風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

姉妹猫キヨとルナ

2010-11-27 17:55:34 | Weblog
11月27日(土)晴【姉妹猫キヨとルナ】

キヨちゃんは毎日遊びにやってきます。外を歩き回ってきますので、キヨちゃんを拭くとタオルが真っ黒になります。ルナの方が毛繕いをしてやっているのですが、ルナの方がお姉さんなのでしょうかね。


いつもこんなに仲良しだといいのですが、そのうち取っ組み合いを始めます。仲が良いのか悪いのか、猫の世界はわかりません。

肩書きについて

2010-11-23 09:32:08 | Weblog
11月23日(火)雨【肩書きについて】

肩書きについて、考えさせられることがありました。私が書きました原稿の肩書きに、大きく学歴が記載されていました。それを見たとき大変に驚きました。

いつも校正ゲラが届かないところなのですが、まさかそんなことになっているとは夢にも思っていなかったのです。もし、私がそれを指示したのであれば、私の僧侶としての質さえ問われる問題です。私の全く知らないことでした。著者紹介としてその中に記載されるのであれば問題はないでしょうが、肩書きとして記載されるのは、いかがなものでしょうか。すごい学歴ではないのですが、とにかく肩書きとしては恥ずかしいと思います。

もし、このブログの読者で、その記事をご覧の方がいらっしゃいましたら、それは私としては不本意であることをご了承くださいますよう。

*落ち着いて考えてみれば、私になにも肩書きとすべきようなものが無いことによります。そのような者に記事を書かせてくれていることを、考慮しなくてはいけないでしょう。しかし、私は、本当は、自分から書きたくはないのが本音です。書けるようなものを持たないことを承知しているからです。精進あるのみです。


『慈経』に学ぶ

2010-11-21 19:45:30 | Weblog
11月21日(日)晴【『慈経』に学ぶ】

『慈経』を誦していますと、自ずと胸に手を当てたくなります。
漢文の音読のお経も聞いていて、私自身は有り難い気持ちになりますが、果たして皆さんは如何でしょうか。

『慈経』は短いお経ですから、書かせて頂きます。
「解脱という目的をわきまえた人が、静かな場所に行ってなすべきことは、以下の通りである。
何事にもすぐれ、しっかりして、まっすぐでしなやかで、人の言葉をよく聞き、柔和で、高慢でない人になるように。
足ることを知り、手がかからず、雑務少なく、簡素に暮らし、諸々の感覚器官が落ち着いていて、賢明で、裏表がなく、在家に執着しないように。
智慧ある識者たちが批判するような、どんな小さな過ちも犯さないように。
幸福で平安でありますように。生きとし生けるものが幸せでありますように。いかなる生命であろうともことごとく、動き回っているものでも、動き回らないものでも、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、巨大なものでも、見たことのないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれている者も、卵など、これから生まれようとしているものも、生きとし生けるものが幸せでありますように。
どんな場合でも、人を欺いたり、軽んじたりしてはいけません。怒鳴ったり、腹を立てたり、お互いに人の苦しみを望んではいけません。あたかも母がたった一人の我が子を守るように、そのようにすべての生命に対しても、無量の「慈しみ」の心を育てることです。
慈しみの心を、一切世間(すべての生命)に対して限りなく育てることです。
上に、下に、横(周り)に棲む如何なる生命に対しても、わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育てることです。
立っているときも、歩いているときも、座っているときも、あるいは横になっていても眠っていないかぎり、この「慈悲」の念をしっかり保つものである。これが梵天(崇高なもの)の生き方であるといわれます。
このように実践する人は、邪見を乗り越え、常に戒めを保ち、正見を得て、諸々の欲望に対して執着をなくし、もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。」

心の平安を祈ります。私自身にも。

雑務少なく生きる難

2010-11-19 21:25:03 | Weblog
11月19日(金)晴【諸縁を放捨し生きる難】

今日は小春日和のよいお天気でした。我が家からも雪を被った富士山がよく見えるほどでした。ところで、はや、11月も半ばを過ぎてしまいました。驚きます。毎日、何かしらあって、一日は忙しく今日もまた終わりました。

