風月庵だより

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老老介護記 40.2度の発熱

2019-05-31 11:33:22 | Weblog

5月31日(金)晴れ【老老介護記 40.2度の発熱】

昨日夕方母の病院に行きましたところ、再び点滴をし、氷枕をされていました。看護婦さんに尋ねたところ、40.2度の熱が出たので、氷枕をしています、点滴は食欲がないのでしています、ということでした。原因はなにかはっきりしませんが、おそらく足の付け根に前の病院からつけてきた点滴の管による可能性が高いでしょう、と言われました。

輸液はソリタT3号と輸液でしたので、しらべましたところ、「水分や電解質を含む輸液剤を点滴により補給することで体液のバランスを整え病態の治療効果を高められる輸液」ということです。

足の付け根につけられた管は、つけっぱなしなので、そこから細菌に感染して発熱の危険性があるということのようです。しかし、お小水を集めるためのバルーンの管から細菌に感染して、発熱するという危険性もあるようですから、管が体についているということは、決して安心な状態ではありません。

細菌をやっつけるための処方は、施されていないようです。ドクターがお休みなので、できないのかもしれません。

こんな風にして、高熱に侵されたり、細菌に侵されたりして、母の老いた身体は段々に衰弱していくのかもしれません。しかし、今は終末医療専門のドクターや看護婦さんや看護師さんや看護士さんたちがそろっている療養病棟ですので、お任せするしかありません。普通の病院に手術後一か月近く入院していたのは、間違っていたかもしれません。何らかの医療行為をしなくては、置いておけなかったのかもしれません。母は口から食べることができていましたので、リハビリにこだわらずに、一刻も早く療養病棟に転院したほうがよかったのかもしれません。

この記事を書いているよりも、ちょっと母のところに行ってきます。ご訪問の皆さんはいつも老老介護記ですみません。別の記事も書きたいのですが、ご容赦。


老老介護記 母の転院

2019-05-29 13:45:13 | Weblog

5月29日(水)晴れ曇り【老老介護記 母の転院】

昨日は、あまりにむごい事件がありました。このような事件で命を突然奪われた人たちのご葬儀の、もし自分が導師を勤めなくてはならないとしたら、どんなにか辛いことかと思います。今日は、ご病気ではありますが、仕事も勤め上げ、家庭もしっかりと守り切ってこの世の命を閉じられた方のお通夜を勤めさせていただきます。

さて、我が家の母は、102歳も長生きです。昨日、療養病棟のある病院に転院いたしました。お蔭様で、点滴の管は、昨日は抜いていただきました。これから、どのように担当のドクターの診断がくだるかわかりませんが、なんとかバルーンも取っていただければ有難いと思っています。なんとか管無しであの世に自然に送りたいたいというのが、私の願いです。

今度の病院は、ナースステーションも広々と廊下に面してあり、介護士さんの人数も多く、さらに常にドクターの姿を見ることができます。その構造だけでも安心があります。早くにこちらに転院していた方がよかったかと、思いますが、手術を受けた病院の方が、リハビリが一日に2回受けられるので、それで退院許可は出ていたのですが、少し長くいさせてもらったのです。療養病棟では、ひと月に12回しかリハビリが受けられないと、聞かされていたのですが、今度の病院でもなるべく早くリハビリをするようにしましょう、できれば自宅療養ができるように努力しましょう、という方針と、聞かされて、実際はどのようになっているのか、早くに聞きに来たほうがよかったと、一つ反省しています。介護のことで、なかなか完璧ということは、ありませんね。いつもなにかしらの後悔にちかいことがあります。

介護している皆さん、また自らの病に対処している皆さん、これがよいか、あれがよいか、思い悩むことはあるのではないでしょうか。とにかくいろいろと検討して最善と思う道を選ぶしかありませんね。後悔はつきものと、言ってもよいと思いますが、選んだ道で、最善を尽くし、さらに別の方がよいのでは、と思う場合は勇気を出して、別の道に行った方がよい場合もあるかもしれません。とにかく結果論ですから、後で、苦しむことは少ないようにと願います。

