風月庵だより

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小さな頃から

2010-03-28 16:44:44 | Weblog
3月28日(日)曇り【小さな頃から】(久々にルナです)

今日は寒いですね。暖かい日があれば、寒い日があり、皆さん、体調の管理にお気を付けください。

さて、今日、ご法事にお伺いした家で感心したことがあり、ちょっと一筆。
4歳の坊やのいるお宅でした。坊やのお祖父ちゃんと曾お婆ちゃんのご法事でした。ときどきウルトラマンの真似だそうで、フロシキマントで楽しんでいましたが、お仏壇の前でのお拝になりましたら、一緒にきちんとしていました。

毎朝、ご両親がお仏壇の前でお勤めをしますので、坊やも自然に一緒に座ってお拝もしているのだそうです。

坊やのお父さんも、小さい頃からご両親と一緒にお勤めをしてきたのだそうです。臨席の叔母様たちも、坊やの曾お婆ちゃんと曾お祖父ちゃんがご両親ですから、小さい頃から当然のように、お勤めをしてきたのだそうです。

クリスチャンの家庭では、幼い頃から日曜の礼拝に行くのは当たり前の習慣です。イスラム教の家庭でも、当然のことでしょう。小さい頃から信仰生活があります。

他の宗派のことはよく分かりませんが、曹洞宗でも、小さい頃から信仰生活を身につけさせてあげたいですね。自然に掌を合わせる習慣が身に付いていれば、それだけでも、何かの時に乗り越える力になるのではないでしょうか。また掌を合わせることを知っている人間は、自ずと痛ましい事件を起こすようなことはできないのではないでしょうか。

日々の積み重ねが、人間として全うに生きていく種を養ってくれると実感したご法事でした。

でも家の大人がなかなかお勤めができないし、仏教を自らの信仰として受けとめている人が少ないのが日本仏教の現状かもしれませんね。

冤罪

2010-03-26 13:49:46 | Weblog
3月26日(金)曇り【冤罪】(6チャンネル報道番組より)

足利事件の再審判決公判で宇都宮地裁の佐藤正信裁判長は、菅家利和さん(63)への無罪言い渡しの最後に、「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年間の長きにわたり自由を奪ったことを再審公判を担当した裁判官として謝罪します。申し訳ありませんでした」と述べ、佐藤裁判長以下裁判官3人が起立し深々と頭を下げた。

 佐藤裁判長は、判決言い渡し後、「事件につきまして自戒の意味を込めて菅家さんに謝罪させていただこうと思います」と述べ、謝罪を始めた。裁判官3人で頭を下げた後、佐藤裁判長が「二度とこのようなことを起こしてはいけないとの思いを強くしました。今後の菅家さんの人生に幸多きことをお祈りします。菅家さんの思いを胸に刻み、再審公判を終わります」と述べ、閉廷を告げた。
「産経新聞」〉

「謝罪があり納得した。感無量です」。足利事件再審で無罪判決を受けた菅家利和さん(63)は、栃木県庁内で笑顔で記者会見した。「時事通信」〉


菅家さんへの無罪言い渡しが、ようやくなされました。また裁判長と裁判官の方が謝罪をしたそうです。菅家さんにとってようやく一区切りがついたことでしょう。

朝日新聞出版から出された『冤罪 ある日、私は犯人にされた』を、昨年読みました。この来るべき無罪判決言い渡しの日に、この本を紹介したいと思っていました。ついにこの来るべき日が来たのですね。

多くの方が、この事件については、すでにご承知でしょうから、あまり内容を書かなくてもよいかもしれませんので、まず目次を紹介します。

第一章 逮捕
第二章 孤立
第三章 出自
第四章 内偵
第五章 闘争
第六章 獄中
第七章 自由

菅家さんは大変内気な性格の方で、自己主張することも苦手なタイプだったようです。
当時のDNA鑑定には不備な点が多かったにも拘わらず、それを動かぬ証拠としてしまったことは、警察の捜査のミスでしょう。しかし、他の記事を見てみますと捜査は適切だった、とあくまでも言い張っている元警察官もいるようです。

この事件は、真犯人を逃がしてしまいましたし、すでに時効が成立してしまっています。どこかで菅家さんのニュースを見て、「俺の代わりにご苦労さん」とほくそ笑んでいる真犯人がどこかにいるのですね。

『冤罪』を読んでみまして、私が一番心動かされたのは西巻糸子さんという主婦の存在です。この方が、菅家さんの無実を信じて、足利から千葉刑務所まで何回も面会に訪れたり、手紙で励ましたり、差し入れをしてくださったり等々、家族にさえ見捨てられた菅家さんを支え続けてくれたことです。

