風月庵だより

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迷信

2007-02-25 21:58:13 | Weblog
2月25日(日)晴れ【迷信】

今日も一日疲れてしまって気力がでない。昨日と今日と、風がひどく吹く墓前でのお経だったので、少し風邪気味になったか、もしくは花粉症のせいか。皆さんはいかがですか。

今日のご法事で、お墓を前もって買うことは悪いでしょうか、と尋ねられた。どうしてですか、と私は聞き直した。すると、生きているのにお墓をつくると、途端に死んでしまうということが多いそうなので、と答えが返ってきた。

私がお伺いしたお家の何件か、そのようなケースがあったのはたしかである。しかしお墓を建てたから亡くなったわけではないだろう。たまたま時期が一致したまでの事ともいえるし、もしくは無意識に死期を感じて準備をしたともいえるかもしれない。

お墓を建てたから死ぬ、というようなものの考え方を迷信と呼んでよいだろう。お墓を生前に建てるもよし、マイナスになる迷信は信じない方がよいし、もしすぐに亡くなるようなことがあったとしたら、むしろ準備ができていたことを喜んだ方がよいと思う。

カツを受験前に食べると試験に合格する、などというのも最近流行っているそうだが、これも最近作の迷信?に近い。勿論勉強しなくては合格するはずはないのだが、良い結果を期待してなにかしたいというのは回りの者の願いである。

ということで、実は知り合いの受験生のためにトンカツを料理して、夕方宅急便で送った。私も迷信を信じる愚かなおばさんの一人である。しかし彼のお母さんが生きていたならきっとそうしたであろう。

プラスになる迷信は信じても害はないだろう。高校生の頃、四つ葉のクローバーを持っていると幸せになる、と言われて大事に持っていたのだが、今でも古い本のどこかに挟まっているかもしれない。

しかしその幸せは叶ったと言えよう。『ダンマパダ(法句経)』のなかに「人もし百年生きながらうるも 最上の真理を見ざれば 最上の真理を見る者の 一日生くるが よりまさる」とあるが、仏教を学ぶことのできたこの身は、最上の真理を垣間見ではあるが、見るチャンスに恵まれていることは最高の幸せといえよう。

考えてクヨクヨするような迷信は信じない方がよいし、実害の無いことは楽天的にとらえれば、結構面白いこともある。そんなまとまりのないことを考えた今日の締めくくりである。来週も生ある限り生きましょう。

*「寿陵」:(りょうさん『一顆の明珠』からのコメントでお教えいただいたので書き添えます。) 近頃、話題を集めているのが生前にお墓を建てる「寿陵」。歴史をひもとくと、道教の「不老長寿」を深く信仰した秦の始皇帝のお墓が「寿陵」のルーツだといわれています。その後、中国から日本へその風習が伝わり、有名な吉田兼好の『徒然草』には、聖徳太子が生前にお墓を建てた逸話も残っています。(「仏教豆知識」より転載。


子育てはママばかり

2007-02-24 23:17:50 | Weblog
2月24日(土)晴れ北風強し【子育てはママばかり】

今週はバスの中で、保育園に行く途中のママと坊やに、会う機会が多い一週間だった。三日続けて会った坊やとママもいた。「小さいうちは私が傍にいた方がいいんですけれど」と若いママは言った。「働かなくてはなりませんから」

一歳になったばかりだという坊やを保育園に預けてから、ママはお仕事。帰るときも坊やを迎えに行って、帰宅したらすぐに夕食の支度やらなにやら。ママはきっと帰宅してからも大忙しで働き通しのことだろう。

坊やはとても愛くるしくて、バスの中でもニコニコと笑顔を振りまいてくれるので、こちらまで幸せな気持ちに満たされてしまう。回りの乗客も思わず顔を綻ばせ、坊やのお陰でバスの中は幸せな波動に包まれるのだ。

幼な子のいる風景はなんと素晴らしいことか、と感じる。しかしこの幸せを運んでくれるには、ママたちの苦労に一身にかかっているように思う。朝の通勤電車の中でも、小さな子を抱いたママの姿をあちこちに見受けられる。ほとんどがママばかりで、パパの場合は実に少ないのである。(なかにはパパが保育園に連れて行ってくれる家庭も勿論あるだろうが)

