風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

両祖忌

2022-09-29 13:58:05 | Weblog

9月29日(木)曇り【両祖忌】

本日は、永平寺の開山様の道元禅師様と、總持寺の開山様、瑩山禅師様のご命日とされています。曹洞宗では両祖忌といいます。お二人の御蔭様で、曹洞禅の教えは今に伝承されています。

さて、坐禅というと、いかにも坐禅を組んで長時間坐らなくてはならないと、思われているかもしれません。しかし、もう少し気楽に受け止めてはいかがでしょうか。というより、私自身、実に気楽に受け止めまして、たとえ短時間でも気楽に坐禅させてもらっています。

坐禅をすると悟るのでは、と、思っている御仁もいらっしゃるかもしれませんが、坐禅をしてその結果悟るのではなく、坐禅をすることが即ち悟りを表している、というのが、道元禅師様のみ教えです。

「修証一等」「修証不二」と言われます。修行と証悟(さとり)は一つです、修と証の間に、「後」という言葉はなく、「即」あるのみです。

と、いうことで、皆さん、気楽に足を組んで、背筋を伸ばし、短時間でも、「我」に対しての執着を捨てて、坐禅してみませんか。

 


猫は嵐を知っている

2022-09-19 15:29:17 | Weblog

9月19日(月)時々雨【猫は嵐を知っている】

朝のうち、こちらでは青空も見えました。いつものように二匹の猫ちゃんは、外に出しました。しばらくすると、いつもならば、なかなか帰ってこないハッピーが、帰ってきました。

と、突然、猛烈な勢いで雨が降ってきました。ベランダに面するガラス戸を開けておいたところから、部屋の中まで雨が吹き込んできました。

雨を拭きたかったですが、タローがまだ帰っていません。打ち付けるような雨です。
「タローちゃん、オカエリー、タローお帰りー」何度も雨がたたきつけるように降っている境内に向かって、呼びましたが、姿が見えません。この急な雨では、雨宿りをする暇もなかったのでは。

心配で、雨でびしょびしょになりながら見つけに行きました。どこにも見当たりません。

(もしかしたら……)家に入って、タローがいつも寝ているところを見てみました。

なんと、いました。いつもならば、まだまだ外で遊んでいる時間です。ハッピーも帰ってきていますし、なんてことはありません、タローも帰ってきています。
猫には、天気の急変が分かっていたのに違いありません。猫に予知能力がある、と思いました。おそらく地震の予知能力もあるかもしれませんね。

猫が騒いだら、注意したいと思います。

それにしましても、この大型台風による被害が、少ないことを祈るばかりです、

(こちらはもともと家の中で、ぐっすりねていたルナです。)


昆虫食反対

2022-09-13 13:43:17 | Weblog

9月13日(火)晴れ【昆虫食反対】

先日から、このことを書きたかったのです、が、眼底出血がひどく、ちょっとパソコン離れしていました。

ラジオで「昆虫食」のことを紹介していました。将来の食糧不足を懸念して、昆虫食が研究されているそうです。

研究対象は「こおろぎ」だそうです。長野の某所でⅠ万匹近くハイテク技術で育てていて、それを加工するそうです。子供たちに小さいうちから食べさせれば、味になれるでしょう、というようなことを言っていました。(昔、イナゴは食糧になっていましたが。)

虫の集く声の楽しい秋の季節に、こんなニュースを耳にしました。

食糧不足を解消するのに、別な研究ができないのか、そんな思いでいたところ、虫の死骸に群がる小さな蟻たちを見つけました。人間も蟻並みになってしまったか、と思いました。お墓の造花にもギョッとしましたが、昆虫食にもギョッとしました。私は古いのだろうか。古くてもよい、昆虫食は反対です。

(小さな蟻までは見えなくてすみません。首と胴体が離れているのは、私が土に返してあげようかと思って手にしたのですが、蟻たちがいるのに気が付いて、蟻さんの食糧になりますか、と戻したからです。)


中秋の名月

2022-09-11 20:22:45 | Weblog

9月11日(日)晴れ【中秋の名月】

昨晩は中秋の名月を美しく観ることができました。9月9日は本師のお誕生日で、娘さんとメールで本師を懐かしく思い出しました。そして、10日は名月。

話は変わりますが、今日は、建立なさったお墓の開眼と納骨がありました。お墓の花立てに飾られていた花?を見て、私はギョッとしました。造花でした。初めてお墓に供えるお花が造花であったということは、40年間で初めてのことです。造花はやめましょう、と、言いました。お花が枯れたら、いつも私が片付けますから、生花にしてくださいね、と伝えました。ちょっと、施主さんにとって、耳に痛いことだったかもしれませんが、最初が大事です。それともお墓に、造花を供える習慣の地方があるのでしょうか。

いろいろな考えや風習があるでしょうが、当寺は造花は、ご遠慮ください、という考えです。

(手前の光は電球です。奥に小さく見えるのが満月です。