風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

立って遊ぶ猫

2008-08-31 21:58:02 | Weblog
8月31日(日)晴れ時に雨【立猫】

先日の三匹の猫ちゃんの内、お兄ちゃん猫とお姉ちゃん猫の2匹は、本日飼い主が決まりました。優しい友人夫婦が貰ってくださいました。はじめは一匹の予定でしたが、留守の間、2匹いると寂しがらないということで、2匹引き取ってくださいました。本当に良かったです。

残りの一匹ですが、寂しがるかと心配しましたが、一人遊びができる猫のようで、一本の紐があれば、いつまででもそれと格闘していますし、スリッパとでも遊んでいますし、この写真は猫じゃらしのおもちゃと遊んでいるときに写した一枚です。

立って遊ぶ猫は珍しいかどうか分かりませんが、珍しいのではないかと思い写してみました。猫が遊ぶのを見ていますと時間が自然に過ぎていきます。

駒澤大学の教授に、猫の面倒を見てくれる、通称猫先生がいらっしゃいます。駒澤大学のキャンパスで遊ぶ野良猫たちのために、避妊手術を自前でしてくださったり、餌を一日に数度配ってくださってもいます。

その先生曰く、みんなが猫を可愛がれば、戦争なんか無くなるのだ、と。

本当に猫が可愛らしくて、鉄砲を撃つのさえ忘れてしまうでしょう。

因みに2匹の猫を引き取ってくださった友人夫婦は、ペシャワール会の会員さんだそうです。今夜は伊藤和也さんのお通夜です。ご冥福を祈るばかりです。




伊藤和也さんを悼む

2008-08-27 23:13:13 | Weblog
8月27日(水)雨【伊藤和也さんを悼む】

勤めからの帰り、駅の売店で、「邦人遺体で発見」の文字が目に飛び込んできた。すぐに新聞を買った。アフガニスタンで反政府武装勢力に拉致された伊藤和也さん(31)が遺体で発見されたという記事であった。

アフガニスタンの人々のために農業指導をしていた人が、どうして殺されなくてはならないのだろうか。

伊藤さんが属していた「ペシャワール会」は、中村哲さんというお医者さんが代表をしている非政府組織であり、パキスタンやアフガンの復興や人々の生活のために、献身的に働いていてくださる人々の組織である。医療活動だけではなく、「緑の大地計画」として、水源確保事業や農業支援を行っている。

パキスタンにおける中村哲さんの長い間の地道な医療活動はよく知られている。アフガニスタンでも、この会のメンバーには、特別な恩恵を蒙っているはずであり、たとえタリバンでも、手を出すようなことはしないのではないかと思っていた。

それは全くの思い違いであり、幻想であった。それともタリバンの組織がそれほどに追いつめられているということであろうか。犯行グループの一人は、伊藤さんが活動している村の一員であるようなのだから、伊藤さんの働きを知っているはずなのである。

日本人的感覚でよいように判断すると、判断を誤るようである。
同じ人間だと思いたいが、テロ活動をする人々の判断基準は全く違うことを改めて知らされた事件である。

何年か前、アフガンから日本に留学していた女子高校生がいた。この少女がいつか自分の国が平和になって、どの家にも電気がともるようになると嬉しい、そんな仕事につきたい、と言っていたが、あの少女の願いが叶うのは一体いつなのだろうか。

伊藤さん、本当に大変でした。残念でした。お疲れさまでした。きっと「まだアフガニスタンのためにやりたいことは一杯あるのに」と、アフガニスタン人に殺されながらも思ったかもしれない。
 
伊藤さんの言葉「私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。
 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。」

猫の飼い主募集中

2008-08-23 19:37:24 | Weblog
8月23日(土)曇り夕方雨【猫の飼い主募集中】

可愛い猫です。捨てられていたのですが、拾ってくれた人がいて救われました。藪の中から猫の泣き声がするというので、藪をかきわけたらダンボールの中に三匹いたそうです。ノミだらけになっていたのを薬をかけて、ノミを退治してもらい、今ではすっかりきれいな猫ちゃんになりました。

真ん中はお兄ちゃん猫です。三毛は妹です。はじめ、小さな器で猫用ミルクをあげたら三匹は飲めなかったので、茶色のお兄ちゃんは待っていて、妹たちに飲ませていたそうです。優しいお兄ちゃんですね。

この脚さえなんともいえず可愛いですね。

この写真は、飼い主募集のためのビラを作るために、私が撮った写真です。動いてばかりいた三匹ですが、一瞬このチャンスがありました。三匹が正面を向いてくれた奇跡のチャンスでしょう。貰われていく先が見つからなくては大変ですから、猫にもその気持ちが通じたでしょうか??