母の場合は、百歳も越えていますし、いつどうなっても致し方ない、と思ってはいますが、できるだけのことはしたいと考えています。しかし、昨日は、説明やら、不足の品を買いそろえたり、毎日のローヤルゼリーと玄米クリームを作って届けたりしていましたら、夕方までかかってしまいました。

あまりに疲れてしまいました。ああ、私も確かに老であったと、痛感した次第です。小さなコップにビールを一杯だけ飲んで寝てしまいました。今度お送りする方の引導法語を夜中に起きて、作らせていただきました。引導法語だけは早めに作っておかないと、後から書き足りなかったことなどがありますので、重要なご葬儀前の仕事です。こうしてお送りした皆様と、私も帰ったときにお会いできると楽しいと思っています。

(今は亡きハッピーです。とても穏やかな猫ちゃんでした。)

 #老老介護記

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老老介護記 療養病棟

2019-05-24 10:11:39 | Weblog

5月24日(金)晴れすでに暑い【老老介護記 療養病棟】

昨日からかなり暑くなってきました。体がこの暑さについていけない感じです。今日は、お通夜がありますので、明日のご葬儀も含め、体調を整えておかなくてはなりません。今日の母の介護は兄に頼みました。

一昨日、母の次の行く先である療養病棟のある病院に行ってきました。ここには、十分なリハビリが望めないと思って、午前午後の2回リハビリのある現在の病院に入院していた方がよいかと考えていたのですが、どうもそうではないように思えてきました。療養病棟の方が、終末期医療の経験が十分にあるので、突然の事故などによる骨折などを扱う整形外科の病棟よりも、母のような老齢な患者の扱いには、多くの事例に慣れているというだろうということに気が付きました。

できればバルーンもとりましょう、点滴も取りましょう、食事は食堂に出てきて食べましょう、という方針のようです。それこそ私の望んでいる状態です。来週、いよいよ転院になります。はたしてどうなるでしょうか。でも、今の病棟も看護婦さんたちには、とてもよくしていただきました。母は看護婦さんの名前も憶えているようです。

今朝はおかしな連想をしました。樹木希林さんの『遺言』というDVDを観たのですが、とても示唆に富んだ、何回も笑ってしまった含蓄のある内容でした。この話はさておき、それから娘婿の(本木)内田雅弘さんのことが頭に浮かび、それから、彼が主演した映画で、ゾルゲ事件の尾崎秀実を演じたことを思い出しました。それはかなり印象深い嘘くさくない映画でした。かつては、尾崎秀実のように共産主義のソビエト連邦を是とする文化人もいたわけですが、いまや、その国は独裁国家になってしまっています。国民一人一人の幸せを願って共産主義はうまれたと、私も思っていましたが、愚かしい幻想でした。尾崎秀実全集も全部読んだことがあったことを思い出しました。本当にこの世のことは、何が是かなにが非かわかりませんね。自分自身の考えもはたして、多くの場合、是か非かわかりませんが、この身心が導く先を歩んでいくしかありません。

お互いにこの命ある限り、生き続けましょう。暑いですから、熱中症に気をつけましょう。

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老老介護記 昨日の熱は何処へ

2019-05-20 21:57:15 | Weblog

5月20日(月)晴れと曇り【老老介護記 昨日の熱は何処へ】

今日は、点滴も増えて眠っているのだろう、どうしたろうか、と心配しながら病室に向かいました。しかし、その心配は全く必要がありませんでした。熱も36度台に下がっていて、誤嚥性肺炎の懸念はない、と看護婦さんが説明してくれました。

リハビリの担当の方も丁度見えて、リハビリができそうですね、と体温を計ってみて、言うほどになっていました。リハビリが終わってから、この分では玄米クリームも食べられそうですし、生ローヤルゼリーも口に入りそうなので、また寺に戻って、煮ておいた玄米を裏ごししたりしました。母の生命力も強いと思いますが、生ローヤルゼリーもかなり効果はあるのではないでしょうか。玄米クリームも効いていると思っています。

