風月庵だより

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猫の気持ち、人の気持ち

2010-09-27 07:44:11 | Weblog
9月27日(月)雨【猫の気持ち、人の気持ち】

仲良くしていたかと思うと、突然、喧嘩しそうになるルナとキヨ。毎朝同じパターンです。それなのに毎朝遊びに来る、猫の気持ちはわかりません。)


お彼岸も終わりました。今日は雨です。

雨の中もキヨちゃんは遊びにやってきます。毎朝ルナに会いに来て、朝ご飯はルナと一緒に食べます。家ではドライフードは食べないそうですが、我が家ではドライしか食べません。缶詰をあげても食べません。キヨちゃんの家では缶詰だけ食べるそうです。食べ分けているのでしょうか。

キヨちゃんは、外を飛び歩いているので、体型もスリムです。外を飛び歩くので病気を運んでこないか、神経質になっていましたが、毎朝来るのを拒めませんので、諦めました。

昨日、キヨちゃんの家を訪問しましたら、なんと私の膝の上にやってきて、ずっと座っていました。お家の人も驚いていましたが、私も驚きました。自分の家なので安心しているのでしょうか。猫の気持ちは分かりませんね。

猫の気持ちも分かりませんが、人間の気持ちや考えも分かりません。できる限り説明できることはできる範囲で、言葉を使って交流しあいませんと、何を言いたいのか理解することはできません。お互いに面と向かっていましたら言葉を使わなくても、分かることもありますが、まして、ネット上のことは尚更です。

私の記事に対して、特別なご依頼が最近ありましたが、あまり事情がわかりませんので、何故なのか分かりません。やはり少しでもヒントを頂けますと、推察しようもあるのですが。大変に気になります。

今日は、昨日とうって変わって雨です。皆さん、風邪を引かないようにお気を付けください。

冤罪晴れる

2010-09-23 11:18:43 | Weblog
9月23日(木)雨【冤罪晴れる】

冤罪が晴れて、本当によかったです。

昨日は中秋の名月でした。我が家の近くでは、とても美しい月を拝めました。
カメラの腕が悪いので、お月様が泣いてしまいました。



子猫時代の3兄妹

2010-09-16 17:06:06 | Weblog
9月16日(木)雨【子猫時代の3兄妹】(左からキヨ、モル、ルナ。この時は、まだ名無し)

今日は、寒いくらいの天候です。朝からめまいがして、どうも体調がすぐれません。低血圧ですから、今日のように急に天候が雨になったりしますと、体の調子もおかしくなります。

本当は、宗教間対話研究所の例会があり、出かけたかったのですが、こんな時はあきらめて、家で静かにしていることにしました。

さて、モルちゃん、キヨちゃん、ルナちゃんの子猫時代の写真を見つけましたので、掲載させてもらいます。

寝ころんでいる方がキヨ。


猫も子猫時代は、特別の可愛らしさがありますね。でもこのときは、まだそれぞれの運命は分かりませんでした。

急な天候の変化ですから、皆様も体調、お気をつけ下さい。


ルナの兄のモルちゃんです

2010-09-14 19:44:18 | Weblog
9月14日(火)曇り時々雨【ルナの兄のモルちゃんです】

今日は、民主党の代表が菅さんに決まりました。意外と大差だったと感じました。

それがどうしたの、とでもいうようなモルちゃんの表情です。

モルちゃんは、ルナとキヨのお兄さんで、私の大学時代の友人の家族になりました。とても

可愛がられていますので、いかにもそんな感じの一枚の写真です。

ルナにとても似ています。オスですから三毛ではありません。

三匹が一緒にいられたのは、2ヶ月くらいでしょうか。おそらく母親のもとに2ヶ月くらい、それから段ボールに入れて捨てられて、パーマ屋さんに助けられてから数日だけ、共に過ごした兄妹です。

里親が見つかるまでの数日、私のところに三匹一緒にいたときがあります。その時の一枚があるかもしれませんので、そのうちに見つけてみます。

三匹一緒のときもお兄ちゃんとして、妹たちをいつも見守っていた感じがあります。

三匹三様の猫生を送っています。

因縁因果

2010-09-12 09:50:55 | Weblog
9月12日(日)【因縁因果】(子ども時代のルナとキヨ)

ルナとキヨは同じ親から生まれたようです。一箱の段ボールの中に捨てられていたのです。
近所のパーマ屋さんが捨て猫をよく助けていまして、里親が見つかるまで、子ども時代に、私の家に預かっていたのです。

仲良く籠の中で寝ています。小さな籠です。


その後、キヨは一階のアメリカの人の家族に引き取られました。
毎朝キヨはルナを尋ねてきます。時々はこのように張り合うようです。これは一緒に飼われていてもこういう場面はあるのかもしれませんが、子猫時代のように一緒に寝ることはありません。


キッとキヨを見るルナ。


ルナを見るキヨ。


こんな場面ばかりではありませんが、やはり子ども時代から一緒に育っていれば、もっと仲良く遊んだり寝たりするのではないでしょうか。

これは仲良く外見ているとき、振り向いたキヨ。キヨは大変毛が美しいです。


同じ親から生まれても、ルナは臆病な静かな性質のようですが、キヨは運動神経抜群で活発で、家の中で静かにしていられませんでした。

一緒に育つ縁があれば、二匹のお互いに対する接し方も随分違ったでしょう。
時々は毛繕いをお互いにしているようですが、それほど長い時間ではありませんで、すぐに取っ組み合いをしています。猫だからじゃれ合っているとみたいのですが、そうでもないようなときもあり、私が行司役で引き離すこともあります。怪我をしそうなほどの感じがあります。