なかなかできることではないでしょう。お子さんもいる家庭の主婦です。時には子どもを連れてまで面会に通ったようです。とても普通ではできないと思いました。深い信仰を持っているのではないかとさえ思ったほどです。

長野のサリン事件のときも、簡単にマスコミ誘導に乗った自分を反省していますが、多くのこの世の出来事は、表面に表れたことだけでは判断することは危険だと痛感します。

『冤罪』には雑居房でイジメに遭い、肋骨を二本折られたことや、刑務所内の全く知らない世界のことを、菅家さんの飾らない言葉で如実に語られています。勿論、段々に犯人に仕立てられていく状況も書かれています。罪もない一人の人間が、十七年間も無実の罪に服さねばならなかった無念さはいかばかりでしょうか。はかりしれません。

菅家さんと私も同じ歳です。私も冤罪には過敏に反応してしまいます。私の場合は、無実の罪で監獄へ、というような事件ではありませんでしたが、やはり嫌なものです。私自身にとってはそれも水の流れの導きと思えますが、菅家さんのように大事な月日を奪われた場合は、そんな暢気なことを言ってはいられません。

ある日、急に犯人にされて、何年も刑務所に送られて、思い知らされたことがあります。四十五歳からの人生も、何もいいことがないなと思いながら、過ごしていたのかもしれません。職場と実家を往復して、週末にテレビとビデオを楽しむだけだったかもしれません。それでも、それが、自分の人生です。警察や検察、そして裁判所には、どうか自分の人生を返してもらいたいと思っています。〉(『冤罪 ある日、私は犯人にされた』138頁)

(菅家さんを支えた西巻さんとー6チャンネル報道番組より)



研究所を去るにあたって

2010-03-11 10:14:19 | Weblog
3月11日(木)晴【研究所を去るにあたって】

今日で曹洞宗総合研究センター宗学研究部門の研究員としての勤めは終わりです。思い返せば、本師余語翠巖老師御遷化の後、これからどうしようかと思いましたが、どうも仏教ってなんだか分からないという情けない弟子でしたので、一念発起しまして、駒澤の門を叩きました。それから大学院の博士課程まで進み、有り難いお勧めを頂きましたので、当研究所に入れて頂きました。

それから六年、籍を置かせて頂き、研究生活を送らせて頂きました。ただ感謝です。しかし、道元禅師の『正法眼蔵』の参究はまだまだです。これから真剣に参究し、先人の智慧に導かれた坐禅生活を送りたいと思っています。独りよがりでは「毫釐(ごうり)も差あらば天地懸(はる)かに隔たる」の恐ろしさがあります。少しの差でも先に行けば大変な差です。道元禅師が正法とお唱えになる坐禅を坐りきるには、常に正法とは、と問い続けていかねばと思います。

今日まで、ミミちゃん事件に心奪われながらも、引っ越しの荷造りもようやく終わりました。書き上げなくてはならない原稿もほぼできました。

今まで、このブログも責任あることを述べたいと思い、本名をあげていましたが、肩書きは無くなります。このブログも続けようかどうか思案中です。ご訪問くださった皆様には本当に感謝です。

さあ、新たなる出発です。

※毫釐(ごうり)も差あらば天地懸(はる)かに隔たる:(『信心銘』三祖僧璨の言。わずかでも差別の見解を起こせば、天地雲泥の隔たりを生ずる。

猫ブログ〈騙す人が悪いか騙される方が悪いか〉

2010-03-06 21:40:21 | Weblog
3月6日(土)雨【猫ブログ〈騙す人が悪いか騙される方が悪いか〉】


(外猫時代のミミちゃん、アタチ、一人でも頑張って生きていく、負けないわ、とでもいうような健気なミミちゃんの目です。この目があまりにいじらしく、私はミミちゃんをなんとか守ってあげたいと思ったのです。)


(我が家にて:ミミちゃん、あんたはうちの子よ、ルナの妹よ、と私が言ったときのミミちゃんです。)

ミミちゃんに餌を運んでくれていた女性が、他にもいました。この人から電話がかかってきました。「私も猫を飼っているから、よくあなたの気持ちが分かります。必ず連れて帰れるようにしてあげるから、けじめとして、一度こちらにつれていらっしゃい」ということでした。

その老婦人から、私を信用させ、安心してミミを連れてくればよいという電話が何回かかかりました。私はそれでは、やはり気持ちよくミミちゃんをルナの妹に迎えたいと思い、腰痛をおしてミミちゃんを、飼い主という家に、その老婦人と一緒に連れていったのです。猫ボランティアの友人たちは、絶対にとられるからやめた方がいい、とアドバイスしてくれたのですが、私は80歳になるという老婦人の言葉を疑っては悪いと思ったのです。