このブログを見ている人で、飼ってくださるという方がいないでしょうか。もしいらっしゃったとしても連絡が難しいですね。私も母を説得しているのですが、「だめ、だめ、絶対にだめ」と言われてしまっています。私も時々留守にするので、強くは言えません。でも可愛い猫ちゃんでしょう。

あなたはどの猫ちゃんがお好きですか。三匹の兄妹、少しずつ違う顔ですね。性格も少しずつ違うようです。

この猫ちゃんを助け出したのは、ジュリーのお世話をしてくださっているお二人です。早く飼い主が見つからないと、別れるときがとても辛いそうです。情がうつってしまうからだそうです。

どうか早く飼い主が見つかりますように。 

お盆も終わりました

2008-08-18 20:57:08 | Weblog
8月18日(月)晴れ【お盆も終わりました】

ようやくお盆も終わりました。お盆の間暑かったですね。それが昨日は涼しく、夜は風がよく入ってきて寒いほどでした。お盆の時涼しかったら良かったですね。今年のお盆で廻ったときの車内最高温度は55度でした。頭が煮えるようでしたが、冷やしておいたタオルを頭に載せて防ぎました。

お盆の牛(ナス)と馬(キュウリ)を昨日片づけましたら、母がもうお盆はおわったのか、と寂しそうに言います。もっとおいしい料理を作って上げたかったのだそうです。いつでもお作りいただいて構わないのですが、やはりお盆のときには、先祖さんが遊びにいらっしゃっている、という感じを持っているのですね。

田舎ですと馬や牛やもりものを、お盆が終わると、三方の辻に持っていって置いたのですが、東京では「何処にでもおけないので、どうしようか」と言っています。捨てるのはいやなので、食べるようにしました。

先祖の乗った牛も油炒めになりました。

ところでオリンピック、日本選手もそれぞれ活躍していますが、見づらい時間なので夜の試合は寝てしまって見られません。

変な時間帯に試合があると思っていました。その理由をご存じでしたか。
IOCに払うテレビ放送の放映料として、アメリカが9億ドル近く出しているからだそうです。9億ドル!約900億円です。

因みに日本は1億何千ドルだそうです。約100億です。

まだ8時ちょっと過ぎですが、なんだか今夜はもう眠くなりましたので、このへんにて。またライブでは見られません。

もう少し夏の暑さは続きそうです。皆様お体お大事に。

小沢昭一氏とシャボン玉とんだ

2008-08-13 23:42:34 | Weblog
8月13日(水)晴れ【小沢昭一氏とシャボン玉とんだ】(テレビ画面からの小沢さん。このようにテレビ画面をブログに使用してもよいでしょうか?)

昨日、ちょっと時間を見るためにテレビをつけたら、白髪の初老の紳士が「シャボン玉とんだ」を歌っていた。「シャボン玉」は、野口雨情が、生まれて間もなく死んだ子どものために作った詩だそうだが、白髪の紳士は、本当の情感を籠めて歌っていた。

これほどに素晴らしい「シャボン玉」は聞いたことがない。

なんとその紳士は、小沢昭一氏だった。ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を楽しんでいる人にとって、テレビに映ったこの紳士のお姿に、さらに心酔したのではなかろうか。いぶし銀のような感じです。

番組では小沢氏の愛妻家の一面にスポットを当てていたようだ。長寿番組をつとめられたり、粋人の生き方を貫き通せる陰には、やはり奥さんがしっかりと守っている手綱があった。

そして諸手をあげて奥さんを讃美している夫の小沢氏がいて、世のご夫婦はよい参考になったのではなかろうか。お互いに助け合い、補い合って生きていく夫婦の二人三脚は、この世の荒波を乗り越えていく強い絆だろう。

なおハモニカの名手でもある小沢氏のリサイタルが、紀伊国屋ホールで近々あるそうですね。行きたいですね。

さて、小沢氏は貧主主義ということを言っていた。現代の拝金主義社会が生み出している数々の悲劇。あの昭和の時代がよかったんじゃないの、と言われていた。私も昭和40年代頃の東京の雰囲気がなんとなく好きだが、他の土地はどうだったのだろうか。

昭和33年から東京に住み、37年頃からは新宿のような繁華街にある高校に通い、大学も新宿が遊び場のようで、結構昭和30年、40年代の東京の空気を吸っていたが、なんだか味があったような気がする。自分も若かったということもあるだろうが、この頃の新宿にあの頃の雰囲気は探せないでいる。

