風月庵だより

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柳家紫朝師匠逝く

2010-04-28 21:32:00 | Weblog

4月28日(水)雨【柳家紫朝師匠逝く】

昨日も今日も雨です。

寄席の色物として、都々逸など三味線の弾き語りで活躍なさった柳家紫朝師匠が26日にお亡くなりになりました。今日はご葬儀でした。

紫朝師匠は、6歳から新内で鍛えられた喉と三味線で、まことに当代並ぶ者のないその道の芸人といえましょう。19歳で4代目鶴賀喜代太夫を襲名。寄席芸人としては、二代目柳家紫朝を襲名したのは、昭和44年です。黒門町の桂文楽師匠の元に居ましたので、桂二三夫という時代もありました。

師匠の芸もさることながら、珍品ともいえるほど、邪気のないお人柄でした。粋に生きることを芸の肥やしにしていたように思います。よき家族に見守られ、あの素晴らしい芸とともに去ってゆきました。至宝のような芸が消えた、という思いです。春暁院實誉紫朝居士。

実は、私はかつて師匠と結婚しておりまして、寄席芸人のおかみさんの時代もありました。

私に関するとんでもない中傷記事がインターネット上にありますが、全く間違っています。インターネットという世界は勝手に何でも書けますので、恐ろしい世界でもあります。もしそのような目に遭っている方がいましたら、弁護士さんに相談した方がよいです。 


飢餓

2010-04-12 10:10:17 | Weblog
4月12日(月)雨【飢餓】

飢餓は最大の病にして 諸行は最大の苦しみなり
これを如実に知るならば 最上の楽なる涅槃あり
(法句203)

釈尊は世界を眺められた時、アーラヴィーというところに住む一人の貧しい男に、預流の機根があることをご覧になりました。そこで、説法にお出かけになりましたが、この男は逃げた牛を探しに行ってしまいました。釈尊は彼が来るまで説法を始めないで待ちました。男は牛を見つけ戻ってきました。飢えに悩まされていましたが、食べないで釈尊の元に行き礼拝しました。釈尊は彼に食事を与えるように給仕の者に言いました。男は空腹が満たされ心が調いましたので、釈尊は法を説き、男は預流果を得たのだそうです。

弟子達がどうして食事の指示をなさったのかと、釈尊に訊ねますと、「飢えに苦しむうちは、法を説かれても洞察できないものです」と仰有り、上記の偈をお唱えになったそうです。(『ダンマパダ』ー大蔵出版283頁ー片山一良訳の因縁話を簡略に紹介しました)

大阪寝屋川で起きた、岸本瑠奈ちゃん(1歳10ヶ月)の痛ましい虐待死の事件。我が家のルナちゃんと同じお名前の赤ちゃん。
瑠奈ちゃんの体重は平均体重よりもはるかに少ない6キロだったそうです。十分に食べ物を与えられていなかったのでしょう。赤ちゃんの飢餓の心身、どんなに切ないことだったでしょう。顎の骨は折れ、タバコの火を押しつけられた跡もあったそうです。

この頃の幼い子等の虐待死について、あまりに痛ましく、記事に書くことはできませんでした。虐待死については書くことさえ辛いですね。それにしても、子を虐待する親の心は、どうしてこのように毀れてしまったのでしょうか。やはり彼らも虐待された経験が心に染みこんでいるのでしょうか。彼らに、罰として、数日間、食を与えない罰があってもよいかとさえ、この恐ろしい尼僧は思うのですが、すでに彼らも子ども頃にそんな経験をしているのでしょうか。もし、そうならば、かえって自分の子どもには、そんな思いはさせないはずだとも思うのですが。刑罰のことよりも、どうして彼らが、このようなことをするようになったかを探り、社会全体で考えることはできないでしょうか。

虐待されて亡くなられた幼い子等の冥福を祈るばかりです。







『加藤司書の周辺ー筑前藩・乙丑の獄始末』

2010-04-08 10:10:12 | Weblog
4月8日(木)晴【『加藤司書の周辺ー筑前藩・乙丑(いっちゅう)の獄始末』】(志士の一人、平野国臣の歌「君が世の安けかりせばかねてより 身は花守となりけんものを」)

この書は、幕末の混乱期にあって、勤王派の筑前藩の家臣たちが、無念ではあるが潔くも散っていった姿を、丹念に描いている。藩のため、日本の未来はどの道をいったらよいか、しっかりと見据えた加藤司書等有能な家臣たち。彼らを無惨にも断罪し処刑させたのは、佐幕派のいいなりに揺らいだ藩主黒田長溥。

家老を辞任した加藤司書に切腹の命が下ったのは、慶応元年(1865)年10月25日(陰暦)のことであった。切腹の仮屋が設けられたのは、萬境山天福寺である。「君君たらざるも臣臣たらざるべからず」たとえ君主が君主としていたらなくとも、家臣は家臣の分を守りきらねばならない、家臣がいたらないということは許されないのが、武士道であった。そして喜怒を顔色に表すことは武士として男らしくない、と鍛えられたその人は、従容として死を受け入れたのであった。享年36歳。辞世の歌「君がため尽くすまごころ 今よりはなほいやまさる武士の一念」