1,2歳位まではまだ抱っこができるので多少は楽だろう。しかし少し大きくなると乳母車に乗せなくてはならないので、バスに乗せたり、段差のあるところの移動は大変になろう。ママにばかり子育ての比重はかけられているようで、これでは子どもを産みたくない女性が増えてもやむを得ない状況ではないだろうか。

少子化問題を考えるには、政治家の人たちもバスに乗ったり、電車に乗ったりして働く女性の姿をご覧頂く必要があるだろう。またパパたちの協力も本当に必要だと思う。共稼ぎが必要な現代の生活では、男性の意識改革も今更ながらではあるが、あらためて考えて貰いたい問題であろう。それには子どもの頃からの教育が大きい。なんでも小さなうちから良いことはインプットして、お家のお手伝いができる子どもに育てなくては、ね。

ママたちがもう少し子育てが楽になって、可愛らしい幼な子が街に増え、子供たちの声が街角にあふれる日本になりますように。

*今日は仕事と知人の送別会があり、ログを書く時間がとれなかったので、日常の一こまを書きました。

東京マラソン

2007-02-18 23:02:02 | Weblog
【東京マラソン】

今日は雨の中、東京マラソンが開催された。今まで暖冬などと言っていたのに、今日に限って雨と寒さに見舞われてしまった。しかし雨にも寒さにも負けずに30,870人の参加者が東京都庁前を出発した。

東京ビッグサイトのゴールまで完走できた人は29,852人だそうである。島袋勉氏はどうなさったか。この雨ではさぞや大変なことであったろうが、義足のハンディをバネになさって人生を走っていくのだろう。その姿に勇気をもらう人も多いことだろう。優秀な成果を出すだけではなく、いろいろなドラマが今日の東京マラソンにはあったのだろう。

このマラソンの開催には批判もあろうが、みんなで力を一つにして、大きなイベントを成し遂げることは、素晴らしいことであると思う。本日の売り上げは通常の半分でも、「一日ぐらいなんとかなりますよ」と浅草の店主も笑ってインタビゥーに答えていた。

因みに1位はケニアのダニエル・ジェンガさん(2時間9分45秒)、2位は佐藤智之さん(2時間11分22秒)、有森裕子さん(2時間52分45秒)は女子の5位であったそうだ。このランがラストランになるとのこと。この人も文字通り走って人生を切り開いてきた方といえるだろう。

しかし10位ぐらいまでは、せっかくだからテレビでもお名前を放映してくれてもよいのでは、とちょっと思った次第。この雨の中を走った人々の代表としても。

東京マラソンが終わって、雨上がりの夕焼けは美しかった。走った方々だけでなく、このイベントに携わった多くの方たちが、無事に幕を閉じられて、この夕焼けをホッとして見上げたのではなかろうか。午前中の雨を恨まず、ただ感謝しながら、美酒や美茶(?)をお楽しみになられたろうか。イヤ、やはり、ちょっと気まぐれな空の心模樣に、恨みの一言はあったかも。皆さんお疲れさまでした。

*島袋さんはご無事に完走なさったそうですね。おめでとうございます!

東京マラソン:42.195キロ、参加外国人選手(49カ国訳4000人)沿道警備(5000人)ボランティア(12670人)医療関係者(242人)手当を受けた人(164人)病院に搬送された人(16人)AED使用(2人)スポーツドリンク(22万8200杯)水(約40万本)他




奪われる日本

2007-02-18 20:24:31 | Weblog
2月18日(日)午後より雨上がる【奪われる日本】

あれこれ随想記」のぜんさんのブログで紹介されていた『奪われる日本』(関岡英之著 講談社現代新書)を読んだ。この頃私も危惧していたことがあったのだが、この本を読んでその思いを強くした。

それは日本の経済がアメリカ資本に牛耳られる恐れである。なにを今更、と言われるかもしれない。今更はじまったことではないだろうが、この頃特にそれがひどいのではなかろうか。

私は特に保険商品について危惧している。テレビで盛んに「アリコ」とか「アメリカン・ホーム・ダイレクト」とか宣伝しているが、かなりの好条件をうたい文句にしているようだ。私以上に経済に疎い母でさえ、「こんなに宣伝ばかりしているけれど大丈夫かね」と心配している。