それにしましても、昨日の熱はどこからきたのでしょう。これからもこのように一進一退の症状が現れるのでしょうか。私もそのたびに振り回されないようにしないと身が持たない、と思います。昨夜は夜中に目を覚ましてから、しばらく寝付けませんでした。やがては尽きていく母の命ですが、もう少し楽な状態になるまで生きていてほしいと思います。点滴の管がとれ、バルンも抜けて、自力でお小水をだせるようにしてあげたい、と思います。誤嚥性肺炎にもならないように口腔内をできるだけきれいにしておきたい、と思い、夕食介助の後、口腔ケアスポンジももらい、口の中をきれいにそうじしました。

またいつの日か、お寺の母のベッドに寝かせてあげたいと願っています。老老介護もなかなか大変です。

昨日は、誤嚥性肺炎かと思い、お騒がせしました。


老老介護記 誤嚥性肺炎

2019-05-19 20:41:01 | Weblog

5月19日(日)晴れ【老老介護記 誤嚥性肺炎】

母は眠っていて、目を覚ましません。昼間行ったときは、多少話は出来ましたが、夜行ったときは、全く目を覚ましません。看護婦さんに聞きましたら、おそらく誤嚥性肺炎を起こして、お熱が高いのだと思います、という説明でした。ただ氷枕を頭にしているだけでした。明日主治医の先生が見えたら、レントゲンをとって、抗生物質を点滴したり、食事は一切やめて、栄養価の高い点滴をするようになるでしょう、ということでした。

なんとも心もとない対応で、整形外科に入院しているので、その対応があまり適切ではないのかもしれません。面会時間が終わりましたので、やむを得ず、後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。

せっかく手術は成功したというのに、このようなことで、命を終わっていくのかもしれません。なんといっても102歳ですから、誤嚥性肺炎に耐えられるかどうか。

本当に可哀そうで、申し訳ない思いです。施設にさえ預けなければ、このようなことにはならなかったのです。残念です。


老老介護記 一進一退

2019-05-18 21:14:06 | Weblog

5月18日(土)晴れ【老老介護記 一進一退】

お蔭様でお寺の大行事は、一段落着きました。あまり詳細は書かないことにしました。実は5日ほど前のこと、留守電に不審な電話がありました。一応名乗っていますが、「〇〇さんの脚本の著作権について、ご相談に乗りたいと思います」というような電話でした。〇〇は私のペンネームで、かつて脚本を書いたことはありますが、勿論いまさら著作権などを言うつもりはありません。ただ、〇〇というペンネームの人間が、このお寺にいて、さらにこのお寺の電話番号を知っているということが気持ちが悪いことだと思います。ネット情報や、このブログも一つの情報網と言えます。もし、不審な電話の方がこのブログをお読みでしたら、私は、全く著作権などに興味はありませんので、ご放念ください、と申し上げたいです。

さて、母の状態は、ある日は元気かと思うと、今日は全く生きている、という感じがありませんでした。毎日、玄米をきつね色になるまで炒り、さらに長時間煮込んだのをさらに裏ごししたり、野菜スープを裏ごししたりした食べ物等々と、生ローヤルゼリーを運んでいますが、ある時は「おいしい」と言って、よく食べますが、ある時はあまり食べません。

今、24時間、ビーフリードという点滴を続けています。バルーンもつけています。これをなんとかとれないかと思っています。今日は、その上、抗生物質の点滴もしていました。炎症反応が出たとかで、熱が高かったようですが、氷枕も頭と体につけていました。いくら外から体を冷やしても、かえって害があるとしか思えません。

こうして、病院にいると、かえって病気にされてしまうような気さえします。母をこのような目に遭わせてしまって、申し訳ないと思います。お寺の仕事が都合がついたときはお寺で介護をし、忙しいときは施設に預かっていてもらったのですが、まことに残念としか言いようがありません。やはり介護の夜勤の人数が、あまりに少なすぎるのではないでしょうか。20人に対して1人の人が受け持つ、というのはあまりにきついかも知れません。20人に対して、せめて2人というのが、事故が起きないためにも見直される必要があるのではないでしょうか。