ところが、話はできていたようで「家に入れて飼うので返して欲しい」と言われてしまいました。今まで餌をあげていた人に、そう言われてしまっては、私は引き下がるしかありません。なんとかかんとか私を信じさせようといろいろと言ったこの老婦人は、私を騙したのだ、とその時知りました。私にミミちゃんを連れてこさせるために、その家の夫婦と相談ができていたようです。

ミミちゃんを奪われたことは、あまりに切なくて、その家の外に出てから、声をあげていつまでも泣いてしまいました。

老婦人に騙されたことは事実です。でも騙されたことを恨んだりする気持ちはありません。ただ騙された自分が本当にバカだったと思います。あまりにアマちゃんだったと思います。世の中を知らなすぎると思いました。気持ちよく貰おうと思ったことが甘かったと思います。ルナとミミは本当に相性のよい姉妹でした。あんたたちは姉妹よ、ミミはこの家の子なんだよ、と言い、あの日の朝も、必ずつれて帰ってくるからね、とルナとミミに言ったのです。その約束を私は守れませんでした。

たとえ猫泥棒と言われても、ミミを連れて行くべきではありませんでした。気持ちよく貰ってこられるなどと、自分の気持ちの為に、ルナとミミを引き裂いてしまったのです。

私はこれから絶対に「いい格好しい」はやめます。自分が泥を被らなければならないときは泥を被ることを怖れてはならないと、つくづく思っています。夜の寒空の下にいたミミちゃんを連れてきてしまった以上、すでにその時にその覚悟がなければいけませんでした。その覚悟はあったつもりでしたが、老婦人の言葉に騙されてしまったのです。騙された私のほうが愚かでした。

その家の人は「交通事故の心配はないと思うけど、丸山さんが中に入れちゃったので、家に入れますよ」と言い、その奥さんも「ミミちゃんは外にいるほうがいいんじゃないかと私は思うけど」と、そのときも言っていました。それがミミに対する愛だと思っているようです。可哀想な野良猫を、温情で飼っているのですから、全く悪気はないのです。「猫を飼う」ということについての考え方の違いなのです。家の中で飼われるのがよいか、外で跳び回っているのがよいか、どちらが正しいとかは言えないでしょう。

でも、上の二枚の写真の表情の違いを見ますと、私は、やはり、ほとんどの猫は、暖かいねぐらと、安全な居場所と、いつも声をかけてくれる人間が傍にいるほうが、楽しいのではなかろうか、と思うのです。

ミミちゃんを私が連れてきてしまい、いなくなってからミミちゃんが大事なことがわかったのかもしれません。家の中に入れてもらえるようになったことは、ミミちゃんのために喜ぶべきことでしょうが、今でも私はルナとミミに申し訳ないと思っていますし、愛しいものを失う気持ちとは、これほどに切ないものであろうかと感じているのです。

猫にこれほど夢中な私を、あなたはお笑いになるでしょうか。

【猫ブログ】猫の好きな人だけお読みください〈猫泥棒になれなかった私〉

2010-03-05 21:08:26 | Weblog
3月5日(金)晴【猫の好きな方だけお読みください。猫ブログ〈猫泥棒になれなかった私〉】(雪の降った日、ミミちゃんを保護)

2月は、東京に珍しく雪が二回降りました。一回目の時は、名古屋に法話で出かけましたが、野良猫のミミちゃんは寒い中でどうしているか気になっていました。犬小屋で寝ていましたので、段ボールで中を囲ったりしましたが心配でした。それから懸念の仕事がようやく終わりましたので、餌をあげている人たちは、ミミちゃんにワクチン注射をしていないというので、早速、我が家に連れてきて、5種混合ワクチンを打ったり、猫エイズと猫白血病の検査もしました。お陰様でどれも陰性でした。

2月は寒い日が続いていましたので、なんとか母を説き伏せて、ミミちゃんを家で飼わせてもらうことになりましたが、餌をあげている人が、返せ、というので泣く泣く返したのです。しかし、再び寒空に放たれたミミちゃんでした。その夜は雪が降るという予報です。飼い主だという人を、なんとか説得して家に連れ帰りたいと思ったのですが、駄目でした。せめてホカロンを小屋に入れて行こうと思い小屋に寄りましたら、先住の親子の野良猫は二匹、抱き合って寝ていましたが、ミミちゃんの姿はありません。

