風月庵だより

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ソウル訪問記その9 中宮寺門跡様

2020-02-16 19:03:03 | Weblog

2月16日(日)雨【ソウル訪問記その9 中宮寺門跡様】

今日はこちらは雨で寒いです。雨の中の納骨があり、ちょっと大変でした。しかし、お蔭様で、お寺の法人税のための収支報告書も税務署で受理され、自分の青色申告もできまして、ほっとしているところです。それでようやくタイトルのように中宮寺の門跡様、日野西光尊様についての一文を書かせていただきます。お写真の掲載の許可も頂きましたので、ご紹介させていただきます。*「今日」はすでに22日になりました。この記事を書き上げるまでにあまりにいろいろとあり、遅くなりました。今夜はようやく檀家さんのご葬儀のための引導法語を書き上げましたので、落ち着いて仕上げました。

(門跡様と比丘尼会会長の本覺法尼です。)

90歳という御高齢ですが、穏やかな面持ちの中に凛とした姿勢を感じられる尼師僧様です。私が、唯一、この方のように尼僧として年をとることができれば嬉しい、と思った方です。中宮寺の如意輪観音様を毎日拝み修行なさっていらっしゃるので、その波動を一心に受けていらっしゃるだろうと感じました。

(そのお隣は本覺法尼です。本覺法尼様は、私にとっては、大事な友であり、尊敬してやまない人です。仏様のお使いと心底思える方です。でも遠くから眺める人ではなく、気楽に話せる人です。僧侶はかくありたいと思える人です。特に『華厳経』の研究者です。)

日野西門跡様のご著書『衆生ほんらい仏なり』(春秋社、2018年出版)についてもう少しご紹介させてください。

62頁に「結局今が出発点で、生まれ変わるのでございます。今日、今の心がけ一つでどうにも変わる世の中、実に楽しいではありませんか。「日々新たなり」の句もこの意味から出ているものと存じます。また禅僧の趙州和尚(じょうしゅうおしょう)は、その師南泉老師から「平常心是道」の一句を示されて、これによって大悟徹底されたとうかがいましたが、これもここからまいりますことで、常に一瞬一瞬、今を大切に、まことの心で、感謝で過ごしますことこそ尊く、これこそ道であり、教えに通ずるものと存じます。」

また115頁に「私は道元禅師の『正法眼蔵』が好きでございますが、その『随聞記』に、こうあります。「一人の師匠の門下の数、百千人のなかに、まことの仏道を得、仏法を得た人は一人二人にすぎない。このことを思うと故人の教えている昔からのしきたりで、用心をしなくてはならないものがあるとしなくてはならない。今、これを思うに、それは仏道を究めようとする志のあるとないとに拘わることである。(中略)もしこの心(道心)のある人ならば、(中略)真理を知らないおろか者であろうが悪人であろうが論ずることなく、かならず悟りを得ることが出来るのである。」
とありますが、本当にそうではないかと思うのでございます。人間の能力は特別の場合以外そんなに大差のあるものではないと思います。

125頁に「人は信仰と忍耐をもって多くの苦しみをのりこえてこそ、磨かれると申します。私も今年こそは、過ぎ去ったことなどの心のわだかまりを仏様におゆだねし、み仏に包まれて、いつでもどこでも、何に対してもまず自分自身がほほえんでいられる人でありたいと思っておりますが、ほほえむということだけでも実際にはなかなか難しいことを痛感いたします。どこまでできますかわかりませんが、皆様とご一緒に励んでまいりたいと思っております。」

 *このようにお書きですが、門跡様もやはりご苦労をし、心にわだかまっていることもおありなのだという      ことがわかります。わだかまりを持ち続けているこのブログの管理人としましては、かえってホッとするとこ  ろがあります。門跡様でさえそうなのだから、私がわだかまり続けているのもやむを得ないか、などと勝手解 釈をしています。

144頁に「私にとって毎朝の修法や阿字観はことに有り難く感ぜられます。
         衆生本来仏なり
         水と氷のごとくにて
         水を離れて氷なく
         衆生の外に仏なし
       と白隠禅師が『坐禅和讃』でお詠みになっていらっしゃる如く、冬のあいだ堅く凍てついた氷が、春の日ざしを受けて自然に水になるように、心が自然に清められ、雑念、妄念が取り除かれ、無碍自在の大自然の法、清浄法身のみ仏、大慈悲の如意輪観世音と一体感を味わせていただき、無上の法悦に浸らせていただけることは何よりも有り難いことでございます。
 しかしながら、励めば励むほど、み教えの偉大さ、広大さ、深遠さを有難く感ずると共に、み仏の大慈悲やこれらの偉大さに対して、自分自身の何とはかない哀れな人間であることか、その小ささ、愚かさが思い知らされてまいります。

