風月庵だより

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幼い命。性教育を見直そう。

2005-11-30 18:13:09 | Weblog
11月17日(木)
一年前のこの日、奈良で女の子がむごい殺され方をした。少女の冥福をひたすらに祈るばかりである。
 しかし、なぜこのような性犯罪が起こってしまうのか。この男を異常者とかたずけるだけではこれからも起こりうる事件を止めることは難しいだろう。性的異常者のレッテルを貼る前に、そのような方向に向かうことを止められなかっただろうか。
 性教育を改めて考える必要はないであろうか。
 子供の頃にきちんとした考えをもたせておくこと、脳裏にしみ込ませておくことは異常にさせない役に立つということもあるのではなかろうか。
 
 まづ、性的なことに興味を持つことは異常ではないことを教えるべきではないか。人間という生物としてそれは自然なことなのだと、まず教えることから始めることはどうなのだろうか。ほとんどの人間には性的欲望はあるのではないか。
 ただそれをコントロールすることが大事なこと。
 男女がお互いの性を尊重することが大事なこと。
 命の大事なこと。人の命、自らの命。

 当たり前の事と言えばそれまでであるが、はたして現在の小学校からの性教育はどうなっているのであろうか。きちんと取り組んでいるのであろうか。

 
 事故を未然に防ぐような監視も重要なことではあるが、性犯罪を起こさない人間になってもらえるように、皆で考えることが大事ではなかろうか。少年時までの教育は非常に大事なことだと思う。そんな簡単な問題ではない、と言われてしまうかもしれないが、考え得る限りの努力を社会全体でやることは大事なことだと思う。
 気の毒な最期を遂げた少女に心より冥福を祈らずにはおれない。
(ラジオを聞いていたら某氏が面白いことを言っていた。筑波山からのレポートに、「僕は思春期の頃、筑波山のことを女体山というと言われて変な気持ちになったよ」と。
 性的興味を持つことは自然なことなのだ、ということをとにかく少年の頃教えてあげることは、異常な方向にいかないために多少の役に立つのではないかと思うのだが。)


11月23日(水)
 また広島で少女の事件が起きてしまった。なぜなのか。なぜそんなことができるのか。

「殺さんといてほしい。守ってあげたかった。」と、7才の友人の少年の言葉。
私には祈ることしかできない。

四十九日の法要

2005-11-29 10:08:46 | Weblog
ブログの開設にあたって、親切な若者のお世話になりました。ポツポツとようやく文字を打っている私なので、処々ミスもあろうかと思いますが、お読み下さる方のご寛容にすがりたい。宜しく。

 11月13日(日)【供養記】
 今日は二十代の青年の七七日忌で納骨である。若い人のご供養はことさらに責任が重い。家族の悲しみが深いことが伝わってくる。
 七七日忌はご葬儀とは違う意味で大事な供養だ。ご葬儀の時は遺族も亡くなった本人も、その死が信じられないような、夢のような時の流れの中で夢中であろう。しかし七七日忌はご葬儀のときとは違い、遺族は故人の死を実感しつつ四十九日間を過ごしたあとの供養である。故人自身にとっても四十九日の間、この世の者からは見えなくとも、縁あった人々を訪ねてお別れをして過ごした後に迎える供養である。そしていよいよこの世にあった気が薄れていくお別れの時であると、私は実感している。
 四十九日の間は軒端にいる、昔からそう言われたものであるが、この頃の若い人は知っているだろうか。キリスト教の友人に尋ねたところキリスト教でも"FIFTY DAYS"という固有名詞のついた供養日があるという。神道では「五十日祭」と書いて「いとかさい」と読むが、やはり死後五十日後の供養がある。いずれも死後五十日ぐらいに特別な供養日をもうけているということは、やはりこのくらいの期間が、死者にとって特別な意味がある期間であるといえよう。仏教ではこの間は中有にあるという。この世とあの世の間を中有というのである。四十九日の後、死者はどのようになるか、私には確信はないが、この四十九日の間は、死者は縁ある人たちに、お別れをしているということを、私は実感している。
 そうであるから、私は四十九日の供養は特に大切であることを伝えたいと思っている。この世の者も、あの世に帰りゆく者もお互いにお礼を言い合い、別れを惜しみたいと思うのである。僧侶は事あるごとにこのことを伝えたいものだと、私は思う。生きている時に聞いておけば、自分にいよいよその時がきたら、よりしっかりと挨拶回りができるというものだろう。そしてこの世の者もせめて四十九日ぐらいは喪に服して、静かにすごしたいものだ。あの世の者のかそけき気配を感じるためにも。せっかくあなたにお別れに来ている人の気配を感じられなくては残念というものだから。二度と無いことなのだから。
 青年に対しての誦経が終わった時、「楽になったァ」と声が、私の胸に飛びこんできた。
 法話の時にそのことをそれとなくお伝えしたら、「苦しんでいるんじゃないんですか」とご両親は聞きかえされた。病気で苦しんでいたのではないかと思っていたのであろう。「いいえ、楽になったようですよ。」と私は再び伝えた。「楽になりました」というのでなく「楽になったァ」という言葉が、私には本当に楽になったのだな、という感じがした。
 四十九日の間であると、私も時々故人の言葉が聞こえるような気がする。証明ができるわけではないのであるが、その人の言葉としか思えない言葉であるのが、証明のようなものである。その言葉はポンと飛んでくるような感じがするので、私が心に思うこととは別なのだ。まあ、しかし、証明はできないので気のせいと言っておこう。