私の生活はなんの保証もないので、私が母より先に逝くことを心配して、母が受け取りの保険に入っている。その保険の一社が倒産してしまい、払い込んだ金額よりもかなり減額されて払い戻された。倒産したその保険会社はアメリカ資本の保険会社に買収されたのだが、払い戻されたお金で、新しい保険会社のドル建ての保険商品を買った。

その商品に7年間で30%の利子がつき、さらにドル安の時に日本円に換算したのでかなりの得になった。勿論先の損失も十分に補うことができたのである。

しかしなぜこのように「うまいこと」になったのだろう。私は疑問を持った。日本人に割のよい保険商品を売り込んで、日本人から多額のお金をかき集め、円高のときにドルに換え、アメリカでそのお金を運用し、また多くの利潤を生み、さらに円安のときに少ないドルで多額の日本円に取り替えて、どんどん利潤を生んでいくのではなかろうか。そして日本でアメリカ資本の保険会社はどんどん大きくなっていく。一方日本の保険会社はどんどん力を弱めるか、もしくは倒産していく。

マスコミにとっても大口のスポンサーなので、滅多なことは言えなくなるだろう。と、このように保険会社に注目しただけでも、危うい日本の経済の一面が見えるのではなかろうか。

日本の経済の成長には、アメリカの恩恵を受けていることも否定はしないけれども、属国になることは避けなくてはならない。この地球上の一国一国が独立した均衡を保ち、共存していくことが望ましいことなのは論議するまでもないことだろう。

しかし現在のように、政治が経済に引っ張られているような国の情勢はいかがなものであろうか。政治家の方々に毅然たる態度で日本の舵取りをしていただきたい。日本人一人一人に職があり、生活の糧が得られるように、舵取りをしていただきたい。この冬の寒空に、職を失い家を失う人の辛さに目を向けて貰いたい。経済の分からない門外漢ではあるが、私も日本の将来を本当に心配しているのである。そのうちに消えて無くなる人間ではあるが。

アサヒビールも乗っ取られないように、知恵を絞って頑張って貰いたい。そのような行為ができないように水際で自国の産業を守るのが、政治家の仕事なのではなかろうか。

*日本の現状を考えたとき、アメリカの軍事的なサポートなくして、この平和は果たして保てるか分からない。東南アジアの国々が政情不安であったり、生活が厳しいことをみると日本は恵まれているほうだろう。これにもアメリカのサポートの力が大きいことを認識する必要はあるだろう。だからといってアメリカの言いなりにならないためには、経済的に日本の経済は日本主導であることが、ぎりぎりの条件だろう。(アメリカ帝国主義反対の声ははるかに懐かしいが、現状認識を誤ってはならないだろう。)


関岡氏は『奪われる日本』の中で、私のような単純なことをいっているのではないが、日本の将来、日本人の将来のために、関岡氏の著書を一人でも多くの人に読んでいただきたいと思う。全てその通りなのかは私には分からない点もあるが、賢明なご訪問者の皆様に、判定はお任せしたい。郵政民営化もアメリカの差し金であったことが論じられている。

関岡氏の専門的な説をうまくご紹介できないので、目次の一部を書き添えておきたい。

第1部 検証「平成の大獄」-郵政、そして医療
第1章 郵政ーアメリカの狙いはなんだったのか

『年次改革要望書』が示す米国の圧力・簡易保険の廃止を米国は要求し続けた・(略)・医療保険にあたる第三分野は米国独占・(略)・竹中と郵政問題の最初の接点・(略)・次の主戦場は健康保険・(略)
第2章 『年次改革要望書』はどう始まったのか
国会答弁を一変させた竹中・(略)・「日米両首脳への報告書」の焦点は郵政民営化だった・(略)
第3章 前自民党議員たちはなぜ反対したのか
(略)・竹中法案を疑問視するうねり・小泉草裏の恐怖政治・(略)
第4章 医療ー世界がうらやむ皆保険をなぜぶっ壊すのか
(略)・真の悪役はアメリカの民間医療保険・(略)・「国民皆保険は日本の宝」・アメリカの第三の標的は日本の「共済」
第2部 節度も品格も無き時代ー小泉治世の総括
第5章 M&A推進派はなぜ「日本」を売りたがるのか
「外資による日本企業乗っ取り」の解禁・(略)
第6章 悪徳業者はなぜ世に蔓延るようになったのか
一九九八年から「官から民へ」を導入・(略)
第7章 談合はいつから犯罪になったのか
(略)・談合は伝統的商習慣、日本人の知恵・マスメディアは「談合は犯罪だ」とわめくばかり
第8章 あなたはほんとうに訴訟社会を望んでいるのか
   企業や国民も辟易する米国弁護士・(略)
第9章 日本政府は米国になにを「要望」しているか
略)・「明らかな二重基準」に日本は反発・(略)
第3部 皇室の伝統をまもれ
第10章 万世一系をなぜまもるのか
(略)
第11章 こどもたちは知りたがっている
(略)

