いて、鳴き終った後の山の静寂。

わかっていて当たり前のことを書くようで、恥ずかしいですが、今までぼーっと字面を読んでいたので、この時間の経過を改めて味わっていなかったと思います。

「鳥啼いて山更に幽なり」という言葉もあります。これは梁代の王籍という人の詩の中にあるようです。

鳥が啼いている情景、そして啼きおえた後の静まり返った山を思い浮かべます。時間の経過がありますね。

本師はこの語句をよく揮毫なさいましたので、しみ込んでいる語句ですが、あらためて味わい深く思います。

激しく若い時代に生きた人は、老いてからの時間は静かなのでは。


永平寺行

2015-05-05 17:08:42 | Weblog

5月5日(火)曇りのち晴れ 【永平寺行】

先月26日、27日と永平寺に拝登して参りました。

とても良いお天気でした。何段もの階段を上り下りしまして、すっかい足の筋肉痛になってしまいました。

この時期いつも拝登するのですが、今年は特に疲れました。毎年同じ時期に同じ場所に行きますと、自分を観測できますね。

この写真は、法堂(本堂のこと)から眺めた真正面の山ですが、肉眼のようには写っていませんでした。屋根は仏殿の屋根です。右は僧堂の屋根です。

道元禅師様の時代には、本当に寒かったでしょうし、深い深い山の中で、木々が鬱蒼としていたことでしょう。春の息吹がどれほど身に沁みたことでしょう。

下の写真は道元禅師様の御真廟(お墓)の承陽殿から写した風景です。