風月庵だより

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ご無沙汰しています

2021-10-31 21:02:08 | Weblog

10月31日(日)曇り時々雨【ご無沙汰しています】

このところ、あまりに仏事が多く、ブログを書く気力がありませんでした。土曜日も日曜日も毎週法事があり、さらにご葬儀が続きました。このような月が連続しています。お寺は暇、つまり僧侶は暇だと思っている人が多いようですが、寺の住職は仕事が山ほどあり、いつも忙しいです。

今年は陽気が暖かいせいか、草もよく生えています。

でも食事はしっかりとしていますので、その点はご安心くださいませ。基本的に玄米、それからお野菜、それとお魚などです。実は今日は久々に何もない日曜日でしたので、外でストーブを出しまして、焼き芋とリンゴを焼いて食べました。夜は牡蠣鍋にしました。それから部屋の掃除、猫たちの世話、手紙書き、等々。

一日はあっという間に過ぎました。

猫ちゃんは、箱が好きです。箱入り娘と言いたいですが、ハッピーは箱入り息子です。

明日から11月です、信じられますか? 

新型コロナウイルスの感染者が激減しています。デルタ株の感染力が弱まり、死滅したのではないか、という記事もありました。そうだとよいですね。しかし、世界的には激減とは言えないようです。日本人はマスクの習慣が前からありましたから、それがよいという説もありますね。海外にすんでいる弟は、周りの人間がマスクをしていないので困る、と言っていました。マスクを送ってくれ、と頼まれました。この頃は、海外に荷物を送るのが前より面倒になりました。手書きでは受け付けてもらえません。

どうぞ、皆様、健康にはご留意くださり、この冬も、乗り切ってくださいますよう。私も気を付けます。

*チャチャ兄ちゃんは、ついに戻ってきません。諦めなくてはなりませんが、切ないですね。境内のあちこちにチャチャちゃんがのんびりと寝ていた姿が偲ばれます。


外猫チャチャ兄ちゃん行方不明

2021-10-13 16:47:20 | Weblog

外猫のチャチャ兄ちゃんが5日前から姿を消してしまいました。
この辺りもぐるっと探してみましたが、これほど遠くまで遠征してはいないかもと思いましたが、まわってみました。

地震の翌日から見えません。もう7年もこのお寺の外猫として、生きていてくれたのに。
家の中には入りたがらないので、小屋を造って、この子のママとやはり中に入りたがらないミーちゃんのメスの二匹を守っていてくれていると思っていたのですが。元気そうに見えました。病気のようでしたら、何としても捕まえて病院に連れていきますが、まったくその気配はありませんでした。

上の写真は外猫のチャチャちゃん、ミーちゃん、そして中猫のタローちゃんも産んでくれたのが白と茶色のママちゃんです。猫小屋とと続いているベランダで三匹が寝ていた時の写真です。

中に入ったタローちゃんのお兄ちゃんです。タローは毎朝境内に出て、チャチャ兄ちゃんと遊んでいました。

手前がタローなのか、チャチャ兄ちゃんなのか、ちょっとわかりません。首輪をしているかどうかでいつも見分けています。チャチャちゃんには、とても首輪をつけてくれそうもありませんので、つけていなかったので探しようがありません。これから、外猫のミーちゃんとチロママちゃんには、なんとか首輪をつけるようにしたいと思います。ここの名前も書かなくてはいけません。オスは時々放浪の旅に出てしまうことがありますが、7年も居ついていたのですから、放浪の旅は考えずらいです。

帰って来てほしいです。


『尾畠春夫のことば』を読んで その3

2021-10-10 20:56:14 | Weblog

10月10日(日)曇り【『尾畠春夫のことば』を読んで その3】

今週も、土、日の法事のおつとめをつとめることができました。普通は日、月、火、水と日曜日からスタートでしょうが、お寺は、土、日と檀務がほとんどありますので、日曜日が終わって、一週間がおわったという感じが強いです。

