4月25日(水)雨 【はめられるということ】
セクハラということで、一人の役人の人生がまったく思いもよらない展開を迎えている。マスコミは一様に、セクハラのこの人物を、セクハラの大悪人として総攻撃をしている。私はこのような状態をみると不思議な気もするし、この人は「はめられたのではないかと」と思った。
記者の女性は、言葉のセクハラを受けたわけだが、危ないと思えば逃げることはできたはずだし、一対一の食事に出かけるからには気をつけなくてはならないし、もし会社側が記事を取ってこい、と行かせているなら、会社にも責任はあるし、年中このような目にあっているわけではないが、この人物のセクハラ発言癖は知っていたようであるし、私はおかしいと、思っている。
このブログをそれほど多くの方のご訪問はないと思うが、もしご訪問くださったなら、総攻撃を受けるかもしれないが、なぜ私がそのように感じ、問題外のことを書きたいかというと、私も「はめられた経験」があるからです。貶め入れられるように仕組まれたことの経験があるからです。
私は、そのことのために、そのことを思い出すと、20年くらいは心穏やかではありませんでしたが、この頃は、そのことをお陰様と思えるようになりました。そのことのお蔭で今があります。
とにかく一人の人間が、愚かしくも愚かな発言をレコーダーにとられてしまい、今までの積み重ねが空しく壊されていく様を、マスコミの有識者が寄ってたかって鬼の首でもとったようにご意見を並べている様がなんともいえません。
国会議員も大事な国民の為の国会にも出ず騒ぎ立てているこの平和ボケ日本を、日本の片隅で、おかしいと思っているのです。
#セクハラ
#はめられるということ