懐古趣味でも良くないが、とにかく私は退歩のゆとりを日本に取り戻せればよいが、と思っている。じっくりとした生き方、一歩一歩地道な生き方、輝かないでいい生き方、いぶし銀のような生き方、貧主主義、いいですね。


埼玉方面の今日の棚経は、わりに暑さがうちばでした。お盆の間、今日のような程度だとありがたいです。夕方外の風にしばらく吹かれていました。そしてあの白髪の紳士の「シャボン玉」を、また聞きたいものだと思っていました。それはなにより供養の「シャボン玉」でした。

シャボン玉とんだ 屋根までとんだ 
屋根までとんで  こわれて消えた 
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 
生まれてすぐに  こわれて消えた 
かぜかぜ吹くな   シャボン玉とばそ 

流言

2008-08-08 07:25:22 | Weblog
8月8日(金)晴れ【流言】(真ん中あたりの雲は人面雲のようです)


今日から秋です。今朝は写真を撮りませんでしたが、空の雲はやはり秋のように感じました。写真は能登に行ったとき、飛行機の中から撮った雲海です。8月6日には東京方面に地震が起きるという噂があり、果たして、と思っておりましたが、無事に終わりました。

この噂はかなり飛び回っていたようで、写経に来る人たちも、友人から外出を控えた方がよいと電話が入ったと言っていました。私もちょっと気にしていました。大阪や京都方面では震度3くらいの地震があったと報道されていましたね。

空の雲の上を飛んでいても何時落ちるか分かりませんが、地面の上にいれば安心というものでもありませんし、この地球の中にいて、絶対に安心ということはありません。危険と隣り合わせで生きているようです。

地震が予言通りになかったことは幸いでした。いつもちょっとした安心の上に、乗っかって生きているだけですから楽天的にならざるをえないでしょう。安心はどこにあるかと言えば、そう、この胸の内と言いたいものですね。

今日も朝5時にははや暑く、一日また暑いようです。明日は少し涼しくなるという予報です。地震についても流言ではなく、一日前くらいに予報が出せるようになると有り難いですね。皆様、どうぞお元気で。

總持寺の蔵

2008-08-05 16:53:20 | Weblog
8月5日(火)雷、雨【總持寺の蔵】

この写真の蔵は、明治の大火から免れたそうです。やはり蔵の造りは違うのですね。そして火事のあとすぐに開けなかったのでしょうね。建物が焼け残っても、すぐに開けるとせっかく焼け残ったとしても、また燃えてしまうそうですが、多くの書類やら宝物などが助かったのは、きっとそのような知識のある人がいたのでしょう。

「開けるな、開けるな、まだ開けては駄目だ」と、叫んだ人がいたような情景を、この蔵の写真を見ていて、思い描きました。

なお總持寺祖院に関しての記事は「つらつら日暮らし」のtenjin和尚さんのWikiをご覧ください。http://wiki.livedoor.jp/turatura/d/%e5%c1%bb%fd%bb%fb%c1%c4%b1%a1

再び暑中お見舞い

2008-08-03 18:35:03 | Weblog
8月3日(日)暑い【再び暑中お見舞い】(友人の家のしゅうくん、撮影:中山佳織さん)

今日も暑かったですね。まだ暑いですが。立秋は6日あたりでしょうか。その後の暑さは残暑。この猫ちゃんは友人の家のしゅうくんですが、だいぶ前にとって貰った写真なのですやすやと気持ちよさそうです。今頃は果たして、こんなにゆったりでしょうか。たぶん「暑くてかなワン」いえ猫ですから「暑くてかなニャン」というところでしょう。

先月の28日から4日ほど能登の總持寺にうかがってきました。江戸期や明治期の資料の調査・撮影に行って来ました。明治31年の大火の時も、蔵は焼けなかったというのですから、たいしたものですね。その御陰で貴重な資料が焼け残っていたのでしょう。

この中で思いがけず、本師を小学校5年生から育ててくださった、黒田鉄巌老師がお書きになった書類などにもお目にかかりました。私にとっても法系3代前の師になります。やはり墨書されたものは残りますね。この味わいは便利な世の中になればなるほどに失われていきます。こうして、「あっ、師匠の大師匠様が書かれた書類!!!」というように発見の喜びを味わえたのは嬉しかったです。

總持寺の建物や、そこでしか撮れない空の写真が、今手元にありませんでしたので、後日ご披露します。

今日は、大学時代の友人のお母様の新盆にうかがってきました。暑い中をご苦労様と言って、団扇であおいでくださった方も、今年はもう黄泉の人。

簡単で恐縮ですが、8月最初のご挨拶、再び暑中お見舞いです。皆様、水分補給を忘れずに。ビールは決して水分補給にはならないそうですから、お気をつけください。