終ったあと、日曜日にはいつも猫ちゃんたちの食事を買いに出かけます。内3匹、外3匹合計6匹の食事ですから、かなり量があります。重いので、このお寺に入ってから間もなく、猫のためのボランティアで荷物持ちに来てくれる人がいますので助かっています。

それで、日曜日はきりが付きます。

今、パソコンの前にようやく坐りまして、『尾畠春夫のことば』をまた読み返しまして、本当に苦労して生き抜いてきた人の珠玉の言葉を紹介しようと、ページをめくりました。しかし、言葉だけを取り出すのは、どうも十分ではありません。その言葉が出てくる背景があります、ドラマがあります。これは、3年もかけて尾畠さんの言葉を、一冊の本にまとめてくれた著者白石さんに敬意を払って、もしよろしかったら、この本を手に取ってお読みいただきたいたいと思います。

「命より重いものはない」と思っている尾畠さんは、皆さんご存知の2才の坊やヨシ君を探し出してくれた時の話をしながら、思い出して涙ぐむような方ですよ。この本の中にその時の詳しい顛末が書かれています。

九州男児というと、男尊女卑の傾向があるのでは、とすぐに思ってしまいそうですが、尾畠さんは、九州男児という言葉は好きではないそうです。みんなお母さんの股の間から生まれたんよ、命がけでお母さんが産んでくれたから、ワシも姉さん(コノ著者ノ事)も、この世にいるのだから女性は男よりも偉いんよ、と、一貫して、尾畠さんは女性を尊んでいます。

尾畠さんにとっては、お天道さまは、お母さんだとさえ言っています。

子どもの教育についても、本当に悪いことをしたときは、子どもとはいえ絶対に引いちゃいかん、とお考えなので、息子さんが小学3年生のころ、ろくに返事もしない、いうことも聞かないときがあったので、土間に正座をさせて、頭から冷たい水をかけたそうです。また小学4,5年生の頃、いうことを聞かないし、態度も悪いので、このまま放置すればいい加減な大人になってしまう、と思って、玄関のコンクリートの上に正座を一時間させたのだそうです。少しでも動いたら「動くんじゃない」と厳しくしたそうです。息子さんに厳しくしたのは、この2回だけだそうです。

大人になってから、ある日の事、息子さんが「ちょっと話がある」とちょっと殺気立った感じでやってきたそうです。これは子供の頃の、この時の2回のしつけの仕返しかと、覚悟したそうです。しかし、息子さんは、「俺はオヤジのせがれに生まれて幸せやった」と言ったのだそうです。それだけ言って、スッと帰っていったそうです。

これが、尾畠さんにとって、人生で一番嬉しかった言葉だそうです。

自分の人生を他人にゆだねない、と決めたのは15歳のときだそうです。自分の人生は自分で考えないと、会社任せ、社会任せはしない、また会社のせいにも、社会のせいにもしない。

ワシはね、金はなくても十分、幸せよ、という尾畠さんは、月5万5千円の年金で、充分であり、やりくり節約をして、ボランティアに出かける時のためのガソリン代を取っておくのだそうです。

どうぞ、皆さんの中で、興味を持たれた方は、この本をご一読くださいませ。本当に笑ったり、感動したり、豊かな気持ちになれる本です。

(そろそろ10時ですから、今夜はこのへんで、もう、眠くなりました。おやすみなさいませ。)


『尾畠春夫のことば』を読む、その2

2021-10-07 22:41:52 | Weblog

10月7日(木)曇り【『尾畠春夫のことば』を読む、その2】

尾畠さんのことは、ほとんどの方がご存知だと思いますので、マスコミで紹介されていることの紹介は不要でしょう。
少しだけ、生い立ちについて、紹介しておきたいと思います。