掃除、洗濯、三度の炊事、それになにかしら。浄水器の蛇口部分が毀れたので、時間をかけてなおしたり、ルナを病院に連れていったり、ワクチンの注射ですが、母を病院に連れて行ったり、アルバイトに出かけたり、等々、そう、そう、遊びにも行かねばなりません。一人で日々の糧のことから、なにもかにもしていますと、一日はあっと言う間ですね。

家族があって、仕事を分業しあえることは、合理的とさえいえますね。

さて、今手元に校正しなくてはいけない原稿がありますが、その中に芙蓉道楷(ふようどうかい)禅師(1043~1118)の「祗園正儀」を紹介しました。

芙蓉道楷禅師は、一日に粥一杯で坐禅修行に専念なさった方です。多くの修行僧も一日に粥一杯ですから去っていく者も多かったようです。一年の所得を360分にし、一日分を修行僧の人数で分けて食べたので、人数が多いときは米湯にしてそれをわけて食し、清貧にして修行に専念なさったのです。

「祗園正儀」の中に
務要省縁、専一弁道。(務めて縁を省き、専一に弁道せんことを要す。)
という一文があります。

また、『慈経(メッタスッタ)』の中にも
足ることを知り、手がかからず、雑務少なく、簡素に暮らし云々。
という一文もあります。

できるだけ簡素に暮らし、縁を省いて暮らし、弁道に務める
このことがなかなか為されていない私の日々です。

なんとか「清貧のススメ」に叶うような生活リズムにしたいと思っています。
そして諸縁を放捨して、専一に弁道する時間を持ちたいと思っています。

このところ、なにかと忙しく、ブログの更新もなかなかできませんが、お許しを。
いつもご訪問くださる皆様には感謝しています。

皆さんも何かとお忙しい日々をお過ごしでしょうが、どうぞ少しでも仕事を減らして、坐をお楽しみ下さい。

 


アウン・サン・スー・チーさん解放

2010-11-13 21:31:38 | Weblog
11月13日(土)晴【アウン・サン・スー・チーさん解放】

【シンガポール=宮野弘之】ミャンマーからの情報によると、同国の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん(65)が13日、7年半ぶりに自宅軟禁から解放された。同日午後5時(日本時間同7時半)すぎ、スー・チーさんの自宅に軍政当局の車が入り、その後、自宅前に設置されたバリケードが撤去された。集まっていた支持者は自宅の敷地内に入った。ただ、軍政は外国メディアの取材は認めておらず、軟禁解除後もスー・チーさんの自由な政治活動を制限する可能性は残されている。(産経新聞)


ルナとキヨ、姉妹のテレパシー

2010-11-07 07:58:54 | Weblog
11月7日(日)曇り【キヨとルナ、姉妹のテレパシー】

久しぶりにルナとキヨです。キヨは一階のアメリカ人の家族にもらわれて、自由に外をとびあるいています。ルナは過保護な私の元で、毎日敷地の中を散歩する程度です。

キヨは毎朝必ず、朝ご飯を食べに、我が家にやってきます。キヨちゃんが訪問してくると、夜中でもルナが夢中で私を起こします。時計を見ると1時だったり、3時だったりすることがあります。キヨちゃんは放任主義の家で自由です。

ところが、先日、ルナが目を離した隙に、何処に行ったか分からなくなりました。いくら探しても出てきません。夜でしたが、キヨちゃんを借りて、探すのを手伝ってもらいました。すると、真っ直ぐに隣の家の庭に入っていって、ルナを探し出して追い出してきてくれました。