母の状態が、これからどうなりますか、見通しがつきません。リハビリのある施設では受け入れてくれないということで、療養病棟ならば、受け入れてくれるということです。来週担当の方と面談をします。療養病棟ということは、何らかの医療行為がないと受け入れてもらえませんので、点滴とバルーンは、外せないということになるのでしょうか。なんとも情けないことです。

#老老介護記

#ビーフリード輸液


老老介護記 母、二本足で立つ

2019-05-13 20:51:01 | Weblog

5月13日(月)晴れ【老老介護記 母、二本足で立つ】

今日、リハビリで、母は立てました。2回だけですが十分だと思います。手術をしてくださったドクターがリハビリを許可しているということは、立ってよいということだと、昨日、母に何回も言い聞かせました。そうして「わたしは立てます」と、いう言葉を言うようにその練習さえしてみました。結構しっかりと「ワタシハタテマス」と反復してくれました。

立たないと、手術をした股関節に加圧されないので、直りが遅いということもあるそうです。

今朝、目覚めてひらめきました。リハビリルームにある平行棒に両手を広げたのでは、母は立てない、今まで生活していたように、一本の棒に両手を肩幅くらいに置けば、立つことを体が覚えているだろうと思ったのです。

それで、午後のリハビリになんとか立ち会いたいと思い、病院に向かいました。そうして午後のリハビリに立ち会うことができました。リハビリの訓練士さん(どう呼ぶのかわかりません)に説明しましたところ、早速同意してくださり、リハビリルームの廊下のバーで実践をしてくださいました。

立てました。2回目は自ら立とうとして、立ちました。本日のリハビリはこれで十分です。

お蔭さまでした。

(お寺の関山櫻です。遅咲きです。今は散っていますが。)

#老老介護記

#リハビリ

#リハビリの成果


老老介護記 療養病棟の選択

2019-05-11 17:12:13 | Weblog

5月11日(土)晴れ・暑い【老老介護記 療養病棟の選択】

今日はとても暑く、病院から帰ってきて、ぐったりしてしまいました。昨日と今日は夕食の介添えをやめてみました。病院の食事を食べないと点滴の量が増えてしまい、ついに腕からの点滴は限界状況、真っ赤にはれ上がってしまいました。しかし、結構口から食べていますので、痛々しい点滴はやめてもらえないかと思うほどです。

今まで一日に2回、食事を作って運んでいました。それがかえって点滴の管を抜いてもらうためには、悪かったかもしれません。病院の食事をあまりに食べませんので、これでは点滴を増やさないと、という判断になってしまうのではなかろうか、と考えて、夕食の食事運びはやめてみました。

もう少し母の具合がよくなったら、以前のようにお寺とショートステイを利用して、手元で介護する日を増やしたいと考えています。

それは確かに大変かもしれませんが、ベッドで寝たきりにするのは、母の場合は気の毒に思います。それで、病院の相談員の方と話し合ってみました。とにかくリハビリ病院は受け入れを断られたそうで、寝たきりの老人を預かる療養病棟なら受け入れ可能なので、まず、ここに預けて点滴などで元気をつけてから、自宅に帰るという方針でいかがかと勧められました。

点滴をやめない限り、ショートスティは受け入れてもらえない、ということがわかりましたので、母にこのことをよく説明してきました。

はたして本当に理解してくれたか、どうかはわかりません。一緒に今日もリハビリの助手をしてきましたが、リハビリの方に「ありがとう」と、母に言うように、と言いましたら間髪入れず「ありがとう、有難う」「ありがとう」と言っていました。