花を弄すれば香り衣に満つ

2007-02-17 21:13:11 | Weblog
2月17日(土)曇りのち雨【花を弄すれば香り衣に満つ】

静かなお茶室で坐禅を組める幸運に恵まれた。昭和女子大学のオープンカレッジの講座の講師をさせて頂いていて、そこのお茶室で坐禅をさせてもらっている。そこの床の間に「弄花香満衣」の色紙が飾ってあったので、ご紹介したい。

この言葉は「掬水月在手。弄花香満衣。(水を掬きくすれば月手に在り、花を弄すれば香り衣に満つ)
として禅の語録の中に見つけられる。虚堂智愚きどうちぐ(1185~1269)の『虚堂録』にもこの文言はある。『八方珠玉集』の黄龍四世正覚方庵宗顕おうりょうしせしょうがくほうあんしゅうけんの問答や仏眼清遠ぶつがんせいおん(1067~1120)の語録の中や、海会法演かいえほうえん(?~1104)の上堂語の中にも探し出すことができる。

しかし一番最初にこの言葉を使った人は誰か。上記の禅師達は11世紀以降の人なので、それ以前の人がこの語を使用していればと探してみたところ、唐時代の詩人が書いた五言律詩の一句であった。『全唐詩』に収録されている。

いつも禅語録を見ているので、つい禅者の言葉と思いこんでしまうことがある。漢詩の研究をしている方から見れば、すぐに詩人の名が浮かび、その句を含んだ詩が浮かんでくることだろう。


*「春山夜月」 于良史うりょうし  
〈原文〉
春山多勝事、賞翫夜忘帰
掬水月在手、弄花香満衣
興来無遠近、欲去惜芳菲
 南望鳴鐘処、楼台深翠微
〈訓読〉
春山勝事多し、賞翫して夜帰るを忘る
水を掬きくすれば月手に在り、花を弄すれば香り衣に満つ
興来らば遠近おんごん無く、芳菲ほうひを惜しんで去かんとす
南に鳴鐘の処を望めば、楼台ろうだいは翠微すいびに深し

〈試訳〉
春の山は素晴らしい事が多いので、それを愛でていると夜になっても家に帰ることを忘れてしまうほどであるよ。(澄んだ川の)水を手で掬すくえば月がその中に(映って)在るし、花にふれればその香りが衣に満ちあふれるようだ。興が乗れば遠い近いにかかわらず、芳かんばしい花の香りを愛でて何処までも行きたいものだ。鐘の音が聞こえる南の方を遙かに見れば、楼台が春の芽吹きの山の中腹に隠れていることだ。

(この転句と結句の訳は再考の余地があるかもしれない。参考にする訳がないので後日の再考をお待ち下さい。またはコメント頂ければ幸甚です)

承句の「掬水月在手、弄花香満衣」は禅的な意味合いを読みとれる句なので、後の禅者が好んで引用したようである。それでこの句はいつしか禅語とみなされたようであるが、もともとは于良史の詩の一句であったのである。于良史については『大漢和辞典』にも見つけられないのだが、唐時代(618~905)の詩人である。

この句について禅的な意味合いに読むとすると、どのように読みとれるであろうか。月を真理とみるならば、水を掬きくすれば真理は手中にあるし、花を勝事とみるならば、勝事の最たることは仏教を学ぶことであるから、仏の教えにふれたならば、自ずと仏の教えに包まれてしまう、と読み解くこともできる。