大分県国東氏で、1939年10月12日に生まれています。父親は下駄職人で、7人もの兄弟がいて、その三男だそうです。大変貧しかったそうで、いつも売れ残りのイワシを家族9人で食べていたそうです。お母さんは、尾畠さんが10歳の時に栄養失調で41才の若さでお亡くなりになってしまったそうです。お酒のみで愚痴ばかり言っているような父親だったそうですが、尾畠さんにだけ特に厳しく、体に傷がつくほど乱暴をしたそうです。ストレスのはけ口にされていたのかもしれない、と、表現していました。

小学5年生になったとき、尾畠さんだけ大きな農家に奉公に出されたのだそうです。10才か11才くらいでしょうか。朝4時に起き、馬の世話や牛の世話、田畑の仕事や、家の手伝い等夜寝るまで、休みなく働かされたのだそうです。それなのに、ご飯はお代わりをもらえなかったそうで、いつも空腹をかかえていて、牛馬の飼料の中から、腐った芋などをほじりだして食べ、飢えをしのいでいたのだそうです。育ち盛りの少年のうえに、朝から晩まで働かされるのですから、どんなにかひもじかったことでしょう。

それでも雨が降って仕事にならないとき、学校に行かせてもらえたときは、とても嬉しかったそうです。勉強が好きだったのですね。でも小学5年から中学3年の5年間で、3か月半くらいしか学校には行けなかったそうです。中学2年生の時、突然、この農家から暇を出されて、その次はパン屋さんに奉公に出されたのだそうです。

パン屋さんは朝が早く3時には起きてパンを仕込んで、焼きあがったらそれを配達したそうです。道は今のように舗装されていない泥だらけの道なので、やはり大変でしたのと、学校から遠くなってしまったので、通学できなくなってしまったのだそうです。でも主人たちは良い人で、きちんと食べさせてもらえたそうです。

中学を卒業してから、別府の魚屋さんで働くことになったのだそうで、そこで、お茶碗にご飯が山盛り、それも夢にまで見た白いご飯だったそうです。商売人になれば白米が沢山食べられる、これを一生の仕事にしようと、そしていつか自分の店を持ちたい、と目標を持ったのだそうです。

朝早くから遅くまで、がむしゃらに働き、店のご主人はしっかりと仕事を教えてくださったそうです。そこも奥さんが自分の身うちを呼び寄せたので、尾畠さんが要らなくったようで、解雇されてしまうのですが、そこのご主人は尾畠さんのことを気にかけてくれて、別の魚屋を紹介してくださったり、しばらくしたら、魚屋をやるならフグをさばくのを勉強せい、と言って下関の市場に行くようにとすゝめてくれたのだそうです。このおやっさんには、感謝したそうです。

下関でフグのさばき方や、魚の買い付けを一通り学んだのですが、10年で店を持とうと目標を決めていた尾畠さんは、あと残り4年は、お客さんとの会話の仕方や経営を学ぼうと、さらに神戸に修行の先を決めたのです。この時、21才。

神戸では「従業員募集」のあった大きなお店に飛び込んで、すぐにそこの主人に実地試験をされます。舌平目など4種類の魚のさばきをするようにいわれますが、すでに6年間一生懸命魚屋の腕を磨いてきていますから、尾畠さんの腕をみて、すぐに採用してくれたのだそうです。一か月後の給料袋を覗いて、とても驚いたそうです。今まで200円と300円でしたから、その倍くらいは頂けるだろうと思っていたのですが、中身はなんと6000円だったそうです。それでも貯金はあまり溜まらなかったそうです。この神戸時代の4年間では、「男大学」で男としても磨いたのだそうです。店を出すには十分なお金はありませんでした。

そこで、上京していたお兄さんが、お金をためるのなら東京で鳶職をやれ、と勧めてくれたのです。魚屋から鳶職とは、ずいぶん思い切った転職になりますが、3年と決めて、今度は男大学は全くしないで、慣れない鳶の仕事を、また必死で働いたのだそうです。1964年ですからオリンピックのあった年です。好景気の日本は建築関係の仕事はいくらでもあったのです。(私もアベベが高校の前を走ったことを覚えています。そんな頃、尾畠さんは蒲田の方で鳶として働いていたのですね。)