このような人びとが、加藤司書のみならず、幕末期の日本にはあちこちにいらっしゃったのですね。この書『加藤司書の周辺ー筑前藩・乙丑の獄始末』(成松正隆著、平成9年西日本新聞社刊)は、この前のブログで紹介しました自聰和尚が萬境山天福寺の住職なので、その縁で頂いた本です。熱い心を持ち、国のために生きた人びとへの鎮魂の書だと思います。多くの有能かつ真ある家臣を断罪して、失ってしまっていた筑前藩は、藩主もろとも明治の新政府では活躍することはできなかったのです。

実はこの本の中に野村望東尼のお名前をすぐに見つけまして、さらに心引かれたのです。野村望東尼については、宗研に勤めていました時、「曹洞宗関係文献目録」を毎年研究所としてまとめていまして、一昨年の自分の分担の中に、この尼師関係の文献が多くありました。いかなる人かと気になりましたが、福岡の明光寺というお寺のお弟子で、曹洞宗の尼僧であり歌人であった、とだけ知っていました。この方こそ、幕末の激動の筑前藩を、勤王の志士たちと共に生き、流刑までされたという方であったと、この書を読んで、具体的に結びつきました。またこの方が、乙丑(いっちゅう)の獄に関する人びとの動向も書き記していて、その資料も大分この書には取り入れられているようです。勤王の志士を匿ったり、なかなか女丈夫な尼師だったようです。こういう方が、禅尼師としていらっしゃったのですね。

この書はかなりの分量があり、読みでがありますが、文章が勝れていまして読みやすいです。著者の経歴を見ましたら、新聞記者を経験していらっしゃいます。文章修行をなさっている方の読みやすい文章です。ご一読をお奨めしたいです

「織田信長のうたいけり。人間わずか50年。てんで格好よく死にてぇな」こんな言葉を学生時代、よく耳にした記憶があります。映画『真田風雲録』で使われたようですが、最後のフレイズのみ耳に残っています。これは少し揶揄も入っているでしょうが、学生運動盛んであった頃の学生には、憂国の士もいたでしょう。

お釈迦様の降誕会に、このような記事をupしておきます。

平野国臣(斬殺される。享年37歳)の和歌:
               我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば 煙は淡し桜島山
万代十兵衛(切腹、享年32歳)辞世の俳句:さかぬまに 嵐に散るや 花桜

*天福坊和尚さんから次のような申し出がありました。
「加藤司書の周辺」は絶版でございます。
しかしながら、卑山にまだ在庫がありますので、入手されたい方は天福坊じそう ten-tem.1@wine.ocn.ne.jp までお申し出下さい。



南蔵院の桜

2010-04-05 12:28:56 | Weblog
4月5日(月)雨【南蔵院の桜】

板橋の蓮沼にある南蔵院に、先週伺いました。ここはしだれ桜で有名です。皆さんに美しいしだれ桜をお見せしたかったのですが、桜だけの写真を撮りませんでしたので、友人の自聰和尚が前に写った写真が一枚だけまともですので、ご本人の了解を得て、これを掲載します。

自聰和尚は神田紅先生の講談講座のお弟子さんで、講談夢中青年です。なんと福岡から講談を聴きに檀務の間にやってきました。そんなで、私は生まれて初めて和尚のために、浅草まで車を運転しました。繁華街に車で入るのは腕前が悪いので、怖いですね。でも行けばなんとかなるものですね。木馬亭の近くの駐車場に停めました。

木馬亭は、浪曲が主のようですが、神田門下の講談師の講談が一席入っていました。久しぶりに木馬亭に行って来ました。私は時間の都合上、好きな浪曲は聴けませんでした。子どもの頃、ラジオで「浪曲天狗道場」という番組があって、広沢虎三さんとか聞いた記憶がありますし、三波春男さんの浪曲は実際に聴いたことがあります。たしか忠臣蔵のおおたかげんごの話だったかもしれません。私もかなり古いでしょうか。この頃はテレビで浪曲はあまりやっていないでしょう。たまに3チャンネルでしょうか。もっと、こういう番組があってもよいのではないでしょうか。どうも今風の歌謡曲はきいていてもメロディがわかりません。今の人はこれがいい、というでしょうが、これが、人びとの情緒を育ててもいるわけですね。人情不在の歌謡曲が多いところに、ぱさついた人間関係がはびこっているジャパンのような気がします。古いでしょうか。だからといって、演歌ばかりがいいと思っているわけでもありませんが。浪曲はいいですよ。(*現代の歌謡曲にもよい歌はたくさんあります。まあ、一概には言えないところですが)


自聰和尚のもう一つの目的は、南蔵院での年に一度のひろさちや先生の講演を聴くことです。一年に一度4月の第一金曜日に「南蔵院参拝と花祭り講演会」があるのだそうです。私もこちらも生まれて初めて、ひろさちや先生のお話をうかがう機会を得ました。やはり人気のある先生は話術が巧みですね。少々Hな話もなさいますが、さらりと流せ、かつ笑いとばせる話し方でした。さて、肝腎のメインのお話は……たしか「空」についてでしたが、その時は覚えているのですが、時がたつと忘れるものですね。まあ、どこか細胞の襞に入っているということでお許しを。

そんな一日でした。このところせっかく桜が咲いているというのに、天気がイマイチ桜見物には向いていませんね。風邪など引かないようにお気を付けください。