風月庵だより

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読書

2021-01-24 18:19:25 | Weblog

1月24日(日)雨【読書】

一昨日ラジオをたまたま聴いていたら、中国大使を務めていた人が、「読書のススメ」を説いていました。80歳を越えているということですが、年寄りは読書をしましょう、それだけが老いた我々にできること、と言い数人の作家の名前をあげていました。その中にロマン・ロランの名があり、とても懐かしくこの名前を耳にしました。

かつてロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』を夢中で読んだことがあったという、自分の高校時代を懐かしみました。

さらにロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』という長編を夢中で読んでいた高校時代も思い出しました。

高校時代、勉強よりも読書に夢中であったことも思い出しました。熱い想いで、多くの本を読み、それらが私自身を育ててくれたように、今、思います。大学時代は、読書よりも、映画や脚本の勉強に夢中でしたし、それなりに読書もしたでしょうが、今、思い出せません。

現在は、お寺の仕事に追われていまして、ゆっくり読書に割く時間がありませんが、退董(引退)して、命があれば、読書三昧の日々に浸りたいものだと、夢のように思います。

しかし、昨夜は、『法華経』を読んでいまして、いつの間にか疲れて居眠りをしただけならよいのですが、あまりの眠気だったのでしょう、机の角に目の上を叩きつけてしまったようで、今日は目が腫れています。

昨日は、エクセルを使って、お寺の税務署関係の書類を作成していて、その後、ちょっとでも勉強したいと思い、本を読み始めたのですが、眠気に襲われてしまったのでした。

皆さん、読書を楽しめる時は、短いのではないでしょうか。人間として生まれて、人生を学ぶのに、読書は自分の人生を倍楽しませてくれる熱き血潮の元になるように思います。最期まで、先人の智慧や熱情を学んでいきたいですね。

(昨日の夕焼けです。このあたりの雪の予報は外れたようですね。寒いですから風邪にご用心ください。)

 

 


常不軽菩薩品

2021-01-22 16:08:17 | Weblog

1月22日(金)晴れ【常不軽菩薩品】

今日は、生前『法華経』を信仰していた方の法事がありました。子どもさんが病気がちだったということで、なんとか子どもの命を守っていただきたい、という思いから信仰に入ったそうです。子どもさんも今や立派に育ち、すでに定年までお仕事も勤め上げました。

働き者のお母さんの余徳もあり、子供さんたちも悠々自適な定年後の生活をなさっています。生前は私のところにも、お嫁さんに連れられて、しばしばお野菜を届けてくださいました。

それで本日のご法事では、特に『法華経』の「常不軽菩薩品第二十」の偈文の部分を和文でおとなえしました。お唱えする前に、常不軽(サダー・パリブータ)菩薩について解説を致しました。おとなえしながら、つくづく有難いという気持ちがあらためておきました。

常不軽菩薩は、会う人誰に対しても、「私はあなたを敬います。軽んじ慢ることはいたしません。なぜならばあなたがたは皆菩薩の道を行じて、あなたがたは完全にさとった仏になるでしょう」と、いうようなことを告げました。そう言われた人たちは、「この無智の比丘にそんなことを言われてなるものか」と罵り、木や石で叩き投げつけさえしました。

それでも常不軽菩薩は逃げ去りながらも、「汝当作仏(汝当に仏と作るべし)」と、声高にこの言葉を投げかけるのでした。

二百万那由他もの長い時を経て、今釈尊は、得大勢(マハー・スターマ・プラープタ)という比丘に向かって、この話を聞かせています。

そして「彼時不軽 則我身是(彼の時の不軽は、則ち我が身是れなり)」と。その時の不軽こそこの私である、釈尊は明かされるのです。そうして、その時、釈尊に石を持て打ち付け、木をもって叩いたけれども「汝当作仏」仏になる、と不軽菩薩に授記された人々は、今、釈尊の前で法を聞いている比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷であると明かされるのです。

現在、こうして法事を通して、法を共に学んでいる私たちも、いつかは必ず仏に成ることを信じて、日々の務めに励みたいことを願いました。

(宮沢賢治さんの「雨にも負けず」の詩も思い起こされますね。)