月とも花ともこの身が一枚になっていて、隔てがない天地のありようとも読みとれようか。いかようにも読みとることのできる懐の広い表現である。このような語句は言葉という制約を乗り越えた言語表現としての極致といえるのだろう。後の禅者もこの詩句を借りてそれぞれの悟りの境地を表せたのであろう。この語句に寄せるそれぞれの禅者の意味するところは異なっているのかもしれない。

後の者がまたそれぞれ好きに、いかにもの意味をつけて解説したりするわけだが、于良史もお好きにどうぞお使い下さい、というところだろう。もともとの素直な詩の味わいを学んだ上で、この語句を読み解くとまた味わいが異なるのではないだろうか。

ところで明日の東京マラソンは雨が優しいと良いですね。沖縄の島袋勉さんは両脚が膝から義足なのですが、マッサージをしつつ走るそうです。完走を祈ります。

*栗林公園やそちこちに掬水亭という名のお茶室などがあるが、この詩句からつけられている。

救助のお巡りさん殉職

2007-02-12 18:24:39 | Weblog
【救助のお巡りさん殉職なさる】

救助の巡査部長死亡=東京都板橋区の東武線事故
2月12日16時0分配信 時事通信

 東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で、線路に侵入した女性を助けようとした警視庁板橋署の宮本邦彦巡査部長(53)が電車にはねられた事故で、重体だった宮本さんが12日午後2時25分、治療を受けていた同区内の病院で死亡した。
 

どうなさったかと気にしていましたが、まことに残念です。心よりご冥福を祈ります。

春、梅の香りと交通違反

2007-02-12 18:13:00 | Weblog
2月12日(月)晴れ暖か【春、梅の香りと交通違反】

今日も暖かな一日。温暖化と恐れているよりも、春のような陽気を、梅の香りとともに楽しみたい。器之為璠禅師語録の中にも、丁度今の季節にピタリの偈頌があるので、紹介しましょう。

〈原文〉
幽居観梅
煙蘿堆裏屋三椽。物外閑人謝万縁。慚被東君知住処。梅香吹送午陰前。
幽居に梅を観る

〈訓読〉
幽居に梅を観る
煙蘿堆裏えんらたいり、三椽さんえんに屋おくし、物外もつがいの閑人かんじん万縁ばんえんを謝しゃす。東君とうくんに住処すまいを知らるるを慚じれども、梅香吹き送る午陰の前。


〈拙訳〉
靄がたちこめ、蔦が堆くつもったような山中に、垂木が三本しかない粗末な小屋を建て、世俗を離れた出家者として、一切世間との関わりを絶って住んでいる。春の神に住まいを知られるのを慚じいっていたのだが、昼さがりの木陰に春の神は馥郁たる梅の香りを吹き送ってくれるのである。

少し言葉を足して意訳しましたが、梅の香りは何処にいても香りを楽しませてくれます。器之禅師もこの偈頌を詠んだ頃は、住職をしていたお寺が火災に遭って仮住まいをしていたようです。一人の僧侶も一生の間にはいろいろな事件に遭遇するでしょうが、住職をしていたお寺が全焼してしまったことは、器之禅師にとってさぞ辛い出来事だったことでしょう。

さて私は昨日、交通違反でパトカーに追いかけられてしまいました。信号がになったので右折したのですが、直進と左折だけに矢印がついていたのに右折してしまったからです。一昨日の交通渋滞が嘘のように、ほとんど車の往来はなかったのと、この青につられてしまい右折してしまったのです。それで信号無視で追いかけられてしまったわけです。

お巡りさんは陰から見ていたようで、ここでは私のようなうっかりな信号無視をする人がよく捕まる場所なのでしょう。環状七号に出る、鹿浜橋というところの近くの信号です。千葉県まで法事に出かけて、疲れて帰ってきたところなので、グッタリと疲れてしまいました。それにつけても時差式の信号の色はにしてもらいたい。

特にこれからは梅の香りやいろいろな花の香りのかぐわしい時期です。またぽかぽか陽気で運転中の眠気もでます。運転なさる皆様もどうぞお気を付けを。

*器之為璠:(1404~1468)室町時代の禅僧。竹居正猷の法嗣。山口県龍文寺三世。大寧寺五世。火災に遭ったのは龍文寺の住持の時代、文永四年(1447)