*ご著書の処々に教示を受ける言葉で満ちています。少しも上から目線ではなく、しかし、日本語はかくも美しい言葉であったかと感じられる丁寧な言葉で溢れています。

*奈良の中宮寺如意輪観音様に一度はご挨拶にうかがいたいものと願っています。

(就任式の来賓席の門跡様。お隣は台湾からの尼僧様たちです。左のお二人は比丘尼会の長老尼師です。写真がピンボケですみません。韓国比丘尼会館の本堂です。)

 

 

 


コロナウイルスの猛威 文医師の遺言

2020-02-11 12:49:37 | Weblog

2月11日(火)晴れ【コロナウイルスの猛威 文医師の遺言】

皆様、お元気ですか。風邪やインフルエンザには罹っていませんか。母が存命の頃は、この時期はいつも罹患のないようにと心配していましたが、その心配は無くなりました。
私はお蔭様で、税務署に提出する収支計算書を仕上げるために夜中まで、奮闘していましたが、風邪もひかずに過ごしています。とにかくエクセルの使い方を教えてもらって、エクセルで表を作ることができたので、なんとかなりました。

ところで、このように呑気なことを言っていられますのも、コロナウイルスの影響の少ないだろうという所に生きているからであって、中国に住んでいたら、そのようなことを言っていられません。スエーデン在住の弟からは、マスクは十分買えるから送る、という電話が入りました。花粉症の季節がやってきますので、よかったと思っています。これも呑気なことですが。

しかし、このウイルスによる伝染病によって、多くの方が、中国のみならず、世界のあちこちでお亡くなりになる人が増えています。最初にSARSのような伝染病であることを警告なさった医師がお亡くなりになってしまいました。

彼の遺言をこのブログにも転載させていただきたいと思います。

 近藤 大介(『週刊現代』特別編集委員)の方の記事です。

〈 李文亮医師が、2月6日夜9時30分に死去した 〉

  私は思わず、床から飛び起きてしまった。このコラムで2週にわたって伝えてきた李文亮氏が死去したのだ。新型コロナウイルスの発生に対して12月31日、初めて警鐘を鳴らした湖北省武漢市中心病院の医師で、自らも感染し入院していた。享年34。

  https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70225? page=2

 李氏には妻と5歳の息子がいて、今年6月に妻が第二子を出産予定だった。李氏が死去した7日、妻がSNSで声明を発表した。

  〈 私は付雪潔、襄陽出身で李文亮医師の妻です。私はどなたからも寄付を受け取りません。ネット上で流れている、私が援助を求めているという情報は、事実ではありません。

  李文亮医師と私たちに手篤くしていただいた社会各界の方々に感謝します!  同時に、私は李文亮の「私は去る」という原稿を完成させます! 

  私は砂粒となる前に、故郷の黒土白雲のことが、また想い浮かんだ。子供の頃を何度想い返したことか。風は舞い降り、雪は真白だ。

  生きられたら本当にいいのに。でも死ななければならない。もう二度と妻の瞼に触れることもできない。子供を連れて東湖の春の日の出を見ることもできない。両親を連れて武漢大学の桜を見ることもできない。白雲の深いところまで凧を揚げることもできない。

  たまには、まだ生まれぬ子供の夢を見ることもある。彼もしくは彼女は、生まれるやいなや、大勢の人の中から私を探す。子供よ、ごめんなさい!  私には分かっている。あなたはただ、一人の平凡な父親だけを求めているということを。それなのに私は、いつのまにか平民の英雄になってしまった。

  まもなく夜が明ける。私は去らないといけない。一枚の保証書を持って(李医師の病気を公傷にするという武漢市政府の証明書が出された)。これは、私のこの世で唯一の携帯品だ。

  私を理解し、愛してくれた世間のあらゆる人々に感謝する。黎明の頃、私が山の丘を乗り越えるのを皆が待っていることを、私は知っている!  だが、私はもう疲れ切ってしまった。

  この世で、私は泰山より重くありたくない。また鴻毛より軽いことを恐れてもいない。私の唯一の望みは、氷雪が溶けた後に、皆々が変わらず大地を熱愛し、祖国を信じることだ。

  春の雷鳴が鳴り響く頃、もしも誰かが私を祈念したいというなら、ごく小さな墓碑を立ててほしい!  別に偉大だとか書くことはない。ただ私という人間がこの世に存在していて、姓と名があって、畏れを知らなかったと証明してくれればいい。

  墓碑銘に添えてほしいのは、この一句だ。

  彼は生きとし生ける者(蒼生)のために話をした 〉

  本当に、涙なしには読めない「遺書」だった。こんなけなげな若い医者を、武漢市公安局はデマを流した犯罪人扱いし、そのニュースを国営テレビ(CCTV)が全国放映し、見せしめにしたのだ。

 

*心より冥福を祈っています。