 


惜別の唄 小林旭

2021-01-15 18:07:36 | Weblog

1月15日(金)曇り【惜別の唄 小林旭】

今日まで、暮れからずっと働き続きでした。
ご祈祷会の準備、ご祈祷、ご祈祷会、後始末、さらに私が住職を任されているお寺の本堂の銅板葺きの屋根の全面葺き替え工事が間もなく始まるので、そのことに関する仕事の数々。以前からの檀家さんたちにとって、緑青の吹いた屋根の見納めになるので、そのことを知らせる手紙などを出したり、等々、ようやく先ほど一区切りがついたのです。

次の仕事に移る前に、なぜか、歌を歌いたくなったのです。
それもなぜか、「惜別の唄」です。
小林旭さんが歌っている歌をインターネットで探しまして、一緒に歌いました。

なぜか、涙がこぼれました。なぜ、本日、私は「惜別の唄」なのかと思っていました。中央大学の学生歌となっているようなので、私事ですが、中央大学法学部の出身で、山を愛し、山岳部の監督までつとめ、50代で世を去った長兄もおそらくこの歌を歌ったことだろうと思いました。兄はとてもよい声でした。

しかし、それだけではなかった、と、わかりました。

そのユーチューブの最後の方に、ブログ「二木紘三のうた物語」の紹介があり、「惜別の歌」の解説が掲載されていました。作曲者藤江英輔さん自身が書いた、この歌誕生のエピソードが掲載されていまして、涙を禁じえませんでした。

ご存知のように、歌詞は、島崎藤村の『高楼(たかどの)』の中からとられています。学徒動員で、工場で働いていた藤江さんが、友人の中本さんからこの詩を教えられて、メロディーをつけたのを歌っているうちに、戦地に赴く学友を送る歌になっていったようです。

友人の中本さんは、3月に学徒出陣し、彼が藤江さんに別れに際して残していったノートの中には、老子やショーペンハウエル、パスカル、ボードレールなど、さまざまな先哲の苦悶の言葉が書き連ねてあったそうです。その中に次のような箇所には赤い線が引いてあったそうです。

「末法たりといえども、今生に道心発さずは、いずれの生にか得道せん」(道元「正法眼蔵随聞記」)

「我より前なる者は、千古万古にして、我より後なる者は、千世万世なり。たとえ我等を保つこと百年なりとも、亦一呼吸の間のみ今幸いに生まれて人たり。庶幾(こいねがわくば)人たるを成して終らん。本願ここにあり」(佐藤一斎「言志録」)

「愛するもののために死んだ故に彼らは幸福であったのでなく、彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである」(三木清「人生論ノート」)

中本さんは、ついに帰らなかったそうです。藤江さんは8月に赤紙を受け取ったそうですが、間もなく終戦になりました。中央大学法学部のご出身です。

*もしかしたらと思ったことですが、赤紙を送られた順番は学生さんの名前のあいうえお順だったのでは。「な」の方が3月、「ふ」の方は8月。??

死と背中合わせで生きた時代の若人たち、学徒出陣で戦地に散っていった若者たち、若者だけではないですが、戦死なさった人々のことを忘れてはなりませんし、改めて私は言いたい。曹洞宗の「祠堂諷経」の回向文から「万国戦死病没者」の文言を消したことには反対です。「諸英霊」と私はそのまま残したいですが、もしこの文言に問題があるのなら、「諸精霊」でもよいかもしれませんが、「万国殉難者諸精霊」に変えられてしまっていることに反対です。

今、新型コロナウイルスによって、いつ私たちも非業な死、不慮の死を迎えるかもしれません。お互いに命を大事に慎重に生きあってまいりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

                                  


新年祈祷会を終えて

2021-01-09 14:19:14 | Weblog

1月9日(土)晴れ【新年祈祷会を終えて】

今日も寒いです。皆様お元気ですか。私はお陰様で風邪も引かずに勤めています。新年祈祷会は無事に円成しまして、暮れから忙しくしていましたが、皆様にご挨拶する時間をようやく見つけられました。