お給料の良いときは、5万円くらいあったそうです。今の相場とは違いますが、かなりの高給でしょう。3年と決めていたそうで、充分お店を持てるほど溜まったようです。しかし、尾畠さんの働きを見込んで、鳶の親方が半纏をくださったそうです。その意味は跡取りとしてどうか、という程の意味なのだそうですから、尾畠さんは何をやっても、誠心誠意、知恵も働かせて、どんな仕事でもプロの働きをなさるのですね。

子どもの頃、食べるものにも欠いた苦労や、朝早くから夜遅くまで働きどおしの苦労やら、父親の今でいう虐待にあったりしても、少しもめげず、不屈の精神と、目標を決めたら、それに向かって修業して腕を磨き、自力で独立を果たす気力、魚屋「魚春」を開業するまでの話はここまでです。

著者の白石かづこさんが本にまとめてくださったお蔭で、尾畠さんの人生から学ぶことが多いです。

尾畠さんの珠玉の言葉の数々の紹介は次にしたいと思います。

(たった今、かなり大きな地震の揺れがありました。猫たちが一斉に反応を示しました。大きな被害が無い事を祈ります。)


『尾畠春夫のことば』を読む

2021-10-06 22:23:48 | Weblog

10月6日(水)曇り【『尾畠春夫のことば』を読む】

今日は山積みのお寺の仕事、特に金銭出納帳の整理を、朝からする予定でした。
しかし、2,3ページだけ読んでみようと思って、本を開きましたら、本を閉じられなくなってしまいました。

来客があり、やむを得ず、閉じましたので、この本に触れないようにしました。
しっかりと仕事のきりをつけ、宿題を終えた後のように清々した気持ちで、読もうと思いました。

夜7時半、やっとこの本に触れることができました。
『お天道さまは見てる 尾畠春夫のことば』(白石あづさ著、文芸春秋発行)

笑ったり、思わず泣いてしまったり、深く教えてもらったり、尾畠春夫という方の生き方、考え方、学ぶことが書ききれないほどです。
皆様にご一読をお勧めしたいです。

私はかなり疲れてしまいましたので、本のタイトルと著者のご紹介だけさせていただきまして、寝ます。
お休みなさいませ。

(昨日の空、今日は曇り、空は自由自在)


お邪魔猫ちゃん2匹

2021-10-04 23:11:24 | Weblog

10月4日(月)晴れ【お邪魔猫ちゃん2匹】

本日は、檀務を休みました!
一日、読書デーと決めました!

でも、…………どうして…………机を占領したいルナとタローです。傍にいたいのでしょうか?邪魔をしたいのでしょうか?


ご無沙汰しています

2021-10-03 16:44:35 | Weblog

10月3日(日)晴れ【ご無沙汰しています】

9月13日に記事を書いて以来、すっかりご無沙汰してしまいました。
とにかく忙しかったです。なぜか法事が毎週土曜日も日曜日もありましたり、ご葬儀がありました。

しかし、それがお寺の住職としての務めですから、黙々とつとめさせて頂くことが私の役目です。
今月も土、日、ほとんど法事があります。
法事は、お一人お一人、一軒一軒、皆違いますから、それぞれの方を偲び、本当に気を入れて勤めさせて頂いています

掃除、洗濯、炊事、健康のためには、一日二食の食事は必ず作ります。それから6匹の猫ちゃんのお世話があります。

それから空を眺めます。空行く雲を眺めます。

あっと言う間に夜になって、本を開きますと、猛烈に眠くなります。

聖徳太子様に学んでいますが、あまりに素晴らしいお方過ぎて、その業績も本当に素晴らしく、なにから書かせていただいてよいかどうか迷う程です。そのうち書かせていただきたいと願っています。

皆様もお忙しい日々をお過ごしかと存じますが、くれぐれも唯一のそれぞれの身心お大事にお願いをいたします。