7月18日(水)【励まされて】
東京方面のお盆経は無事に勤めさせて頂けました。今年は台風4号の影響で、雨に濡れながら回りました。この台風によって、九州や四国方面等、大変な被害を蒙ってしまいました。その上更に16日には、新潟や長野方面に大地震が起きてしまいました。お盆の疲れもさることながら、あまりの災害に茫然としてしまい、ブログを更新する気力も出ない状態でした。
さて、この頃、ある青年と時々出会います。彼は道々なにか呟きながら歩いています。そして私の顔を見ると、「お坊さんて、いい人が多いんだよねエ」と言ってくれます。
お坊さんはいい人が多い、と彼に教えてくれた人は誰なのでしょう。お坊さん側から言いますと、その人は「いい人」と言いたいですね。それとも彼が考えたのでしょうか。そのような発想を起こさせてくれるような体験でもあったのでしょうか。
「いい人」と励まされて、お盆経も終わりました。お盆の由来については、皆さんよく耳にしているかもしれませんが、『盂蘭盆経』というお経の影響があるようです。そのお経によりますと、お釈迦様のお弟子さんの中に、神通力のある目連尊者がいまして、冥界にいるお母さんを探しに行きました。するとお母さんは餓鬼道に落ちて苦しんでいるではありませんか。神通力のある目連尊者にもどうすることもできません。
目連尊者は泣きながら、お釈迦様に助けをもとめに行きました。お釈迦様は7月15日自恣じしの日に、僧達に御供養をすれば、お母さんを救えると教えました。
また僧達には「みな先ず施主家の為に呪願せよ。七世までの父母に願し、禅定意を行じて、然して後に食を受けよ」と伝えました。そして、その通りにしましたところ、目連尊者のお母さんは餓鬼の苦しみから救われということです。
この自恣の日ですが、インドでは雨が降り続ける雨期があります。この雨期の3ヶ月間はお釈迦様もその弟子達も一箇所に留まって修行しました。これを雨安居うあんごといいます。この間坐禅をしたり、お釈迦様の教えを受けたりしたのです。そしてその修行中に自らの反省懺悔をしあうのが自恣であり、自恣の日というのは特に雨安居の終わる7月15日のことを言います。
そうだとすると、特にこの時期の仏弟子たちは、心身ともに清まっている状態と言ってもよいでしょう。その僧達の威神力いじんりき(すぐれた働き)をもってすれば苦しみを救うことができるのだとお釈迦様はおっしゃったのです。
このことを考えますと、お盆のお経に伺う僧侶たちは、清浄でなければなりません。そうでなければ、いくらお経を唱えてもなんの功徳もないでしょう。ここが私にとって一番の問題です。
自らの信仰心の薄いことを反省します。「お坊さんていい人が多いんだよね」と言ってくれた青年の言葉に叶いたいと願いますが、なかなかです。
それにつけても、私がいつも心に思い浮かべる少年の姿があります。ある日の研究所からの帰りの電車でのできごとです。私は電車の扉近くに立っていました。ふと扉の横に目を向けましたら、そこに立っていた少年が私をじっと見てから、おもむろに手を合わせてくれました。私も思わず合掌を返しました。
しばらく私の目をじっと見ながら合掌してくれていました。その目の真っ直ぐなこと。このような目を一点の曇り無い、というのだろうと思いました。それからまた彼は自分の世界に入っていきましたが、私が電車から降りるとき、再び真剣な目で合掌して見送ってくれました。僧侶という存在に対して、この少年が抱いてくれた純な思いが、私にはストレートに伝わってきました。彼は知的障害のある少年でした。
私は、彼の純眞な目を時々思い出します。その目は私を励まし鼓舞してくれるのです。「この私」ではなく「僧侶」という私の有り様に対して、励ましを受けるのです。
この少年にしても、「いい人だよね」といってくれる青年にしても、私を励ましてくれる存在です。私はこれからも、電車で出会った少年と少年の合掌に励まされて、この道を歩いていくでしょう。
お陰様でこのお盆も、励まされて、つとめさせてもらえました。知的障害のお子さんをお持ちの親御さんは大変なことも多いでしょうが、思いがけないところで、か弱い庵主を励ましてくれていることも、お知らせしたく書かせて頂きました。
清浄とは、どのようであることを言うのだろうか 私は、仏の智慧を学び、慈悲の実践を為し、自らの行為を常に点検、反省し、修行し続けていくこと、と受けとめています。 私自身は、なかなか充分にできていないことを、点検、反省しております。