緊急事態宣言の出される前でもあり、檀家さんたちを4班に分けまして、密集を避けた結果、ほとんどの檀家さんたちの参列があり、かえって驚いています。ウイルスの感染を恐れてほとんど参列はないかもしれないと、思っていましたが、結果は逆でした。

住職として、新型コロナウイルスの感染から守り給えと、毎朝太鼓を打ちましてご祈祷、毎夕梵鐘を撞きまして祈り続けています。

三が日は、『理趣分』を一巻読誦しましてから、檀家さん一同の祈祷札をご祈祷します。私たちの自己防衛の手段は、実に儚いものですが、気をつけないよりは気をつけたほうがよいです。それで、今年のお供物として、マスクフレームを檀家さんに配りました。マスクの下にしますと、少し長時間マスクをつけていても、楽です。店頭でも出回っていると思いますが、インターネッとで購入できますので、ご紹介しておきます。

左がマスクブラケットです。興味のある方は、アクセスしてみてください。

https://item.rakuten.co.jp/_delfino506/10000176/

です。かなり使い勝手は良いですし、高価ではありません。これから私たちは、新型コロナウイルス時代を生き抜いていかなくてはなりません。自分は大丈夫という、楽天的な考えは、危険です。

このウイルスは、何回かこのブログでも勝手な主張していますが、中国共産党による世界征服の一手段ではないでしょうか。いまや中国共産党は莫大な資本と国家統制という強力な武器で、世界中に散らばっています。先日もアフリカで仕事を長いことしてきた人が、やはり実感と経験から、同じような意見を持っていました。アフリカにもう20年以上も前から、いくらでもいる中国人民を送り込んで、その国の仕事をさせ、国家レベルで賃金を中国に持ち帰っている、とのことでした。イタリアなどの一帯一路によるじわじわと忍び寄っている植民地化政策も多くの方は、お気付きでしょう。

アメリカも中国寄りの民主党政権バイデン氏が大統領になり、日本も本当に危ない、狙われているのですから、ボーっとしていてはいけません。この片隅で叫んでいても、どうすることもできませんが、中国共産党による世界征服、という考えは決して荒唐無稽な話ではないのです。(しかし、個人レベルでは、素晴らしい中国の友人たちはいます。)

このようなことは、仏界の願いではないですから、回避されねばならないと思っていますが、かつて、6600万年前、巨大な小惑星がメキシコ湾に衝突して、1500メートルを超える大津波が起きたそうですが、なにが起きるか分からない地球上で、人類は平和に生きあっていくことを、真剣に希求しなくてはならないと思っています。

令和3年、なんとか生かされたいですね。皆様、寒いですから、今夜は温かいおでんでも食べましょうか。

 


私は負けない

2021-01-01 19:06:26 | Weblog

令和3年1月1日(金)晴れ【私は負けない】

あけましておめでとうございます。
いかがな初春をお迎えですか。

私は、いつも三が日は、檀信徒のお札のご祈祷がありますので、全くお正月休みはありません。『理趣分』一巻読誦しましてから、一枚一枚檀信徒のそれぞれのお顔を浮かべながら、「家内安全」「身体健全」「商売繁盛」「良縁満足」今年は特に「新型コロナ感染回避」などのご祈祷をします。

それからようやく年賀状を書き始めます。このお寺に入ってから、暮れはあまりに忙しく年賀状を書く暇がありませんので、お正月に書いています。

ふっと川柳的和歌が浮かびましたので、僭越ながら一首ご披露いたします。

「人間も 面白いから もう少し 生かしたまえと 元朝に祈る」

とにかく暮れにはいろいろとありすぎて、危うく老人性鬱病になりそうでした。こういう時には、みずから危ないと危険信号を出しまして、回避しなくてはいけません。

と、いうことで、先ほどふと浮かんだ言葉ー

「私は負けない」です。

後期高齢者の仲間入りをするほどの私ですが、なんだかまだ青い言葉ですね。

令和3年の元旦にあたり、皆様のご健康とご多幸を祈ります。本年も宜しくお願いいたします。