詐欺には御用心

2007-02-10 22:48:35 | Weblog
2月10日(土)曇り【詐欺には御用心】

近所の家の紅梅が満開になっている。下を通ると微かな香りが漂ってくる。「梅早春を開く」と如浄禅師にょじょう(宋代1163~1228)も詠まれたように、梅が咲いた事実が早春を現じている。私が歩いて私の人生が現じているように。(この語は「梅早春に開く」と読むのではないと、事あるごとに師匠にも言われ続けた語である。)

さて、今年はかなりの暖冬で今日も暖かい。梅が咲くのは季節としてそれほどにおかしくはないだろうけれど、あるところでは時ならぬ桜が咲いたとか、また雪で作った灯籠が解けてしまったとか、暖冬の影響は各地に出ているようである。これは世界的な現象で、地球温暖化の影響と考えると心配になる。

しかしこのように地球温暖化による地球規模の問題が叫ばれるようになると、それに伴って詐欺的な犯罪も増えてくるのではないだろうか。ご注意頂きたいと思う。

確かにこの地球の異変には慎重にならねばならないし、一人一人が注意して生活しなくてはならないことはいうまでもない。しかしそのように心して生きている人たちほど、誇大妄想的な話に騙されてしまう可能性が高いのではなかろうか。

大気を汚さない何か、例えば焼却炉とか、車の代替燃料とか、いろいろなエコ商品もあるだろう。植物からエタノールを抽出して車を走らせよう、という話は現実的な話であり、実験されている。これは科学者や研究者たちに理論的な裏付けを得ている。

焼却炉についてはどうだろう。もしも本当に大気をよごさない焼却炉を作ることができるのであれば、それは素晴らしいことだろう。理論的に専門家を説得できるちゃんとしたものであれば、しかるべき会社がそれを作るであろう。そうではなく個人からその資金を調達するような動きがあれば、そのような話は怪しいと注意を要することであろう。

地球上のあちこちで天災が起きているし、温暖化は人類存亡の危機ではあるが、それに伴ういろいろな詐欺が横行することにも注意しなくてはと警鐘を鳴らしたい。かくいう私もずっと以前に、ある詐欺の被害にあったことがあるので、老婆心ながら今日はそんなことをふと思ったので、こんなことを書きました。詐欺は詐欺に会う人にも責任があるとは言うが、素朴な人ほど詐欺に引っかかりやすいので、ご注意。流説にもご用心。

今日は三連休の初日なので、環状八号線は大渋滞で大変でした。なんとか法事の時間に間に合わせたいと、環状七号線を走ろうと思いましたが、抜け出るまでに時間がかかり、さらに入ろうと思った高速入り口も通過してしまったりと、大変な一日でした。

どの道をとるか、とっさに判断しつつ車を運転するのも大変ですが、命の最後まで、どの道をとるか、何をするか、判断しつつ、なるべく心楽しく、詐欺にはあわぬよう、少しは人の役にも立って、静かに生きていきたいものです。人類滅亡の時でさえも。

*如浄禅師:(1162~1227)足庵智鑑の法嗣。道元禅師の本師。只管打坐の正法を伝授。天童如浄。

憲法改正を白洲次郎氏に学ぶ

2007-02-04 20:13:31 | Weblog
2月5日(日)晴れ【憲法改正を白洲次郎氏に学ぶ】

安倍内閣になってから憲法改正についての論議がうるさくなっている。安倍首相は集団的自衛権を行使できるように、憲法九条を改正したいのが、憲法改正の目的である。そのためにも国民投票法案を通過させようと躍起になっているのである。

占領下において占領軍と渡りあって、新生日本のために尽力し、憲法発布当時の証人である白洲次郎氏ならば「なんと愚かなことを」というのではなかろうか。

『プリンシプルのない日本』(白洲次郎著 新潮社 平成一八年六月発行)を丁度読んだので、白洲次郎氏の言葉からこのことについて学んでみたい。

日本が曲がりなりにも六〇年間、他国と戦争を交えないでこられたのは、憲法九条のお陰である。ところがこれを改正して集団的自衛権の行使が認められるようになると、友好国である戦争好きのアメリカに、年中お付き合いをしなくてはならなくなり、日本人が戦争に巻き込まれる可能性が大になるのである。