【初めてのブログ:ご供養】

2005-11-25 17:13:38 | Weblog
平成17年11月6日(日)
奥山貴宏さんの『ガン漂流』三部作を読了する。このことについては今は触れられない。彼の死について私がなにか語ることは、どんな言葉も嘘になるような気がするからである。ただ私は、彼にお水とお線香を供え、お経を誦げた。奥山さんが命をかけて書き続けた姿勢を学びたいものと、私も初めて『風月庵日記』を書くためにパソコンを開いたのである。友人に教えて貰って第一回目のブログをupしました。
 
今日私が法事で伺った家のことを書こう。プライバシーの侵害にならないように留意して書きたい。仮にA家とする。A家の故人は今年三回忌である。定年間近で病のため亡くなられた。奥さんが喪主である。仲のよいご夫婦であったのでいまだに奥さんはその死を受け入れるのは辛いのであるが、一人娘さんが結婚していて、可愛いお孫さんがいてくれるのが心の支えである。
 
そのお孫さんのA子ちゃんが「去年の紙を練習する」と言って、その紙はどこにあるのかと、おばあちゃんに尋ねたという。はじめその紙の意味が分からなかったのだが、昨年の一周忌に一緒に唱えた「般若心経」の書かれた紙であることが分かり、おばあちゃんもA子ちゃんのパパもママもおおいに感心したのである。

私とともに「般若心経」を列席の皆で唱えている時、まだ就学前の A子ちゃんの可愛い声がとてもはっきりと聞こえた。どんなにかそのお経に、故人であるおじいちゃんが喜んでいる だろうかと、私は思った。あの世があるか否かの論議は論外としよう。

出家してよりまだ二十数年にみたないが、数え切れないほど法事を勤めさせてもらい、いろいろな体験もふまえると、人間は死んでそれで終わりとはどうも思えないのである。
そしてあの世の人の冥福を祈ることも大事であるが、実はあの世に帰った人のほうが、この世の者を守っていてくれるのではないかと、年とともに強く思うようになっている。

A家の故人も、遺影のように優しい笑顔で奥さんや娘夫婦そして可愛い孫のA子ちゃんを守ってくれているように思えてならない。だからみんなで感謝しましょうね、と私は言った。きちんと合掌してご挨拶をしましょうね、と言って共に合掌して頭を下げた。A子ちゃんも素直に可愛い頭を下げた。

きちんとしたご挨拶はとても気持ちのよいものである。合掌でなくとも手を畳についてきちんと頭をさげるようなご挨拶を見かけることは、今は稀になってしまったように思うが、試しに背筋を伸ばして挨拶してみると、実に気持ちのよいものである。

「このような挨拶を子供たちに伝えていきたいですね」と私が言ったところ、A家の奥さんも子供の頃は、親戚の家を訪ねたときなど、必ず仏壇の前で挨拶をして、それからその家の人にも挨拶をしたものだという。「是非その習慣をお孫さんに受け継いでもらいたいですね」「そうしたいですね」という話になった。それにはA子ちゃんの意志を無視できないが、押しつけではなく大人が心から願うことも大事だと私は思う。

どんな小さな子でもその子の人格を尊重することが大事であろう。それは単に甘やかすこととは違う。素直でのびのびとしたA子ちゃんが、元気でのびのびと成長してくれることを願ってA家をあとにした。