それでも毎朝、キヨが遊びに来ますので、お互いに全く嫌ではないようです。

これをキヨがくることを、私が全く拒んでいたら、たまに出会っても唸りあうだけかもしれません。

昨日は9.11でした。
同じ人間に生まれて、いがみ合い、殺そうとしあう愚かしさ。
コーランを焚書してもなんの解決にもならないでしょう。ところが、そんなことをしようとさえする牧師やキリスト教徒がいること。
世界の平和は、なかなか遠いようです。
しかし、お互いに育った環境が違っても、なんとなく触れあっていれば、許せることも多いでしょう。完全に排除しあうところには争いがあるだけではないでしょうか。

人類の将来もそれほど長くはないというのに(おそらくあと数百年か、数千年ーもっと短いという予言者もいるでしょうが、とりあえずこのくらいにしておきましょう)もっと、助け合って、楽しく人間生活を楽しみたいものですね。

地球上のどこかでは、飢餓や戦争に巻き込まれて泣いている子どもたちがこの瞬間にもいるでしょう。日本では虐待されている子どもたちさえいます。ただ祈るばかりです。

秋の空

2010-09-07 18:16:58 | Weblog
9月7日(火)晴【秋の空】(夜明け前のルナ)

今朝はすっかり秋の空でした。夜明け前に見とれていました。


もう少し美しい空なのですが。カメラが追いつかないのか、たぶん使いこなしていないのだと思いますが。すみません。






今日は、昭和女子大に出かけてきました。ここのオープンカレッジで、写経の講師をさせてもらっています。しかし、何か仕事がないと、全く外にも出なくなってしまいました。駅まで自転車を漕いでいくとき、風が秋を告げていました。

この暑さももう一息の辛抱と思いたいですね。しかし、台風の後、また猛暑が戻ってくると天気予報は言っていますが、当たりませんように。皆さん、お体お大事に。

韓国訪問記最終回 法界定印

2010-09-03 10:41:43 | Weblog
9月3日(金)晴【韓国訪問記最終回 法界定印】(金輪寺の千仏画壁面の諸仏画)

今日も晴れて暑いです。しかし、今朝は、少し涼しい感じがあります。だんだんこの涼しさが長くなるでしょう。もうすぐ本当に秋になりますね。まだ暑いですが、日本の首相選びに政治家も熱くなっています。こんな事のために、政治家たちに税金から給料を払っているのでしょうか。

さて、今回の韓国の旅で、一つ参考になったことがあります。朝課の後、皆さんと坐禅をしたのですが、そのとき、法界定印をしないで両膝の上にしばらく両手を載せていることに気がつきました。

坐禅が終わってから、尋ねましたところ、必ずしもすぐに法界定印をしなくてよいし、坐禅中、もし疲れたら、法界定印を解いて両膝の上においてもよいのだ、と本覺法尼から教えてもらいました。

私も、確かにそれはよいと賛同します。いつも風月庵で坐禅をしますとき、私もときどき印を解いて、両膝に置いたりします。

ちょっとでも動くと、警策が回ってきてぴしりと叩かれるような坐禅には抵抗があります。

道元禅師も「仏の家に投げ入れて」坐禅をすることを説かれています。この言葉からはゆったりと坐禅にゆだねる雰囲気があります。

ところが、ちょっとでも動くと、びしっと警策が入ったり、「坐禅中動くんじゃない」と叱責が入るような坐禅指導はおかしいのではないかとさえ思っています。一糸乱れず雲水が坐禅するという光景は、すばらしいと思う人もいるでしょうが、どこか軍隊的でさえあります。本音と建て前の違う民族の坐禅という感じがあります。

そのままで坐る、坐りきるところには、やはり、「ゆったり」の空気が漂っています。かつて京都に安泰寺があり、内山興正老師が堂頭であった頃、摂心に参加しましたが、警策は無しでした。

警策の役目は、居眠りが襲ったとき、自ら警策を入れてもらったり、寝ていることに気がつかない雲水に気がつかせたりのお役でよいのではないかと思います。

先日NHKの「宗教の時間」で、安泰寺の渡部耕法老師の法嗣、藤田一照さんが、ユニークな坐禅指導をなさっていましたが、よく体をほぐしてからようやく坐禅に入るというやり方でした。無理矢理に坐禅の型にはめ込むのではない、それぞれが体を柔軟にしてから、楽に坐禅に入るというゆったり坐禅です。決して軟弱坐禅ではありません。ゆったりです。

印の話に戻りますが、去年『禅ZEN』という映画がありました。この中で、最後のシーンで道元禅師が法界定印をほどいて、両手のなかに仏様を抱くような印を組みました。これはおかしいのではないかと思いました。高橋伴明監督は私の大学時代の映画研究会の後輩ですので、遠慮無く申し入れをしました。道元禅師が、あのような印を結ぶはずがないと思ったのです。その意見は今でも変わりません。(『禅ZEN』をご覧になった方の中で、仏様を抱くような印に違和感を持った方はいたのではないでしょうか。)


しかし、今回の韓国旅行で、この考えは堅かったかもしれない、と思い返しています。映画のように、監督が考えたような印は結ばなかったかもしれませんが、長い坐禅修行中、法界定印以外の印は結んだかもしれません
柔軟な考えは大事だとも思います。このような姿勢は、坐禅のことだけではなく、全てのことにいえることではないかとあらためて思った次第です。



さて、映画など観ていて、後ろ姿がうつると、母はいつも「あ、終わりだよ、後ろ姿だから」と言います。この度の韓国訪問記も、ゆったりと散歩をする二人の尼僧さんの後ろ姿で終わりましょう。