東京方面のお盆経は無事に勤めさせて頂けました。今年は台風4号の影響で、雨に濡れながら回りました。この台風によって、九州や四国方面等、大変な被害を蒙ってしまいました。その上更に16日には、新潟や長野方面に大地震が起きてしまいました。お盆の疲れもさることながら、あまりの災害に茫然としてしまい、ブログを更新する気力も出ない状態でした。
さて、この頃、ある青年と時々出会います。彼は道々なにか呟きながら歩いています。そして私の顔を見ると、「お坊さんて、いい人が多いんだよねエ」と言ってくれます。
お坊さんはいい人が多い、と彼に教えてくれた人は誰なのでしょう。お坊さん側から言いますと、その人は「いい人」と言いたいですね。それとも彼が考えたのでしょうか。そのような発想を起こさせてくれるような体験でもあったのでしょうか。
「いい人」と励まされて、お盆経も終わりました。お盆の由来については、皆さんよく耳にしているかもしれませんが、『盂蘭盆経』というお経の影響があるようです。そのお経によりますと、お釈迦様のお弟子さんの中に、神通力のある目連尊者がいまして、冥界にいるお母さんを探しに行きました。するとお母さんは餓鬼道に落ちて苦しんでいるではありませんか。神通力のある目連尊者にもどうすることもできません。
目連尊者は泣きながら、お釈迦様に助けをもとめに行きました。お釈迦様は7月15日自恣じしの日に、僧達に御供養をすれば、お母さんを救えると教えました。
また僧達には「みな先ず施主家の為に呪願せよ。七世までの父母に願し、禅定意を行じて、然して後に食を受けよ」と伝えました。そして、その通りにしましたところ、目連尊者のお母さんは餓鬼の苦しみから救われということです。
この自恣の日ですが、インドでは雨が降り続ける雨期があります。この雨期の3ヶ月間はお釈迦様もその弟子達も一箇所に留まって修行しました。これを雨安居うあんごといいます。この間坐禅をしたり、お釈迦様の教えを受けたりしたのです。そしてその修行中に自らの反省懺悔をしあうのが自恣であり、自恣の日というのは特に雨安居の終わる7月15日のことを言います。
そうだとすると、特にこの時期の仏弟子たちは、心身ともに清まっている状態と言ってもよいでしょう。その僧達の威神力いじんりき(すぐれた働き)をもってすれば苦しみを救うことができるのだとお釈迦様はおっしゃったのです。
このことを考えますと、お盆のお経に伺う僧侶たちは、清浄でなければなりません。そうでなければ、いくらお経を唱えてもなんの功徳もないでしょう。ここが私にとって一番の問題です。
自らの信仰心の薄いことを反省します。「お坊さんていい人が多いんだよね」と言ってくれた青年の言葉に叶いたいと願いますが、なかなかです。
それにつけても、私がいつも心に思い浮かべる少年の姿があります。ある日の研究所からの帰りの電車でのできごとです。私は電車の扉近くに立っていました。ふと扉の横に目を向けましたら、そこに立っていた少年が私をじっと見てから、おもむろに手を合わせてくれました。私も思わず合掌を返しました。
しばらく私の目をじっと見ながら合掌してくれていました。その目の真っ直ぐなこと。このような目を一点の曇り無い、というのだろうと思いました。それからまた彼は自分の世界に入っていきましたが、私が電車から降りるとき、再び真剣な目で合掌して見送ってくれました。僧侶という存在に対して、この少年が抱いてくれた純な思いが、私にはストレートに伝わってきました。彼は知的障害のある少年でした。
私は、彼の純眞な目を時々思い出します。その目は私を励まし鼓舞してくれるのです。「この私」ではなく「僧侶」という私の有り様に対して、励ましを受けるのです。
この少年にしても、「いい人だよね」といってくれる青年にしても、私を励ましてくれる存在です。私はこれからも、電車で出会った少年と少年の合掌に励まされて、この道を歩いていくでしょう。
お陰様でこのお盆も、励まされて、つとめさせてもらえました。知的障害のお子さんをお持ちの親御さんは大変なことも多いでしょうが、思いがけないところで、か弱い庵主を励ましてくれていることも、お知らせしたく書かせて頂きました。
清浄とは、どのようであることを言うのだろうか 私は、仏の智慧を学び、慈悲の実践を為し、自らの行為を常に点検、反省し、修行し続けていくこと、と受けとめています。 私自身は、なかなか充分にできていないことを、点検、反省しております。