しかし、いつも母の介護で選択を迫られることは、かなりのストレスになっています。

以前、本師の傍で介護をしていた時のことを思い出します。いつも最良の介護、看病について選択を迫られ、痩せる思いをいたしました。今も選択と介護で、一キロは痩せました。風が吹けば飛ぶほどの体重なので、一キロはかなりの比率です。弟子の人のことでも一騒動があり痩せてしまっていたところでしたので、老体にはこたえますね。

親の介護をなさっている皆様、この気温の変動にはお気を付けくださいませ。

#老老介護記

#療養病棟

 

 


老老介護記 世の中の人には諸言あり

2019-05-07 09:26:58 | Weblog

5月7日(火)晴れ【老老介護記 世の中の人には諸言あり】

毎日母のところに食べ物を運んでいます。病院の食事を食べないので、体力を戻すためにやむを得ません。一昨年もこの食事運びをしましたが、一昨年の時は、手術ではなかったので固形の食事ができました。しかし今回は、少しでも形があると舌で上手に外に出してしまいます。やむを得ず裏ごしにかけた、かまないでもよい食べ物になってしまいます。

ある日のこと、病院に行く途中で、知り合いの女性に、母のことを言いましたら、「自分で面倒をみられないから、施設にあずけるので、ケガぐらいさせられるのは当たり前ですよ。お金を払っているからいいって言うものではないですよ。102歳まで生きてもらっているのだから文句言うことはないですよ」と、のたもうた。

驚いた!

こういう人もいるのですね。この女性の義理のお母さんは、施設に預けっぱなしで面会にも滅多にいかないようです。とにかく姑にはいじめられてひどい目にあったことを、いつもさんざん言っている人が、平気でこういうことを、のたもうのですね。

世の中には、いろいろな人がいると、つくづく学ばされます。

さあ、今日はもうすぐなんとか書きあがりそうなお塔婆の最後の仕上げです。施餓鬼棚は先ほど「強い味方」(カグスベール)と一緒に真ん中まで運んでおきました。八尺間まで運び出してもらっていたのでなんとかできたことです。

とにかく頑張るしかありません。

(蟻さんたちが力を合わせてウドンの端切れを運んでいます。)

#老老介護記

 


老老介護記 リハビリのダメ―ジ

2019-05-04 20:39:55 | Weblog

5月4日(土)曇り

今日は雹が降りました、一時的に強い雨も降り、その合間に病院から一時帰ってきました。それからまた病院に母が食べられそうな品を届けに行き、夕食の介助をしてきました。が、ほとんど食べられません。病院の食事は全く今日は食べることができませんでした。持参した玄米クリームとかぼちゃのポタージュだけはなんとか口に入れることができました。

急激に弱っていますので、おかしいと思い、看護婦さんに尋ねますと、リハビリの疲れだろうと思います、とのこと。昼のリハビリに私も付き添ったのですが、ただ車椅子に座るだけでしたが、それだけでも高齢でもあり、疲れが出るのだというのです。リハビリの担当の方が、早くに車椅子に乗れるようにならないと、トイレで用をたせませんから、いつまでもトイレの管を付けていると感染症になってしまうので大変なのです、と説明をしてくれました。

とても優しそうな方です。しかし、車椅子に乗せるのも、ベッドに戻すのも、見ていますととても重労働のようです。腰を痛めないかと心配するほどです。母は今は24キロくらいしかありませんが、それでもとても重そうですから、もっと体重のある人はどんなに大変かと思います。

母は、とにかくリハビリのダメージで、疲れがひどく、ほとんど目を覚ますこともできないほど疲れています。

果たして明日はどうでしょうか。

*と、このように昨夜書きたかったのですが、病院から帰ってきますと、私自身あまりに疲れてしまって、パソコンに向かって居眠りをしてしまって、画面にぶつかりそうであぶないのでやめました。病院にいる間じゅう足をマッサージしていますが、介護の私が疲れすぎてはいけません、が、やむをえません。今日は写経と法話の会、午後は法事が2件あります。仕事を持っていての老老介護はかなりきついですね。老老介護をなさっている皆様、頑張るしかありませんね。お大事に。(5月5日記)