こんなことは先刻誰しも承知のことではあるが、白洲次郎氏は別の角度から「おくりもの憲法を改正せよ」と論じている。

《憲法を改正するという事自体は私は賛成である。現在の新憲法は占領中、米国側から「下しおかれた」もので、憲法なんてものは、国民のもり上がった意志でつくるべき本質のものだと思う。占領もすんで独立を回復した今日、ほんとの国民の総意による新憲法が出来るのが当然ではないかと思う》(120頁「文芸春秋」昭和28年7月号掲載)

今の日本国憲法が、占領軍が作り上げた憲法であり、裏の事情を知る白洲氏としては、自国の自由意志を尊重する立場から、憲法改正をこの書の所々で論じている。

《憲法改正の焦点は再軍備の問題になると思う。現在の憲法の「戦争放棄」の条項も又連合国側というか、米国側の発明である。この「大発明」に対して、憲法発布の時にマックアーサー氏が如何に自画自賛の陶酔の頂点にあったかということは、読者諸君の未だ記憶に新しいことと思う。
 当時には米ソの軋轢は無かったどころか、大部分の米国人は永遠の米ソ親善を信じ、世界平和を夢みていたに違いない。日本の永久の非武装を強調したが、今は米ソの冷戦が始まって、事情が変わったから軍備をしろ、(中略)再軍備問題は、何か米国の御都合主義の御先棒をかつがされるのではなかろうかという危惧を国民は抱いているのではないだろうか》(84、85頁)

《米国が対ソヴィエット観を一変してからは、この連合国の占領は米国一国によるかの如くに転換し、日本も防共の一員として育成しようという当初全然皆無であった一要素が占領政策に加味され始めたことは御承知のとおりである。(中略)この憲法を平和憲法だなんていってありがたがっている御連中は、おそらくこの憲法の出生由来を知らないのではないだろうか》(165頁)

日本の自由意志を無視した、アメリカの押しつけである憲法を改正すべきであると常々主張していた白洲氏であるが、憲法九条については次のように述べている。

《新憲法のプリンシプルは立派である。(中略)戦争放棄の条項などはその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。》(226頁)

日本は今本当に危ない時に遭遇している。白洲次郎氏が憲法改正を提案したのは、今の自民党の考えとは全く次元を事にしていることを明確にしておきたいし、真の平和憲法を作る以外の改正は許してはならない事を、本当に考えないと戦争に巻き込まれるのだということを認識しなくてはならない。

今、私の手元には『プリンシプルのない日本』『風の男 白洲次郎』(青柳恵介著 新潮社)『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利著 講談社)の三冊がある。この頃特に白洲氏を再認識している。このような日本人が必要な時だ。日本を戦争に巻き込まないためにも。

同じ本棚に『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレットNo.657)がある。これは非常に薄いブックレットだが、この中には吉永小百合さんのメッセージも載録されている。

安倍首相は平和を愛し、美しい日本を愛する人だと思っていたが、思い違いだったのだろうか。

*集団的自衛権という表現がまやかしであり、これは共同防衛権または共同戦闘権であることを知らないとあぶない。

*白洲氏は全くの無防備国になれと言っているのではない。世界の現状を見たとき、自衛は必要といわれるし、安保も利用すべきと言われる。(軍備にかける税金の負担を極力減らす為にも)。中立国であるスイスは国民皆兵であり、国家の防備は怠っていない。国際情勢と国家の存在を冷静に判断することは大事ではないだろうか。しかし白洲氏はこの頃も防衛費を減らさなくてはいけないことを説いているし、国会議員等に払う税金の無駄遣いを誡めている。その頃と状況は少しも変わっていない、いやむしろ悪化しているのである。

このログに対して頂いているコメントにもあるように、国会議員たちは自分たちに不利益な法律や憲法の改正はしないから、アメリカからのおしつけであっても、この憲法を維持したほうが、まだましではなかろうか。

理想の社会は目標ではあっても、現実にはなかなか到達しないことを冷静に受けとめなくてはならないだろう。そのなかでできることを摸索するしかない。先ずは選挙で悔いのない投票をすることだろう。