7月盆は、梅雨時期なので、雨が降ることがありますね。
学生時代のことを思い出しました。
わが地方は8月盆で、暑さの最中です。
東京では、文字通り「棚経」で、我が地方では見られないいい風習だと思っています。
記事とは関係ない書き込みで、失礼しました。
お盆経が終わると、ホッとします。年々きつくなります。いつまで回れるだろうか、と毎年思いますが、なんとか勤まるものです。
あとは8月ですね。頑張ります。
知的障害者ゆうたらわてもよう会う青年がおます。地下鉄に乗って行ったり来たりしよる。ウォークマンのイヤホーンをして、嬉しそうに聞きよる。笑ろうてるんやから、要は幸せやと思う。
ダウン症のグループもよう行きあうな。大きな赤ちゃんみたいやけど、本人たちは障害者の自覚があるんやろか。
元来障害者とはどうゆう定義やろか。いずれにしてもその定義は知的正常者と思うてる側からの定義やな。逆から考えたら、わてらは知的異常発達者にならんやろか。異常に発達して、結果異常行動ばかり。環境汚染、殺し合い、果てしない欲ぼけ。障害者はどっちやねん。
なお知的障害という表現ですが、ご自身が障害のあるお嬢さんがいらっしゃる山田火砂子先生のご本を参考にして、使わせて頂きました。
単に差別用語を使わない、ということだけでなく、生きあうそれぞれとして失礼無きように考えたのですが、恐縮ながらこの度は一応社会的に認められている表現を使わせていただきました。
しかし本当に障害のあるのは、思慮の浅いことばかりしている人間のことです。その中に私も含まれます。
私の言葉ですと、自由人と呼んでいますが、安易に使って誤解を受けてもいけませんので、このログの表現としては、知的障害という表現を使わせていただきました。
代わりに末尾に数行追加しました。
浄髪の度に、反省しておりますが、一歩一歩の歩みです。
しかしまた別な意味で、お坊さんはできる限り、背広ではなく僧形で、街に出て欲しいですね。
今日も電車の中で、可愛い坊やたちとお話をして、お兄ちゃんの方に「お兄ちゃんは、ママを手伝えて偉いね」と言ってあげたら、とても誇らしいように見えました。
電車を降りてからも、いつまでも手を振ってくれていました。私が僧形ですから、できた交流と思います。
きっと慧さんも、すぐに、お坊さんとわかる姿で、歩いてくれていると、私は思っています。
久々訪問させて頂いたら、はたまた心が洗われました
人間弱いもので(私だけ?)、ついつい道を迷いそうになります。また自信を失う事もしばしです。
そんな時、心励まされる記事をありがとうございます。
挫けそうになっても、挫けそうになっても、頑張る姿が尊いものと思いたいです
明日からまた頑張ります
大地震の都度、被災者に対する支援で、ライフラインの復旧、食料、水、トイレ、風呂がポイントになります。
地震被害が続き、世の中が地震に慣れてしまった弊害があると思います。
即ち次の地震が起こり被災者が出る都度、何故速やかに被災者を救済出来ないのかと、マスコミあげて、自治体などの対応不足を非難するものです。過去の経験が生かされていないと言う訳です。
また被災者には同情しますが、被災後直ちに平常に近い生活が出来るよう、国、自治体、世間(ボランティア)が計らうべきだと、不満をあらわす人がいます。
私も神戸で被災して、3ケ月避難生活をしました。当然不自由はありましたが、これこそが被災したと言う事なので、国や自治体を恨むことはありませんでした。
被災者はボランティアとのやり取りは初めてです。ボランティアも始めての人が多いと思います。そう言った中で、「飯はまだか」とボランティアをせっついて、喧嘩になったことも、過去と同じように今回もあったのではないでしょうか。
話がまとまりませんが、要するに天災、自然の驚異、偉大さに対する畏敬の気持ちをもっていれば、不自由さは当然であり、人事は尽くしきれないとゆとりのある対応が出来るのでしょうが。
テレビなどの報道を見て感じたことを書きました。
昨日は、親戚づきあいをしているお寺の結婚式で、新潟まで出かけてきました。
永平寺で安居した若い雲水が多く、顔見知りも多く、旧交を温めてきました。自ずと「叢林@Net)さん」の時のことも、思い出されました。
そして今日はコメントに接し、喜んでいます。どうぞお元気で。叢林@Net)さんの唯一の花様に宜しくお伝え下さい。