周りを見ましたら、植え込みからミミちゃんが飛び出してきました。思わずミミちゃんを抱いて、私は家に連れ帰ったのです。そして、私が連れ帰ったことを飼い主という人たちに伝えました。黙っていたら、分からないことですが、なんとか説得してもらい受けたいと思っていましたのです。ミミちゃんのことが気になり出した頃、誰かにくださるようなことを聞いていたから、私も心を動かしたのです。ルナ以外にもう一匹飼うには、なかなか決断するまでに私も大変でしたが、寒空に外にいるミミちゃんを見ては、放っておくことができなくなったのです。

翌日もすごい雪でしたし、ミミちゃんを連れ帰って良かったと思いました。ミミちゃんは暖かいカーペットの上で、すやすやとよく寝ています。やはり猫は暖かいところでゆっくりと寝ていたいのだと痛感しました。外で自由にしているほうがよいのでは、という意見もありますが、ミミちゃんを見ていて、あたりに警戒することなく、寝られることがどんなにか猫の幸せかということを、私は学びました。

駒沢公園でも、一日に3回も餌やりをしてくださる猫ボランティアの皆さんがいますが、餌をあげている猫に対して、誰も自分が飼い主だとは主張しません。なぜならば暖かい寝床と交通事故の危険や、鳥に襲われたり、人間に襲われたりする危険から守ってあげることはできないからです。

ミミちゃんのように餌をあげているだけで、飼い主として所有権を主張する人を、今まで私は見たことがありません。家猫として貰い受けたいと言えば、喜んでくださるものと思っていたところに、今回の行き違いがありました。「返せ」の一点張りの言葉を、私は聞くことはできませんでした。飼い主と主張する人たちは、この寒空にまたミミちゃんを外に置いておくだけでしょう。私はなんとしてもミミちゃんを守りたいと思いもし、ミミちゃんにもそう言ったのです。

猫泥棒といわれてもよいと思ったのです。ところが……

(手作りの段ボール製キャットタワーをのぼって、本箱の上に上がったミミちゃん、まだ家に来たての頃。耳の中がピンク色です。真っ黒だったのを拭いてあげたらピンク色でした。)

猫ブログ〈別れとも知らず興じる姉妹猫〉

2010-03-04 20:46:50 | Weblog
3月4日(木)曇り再び寒し【猫ブログ〈別れとも知らず興じる姉妹猫〉】

(「ミミちゃん押してご覧なさい」)

(「お姉ちゃん、こうですか」「そうですよ、おじょうず、おじょうず」)

出窓に吊ったカーテンで、カーテン押し遊びに興じるルナとミミです。いつまでも飽きずにスライディングをしたりして遊んでいました。ルナとミミは自然にいろいろな遊びを考え出しました。昨日ルナはヒトリでこの場所で、カーテンの匂いを嗅いでいました。3日で猫は忘れると言いますが、どうもそうではないようです。そのルナの姿には、さすがにカメラを向けられませんでした。ミミちゃんのいたところを、いないとわかっても、まだ探し回っているようです。

丁度一週間前、私の判断ミスで、こんなに仲良しの姉妹を別れさせることになってしまいました。「ルナやン、ごめんね。ミミやン、ごめんね」

しかし、猫同士、こんなに早く仲良く遊べるものでしょうか。ルナとミミのためにもっと頑張ればよかった、とつくづく反省しています。

猫ブログ〈気の合う姉妹〉

2010-03-03 22:09:27 | Weblog
3月3日(水)晴【猫ブログ〈気の合う姉妹〉】

(「ミミちゃん、そんなところにいたの」
「お姉ちゃん、遊びましょう」)


(「遊んであげようね」「お姉ちゃん、有り難う」)

ルナとミミは、いつまでも飽きずに押入の上下で遊んでいました。わずか一週間でこんなに仲良くなったとは、よほど相性が合ったのでしょうか。姉妹を別れさせてしまって申し訳なさで一杯です。

猫ブログ〈姉ルナと妹ミミ〉

2010-03-02 18:19:43 | Weblog
3月2日(火)曇りまた寒いです【猫ブログ〈姉ルナと妹ミミ〉】(トイレの使い方を教えてもらっています。この後、ルナは自分のトイレをすぐにミミちゃんに使わせてあげました。)

(でも、ちょっとまだ遠慮のあるルナとミミです)

(お姉ちゃん、遊びましょう)

姉ルナと妹ミミの一こまです。切ない一こまです。「風月庵だより」は猫ブログですね。なんとかミミちゃんを失った苦しさを乗り越えようと思っているルナと私です。