親は子を悪から遠ざけよ-六方礼経に学ぶ

2007-02-03 23:59:59 | Weblog
2月3日節分 晴れ【親は子を悪から遠ざけよ-六方礼経に学ぶ】

今夜は十六夜の月が皎々としている。

今日のご法事は墓前のお経であった。89歳でお亡くなりになった婦人の七回忌である。可愛い曾孫さんも二人来ていたので、お線香の差しあげ方を説明した。小さい子どもさんがいるときは、いつもお線香の上げ方や、お焼香の説明をすることにしている。

お線香をあげるときは、先ず合掌し、頭を下げてお拝(礼)をする。その後お線香を額のところでよく念じてから差しあげる。その後また合掌し、お拝をする。念じることはとても大切なことで、曾孫ちゃんたちならば、「曾お祖母ちゃん、いつも見守っていてくれてありがとう」と念じるのよ、と私は説明している。(ここで仏教は霊魂不滅は説かなかった、という議論はお許し下さい)

大人たちの後で、小学四年生になる少年の番が来た。きちんと言われたとおりに、額のところで念じてからお線香をあげていた。その後しばらく合掌していたが、その姿の美しかったこと。実はどの大人たちよりも、すっきりと美しい合掌であった。

自分の型ができていない子どものうちは、人の言うことを素直によく聞き、言われたとおりにしてくれる、という経験をいつもさせてもらっている。そうであるからこそ、子どものうちはこの頃のように殺人事件などのニュース番組は見せない方がよいと私は思っている。

大人の人にも「凶悪事件やらいろいろな事件を報道しているニュース番組を、子どもさんがいる時は、平気でテレビを付けておかないようにした方がよいのでは」とお話した。少年たちにも、子どものうちは恐いニュースはまだ見ない方がよいと思う、ドラエモンとか楽しい番組を見てね、と頼んだ。

たまたま『六方礼経』についての箇所を読んでいるとき、次のような解説があった。父母は子に対して五つの点で尽くさなくてはならない。その一つに「罪悪から遠ざける」とあった。悪いニュースを見せない、ということもこの範疇に入れてよいだろう。

『六方礼経』を持ち出すまでもないことだが、少し、この機会に『六方礼経』について学んでみたい。

*『六方礼経』:シンガーラカという在家の男性が、今は亡き父親から教えられたように六方を礼拜 していた。それを釈尊がご覧になって、単に東南西北下上の方角を拝むのではないことを教えられた。『善生子経』も同じ内容のお経。

東:父母を拝む。南:師を拝む。西:妻を拝む。夫を拝む。北:友を拝む。下:男女の使用人を拝む。上:沙門、バラモンを拝む。


2月4日(日)晴れ 【昨日の続き-六方礼経】

(昨日は家具の配置換えを一人でしたせいもあり疲れてしまい、ログを書ききれなかったので少し補足します。今朝起きて、配置を換えた部屋を眺めて、部屋の雰囲気が安定しているので感心しています。部屋もバランスが大事です。)

さて『六方礼経』についてもう少し補足。
特に東を拝むときについて:

東に向かって拝む者は、子が父母に事うると謂うは、当に五事あるべし。一つには当に治生を念ずべし。二つには早つとに起きを勅令し、時に飯食を作せ。三つには父母の憂を益さざれ。四つには当に父母の恩を念ずべし。五つには父母の疾病は当に恐懼きょうくし医師を求め之を治すべし。
治生:生業なりわいのこと。勅令:指示を与える。時に飯食を作せ:時を間違えないように食事を作る。

父母が子を視るに亦五事あり。一つには当に悪を去り善に就かしむることを念ずべし。二つには当に計、書、疏を教うべし。三つには当に経戒を教え持たもたしむべし。四つには当に早つとに与ために妻を娶らしむべし。五つには家中の所有は当に之を給与すべし。(原文略。大正蔵経第一巻251頁)
四について:適齢になったら、早くに結婚させることも父母の大事な役目。  
五について:家督の相続を適当な時期に譲り渡すこと。

以上のように東を拝む真の意味が説かれている。他に師を拝むときの五事、妻を拝むときの五事、友を拝むときの五事、使用人を拝むときの五事、沙門を拝むときの五事が書かれている。使用人に対しても拝むという教えは、当時の社会では珍しいことであったろう。このようなことからも、釈尊の広大な視野が分かるのである。

他の五事については省略しますが、六方を拝むということは単に方角を拝むことではなく、その真意を知ることが大事なこと。父母と子が拝み合う教えを是非学びたいと願う。