姉妹にはお互いのテレパシーでもあるのでしょうか。匂いでしょうか。

キヨちゃん、ここは私のお部屋よ。/知ーらない。

ねえ、ねえ、ここは、私の部屋ですってば。

キヨちゃん、全く知らんぷりです。


時々、取っ組み合いをしていますが、お互いにどこも怪我をしていませんので、爪をたてないで遊んでいるのですね。

平和な様子です。それを見ている私も呑気に暮らしているのです。呑気に暮らせる自由を享受していられるのです。

駒澤大学の猫先生(小畑教授)が、世界中の人が猫を可愛がったら、世界は平和になるのだがなあ、といつも仰有っていました。




ビルマ僧の願い

2010-11-03 11:27:22 | Weblog
11月3日(水)晴【ビルマ僧の願い】

一昨日、ビルマの青年僧と会う機会がありました。この方は、2007年の9月17日からの軍政に対しての抗議行動において、先頭に立った僧侶の一人で、アシン・ターワラ(ターウラ)師です。

皆さんはこの抗議行動について、日本人の長井健司さんが、9月27日のデモに巻き込まれて射殺されてしまったことで記憶していらっしゃるのではないでしょうか。

ビルマ(現在はミャンマーと軍政が国名を変更)は、アウンサン・スー・チーさんが自宅軟禁されていることでもご存じかもしれません。

とにかく同じアジアの中でも、隣の国では何が行われているか、なかなか分からないことが多いのです。軍事政権のもとで人々がいかに苦労をし、食べるものにも事欠いているか、想像さえできません。また簡単に虐殺が行われ、拷問が行われ、非人道的なことが日常的に行われていることも想像することさえ日本人には難しいかもしれません。そうして軍部やその家族や、その利権に預かる人々は贅沢をし、楽々暮らしているのです。

日本からのOECD(経済協力開発機構)などで支払われる多額の援助金は、ビルマの困っている国民には使われず、軍政関係の人々と取り巻く人々が享受しているようです。今、援助は行われていないと言われていますが、皆無ではありませんし、軍政寄りの日本人もいるわけです。

軍政であっても、自由があり平和があり人々が豊かに暮らせていられれば、問題はないでしょう。その全く逆のビルマ(ミャンマー)なのです。余程のことが無いかぎりは、争いを禁じられている僧侶が、先頭に立って抗議行動を起こすはずがないのです。

この抗議行動でも、またその後も、多くの僧侶や市民が虐殺され、また多くの僧侶や市民がマンダレー刑務所やあちこちの刑務所で、今日も拷問されていることでしょう。

平和な日本(本当は非常に危うい状態の日本ですが、太平の夢に酔いしれていますから、実感はないでしょう)に暮らしていますと、全く同じアジアの近くの国で、人々が大変な目に遭っていることを想像することさえ難しいことでしょう。

アシン・ターワラ(ターウラ)師は、8歳から僧院で修行して、経律論の三蔵の試験に合格したダンマサリヤ(おそらく三蔵法師のような段階でしょう)です。ビルマの軍政から逃れて、今はインドに亡命しています(このようなことを公表してもよいそうですので、ここに公表しています)。

上の写真で、その隣に写っている方はマウン・ミァ・ティン氏です。氏は1988年の学生による軍政への反対運動の後、日本に亡命しました。そして祖国に真の自由と平和がもたらされることを願い続けて生きているのです。

アシン・ターワラ師のブログがありますのでご紹介しておきます。http://ashin-htavara.blogspot.com/


お二人の写った下の写真は、大船観音寺にまつられている原爆慰霊碑と平和祈念塔の前です。燈籠の中の火は、ヒロシマの原爆の時に燻っていた火が星野村に持ち帰られて、燃え続けていますが、それが分火されたものです。

今、ミャンマーの軍事政権は、北朝鮮の技術協力を得て、核兵器を保有しようとさえしているそうです。
それは、日本にとっても、実は大変なことです。いつの間にか核に囲まれた国になってしまいます。日本はお金の援助をして、自分の国を襲ってくるかもしれない核兵器をつくる支援をしているのと同じ事です。

日本の政府にも、政府でない国会議員にも、どうでもいいことで勢力争いの(日本)内部紛争をしている場合か、と言いたいですね。日本も危ないのですよ、本当は。

ビルマの僧侶や人々の顔に、本当に喜びの笑顔が満ちる日の来ることを願いつつ。


次の"Kameno's desital photo log"にアシン・ターワラ師の経歴など詳細が紹介されています。
http://teishoin.net/blog/004026.html